<img height="1" width="1" src="https://www.facebook.com/tr?id=1801171263504785&ev=PageView&noscript=1"/> (cache)〈時代の正体〉【相模原殺傷1年半】差別むき出し今も 植松被告「社会へ問題提起」|カナロコ|神奈川新聞ニュース

〈時代の正体〉【相模原殺傷1年半】差別むき出し今も 植松被告「社会へ問題提起」

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2018/01/26 02:00 更新:2018/01/26 17:20
 【時代の正体取材班=石川泰大、高田俊吾、竹内瑠梨】入所者19人が殺害された相模原障害者施設殺傷事件は、発生から26日で1年半。殺人などの罪で起訴された元施設職員、植松聖被告(28)は今なお障害者へのゆがんだ差別感情をむき出しにし、自身の犯行を正当化する主張を繰り返す。識者は被告の姿や言動に「心の弱さ」を読み取り、社会そのものに事件の根幹を見いだす。

 昨年6月以降、植松被告は勾留先の横浜拘置支所(横浜市港南区)で2回にわたって神奈川新聞記者と面会し、11通の手紙のやりとりに応じてきた。「意思疎通のできない人間を安楽死させるべき」との従来の主張を繰り返し、自らの行為を正当化しつつも、時に裁判や判決への不安をのぞかせることもあった。

 「本日はご足労いただき、ありがとうございます」。植松被告は面会室に入るやいなや、小柄な体をくの字に折り曲げて頭を下げ、はっきりとした口調で言った。肩まで伸びた髪を後ろで一つに束ね、逮捕時の金髪は毛先にわずかに残る程度だった。

 接見したのは昨年12月8日と1月11日。なぜ事件を起こしたのか。アクリル板越しの記者の問い掛けに、植松被告はゆっくり大きく2回うなずいて「自分の考えを社会に投げ掛けたかった。問題提起になったかなと思っています」とよどみなく答えた。犯行後、津久井署に出頭したのは目的を達成したからとも話した。

 障害者とその家族への感情を初めて自覚したのは、小学生の時だったという。知的障害がある同級生に付き添っていた保護者の様子について「いつも疲れているように見えた。やっぱり大変なんだなって思いました」。記者に同意を求めるように、眉間にしわを寄せた。

 障害者の殺害を思いついたきっかけは、園で働いていた時にニュースで流れた過激派組織「イスラム国」(IS)の映像。「僕の中でナイスアイデアでひらめいた」。自身の考えを口にした際に同僚から注意を受けたものの、「(人を殺してはいけないという)法律が間違っているだけだと思いました」と振り返った。

 「障害者を殺すことは不幸を最大限まで抑えることができる」-。そんな内容の手紙を衆院議長公邸に持参した約5カ月後、事件を起こした。当時の心境について「実行するのが怖い気持ちもあったが、(国が動いてくれないなら)自分でやるしかないと思いました」と淡々と答えた。

 事件を振り返ることはあるかと尋ねると、「自分のやったことが安楽死にならなかったこと。苦しませて死なせてしまったのは反省と言うか、申し訳ない」。記者の目を真っすぐ見つめながら話した。

 「裁判結果はすごく気になります」。記者の元に届いた便箋の中で判決への関心の高さをうかがわせた植松被告。公判で罪を認めるのかとの問いには首を振り、「私が殺したのは人ではありません。そう主張するつもりです」。ただ、裁判員らに主張が受け入れられるかは「想像がつかない」と言葉少なに語り、視線を手元に落とした。

 今、一番したいことは何か。記者の質問に、植松被告はかすかな笑みを浮かべて言った。「もうできないので。それを考えることはないです」。拘置支所内では手紙を書いたり絵を描いたり、環境問題やごみ問題、安楽死に関する本を読んで過ごしているという。

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