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内薗 惟幾
税務大学校
研究部教授
過去、密造酒取締に際し、幾つかの税務職員の殉職、遭難の事故が発生しているが、今、これらは膨大な税務事件のなかに埋れようとしている。
現在、密造酒の問題は、既に過去のものとなりつつあるとも思われる。しかし、自家用酒の製造を全面的に禁止した明治32年当時は、酒税収入確保の上からも密造酒対策は重要で、かつ、ウエイトの高い事案であった。すなわち、32年度の酒税収入(4900万円)は、租税・印紙収入中36パーセントを占め、第二位の地租収入(4500万円)とともに重要な役割を果していたので、この酒税収入の確保上、当時、酒税額にして、毎年1000万円にも上るといわれていた密造酒に対して、無策のまま過すことはできなかったのである。この趨勢は大正期へと続く。
密造酒の態様をみると、戦前では自家用の目的のものが中心であったが、戦後の一時期では、酒類の絶対的不足や失業問題とも絡んで、販売のための大規模な集団密造が出現して来た。そのほか、特殊なものとしで、戦前の沖縄県酒類出港税に関する密輸があった。
密造酒取締に関する悲しい事件を振り返ってみると、当時の税務職員の真摯な努力の結果が不幸な事故に連ったことを感じるだけに、まことに痛ましい思いがする。
本稿は、この先輩税務職員の努力の跡を、密造酒を巡る酒税制度の推移にも配慮しながら、本校の租税資料室に保管されている資料の紹介をも兼ねて辿ってみたものである。
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