私は、自分の両親が、創価の欺瞞に気がつき、一家揃って脱会できる日が来ることを心より願っています。
「とんでもない団体に騙されていたね」「これからやり直そうね」と胸の内を語り合える日が来ることを。
ただ、その日が訪れることはおそらくないでしょう。
私の父は、信心一筋で活動してきましたが、長年勤めていた会社の倒産や借金を経験し、最近では大きな手術を2度も受けて、歩行に障害が出るようになりました。
私の母は、複雑な家庭の事情から精神的に病んでしまい、「こんな家出ていきたい」と毎晩のように泣いていました。口を開けば父との喧嘩が絶えない毎日でした。
傍から見ていますと、とても功徳があるとは思えないのです。
一家和楽には程遠い冷めきった修羅の空気。
信心では一向に解決されない複雑な家庭の事情。
財務をすれば2倍になって返ってくるはずなのに、ずっと消えない経済苦。
生命力に満ち溢れるはずが、逆に精神を病んでしまうという矛盾。
容赦なく襲い掛かってくる病魔と後遺症。
悠々自適な境涯?崩れることのない絶対的幸福?
時折、狂ったように泣き叫び出す母の姿を見ていると、
「そんなものはない」と断言できるんです。
うん。功徳なんかない。
普通だったら、「創価学会の信仰をやっていても、良いことなんかねえぞ」って気づきます。
「あーあ、貧乏くじ引いちゃったな」って。
でも、母はそんなこと疑いもせずに、毎日本尊の前に座るんですよね。
題目をあげるんですよね。
「これだけは間違ってない」って。
時折、唱題中に本当にしんどそうに前屈みになって泣いてるんですよ。
一緒に唱題をあげている私が「大丈夫?」って声を掛けると、
「もう死にたい」って言うんです。
しばらくすると、声にならない声で、唱題を再開するんです。
でも、またしんどくなって前屈みになって。
おい、創価学会。いや、原田。お前でいいや。
なんで母は泣いてんだ?なんで「死にたい」って言うんだ?
さっさとゼッタイテキコウフクキョウガイを母に与えろよ。
お前らの本尊を拝んでも何も良くならねえぞ。
まだ信心が足んねえのか?財務の額が少ないのか?もっと貢げってか?
ふざけんな。
もし、池田大作が既に亡くなっているのに、まだ生きてるとか、
選挙や財務は信心と何の関係もないのに、そこに功徳があるとか、
「今まで言ってきたことは嘘でした」って言おうものなら、
「学会員は金づるでした」って言おうものなら、
純粋な母を騙していたのなら、
私は創価学会を絶対に許さない。
そういう事情があったんですね
真面目と言うか、純朴な人ほど苦しむのが創価学会なのかもしれませんね
私の母は、端から見たら、長年頑張ってきたわりには、境涯革命したとは思えません
なのに、私の子供の入会を切望する母
守られるからと
あんたが守られてないじゃんと感じつつ、どうすれば、「入会させたよ」と優しい嘘を上手くつけるかと考えています
母には申し訳ないですが、信心は子供には継承させられません。
ただ、母にとって創価学会が活力だとすると、搾取されずに騙されたままでもよいのかと感じたりします
知ったところで苦しむだけでしょうから
読んでいて、なんて言っていいか、、
一緒に泣きたくなる、
たれぱん さんやたれぱんさんお母さん、お父さんを抱きしめてもういいよ!と叫びたくなる気持ちです。
本当に純粋な方に無理ばかりさせて、真心の財務大変にありがとうございます!みたいな一言で終わりです。
強制なくせに。。
やりたくないのにやらされてる人や騙されている人は沢山いますよね(ノ_<)
私も、同じような感じです!
本当に、わかります。信心強情な親は、これだけ不幸になっても、
(今、宿業が全部でている)と言って、題目を唱えつづけるんですよね…
うちは、今は、二人とも他界していますが。
生まれながらに、信心していて、絶対に幸せになる信心で、全てを、費やしてきた結果、
二人とも癌で60代であっけない最期でした。
一家和楽の信心で、兄(信心反対)と父は、
揉め事が多く、本当に嫌な想いばかりしました。
今、3人の子供を育てていますので、子供には同じ想い、いや、間違えを絶対に経験させたくないです!
たれぱんさん、代弁してくださり、ありがとうございます!!!
私も絶対許せない!!!
子供がいてことさら実感しますが、このご時世でもほとんどの病気に特効薬なんてないんですね。
どんな苦しんでても結局は本人の生命力を信じて見守ることしか親にはできません。目を離せば死の危険は隣り合わせ。普通に生き抜くことは大変なことです。
真面目な学会員なら、祈るしか、活動に励むしかなかったでしょうね。
たれぱんさんのご両親のように。
私の母は真面目な信心を貫き、最後まで働きづめでした。
難病になり、病院に拘束され、合併症での早すぎる最期でした。
これからが楽しい第二の人生を前に。
私も母としての苦労を一つも聞いてあげられなかった。
ですが案外母自身は幸せだったとも思うんですよ。傍からは可哀想でも。
安心して題目を唱え続け、夫子供、孫に囲まれて最期は綺麗な顔してましたから。
たれぱんさんが前にも書かれていたように、本人がどう思うかですよね。
善悪二極化させるのもマインドコントロールの手法と知り、自分もそうだとハッとしました。
一家離散になるくらいなら、白黒つけることに意味はないのかなと。
EMSさんの優しさのように
頭カチコチバリ活身内とうまく折り合っていけるなら、そうしたい。
人間何かに祈らざるを得ない時はあります。信心が支えになる人が多いのも事実。仏法学ぶのは権利です。
ただ、創価学会は断定的な指導をするなら「人生の責任はとれないけど」と予め言うべきだと思います。
活動参加は完全に任意にして。
弱体化は不可避でしょう。
同じ様な体験を共有するのはマインドコントロールを解く過程でとても大事だと思います。
たれぱんさんには感謝です。
学会は離れても、人の幸せに貢献して生きる人は、やっぱり清々しいものです。