日本は精神格差社会。中国に行ってきて思ったこと

しばらくぶりのブログ執筆だが、実は出張で中国に行っていたからである。

中国と行っても色々な場所があり、町によって雰囲気が違うことは誰でも知っていると思う。

今回行ってきたのは広州と香港。香港を中国と言っていいのかどうかは、僕にはわからないが。

まず広州だが、北京経由で結構時間が掛かった。本当は香港経由にすれば良かったのだ。

広州はものすごく開発が進んでいる。北京や上海はすでに出来上がった町だが、まだ中途にある広州では経済成長が目に見える。

しかし未だに格差社会だ。

ほんのわずかな金持ちと貧しい大衆。未だにプール付きのマンションの横にスラムやバラックが広がっている。

 

日本では経済格差は目に見えないことが多い。

それにある程度の所得はある人がほとんどだし、お金がなければないなりに生活することもできる社会だ。

だがそれ以上に精神の格差は、見えないところで窮地まできている。

向上心があって、ニュースとかに惑わされない人は本当に少ない。ほとんどの人が低俗なドラマじたて、しかも残虐なニュースを読んで、グロテスクなテーマのアニメや映画を好み、無意味なゲームアプリで時間を過ごしている。

こういった人々はすでに思考力を奪われており、感覚も非常に衰えているため、ハリウッド映画や日本のドラマのようにはっきりしていないと感動ができないし、人が死なないと感動できない。

巨人が人を殺したり、人が人を喰ったり、感染症で人がばたりばたりと死んで行かないと、スリルも味わえない。

こういう人々がクラシック音楽を聴いて感動できるだろうか。

そこに精神の格差がある。

向上心のある人々にとっても、この時代は便利だ。気になったことはすぐに調べられるし、世界ともすぐ繋がれる。

向上心がある人たちは、どんどん感覚を研ぎ澄ませて、色々なことを知ることができる。

 

広州では経済的な格差を強く感じるが、日本に帰ってくるといつも精神の格差のことを考えてしまう。

流血や分かりやすい死ではなく、知ることや体験することに感動できるよう、感覚をいつも研ぎ澄ませておくべきだ。