いったいこの絵を一枚描くのに何日かかったのだろう。
仕事ができるスピードはとりもどせなかったし、薬が効いている時にしか描けないし、描いた線を拡大して線の両端を整えたり修正したりして、やっとイメージしたラインに近づけるという「絵を描いている」というより「修正して絵に仕立てる」というような行為のためか「楽しい」より「苦しい」方が強かった。
それでも、どんなに負の要素ばかりだとしても、半年前までは市役所や病院で提出しなければならない書類に字を書くのもままならなかったパーキンソン病の男が、毎日毎日睡眠時間を削ってまでして続けてきた「原画の修正」というリハビリのおかげで、神塚 ときお本人が描いた絵と判別できるところまで時を戻せたことがもう言葉でなんか言い表せないほどに嬉しく、完成した時は驚くほど静かな感情でとてもきれいで透き通った涙があふれ出ていた。
半世紀以上も生きてきていろいろなことで涙をながしてきたが、この涙は初めての感覚だった。
人間の人生は全く思い通りにならないことばかりで、それが自然の摂理なんだと健常者だった頃にはただ嘆いていたが、この病を患いさらにその思いは強くなるばかりだった。
毎晩、夢の中で良かった探しをするも、無理矢理その程度のことを良かったことと捉え直してカウントを増やしている自分をひどく軽蔑した目をして俯瞰で見ている自分を、さらに上から見ている自分は無表情だった。
彼はもう絶望をとうの昔に通り過ぎていて、これ以上痛みを感じないように感情をセメントで固めて痛みや苦しさが起こっていても気のせいだとか、それが自然の摂理なんだからとか、それが自分の運命なんだからとか、感情が激しく暴れてパニック症状が起こらないように心の奥深く、至極暗い深海の底の底に沈めていた。
そのセメントに一筋の亀裂が入ったのだろう。
そこからあふれ出したのは深海の水よりもはるかにきれいで人肌のような暖かさをした心地よい涙だった。
現実の自分のほほを伝う時には、皮膚にまとわりつかず、すーっと一筋で流れ続けた。
幸せはカウントするものではないようだ。
良かったことの数が悪かったことの数を超えても、だから自分が不幸だと結論づけるのはやはり早計で間違いないのだ。
この涙がそれを証明してくれていると思えた。
言葉や知識や概念でなく、心に体に沁みていくきれいな涙だ。
絵を描けることが当たり前でなくなった日から何年が過ぎただろう。
この絵は私の命の時間の中ではとても大きな意味を持っている。
この絵が第二の人生の一歩になってくれることを切に望む。
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