未来につなごう~アイヌの文化・歴史・ことば~

3月18日(日)アイヌ語と遊ぼう企画委員会主催により旭川市市民活動センター CoCoDeで開催されました。

 副題は、「大人が学び子ども達に伝えるべきことは何か」でした。
 内容は、3氏による講演で、

  • 川村カ子トアイヌ記念館館長の川村 兼一氏の「アイヌの文化と歴史
  • 北海道教育大学旭川校非常勤講師(アイヌ語)の太田 満 氏による「アイヌ語
  • 旭川龍谷高等学校郷土部顧問の本間 愛之氏による「旭川龍谷高等学校郷土部の実践

でした。

川村兼一氏

川村兼一氏

 川村兼一氏(川村カネトアイヌ記念館3代目館長)は、川村家第9代川村カ子ト。9人姉弟で姉が8人。

  • 1951年 4月     旭川で生まれ
  • 1983年 1月~    川村カネトアイヌ記念館々長
  • 1984年 1月~    旭川チカップニアイヌ民族文化保存会会長
  • 1987年 8月~    旭川アイヌ語教室運営委員長

 兼一氏の父(第8代川村カ子ト氏)は、上川アイヌの長で、旧国鉄の測量技手(ぎて)。
技術力は本州(内地)まで高く評価され、三信鉄道(現JR東海飯田線の運営会社)の要請を受け、困難を極めた天竜峡~三河川合間の測量をアイヌ測量隊を率いて敢行。現場監督も務めて難工事を完成させた。著書「カネト―炎のアイヌ魂」(沢田猛著)、合唱劇「カネト」のモデル。

 兼一氏のお話は多岐にわたり、十分にまとめきれませんが、道内には10万人、関東に1万人ほどのアイヌがいる。
狩猟とか漁猟が禁止、学校ではアイヌ語禁止(日本語使用の強制)、様々な差別を受けてきたが、旭川は比較的差別は少ない。

 道内の教育大で、アイヌ語講座があるのは、旭川のみである。
大きな川のそばや海岸にコタン(集落:棲みやすい場所)ができ、コタンには、村長(ムラオサ)とシャーマンがいる。村長になる条件は、

  1. 雄弁であること(相手を言論で打ち負かす)
  2. 勇気・決断力があること
  3. 手先が器用であること(家を建て、道具を作り、狩猟をするなど)
  4. 器量が良いこと

という。

 集落が異なれば、言葉、衣装(紋様)も異なる。
 アイヌは「人」を意味する。「イヌイット」などの先住民も「人」を意味するのが多い。
 アイヌの朝は早い。夜明け前に起き、日の神にお祈りをしてから狩りなどに出掛ける。
 石狩川は、大きくうねった美しい川の意。深くて流れが速い。鮭が上ってきても深くて見えない。河川工事が進み、短くなったが、昔は365kmであった。
 アイヌには文字・学校がない。女の子は地面に紋様を描いて遊ぶ。「ユーカラ」は、英雄(物語、伝説)、生活(人生訓)の口承文芸。
 アイヌ語が日本語になったものも多くある。ラッコ、トナカイ、コンブ、ルイベ、ハスカップなど。
といった話をされました。

太田満氏

太田満氏


 太田満氏は、1967年6月北海道赤平市生まれ。専門はロシア語。北海道教育大学旭川校非常勤講師。旭川アイヌ語教師をはじめ、アイヌ語教育、アイヌ語復興に盡力されている。
 生活の中で、アイヌ語は殆ど使われない。
 沖縄の言語は日本語の方言といえるが、アイヌ語は日本語の方言ではない。
 かつて、広い範囲で使用されており、樺太アイヌ、千島アイヌ、北海道アイヌ(ヤウンク)に大別される。日本の東北部にも居住していたが詳細は分からない。

 アイヌは民族の単位であり、「エミシ(蝦夷)」とは異なる。エミシは、朝廷に従わない者の総称で、アイヌも一部含まれる。
 地名などは、人それぞれ別々に呼び方があったりして、誤解しやすい。文化の違いは、同じ言葉でも、違う意味に用いられたり、逆の意味になったりするものもある。「メノコ(女の子)」は外来語。

 アイヌ民族は、狩猟採取文化と思われ勝ちだが、実は、交易文化。必要物資は、自分では作らず、余所で仕入れてくる。それによって、異文化(和人、大陸)との関わりが生まれた。
などなど。

本間愛之氏

本間愛之氏


 本間愛之氏は、
・1989年 旭川龍谷高等学校勤務
・1991年 同高等学校、郷土部顧問
・北海道高等学校郷土研究発表大会にて数々の賞を受賞

 45年(部の発足は昭和42年)に及ぶ旭川龍谷高校郷土部の活動経過が紹介されました。
 活動は一貫として体験学習であり、「自分の頭で考え、自分の足で歩き、自分の手
で創ること」をモットーに

問題提起→古老からの聞き取り→体験→実証→考察→記録に残す

という調査方法のプロセスを重ねるとあります。
 また、活動を進めるにあたり大切にしているのは、部員たちがアイヌ民族との交流を通し、歌や踊り・民具に流れる心の存在に気づくこととあります。

 最初に研究テーマは「近文アイヌ墓地の墓標とその形態」。近文アイヌ墓地は雑草が生え、墓標も倒れていた。そこで、雑草を刈り取り、倒れていた墓標を立てた。善意でしたつもりが、強いおしかりを受けたという話。
 次いで、昭和58年のテーマ「生活と植物-狩猟具 アマックamaku 置く弓を作る-」。アマックとはイタチとかテンなどの小動物を捕獲するための罠のこと。ここでは、その時のエピソードを話され、アマック見せていただき、その威力のほどもテストいただいた。

 その他、

  • 平成3年テーマ「イナウルinawru ・サパウンペsapaunpe アイヌの男たちが被る冠」
  • 平成4年テーマ「ユクケリ yukkeri 鹿皮靴を作る」
  • 平成5年テーマ「近文地方の食生活~シケレペ(キハダの実)の調理加工~」
  • 平成7年テーマ「近文地方の漁撈生活~漁具マレク marek 鉤銛を作る~」
  • 平成8年テーマ「近文地方における住居~近文地方の住居 チセ cise のミニチュア復元~」
  • 平成12年テーマ「男の踏舞~タプカラ t apkai~」
  • 平成13年テーマ「アイヌの子守歌Ⅱ~パッカイ・イフンケpakka i ・ i hunke~」

などについて、画像、実物を交えて紹介がありました。

 4時間に及ぶ講演でしたが、それほど時間を感じさせない内容でした。


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