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世界文化遺産「韮山反射炉」と、パン祖と呼ばれる幕末の才人・江川英龍の歴史を訪ねる

2017.06.22

幕末から明治に移る激動の時代。韮山反射炉は外国の脅威に対抗するために、日本の工業技術の粋を集めて作られました。その、韮山反射炉建造に尽力した韮山代官、江川英龍(えがわひでたつ)は、日本の発展のために先見の明と才能を存分に発揮した偉人。「パン」を日本に広めた“パン祖”としても知られますが、高い功績を残しながらも、なぜか歴史の教科書に載らず、一般にあまり知られていません。いったいどんな人だったのでしょうか。その謎を知る旅に出かけました。

現存する日本唯一の実用反射炉

伊豆箱根鉄道駿豆線「伊豆長岡駅」から周遊バスで約10分。のどかな田園風景と自然豊かな山々を眺めながら、韮山反射炉へとやってきました。

韮山反射炉は、2015年7月、世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産23カ所のうちの1つ。

2016年12月11日には、敷地内に韮山反射炉の情報発信拠点となる「韮山反射炉ガイダンスセンター」が完成。メインの映像ホールには、高さ約5m、幅約10mもあるスクリーンが設置され、操業当時を再現したCG映像で反射炉が稼働する様子や当時の時代背景などを分かりやすく紹介しています。耐火煉瓦や砲弾などの出土遺物や古文書の展示や、「明治日本の産業革命遺産」に含まれるほかの構成資産を紹介するコーナーもあります。
▲外観はレンガづくりの反射炉に合わせ、深い銅茶色の平屋建て。前庭は、反射炉完成当時の周囲の田園風景を明るい緑の芝生で模しています

ここで反射炉の概要を学習したら、専用の通路を通っていざ、反射炉のもとへ。
炉体と煙突部分を合わせた高さは15.7m。反射炉の土台は耐火性に優れた伊豆石で、127段のレンガに覆われた煙突の重厚な姿は、想像以上に迫力があります。

反射炉建造のきっかけは、嘉永6(1853)年のペリー来航により、日本が外国の脅威にさらされたこと。幕府は、江戸湾海防の実務責任者となった江川英龍に、江戸湾への台場(砲台)築造とともに、大砲を作るための反射炉の建造を命じました。

しかし安政2(1855)年、反射炉の完成前に英龍は病気で亡くなってしまいます。後を継いだ息子の江川英敏は、着工から3年半後の安政4(1857)年、佐賀藩の助力を得るなどして、現在の静岡県伊豆の国市に反射炉を完成させたのです。

このような反射炉は、山口県萩市にも残っていますが、炉体と煙突が当時の姿のままほぼ完全な形で残っているのは、ここ「韮山反射炉」だけ。当時、実際に稼働していたのも、韮山反射炉だけだそうです。
▲溶解炉を2つ備えたものが2基、直角に配置されています。4つの溶解炉を同時に稼働させることができたそうです

反射炉は、銑鉄(せんてつ)を溶かして純度の高い良質な鉄を生産し、それを原料に鉄製の大砲や砲弾をつくるための施設です。反射炉の出湯口から出る溶融した鉄を鋳型に流して大砲をつくっていました。
写真は、江川家の家臣・長澤家に伝わる大砲の図面をもとに再現された、鉄製の24ポンドカノン砲。比較的低い弾道で遠距離の目標を攻撃するための大砲です。

韮山反射炉は、このような鉄製の大砲を量産し、江戸湾防備のため品川台場(現在の東京・お台場海浜公園)に配備することを目的として稼働。元治元(1864)年、幕府直営反射炉としての役割を終えるまでに、鉄製18ポンドカノン砲や青銅製野戦砲などの西洋式大砲が鋳造されたそうです。

ガイダンスセンターの映像ホールでは、今お話ししたような内容が、CGを使った映像でわかりやすく解説されていますので、歴史が苦手な人や予備知識のない人でも安心して見学できますよ。

幕末の才人・江川英龍の足跡を知る武家屋敷「江川邸」

この反射炉の建造を手掛けた、当時の韮山代官・江川英龍。英龍とその家族が住んだ家は「江川邸」として韮山反射炉の近くに現存しています。
この建物はテレビドラマのロケ地として、「篤姫」や「JIN-仁-」など多くの時代劇の撮影に使われているんですよ。
▲約400年前に建築。民家として日本で最初の重要文化財に指定された「江川邸」

ここでは江川家に伝わる貴重な品々のほか、典型的な武家屋敷の建築様式も見ることができます。

母屋は釘を一本も使わない「小屋組づくり」と呼ばれる工法で建てられていて、幾何学的な屋根裏の木組みは、今で言う免震構造になっているそうです。その一番高い位置に、日蓮上人直筆の曼陀羅が納められた棟札があり、その霊験により今日まで火災に遭ったことがないと伝えられています。
▲敵に突入されにくいよう、正門から玄関にかけての道が微妙にカーブを描いて設計されています

英龍は蘭学の研究に力を注ぎ、高島秋帆(しゅうはん)から習得した「高島流砲術」を普及するために私塾「韮山塾」を開設したほか、日本最初の洋式船「ヘダ号」建造を指揮したことでも知られます。

ほかに、種痘の普及や「天保の飢饉」の際に窮民の救済に尽力するなど、様々な功績を残しました。江戸時代後期の兵学者・思想家として有名な佐久間象山も、江川家に逗留して高島流砲術を学んだという記録が残っているそうですよ。

また英龍は多才で、書や絵をたしなむなど、芸術にも秀でた人物だったそうです。江川邸内の展示物には実際に英龍が描いた絵や書もあり、その才能の片鱗を感じることができます。
▲ボランティアガイドさんが一つひとつ丁寧に説明してくださいます。土・日曜、祝日(9:30~15:30)は予約不要です
▲主屋では、当時の代官屋敷の生活がわかる貴重な品物や、英龍に関連する資料を展示
▲芸術にも秀でた英龍。直筆の絵のほか、画家の谷文晁(たにぶんちょう)や池大雅(いけのたいが)らによる作品も見ることができます
▲江川邸の内庭に生育している真竹は「韮山竹」と呼ばれ、千利休ほか多くの茶人から珍重されました。大河ドラマ「軍師官兵衛」にも、韮山竹の花入れのエピソードが登場
▲敷地内の蔵にも、韮山反射炉に関する展示があり、こちらも見学ができます
▲蔵の入口にある軒の木枠も、鉄の釘を一本も使わずに組んであるのだとか

再現された「パン祖」のパンを食べてみた

兵術や芸術に秀でた英龍ですが、じつは日本にパンを広めた「パン祖」としても知られているんですよ。

英龍は、戦時の携帯食としてヨーロッパ陸軍の兵糧パンを採用しなければと考え、手代の柏木忠俊に命じ、長崎のパン職人・作太郎からパンの製造を学ばせました。

英龍たちが初めてパンを焼いたとされるのが1842(天保13)年4月12日で、現在では「パンの日」に制定されています。江川邸ではそれを記念して、毎年4月上旬に「江川邸パンフェスタ」を開催。江川英龍とパンにまつわる特別展示や地元の人気ベーカリーの即売などのほか、邸内の広い土間にある「かまど」を実際に使って焼き上げたパンを味わうことができます。
▲当時使われていたものと同じタイプの大きな鍋に並べて焼いていきます
▲香ばしい匂いが、50坪ある土間いっぱいに広がります
▲焼き具合を見ながら手でひっくり返します。手袋をしているとはいえ、とても熱そうです

パン祖のレシピには、「焼いた後一晩かけて水分を抜くことで保存を可能にする」と記載されています。ですから、当時の味や食感が忠実に再現されているわけではありません。食べやすいよう水分を多めにして、マフィンとおやきの間のような食感に焼き上げています。

このパンは、イベントの日に江川邸でしか味わうことができないので、この日を毎年楽しみにしている方も多いそうです。
▲塩気によって小麦粉のほんのり甘い風味が際立ち、なかなかの美味

当時は保存がきく兵糧としての活用を想定していたので、ふんわりした柔らかいパンではなかったのだそうです。例えると、乾パンの固さに近く、食感は「固い甘食」のよう。

当時の食感と味に近いパンは「パン祖のパン」という名前で、反射炉横にあるお土産ショップで一年中販売されています(5個入600円・税込)。とにかく想像を上回る固さですので、ビスコッティのようにエスプレッソやコーヒーと共に楽しむか、クルトンのようにスープに浸して食べる方法が良いかもしれませんね。

パンフェスタ開催の頃は、邸内の桜が楽しめる時期にも重なります。日本のパンの原点となった味を、現地でぜひ味わってください。

史跡巡りにはレンタサイクルが便利!

韮山反射炉や江川邸を訪れる際は、伊豆長岡駅から土・日曜、祝日を中心に運行している「観光周遊型韮山反射炉循環バス」が一番便利です。
ただし、時間を気にせず、ゆっくりと景色も一緒に楽しみたいなら、断然レンタサイクルがおすすめ。

伊豆長岡駅前には「観光案内所」があり、ここで自転車を借りることができます。その名も「伊豆の国レンタサイクル 狩野川ベロ」。
▲観光案内所は駅を出てすぐ。ロータリー沿いにあります

レンタル料金は1台1日(10:00~16:00)500円(税込)。電動アシスト付き自転車、クロスバイク、ミニベロ、ファミリーサイクル、子供用とさまざまな車種が用意されています。

伊豆の国市のサイクルステーションは、伊豆長岡駅前(観光案内所)のほか、伊豆の国市観光協会、蔵屋鳴沢(韮山反射炉前)の3カ所。

サイクルステーションでは、史跡の場所や無料の足湯、飲食店、ビュースポットなどを掲載したマップがもらえます。なんと、地図を見ながらお隣り沼津市の内浦湾あたりの遠方まで足を延ばす方もいるそうですよ。
旅のスタイルによって好みの移動手段を選び、オリジナルの楽しい旅を作ってくださいね。
▲おすすめは電動アシスト付き自転車。電話予約も可能
はるか昔、マルチな才能を発揮し、のちの世のために懸命に奔走した江川英龍。その様々な功績は、現代の私たちの暮しの礎を作ったものばかり。直筆の書物や絵は、名代官と呼ばれた彼の人柄も想像させるものでした。反射炉をはじめ江川英龍が遺したすべてのものは、ただの歴史の産物ではありません。その功績をたどることにより、混沌とした現代を生きる私たちにとって必要な、今を生き抜くヒントとパワーを得られることでしょう。
小林ノリコ

小林ノリコ

移動文筆家/伊豆在住フリーランス・ライター。東京・南青山の編集プロダクション勤務を経て2005年からフリーランスとなり、2015年より静岡県熱海市を拠点に執筆活動を開始。「ふらりと出かける、ゆる伊豆」をテーマに、地域の宝を再発見する取材活動と、伊豆地域を拠点に活動するフリーランス・クリエイターのネットワーク作りを行っている。

※本記事の情報は取材時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。最新の情報は直接取材先へお問い合わせください。
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