野中さんの地元で惜しむ声
「優しい人」「感謝しかない」

丹波マーケス開業20周年記念式典であいさつする野中さん(昨年4月、京丹波町須知)

 京都府南丹市園部町出身の元衆院議員野中広務さん(92)が26日夕に死去した報を受け、地元の丹波地域でもゆかりの人々が功績と在りし日の姿をしのんだ。

 国政進出時から秘書を19年間務めた南丹市の佐々木稔納市長(63)は「人の気持ちを斟酌(しんしゃく)する優しい人で人生の師。走馬灯のように思い出が浮かび、気持ちの整理がつかない」と語った。

 衆院京都4区の後継者として1期務めた田中英夫府議(73)は「ずっと政治の進むべき道を指導いただいたので本当に残念」と話し、政治家として「戦争体験から平和の大切さを伝え続けることを貫き、引退後も最後まで多くの人に感銘を与えた」と尊敬をこめた。

 野中さんは国政で要職を務めつつ、まめに地元園部に戻った。「ふるさとから政治を考える」との思いだったとされる。理事長を務めた社会福祉法人「京都太陽の園」の重度障害者施設をよく訪れ、生活環境を気に掛けて職員らと意見を交わした。昨年から理事長職を託された旧園部町助役の垣村和男さん(83)は「弱者への視点を大切にした人。行政職の心構えも教えられた。惜しい人を失った」としのんだ。

 京丹波町での全京都車いす駅伝の大会会長も長年務めた。町身体障害者福祉会前会長の一谷靜夫さん(88)は「福祉向上に政治の役割が大切と語り、選手や関係者を毎年励ましてくれた。高齢まで頑張っていただき、感謝しかない」とした。

 帰郷時に必ず顔を出した喫茶店「三洋苑」の黒木勝さん(79)・雅子さん(73)夫妻は「毎週末、番記者や他の客と語らう姿が印象に残っている。1963年の開店、2008年の閉店の日も訪ねてくれる情の深い人だった。もう一度、元気な姿にお目にかかりたかった」と寂しさをにじませた。

 野中さんは昨年4月、京丹波町の商業施設「丹波マーケス」20周年式典であいさつし、地元への思いを語った。実弟で旧園部町長の野中一二三さん(86)は「国のため懸命に働き、官房長官まで務めた。お疲れさまでした、静かに休んでと伝えたい」とねぎらった。

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