平安時代にお坊さんをやっていた記憶があるという話について 生涯の事を話します
子供の頃の記憶よりも更に薄い物を捻りだしていると思ってください。
できるだけ時系列にまとめますが前後するかもしれません。主観的に印象に残った事は覚えていますが全てを覚えている訳ではありません。地名人名分からないのは本当にすみません、浮かぶ場所や人は居ますが、今残っている名前の人かどうか分からない、当てはめる事が難しいです。質問は多すぎて消化できないので、こちら発進で話します。歴史にあるけど分からない事もあれば、歴史に無いけど覚えている事もあります。
具体的な事も感情的な事も抽象的な事もありのままに言います。その中で実際に検証する価値のある事柄があれば、調べて確認ほしいです。
名前はもう分かると思うけど…これから話すのは昔の自分の生涯での事です。
興味無ければスルーして下さい、興味あればお調べください。
幼少期~青年期(出家前)
悲しい事ばかりだった。とにかく悲しいなぁという感じです。自分の大切な人から死んでいく、自分も死にたかった。
1.幼少期のほとんどは女の人との記憶ばかりです。物心ついた頃から10代はずっと周りには女の人ばかりでした。女性が自分の身の回りの世話を全部してくれいた。自分で靴を履かなかった、靴を履かせてもらっていました。最も身近な人たちです、家族はうっすらしか覚えが無いけどこの人達はとても覚えています、何人も居ます、20人は居る。同年代か少し年上のお姉さんで、忙しいのに遊び相手にもなってくれます。
本当に何でもしてくれる人達、その時に世話をしてくれた人は生涯付き合いがありました。十二姫の墓に居るのはこの時の人たちで間違いありません。小さい頃男友達が居た記憶が全然なくって出てくるのはたくさんの女性です。家族であって恋人であって友達…今の感覚では分かんないと思います。すみません。
2.この時に出会った一番働き者の女の人。
同い年くらいで、顔や雰囲気は例えると…3Dアニメですけど、怪盗グルーに出てくる「マーゴ」っていう女の子をちょっと大人にした感じ。雰囲気はそっくり(眼鏡はかけてないけど)何でも相談に乗ってくれる人で自分がストレスでおかしくなるのも全部分かってました。年を経るごとに性的な事をするようになった(膝枕をしてもらったり、ハグをしたり、泣きついて慰めてもらったり)いい大人になってもこの人に甘えていた。何でも受け入れて、一緒に泣いてくれたり、共感してくれる凄い人です。
この人は自分が出家をした後に、兵庫県の菩提寺まで追いかけて来ました。
彼女には家族が居てお母さんの具合が悪いという話を聞いていたんですけど、自分が勝手に京都を脱出して逃げ回っていたせいでこの人は病気のお母さんを置いて自分の所に来なければいけなくなった。物凄く悪い事をしてしまって、ずっと後悔していました。自分のせいで二度と家族に会えなくしてしまいました。自分が京都に戻った時もこの人は現地に留まりました。
自分が死んだのは京都説と、菩提寺説がありますが、京都です。
でも菩提寺が自分の本当の居場所です。墓所があそこにあるのと、その墓所の方向を向いて奥さんと女官のお墓があるのはきっと、それを周りの人たちが汲んでくれたからだと思います。
菩提寺でこの人を看取ってから死のうと思っていたけれど、置き去りにしたまま京都で勝手に死んでしまいました。死んだ時に一番心残りだったのはこの人です。自分の事を一番に考えてくれていた人に、一番の迷惑をかけてしまった事が心残りでした。あの菩提寺にあるお墓は何よりも大切です、お寺より大切です。ずっと守ってくれて本当にありがとうございます。
この場を借りて最大限の感謝を伝えたいです。本当にありがとうございます。
3.奇行?をしていた理由は何か
半分は計算で、半分はマジです。周りの人達(主に男性たち)は自分の家族や娘を本当に、道具みたいにして使うので、それがどうしても許せなくて、自分がそんな風にコントロールされたくなかったので物凄く抵抗しました。誰にも心の内を読まれてはいけないんだっていう物凄いストレスと、疑いの気持ちがあったからです。どんなに抵抗しても彼らはやってる事の虚しさに気が付く事が無かった、それが物凄く悔しかった、だからエスカレートしました。特にお父さんに対して彼らはひどい事をしていた…気がする。中々思い出せないけど、お父さんに何するんだ!!糞野郎ども!!っていう強い気持ちがあった。お父さんは凄く良い人。男性はみんな私の事を馬鹿にしていたけど、せっかく生まれて来た子供や巡り合った家族や友達を、何のためらいもなく、欲のままに道具として使おうとするお前らが馬鹿なんだ、自分は馬鹿じゃない!!っていう気持ち。だから自分で自分がおかしいとは全く思っていません。おかしいのは周りの奴ら。
それと単純に、誰も注意してくれないから気付かない。あとで知って恥ずかしくなるんです。いっつもいっつも。
4.女癖が悪いと言われていたのは何でか
上にも書きましたけど、心を許せるのが物心ついた頃から女の人達だったという事、逆に男性は心を許せなかったという事です。身勝手で申し訳ないです。でもそうして心を保つしか方法が無かった。申し訳ない。チャラくはないです。不安に押しつぶされそうだったんです。
5.10才前後に、この子と結婚したい…思っていた仲の良い女の子の友達が居ました。赤い服が好きです、初恋の人です。庭の隅っこみたいな所で遊びました、健康的というか庶民的な人です、でも住んでいた家が火事になって亡くなりました。その年代に火事はありませんでしたか?私と関わりのある女の子とその家族が亡くなりました。
最愛の人を亡くしましたが、初恋の人も亡くしてます。
6.その時によく食べていた、好な食べ物なんですが、ヨーグルトです。何言ってるか分かんないかもしれませんがヨーグルトがありました。名前は違うかもしれないけど乳製品で同じ味がするものです。酸っぱさは同じぐらいで今の物よりも香ばしいやつ。食感は、ぬるいフローズンヨーグルトのような…?それが好きでした。私がヨーグルトみたいな食べ物を好きだった事が分かるものってありますか?
7.この頃の性格ですけど、めっちゃ質問厨でした。気になる事はひたすら質問攻めにします、納得するまでやめません。ウザがられていた。唯一それが良い方向に動いたのは奥さんとの手紙のやり取りで質問攻めにした事です。彼女の心がそれによって開きました。
8.その頃の雑多な記憶です。住んでた場所は分かりませんが、そこから外に逃走する事がありました、スキを見て逃げるプロです。結構逃走しますが女の子と遊んでいる時は落ち着いています。。動物が大好きでした、周りの人がいろんな動物を見せてくれます。基本動物を見ると興奮するというか好きなんです、虫や草花も好きです。猫を飼っていたか、お気に入りの猫がいました。その猫も自分と同じでヨーグルトが好き、ヨーグルトをめっちゃ食べる頭の良さそうな猫が居ました。
9.楽器を多く弾いていました、琵琶と横笛は間違いなくやってます。夜やります。一回やると全然やめません、自分で言うのもあれですがめっちゃ上手かったはず。とても自信があった。ぶっちゃけ誰よりもうまい自信があった、師匠クラスと言っても過言ではないです。
ミッチーは自分の100分の1も楽器出来ません。でもディスっても全然めげないから凄い、ディスりが効かなくて煽り耐性が半端じゃないです。ドライに考える人だから傷ついたりしないのかな、でも色々言っても心のずーーーーーーーーーっと奥深くの奥の奥の方には情があって結局助けてくれる人。自分に無い物がこの人に全部あって、自分にあるものがこの人に全部無い。嫌々だけど結局切っても切れない関係。
10.奥さんと同時期か少し前に好きだった女の人、位の高い人だけどタカビーで性格が男っぽくてキツい。会うとまんざらでもないくせに軽く叩いたり蹴ったりしてくる、自己中で途中から嫌いになったけど、何だかんだ魅力的な人。顔は「ベック」っていう韓国人のモデルさんに似てるけど目が細くて内側がつっていて外側がたれてる。ツリタレ目。体格は普通。太ってない。
11.奥さん、藤原忯子の事です。
書店で見かけた(今世の)小説に、勝ち気で男勝りなイメージで書かれてたみたいなんですけどすみません全く違います。何も出来ない人で、走った事が無いとか自分で服を選んだことが無いというレベルの人。平安時代が生んだ操り人形みたいな、道具にされていた人。動きがスローペースで、ぽへーーって感じの人。
彼女は祭事?催し物みたいのが大の苦手でとても具合が悪くなります。精神的なものです。だから祭事的なのは欠席していた筈です、なぜかは自分でもよく分からないらしいです。
奥さんに出会う前は、他の誰かを思いやるなんて事は1ミリも無くて自分以外の人間は木の棒か何かだと思っていました。この人に出会って目が覚めた。この人に出会ってはじめて、他人の気持ちを考える、思いやる気持ちが芽生えました。そういう人です。
結前に手紙を何通もやりとりしています。自分が先に出して、奥さんから返事がきます、奥さんから先に出す事は無いです。内容が「趣味は何ですか、好きな物は、知りたい事は、悩みはある?」という質問攻め→奥さんからの回答は、ほぼ「自分が何をしたいか、何が好きなのか分からない」そして以前書きましたが「精いっぱい愛しますから、世の中の色んな事を教えますから、恋人になって下さい」と自分から手紙で申し出たもの。それから恋の詞?和歌もポエムくらいフランクな柔らかいのもあった、大切にとっておいたので残っているかもしれません。あ、もしかしたら奥さんは「桃色が好き」って書いてくれていたかもしれません。無趣味な人でしたが詩を書く事はあります。恋の詞を書き合っています。
結婚した理由は、彼女の、道具にされたまま終わる人生があまりに可哀想だったから。自分が本当の愛情を教えてあげたい、いろんな話をして、彼女に個性を持ってもらいたい。いつか自分のやりたい事や好きな事を見つけてもらいたいと思ったからです。
無個性だった彼女は急に性的な快楽を覚えたし、自分も愛情が半端なく強かったのでお互いにセックス依存症みたいになりました。
結婚後、寝る時なんですが今度は逆に奥さんから来ます。肌と肌を触れ合って寝ます。共依存関係で、お互いに一緒に居ないと眠れないので必然的に毎日一緒に寝ます。人生で一番幸せだった時ですね。くっつきすぎて時々離れろと周りに言われ、そのたびにモメました。自分は離れたくないと言って怒られていた。彼女も離れたくないといって怒られていた。お互いに永遠に離れたくなかった。自分も彼女も泣き虫で、泣いた。一心同体でした。
奥さんのお父さんの事をちょっと覚えてます。典型的な瓜実顔でメタボな人。ぬぼーーってしてて滅多に話さない、超無口。何考えてるか全く分からない。多分私の事が嫌いだったからそうだったのかもしれません。この人の趣味?かな。建物や看板?を立てるのが好きな人だけど結局何がしたいのかよく分からない。
奥さんがなくなってから、山に行くまでの細かい記憶が全然ありません。その間はまるで死んでるみたいです。色々書かれてるけど全然覚えてないです。ただ一つ言えるのは全体を通して、とにかく悲しかった。悲しいなぁっていう出家前時代です。色々あったけど最後には怒りも恨みも無い。「悲しい」以外のあらゆる感情がありません。
愛する人も守れないのに、他の誰かを幸せにできる訳がない、こんな地位があっても何の意味も無い。自分も死にたいと毎日のように言っていた気がします。
そして散々抵抗したけれど、結局自分自身も道具にされて、要らなくなって、捨てられた。それだけの話です。
お坊さんになってから(出家後)
こっからが人生の本番って感じ、こっちの方がいっぱい覚えてます。心の赴くままに大冒険しました、こんなに世界広かったんかー!って。最初の頃は死に場所見つけに行くつもりだったんですけど何年もする内にどんどんわいわい騒がしくなって、面白くなっていきました。癒されました。
12.最初の旅立ち?はとても寂しい、虚しい雰囲気で付いてくる人もほとんど居なくてスカスカ。いつ襲われてもおかしくない、とにかく寂しかったです。しかもどんどん脱落していって、自分も気力無かったし、泣き言しか言ってない。その内自分が死んでこれが終わるんだろうなあ、早く終わればいいのにと思っていました。
その頃(出家してから前半の、旅をしている道中)だと思うんですが途中で大豪雨があったはずです。とんでもない大雨で、そうですね…もののけ姫のシーンで嵐の中牛の行列が歩いているシーンがあるなじゃいですか、途中で山犬に襲われるやつ。あんな感じです、いやもっと酷かったかも。
その後に風邪を引きました。その時に、ああここで死ぬんだ。ここで死にたかった、良かった。人生さようなら~と思いました。
ただ何か普通に治って、普通に続いちゃいましたね。
13.今まで見た中で一番大規模なお寺
調べたけど場所。名前は分からない、太い柱がたくさんあって稚児パラダイスのお寺。大量の稚児、道案内役?お迎えに出て来たのも稚児。もう消滅した文化だと思いますが、お寺といえば稚児でした。
いろんな格好の子がいて、髪をリボン結び?にしているかリボンを巻いていたり、服に丸いポンポンみたいのを付けていたりする。みんなおしゃれに見えます、おしゃれは稚児がするもの。お坊さんはおしゃれしないから基本的に。
女人が居ない所で可愛い稚児達が、みんなガッツリ履物の裾をまくって、生脚出して仕事をします…
そらそうなりますわな。
今で言ったら虐待扱いかもしれないけど、当時はそれで成り立っていました。これは、お互いに愛情があったからこそ繋がっていた関係だと思います。親元離れて(もしくは捨てられて)仕事をする稚児の寂しさ、世俗を捨てて女の人と合えないお坊さんの寂しさ。それが恋愛感情としてつながる瞬間があります。少なくとも自分はそうだった。家族のようで友人のようで恋人のようで子供のようで…うんまあとにかく愛です。
今のオネェ系の人達ってきっと子供の頃とても違和感があったと思うんですよ。自分の好みがガチムチの男だったとしてもそんな事を言えないから自分を演じて生きてたと、思うんですよ。
でも、寺の稚児だったらすぐにガチムチ僧兵とウフフな関係になれます。とても尊ばれます。幸せになれます。
14.奥さんはぽっちゃり系だったけれど死ぬ間際はガリガリで直視できなかった。その時のトラウマがずっと続いて痩せている人を見ると気持ち悪くなったり、物凄く不安になりました。今だにあります。僧籍時代の稚児にはできるだけ沢山食べさせて痩せないようにしていました。ちょっと無理してでも食べさせていた。自分の周りにいる稚児はみんなぽっちゃりしてます。最初の頃は痩せていても少しずつぽっちゃりしてきます。それは、痩せないで!太って!って言っていたから。近くにいた稚児の顔、濱田龍臣くんの小さい頃の容姿を太らせたみないな感じ、ただもっと色白で全体的に色素が薄め、髪の毛も茶色っぽかったような。。
そんな感じの記録無いですかね?あってほしい…
あと稚児が木の実とかで花とかで装飾品を手作りして作ってくれます。嬉しくてそういう物を自分は身に着けていました。
15.その頃に見たの日本のイメージ
地平線の向こうまでどこまでもどこまでも果てしなく山が続いている、山の国って感じ。解放感が半端じゃないです。しかも今の錆びれた雰囲気と違って山には沢山人が住んでいた。
山の上から見た光景、朝になると山裾や川から雲が沢山わいてきて海のようになります。その雲海の上に住んでいるのが私たち山のお坊さん勢、その下に住むのが里の一般ピーポーです。
雲が沸いてくるのと同時に、里に子供か、今の中高生くらいの年の若い人たちが沸いてきて仕事を始めます。山の上からでも声が聞こえてきます。。
道の途中に石切り場?がありませんでしたか?川沿いです、石や岩がたくさんあって雰囲気は今の土木作業員みたいな感じの雰囲気です。崖の岩肌を削る感じじゃなくて、ごろごろしてる大きな石を手ごろなサイズで持ち帰る?感じ。汚れてない綺麗な服をきた「役所の人」的な人が4~5人居て仕切っています。
それから、蕎麦掻についてですが、「そばがき」って名前じゃないかもしれませんが普通にありましたよ同じ味のやつ。里は知りません。今の物と全く同じじゃないかもしれないですけど、山の方で食べられているはずです、そのだし汁?みたいのもあります。それが山時代に好きだった食べ物です、山芋は子供達が勝手に大量に取ってきて、焚火をして山芋パーティーしてました。里の思い出より山の思い出の方が圧倒的に多いです。
里の方は…竹? 竹パラダイス。竹を一生懸命掻き分けて家を建ててる。竹で何でも作る、里の人は本当にあらゆるものを竹で作れる。万物は竹から生まれたんじゃないかってくらいに。今でいうプラスチックかもしれない。3Dプリンターくらい万能。
16.途中のデカい寺で知り合ってずっとついてきていた僧兵の人
野性爆弾のくっきーにそっくりな人。笑わせ方のマインドもくっきーにそっくりで、もしかして本人なんじゃないかという位そっくり。ガタイが良くてヤンキーっぽいけど道中ふざけてくれるからとても明るくなる。この人は京都に戻る時も一緒についてきてくれた人。
17.この頃の旅のフォーメーションとか、雰囲気とか。
まず中心が自分として、最側近は稚児。次いで普通の服装のお坊さんが少し、次いでたくさんの僧兵、次いで山伏系の人とか適当についてきた人がいっぱい、後半になるにつれてどんどん増えてってフォーメーション崩れて収集つかなくなったけど楽しければええやろ的な感じでやってた。自分は杖をついて歩いていた覚えがある。輿に乗っていたかもしれないけど、多分途中から下りてる。錫杖っていう奴だと思うんですけど、しゃらしゃらなる奴を鳴らして、他の人たちもそんな感じで高周波を響かせながら旅をする。
この時に誰かが持っていた、熊の毛皮を鞘みたいにぐるぐる巻きにした短刀がめっちゃかっこよくて、いいな~って思ってた。多分魔除け?にしていたんだと思う。山に入る人って魔除けに短刀を持っていきませんでしたか?毛皮巻きました?
18.熊野周辺(だと思う)
山伏&お坊さんパラダイス。もちろん稚児も居るよ。大きな滝の周辺はすごい賑わい、ディズニーランドちゃうかってくらいの賑わい。いろんな人種がいて、ここで出会って京都までついてきた人が沢山います。山伏の人たちは僧兵とまた雰囲気が違って、ちょっとスピリチュアル系?な感じでいつも気が張っている。
雰囲気を一発で例えるなら…
ダチョウ倶楽部の寺門ジモンさん
19.藤岡弘みたいな雰囲気の念力を使うお坊さん
多分「性空」という人です。どういう人かというと、人の心を一撃で読む人です。悲しんでた時に、人の心を読む術みたいのをめっちゃ教えてくれた人。平安の藤岡弘。
立場的に言えば平安のマスターヨーダ。
今は消滅したようですし、ファンタジーですが昔はこんな感じの「第六感」を教える人が山にいっぱいいました。ありふれた感覚です。近いのは、ファンタジーになっちゃいますが…ジェダイの心を読む系のフォース、あるいはワンピースの心網。この人に教わりました。やり方を少し覚えています。
人間は想いを言葉にする前に、言葉にする以前の「気持ち」を外に発射するのでその気持ちを、研ぎ澄ませて受け取るように訓練できるよ。後ろに居ても言葉を発しなくても、相手が嘘をついていても考えてる事がある程度分かるよっていうものです。
自分は昔も今もですけど、第六感的な物はうっすらあってこういう事を覚えるのは早かった。
コントロールはできないけど未だに残ってます…この人のお陰だと思います。
これはその内科学的に解明されてほしい…
20.京都に帰る時
山で出会った大勢の人達を連れて帰りました。京都嫌いなのでなるべくなら帰りたくなかったんですけど、稚児が京都見たいとかお菓子的なやつを食べたいというので、まあいつかは帰るし、しょうがないかという気持ちで帰りました。でも自分は京都にトラウマを多く残しているので、京都に居る時はちょっと精神状態おかしくなります。山ではとても安定しています。
いっぱい書いて疲れました。まだまだ全部じゃないです、続き書くかも分からないのでとりあえずはこのへんで。ありがとうございました。