アメーバでブログをはじめて3年ほどが経過し、読者数は100人を大きく超え、さらにはグーグル検索結果第1位に君臨する記事を両手で持ちきれないほど持つちょっとした有名ブロガーになった。
が、それにもかかわらず、私はひとつの記事にコメントを数十件くらいどっさりと寄せられた経験がないのだ。
私は芸能人ではないので数百件、数千件とまではいかないまでも、記事を更新するごとに10件か20件くらいのコメントがついてもおかしくないほどの有名ブロガーなはずである。また、それだけの内容であるとも自負している。しかし寄せられるコメントは多くて3件ほどなのだ。
これはいったいなぜなのか?実はずっと以前にほかの記事にも書いたことがあるのだが、私のブログの内容が高度すぎるためである。そのために強い関心はあるものの、コメントを入れようにも入れられないというわけなのだ。
たとえばウィトゲンシュタインが【論理哲学論考】についてのブログを運営していたとする。果たしてそのブログ、記事を更新するたびに膨大なコメントが寄せられるだろうか?
ぜったいに寄せられないはずである。『うわぁ、その論理哲学論考おもしろいっすね!』だの『まあ、その論理哲学論考ステキですね☆』だのといったコメントはぜったい寄せられないだろう。理由は内容が高度すぎるためだ。超がつくほど頭のいい一部の哲学ファンからたまにコメントが寄せられる程度だと思われる。
私のこのブログもそれとまったく同じだというわけなのだ。人類史にその名を刻むほどの文学的芸術にもかかわらず、内容が高度すぎるゆえに一般大衆はコメントを入れるに入れられないというわけなのである。
アメブロサーフィンをしていると、私のブログに匹敵するほどの文章量と内容の深さを誇るブログをまれに見かけることがある。が、どの記事をとってみてもコメントは少なく、例外的にコメントが多く寄せられているものもアンチとの論争だったりするのだ。
そうしたブログも私のブログと同じように、内容が段違いに高度すぎるゆえにコメントがついていないだけなのだ。
芸能人のブログというのはひとつひとつの記事に数百件、数千件もの莫大な数のコメントが寄せられるが、芸能人のブログというのは誰のをとってみても、はっきりいってたいしたことは書かれていない。しかし、だからこそ莫大なコメントがつくというからくりなのだ。
この世の中、超頭のいい人は少数派であり、それ以外は平均以下の頭脳の人たちで支配されている。彼らには“たいしたことの書かれていないブログ”のほうが親しみやすく、読みやすく、深く考えることなく気軽にコメントを入れられるというわけなのだ。そのために芸能人たちの内容0のつまらないブログにコメントが集中しているのである。
私は一時期、コメントのあまりの少なさに深いため息をもらしたことがあったが、この事実に気づけてからはコメントの少なさを“高度なブロガーとしての証”のように感じることができている。
世の中にはとても内容の深いブログを書き続けているにもかかわらず、いまひとつコメントがつかずに戸惑っている人が多くいると思われる。しかし安心していただきたい。コメントの少なさはあなたのブログの内容の高さの証なのだから。