今回、特にお世話になったモノノフさんには、本作のスペシャルver.を寄贈させていだたいた。 様々なお気遣い、行動等々すべてにおいて感謝する。
はじめに
読者諸賢、おはこんばんよう。
有安杏果氏が無事にももいろクローバーZ(以下、ももクロ)を卒業して幾日。
様々な想いを抱きつつも、新たなスタートを踏み出した人々、あるいは、去っていく人々……。
色々な形があるからこそ、人生は面白いものだ。
そんなふうに思わせられた、素晴らしいラストライブだった……。
––––と言いたい。
結論から申せば、わたくし、たまいびびは、有安杏果のラストライブを見逃した。
であるから、何がどう感じただとか、何がどう凄かっただとか、そういった感想は、今回一切語ることはできない。
残念だ。
非常に残念である。
しかし、誤解しないでいただきたい。
私は有安杏果卒業ライブを意図的に見逃したわけではない。
実はライブ開始1時間前まで、「まだか、まだか」とモジモジしながら待機していたのである。
そう、あの事件が起こる前までは……。
2018年 1月 21日 11:06
すでに会場入りしているというモノノフ(ももクロのファン)の方からメッセージが入ったのはまだ午後に入る前だった。
私は、ももクロのライブ会場(以下、現場)に行ったことがないので、詳しいことはわからないが、今回は有安氏卒業ということで、多くの「花」が寄せられたようだ。
その中の一角に、私のブログ(上部が多い)によく貼り付けてある不細工なイラストを飾ってくださった団体(?)の方々がいたようだ。
私は一視聴者として、彼女の卒業を見届ける、あるいはその様子を感想として綴ることしかできないと思っていたのだが、この方々は、私の思いを汲んで、形にしてくださった。
私は病ゆえに、このような場所はなかなか訪れることができない。
(私の病に関しては、以下ご参照願いたい)
よって、思いがけない援助を受け、ありがたく有安氏に捧げることができた。
正直に記せば、このイラストは「杏果のために」描いたものではない。
実をいえば、卒業発表後、杏果のために描いたイラストなど一枚もない。
イラストは、私にとって簡単な作業ではない。
(どちらかといえば苦手な部類である)
しかし、過去のものであるにせよ、読者の一人がそれを「形」にし、「思い」にしていただけたことは、「感謝」という言葉でしか言い表せない。
上記のようなツイートを多々いただき、
なるほど本当に、幕張に、私のイラストがさりげなく佇んで、存在感をちょびちょびっと出しているのだな
と実感できた。
目撃情報をくださった方々にも、お礼を申し上げたい。
数時間後の報告ツイートでは、「たまいびびさんへ」と書いた立て看板も置かれていることが発覚。
ここまでくると、私も半泣き状態である。
「たまいじゃないよ、杏果だよ♪」 #教育
と心で歌いながらも、ありがとうのプレゼントでいっぱいになった。
実は、夏にもある方が私のアイコンをぶら下げ、現場に連れて行ってくれたことがあった。
この方は、おそらく一人か数人で行動されており、こんなヘタクチョな「しおりさま」のイラストを掲げて歩き回ってもらって、申し訳ない気持ちでいっぱいだったのと、
いや、改めて、こんなことしてくださるのは「モノノフ」と呼ばれるファンの情の深さの賜物であり、今でも忘れられないほど感謝している。
私が現場に行ける日は、果たして来るのかどうかもわからない。
それでも、思いだけでも、形だけでもと、私以外の人たちが動いてくれている事実に、ただただ感涙するだけの私の姿があったのである。
このやるせない、なさけなさを払拭するためには、
そうさね、
私が現場に行かなくてはならないね。
2018年 1月 21日 16:04
卒業ライブ放送直前ともいえようか、
モジモジと待機していた私に信じられない悲報が入ってきた。
我が弟、スノーボードで腰を強打
首が痛い
足が動かない
挙動不審の母親が私に連絡をよこした。
首・腰・足が動かない
脊髄損傷の可能性もある。
私は母親をなだめ、緊急で愛車ぶらり(ハスラー)を出し、彼の元へ向かった。
整形外科医がこの町にいないので、
必然的に隣町まで移動することになった。
もしかすると、このブログに書いたりツイートしたりしたかもしれないが、
私の弟は
1年間の引きこもり(まさしく健康で、本格的なニートだ)を経験し、
たまいびびの叱咤により
泣く泣く仕事を転々とし、なんとかニートを抜け出したばかりであった。
1年間の健康的寝たきり生活で、筋肉も骨も感情すら衰退・平板化した彼は、仕事の反動で活動的になったのか、急にアクティブになり、実に見事に負傷した。
身内としては「馬鹿」「阿呆」としか言いようがない。
2018年 1月 21日 19:17
もう、ライブはとっくにはじまっているはずだ。
しかし、今はそれどころではない。
どんな「阿呆」な弟でも、脊髄を損傷すれば、寝たきり車椅子生活。
障害者である私を含めると、さらにもう一人、障害者を抱えることになる母。
様々な思いが巡った。
長い間待たされた結果、彼は「骨盤骨折」という診断に落ち着いた。
腸骨という大きな骨に亀裂が大きく入っている。
さらに恥骨という股関節付近の骨にも亀裂が入り、合計3箇所の骨折という結果だった。
「これはよかったと思っていいんだよ」と母を諭した。
それでも完全修復まで2ヶ月。
私も急展開な事象には不向きな身体であるので、その夜は相当な負担がかかり、今も疲労感を引きずっている。
(たくさんのコメントありがとうございました!)
本当に最悪なタイミングだった。
神のいたずらが存在するのなら、まさにこのようなことだとすら思った。
しかし、神のいたずらは所詮「いたずら」でしかないのだ。
彼は骨折で済んだ。
とんでもない「馬鹿野郎」であることは間違い無いのだが、私の肩の荷は相当軽いものとなった。
2018年1月21日 19:44
ここからは、もうひたすら待ち時間が長く、私も母も疲れ果て、退屈になってしまった。
abemaTVを起動してみるも、やはり院内。
満足いくものは一向に見られれない。
(唯一見られた映像はたしか「D」のつく曲で、玉井さんが、シュッと手を後方に反り返している映像だったことはよく覚えている)
ここからは、現場にいる人たちだけでなく、自宅で有安氏の有終の美をご覧になっているモノノフ御一行様たちと一緒に、思いを届ける作業に入った。
もうこのライブは見られない。
画面を通して有安氏にお別れも言えない。
私はさまざまな事柄がまとまらない状態でありつつも、ツイートを続けた。
私はただ祈り、ただ赦し、ただ微笑んだ。
2018年1月21日 21:07
院内では、ようやく入院の準備が整い、やっと病棟へ移ることに。
その間、カンファレンスをしたり、買い出しに行ったりと、さらにまたバタつく始末。
結局、すべてが終了したのは0時を過ぎており、疲労もピークに。
なんで今日なんだよ!
と思ったのは弟に向けてだけではない。
正直にいえば、有安氏にもそんな気持ちが芽生えてしまったのは、私のワガママな腐れきった脳みそのせいであろう。
しかし、最後の最後は見届けたかった。
もう5人のステージは、本当に見られないのだから……。
2018年1月22日 0:29
私と母はくたびれ、腹を空かし、ふらふらの状態で帰途についた。
帰りに、ファミリーレストランによって、ガツガツのステーキを喰ったら、翌日、見事に胃がもたれた。
しかし、明日もあの阿呆のところへ赴かなければならない。
そんなとき、こんなツイートが入っていることに気がついた。
え?
え?
はぁ〜!?
なんだよ〜!?
嘘だろ〜!?
え?
マジ?
今回お世話になったモノノフさん
詳しいことはよくわらないのだが、今回は特に花が多く寄贈されたため、ライブ終了後にはすぐにこれらの撤去作業が行われたそうだ。
そして、このイラストも、もちろん廃棄処分されるはずだったが、多くの方たちのご協力により、無事生還したらしい。
最初から最後まで、私の作品を大切にしてくださった皆様、本当にありがとうございました。
ぜひともこの文章や写真や多くの方のコメントが、皆様のもとへ届きますように。
私の代わりに、杏果に想いを届けてくれてありがとう。
フォト・ギャラリー
有安杏果氏へ
あなたたちのファンは本当に素敵ね
だから4人でも心配いらないね
ありがとう
じゃあね
有安さん、
現場で会おうZ!!!!!
たまいびび