ネットが普及する前は、自分の周囲の人達との付き合いだけで世の中が回っていた。自分と接点のある人の数が今より大幅に少なかったから、憎しみや悲しみに触れる機会にも上限があって、それで心のバランスが保てていたし、自制も出来ていたように思う。その分広い世の中について知るのは難しかったけれど、ネット以前の人間はみんなこうやってバランスをとって生きていたんだと思う。
でもネットが普及して以降、世の中の悲しみや憎しみ、矛盾、他人を傷つける発言、クズのような人間や会社、そういうものに触れる機会が大幅に増えてしまった。他人から攻撃されることが増えたことや、他人を攻撃している人をたくさん見ることによって、「自分も他人を攻撃していいんだ」と思う人が多数派になって、憎しみが溢れる世の中になってしまった。ネットが普及する前の時代に比べ、僕らが外部に発信する憎悪や汚い感情は何十倍にも何百倍にもなっていると思う。昔の人に比べて、今の人間は遥かに大量の人間の心を踏みつけるようになったと思う。感情が可視化されることで、無意識に他人を傷つけてしまうことも増えた。他人を平気で傷つけている今の時代の人間の中で、果たして死後に地獄に落ちない人って存在するんだろうか。みんな、ネット以前の人間より遥かに大量の罪を抱えているのではないか。
自分の祖母はネットをしない。ネットをしないから抱えている情報量は大幅に少ないし、接点を持つ人間の数も少ないけれど、見えない誰かを相手に怒りや憎しみをぶつけたりすることはない。せいぜい親族や周りの友人についての愚痴を言うくらいだ。祖母はネット世代と比べて世の中を知らないのだろうけれど、憎悪や悲しみを過剰に感じることもなく、日々生活できている。むやみやたらに他人を傷つけたりもしない。僕らはネットによって本当に幸せになれたのだろうか。
人間が、世界中の人々から溢れ出す汚い感情に直面するようになったのはこの10年位の話だ。僕らはもともと大量のネガティブな感情を受け止められるようには出来ていない。大量のネガティブ情報を受け取ってしまったことによる処理エラーが外部への憎悪という形で吐き出されることで、より一層世の中が汚れていく。そう考えると、みんなが地獄に落ちるという話ではなく、みんなで地獄を作っているのが今の世の中なのかもしれない。
いいこと言うなぁ。 増田もその一人。>地獄が作られている
ネットのコミュニティってかなりの確率で常時互いに攻撃し合ってる状態に陥るけど それを指摘した時に「俺たちはこの殺伐とした感じを楽しんでるんだ!」って言い張る人が出てくる...