5NHK高校講座 日本史「日中戦争」[字] 2018.01.26
歴史に対する憧れと深い知識を持ったアイドルの養成所。
それが日本史研究の殿堂高橋歴史女学館である。
日本史研究の殿堂高橋歴史女学館へようこそ。
館長の高橋です。
今回のテーマは…これから日本は長い戦争に突入していく訳ですが今日はそんな時代を象徴するようなものをお借りしてまいりました。
こちらです。
(生徒たち)すご〜い!着物ですか?これ当時の子供用の着物なんですがよく見て下さい。
ここ飛行機ですね。
ここ戦車があります戦車。
ですからこの辺り落下傘ですからこれ海軍ですよね。
航空隊。
落下傘部隊。
こちら陸軍。
陸軍兵の格好してます。
こんな柄の子供服子供の着物があったって事ですよね。
(生徒たち)え〜。
どう思います?これ。
自分の子供には着せたいとは思わないです。
ねえ。
子供服にまで…。
こんなちっちゃい子供がこういう柄の着物を着ていた。
それからこちらをちょっと見て下さい。
これ。
これ何ですか?これ普通の着物に見えますね。
でしょ?着物の上に着る羽織というものなんですけどこの羽織この裏の柄羽裏というんですがこの柄見て下さい。
ちょっと持ってて。
ほら。
これ見て下さい。
(向井地)あっこれも戦争の柄になってますね。
爆弾がほら。
生々しいですね。
生々しいですよね。
1935年前後に作られたと思われるんですが日本兵と中国兵が戦っている場面が描かれています。
人々の生活の中に戦争というものが浸透していた時代だった訳ですね。
さあどんな背景があったのか今回の重要ポイントを見てみよう。
今回の時代は…1931年満州事変が勃発。
日本はなぜ中国へ勢力を拡大しようとしたのでしょうか。
その後日本は国際社会で孤立し戦争へと足を踏み入れ泥沼化していきます。
今回押さえるべき「三つの要」は…第二次世界大戦につながる戦争へ日本はなぜ突き進んだのでしょうか。
親日的だった満州の軍閥張作霖を関東軍が爆殺しそれをきっかけに武力行使をしようとした事件がありましたね。
覚えてますか?はい。
覚えています。
でも張作霖の後を継いだ張学良は国民政府の側についてしまったんですよね。
そうでしたね。
関東軍の意図とは逆に中国が一つにまとまるきっかけを作ってしまったんですね。
このままでは満州での日本の権益が脅かされる…と考えた関東軍はある行動を起こします。
何が起こったのか見てみよう。
「三つの要」その一。
1920年代後半中国では介石率いる国民政府の下中国全土統一の動きが進み主権回復の機運が高まっていました。
それは中国東北部満州においても同じでした。
しかし満州には日露戦争後に日本が獲得したさまざまな権益がありました。
満州は重化学工業の資源や農民の移住先という点で日本の発展に不可欠だとして重視されていたのです。
そうした権益が中国国民政府によって脅かされるのではないか。
関東軍参謀石原莞爾らは行動を起こします。
柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破したのです。
これを中国軍の行為であるとして軍事行動を開始しました。
満州事変です。
若槻内閣は関東軍をこれ以上進軍させない不拡大方針を表明しました。
しかし陸軍はこれを無視。
そして満州族の皇族で清朝最後の皇帝溥儀を執政に置き満州国を誕生させました。
これに対し中国は満州事変は日本の侵略行為であると国際連盟に訴えたのです。
それを受けて国際連盟からリットン調査団が派遣され満州事変の調査に当たりました。
このころ斎藤実内閣は陸軍の主張を認め日満議定書を取り交わし満州国の独立を承認してしまいます。
その後開かれた国際連盟総会です。
リットン調査団の報告書を受け満州に対する中国の主権を認め日本軍の撤退を勧告する決議案が42対1で可決します。
唯一反対票を投じた日本は国際連盟を脱退。
国際社会から孤立する道へと進んでいく事になります。
日本は経済面でも列強と摩擦を生じます。
当時イギリスフランスなどの列強は本国と属領の結び付きを強めてブロック経済圏を強化しました。
自国の産業を守り世界恐慌から抜け出すためです。
そのころ大蔵大臣高橋是清は金輸出を再び禁止。
そして円安政策を行いました。
その影響もあって綿製品の輸出がイギリスを抜いて世界一になるなど国際収支を好転させました。
これに対してイギリスやフランスは円安政策で値段を下げた日本の輸出を批判。
日本製品に高率の関税をかけ対抗したのです。
満州事変の時政府は支配地域を拡大しないって言ったのにどんどん広げてしまったんですね。
うん。
どうして日本は国際社会から批判されるような行動をとってしまったんですか?それには軍部が徐々に国民から支持を受けるようになった事も関係があります。
このころ重化学工業が軍の需要が大きくなった事などの影響で非常に発展したんです。
こちらをちょっと見て下さいね。
これ世界恐慌中の各国の工業生産量の推移を表したものです。
1929年の生産量こちらを100としたグラフですね。
日本の生産量に注目して下さい。
1933年こちらですね。
満州国建国の翌年まだほかの国がこうやって低迷する中飛躍的に伸びてますよね。
(生徒たち)すごい伸びてる。
円安政策による輸出の増大だけではなく軍部の後押しがあって景気が好転したと国民は捉えたんです。
(生徒たち)ええ〜。
こうして国民が支持した事で軍の意向が通りやすくなっていったんですね。
そんな中更に軍部が台頭する事件が起こりました。
ここで「三つの要」その二。
1930年代昭和恐慌や満州事変に対する…そして政財界の要人が暗殺されるテロや陸軍の青年将校右翼らによる軍事政権樹立を狙うクーデター計画などが次々に起こります。
若槻内閣の後を継いだのはやはり立憲政友会の犬養毅を首相とする政党内閣でした。
1932年5月15日政党内閣に不満を持っていた海軍将校らが犬養首相を暗殺しました。
次いで政権を握ったのは海軍の長老斎藤実。
斎藤は非常時の名の下に政党にこだわらず幅広く人材を集める挙国一致内閣を組織します。
こうして政府は軍部寄りになっていったのです。
このころ陸軍内部では皇道派と統制派という派閥が主導権争いを繰り広げていました。
皇道派は…一方統制派は軍部の統制の下強力な総力戦体制を目指すエリートたちが中心でした。
皇道派の青年将校たちが決起。
1,400人の兵士を率い皇道派中心の軍事政権を樹立しようとしました。
二・二六事件です。
彼らは首相官邸や警視庁などを襲撃。
大蔵大臣高橋是清内大臣斎藤実らを暗殺。
永田町一帯を占拠しました。
側近を殺害された天皇の強い意向もあり海軍・陸軍の統制派が中心となって鎮圧に乗り出します。
そして4日間に及ぶクーデターは失敗に終わりました。
事件の責任を取って岡田内閣は総辞職。
続いて広田弘毅が内閣を組織しました。
統制派を中心とした陸軍は広田に迫り軍部大臣現役武官制を認めさせました。
こうして軍部の力はますます強まっていったのです。
軍部大臣現役武官制ってどういう事ですか?これはですね軍部の大臣を現役の軍人から出さなくてはいけませんよっていう制度ですよ。
それ以前は退役軍人などを含めて現役でなくても大臣になる事ができました。
しかし軍部大臣現役武官制によって軍部の意向に沿わない組閣がなされた場合は軍は大臣を出さない事でその内閣を成立させないという事ができたんです。
軍部の意向に従わない政権は認めないって事ですか?そういう事がまかり通るようになってしまったんですね。
そして日本は全面戦争へと突入していく訳です。
ここで「三つの要」その三。
北京郊外の…1937年ここで日中両軍の武力衝突が起こりました。
盧溝橋事件です。
近衛文麿首相は不拡大方針を声明しながらも中国への派兵を認めます。
こうして中国との全面戦争日中戦争へとなだれ込んだのです。
中国では内戦を繰り広げていた…第2次国共合作です。
これによって出来た抗日民族統一戦線が頑強な抵抗を続け日本軍は苦戦を強いられる事になりました。
短期決戦を予想していた日本軍の見込みは外れたのです。
日本軍は大部隊を送り込み国民政府の首都南京を占領しました。
この際女性や子供を含む多くの中国人を殺害する南京事件を起こし諸外国からも非難を浴びました。
そして1938年1月水面下で国民政府との和平工作を進めていた近衛首相は和平が難しいとなると「国民政府を対手とせず」と自ら和平の機会を断ち切ってしまいます。
そして東亜新秩序建設の声明を発表。
日本・中国・満州から成る独自のブロック経済圏の建設を宣言しました。
更に日本は国民政府の要人汪兆銘を重慶から脱出させます。
そして1940年南京に日本に協力的な新政府を樹立させます。
しかしこの政権は国民からの支持を得られませんでした。
国民政府や中国共産党はアメリカ・イギリス・ソ連などの援助を受け徹底抗戦を行います。
戦争終結はますます困難となり日本は長期化する戦争へと突き進んでいったのです。
長期間の戦争をするつもりはなかったのにそうなってしまったって事ですよね?怖いですね。
そうですね。
また中国はイギリスやアメリカの支持を受けて徹底抗戦しましたね。
それが今度は次の第二次世界大戦へとつながってしまう訳ですよ。
次回はその辺りを見ていく事にします。
ここで我が校の特別講師季武先生に更に深いお話をお聞きしましょう。
(一同)よろしくお願いします。
さあ先生今日はどんなお話でしょうか。
今日はこの後ろにもありますけれども戦争柄の着物とも関係あるんですが……という事についてお話ししたいと思います。
まあ簡単に言いますと軍部の意向が政府の意向を上回り全面戦争へと突き進んでいったんですけどもこの背景には国民の熱狂があったんです。
はあ〜。
(生徒たち)ふ〜ん。
これは…
(季武)「爆弾三勇士」という記事です。
中国の上海でも満州事変が飛び火する形で日中両軍が衝突する事件が起こりました。
その戦闘中に3人の一等兵が爆弾を抱きかかえたまま敵陣に突入して敵陣の一部を突破したという事があったんです。
その際にその3人はやはり爆弾と一緒に死んでしまいました。
はい。
まあいろいろと理由はあるんですけどもその一つはその方が新聞がよく売れるという事でした。
(3人)ふ〜ん。
はあ〜。
(季武)今度はこの図を見て下さい。
(季武)事変勃発とともに売り上げは急速に増加しています。
確かに。
これすごいですよね。
(季武)もちろんこれは朝日新聞に限った事ではありません。
新聞はこの事変が売り上げ増加のきっかけになると考えたようなんです。
何で国民は熱狂したんですか?当時の日本は今まで勉強しましたように中国大陸でそれまで持っていた権益が中国ナショナリズムの発展で次第に狭まっていく状態でした。
また経済も昭和恐慌となり会社は倒産し農家は借金で苦しんでいました。
そういうジリ貧状態の中でなんとか飛躍の契機をつかもうと必死だったんです。
つまり国民全体にとって新たな飛躍のきっかけが満州事変だったという事なんですね。
はあ〜。
これはその時代に生きてみないと分からないですけどね。
そうですね。
先生どうも貴重な話ありがとうございました。
(生徒たち)ありがとうございました。
いや難しいね。
でも戦争はやだよね。
(3人)やです。
気持ちが何かそういうふうに落ち込んでる時には何か明るい話題が欲しいっていうのは分からないでもないけどもそれがこういう形での記事を求めるようになるとやっぱりちょっと違った方向に行ってしまうのかもしれませんね。
今から考えれば…。
2018/01/26(金) 14:00〜14:20
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 日本史「日中戦争」[字]
日本の今は、誰が、どのように作り上げたのか? 日本史研究の殿堂、高橋歴史女学館がその謎に迫る。出演:高橋英樹・AKB48(向井地美音、土保瑞希、込山榛香)
詳細情報
番組内容
1931年、南満州鉄道の線路の爆破をきっかけに満州事変が勃発。さらに1937年には北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突したことにより、日中戦争が始まった。いずれも政府の不拡大方針にもかかわらず、軍主導で戦線が拡大した。この時期、日本では軍部が発言力を高め、影響力を強めていた。それはなぜだったのだろうか? 1930年代に頻発したテロやクーデター計画、また当時の経済状況に注意しながら考えていく。
出演者
【司会】高橋英樹,【出演】土保瑞希,向井地美音,込山榛香,【講師】創価大学教授…季武嘉也,【語り】杉村理加
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趣味/教育 – 中学生・高校生
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