ティーンエイジの頃擦り切れるほど聴いたロックンロールバンド「CAROL」と「COOLS」
その二つのバンド名を掛け合わせて僕が作った「CAROOLS」という造語
そんなCAROL&COOLSの70年代の楽曲にスポットを当てて当時の世相や
グループ・メンバーのエピソード、僕の思い出を書き記そうというシリーズ「CAROOLS 70’s」
今回はCOOLS編として舘ひろしさんが在籍した時代の最後のアルバムになった
1977年4月21日にリリースされた「Hello!Good-bye」を掘り下げてみたい
このアルバムは僕にとってとても思い出深いアルバムだ
中学2年生だった1977年に初めて買ったクールスのアルバムが
この写真のHello!Good-byeだった
いつ頃買ったのかはハッキリ覚えていないが同年6月にリリースされてるロカビリークラブの
ファーストアルバムがリリースされる前だったような気がするので晩春頃だったんだと思う
それまで主に歌謡曲やフォークを聴いていた僕はクールスのロックンロールに刺激を受けたし
アメリカンオールディーズナンバーを最初に知ったのもこのアルバムだった
奇しくも最初に聴いたクールスのアルバムが舘さん脱退のアルバムだったという事だが
この時から僕の脳は「ロックンロール=バイク=リーゼント」の図式がインプットされたのだった
クールスのロックンロールと資生堂MG-5のポマードの香りは
これから始まる13歳の少年の青い時代の予感を感じさせた
CAROOLS 70’sバックナンバー http://blogs.yahoo.co.jp/prains237/folder/523083.html
Hello!Good-bye / COOLS 1977・4・21 キングレコード
Side 1
1、ロック・アラウンド・ザ・ロック 2、のっぽのサリー 3、行ってしまったあの娘
4、ハートブレイク・ホテル 5、恋の大穴 6、シンデレラ 7、アット・ザ・ホップ
8、ルシール 9、ロックン・ロール・タイム 10、ひろしメモリー(BGM セカンド・イズ・ユー)
11、ひろしメモリー(リトル・ダーリン) 12、紫のハイウェイ
Side 2
1、甘い暴力 2、リメンバー 3、バースデー 4、ルイジアナ・ママ 5、ジョニー・ビー・グッド
6、恋のテディーボーイ 7、恋のロックン・ロール・ウェイ 8、パティ・マイ・ラブ
9、カモン 10、明日に向かって 11、君に夢中さ 12、今は一人で
クールスのリーダーでありメインボーカルだった舘ひろしさんがクールス在籍中の
最後のアルバムになった名古屋や東京でのライブ音源を元に制作された「ハロー!グッバイ」
そのコンサートは当時クールスの解散コンサートと言われたが実際にはクールスは
その後も活動を続けているので、舘ひろしさんの脱退コンサートと見る方が正しい
その辺りについて当時クールスのサイドボーカルだったムラさんは
雑誌のインタビューでこう語っておられます
クールスは一切解散はしていない、あの時は舘が脱退しただけなのよ
でも、解散コンサートにしないとキングレコードとしてはおいしくないから
勝手にキングが解散コンサートにしちゃったのよ・・・
1974年12月東京原宿、リーゼントヘアーに革ジャンパー
そしてサングラスという出で立ちの若者たちがいた
巨大なオートバイを乗り回していた17人の若者たち
そんな中からロックンローラーCOOLSは生まれた
全身で感じられる音、若さをぶつけられる歌、これこそCOOLSが目指す音楽だった
彼らは言う「ロックンロールこそ俺たちの青春をぶつけられる音楽」だと
オートバイの爆音のようにCOOLSの歌は若者たちをひきつけ
彼らは一体となって熱い血潮をたぎらした
そして今・・・
2枚組のアルバムであるハローグッバイの1枚目の冒頭はこんなナレーションで始まる
オールディーズナンバーやクールスの楽曲が勢いのある荒々しい演奏で続く
そして10曲目、五大洋光のペンネームで永ちゃんが楽曲提供した
「セカンド・イズ・ユー」のバラードに乗せて脱退する舘さんが語り始める
セカンド・イズ・ユー/COOLS 1975
作詞・たちひろし 作曲五大洋光
いつも いっしょに いたいのと あの娘は 言うけど 困らせないで
First is Machine and cecond is you・・・
今からちょうど・・・ いや、ちょうどって事もないか、2年前・・・ 原宿で12月13日の金曜日の
夜中の1時にみんなで小さな店に集まってクールスの結成式をやったんだよね
みんな、とにかく俺たちが一番カッコいいなんて思って
常にカッコいいチームを作る事ばっかり考えてて・・・ いい時代だったね・・・
それから、結成して2~3か月経っていろんな所に出入りしてるうちに
軒並みいろんな店から出入り禁止喰らっちゃって・・・
でもホント俺はあの時は生まれて初めて、ああ言う種類の悔しいって思ったのは・・・
それでとにかく「このヤロー、有名になってやろう」なんて思って・・・
で、ある時突然原宿の喫茶店にキングの某ディレクターが入って来て
「レコード出せ!」って言うんで「じゃあ、一応・・・」ってんでナメた気持ちでやってたね
(ここでオーディションという形で初めて録音したリトル・ダーリンが流れる)
でもいきがってたのだけは直んなかったね、みんなトッポかったよ、ホントに・・・
でも、こうやってクールス辞めてみて、やっぱり忘れられないのは、あの寒い夜の
みんなで集まった12月13日の事だと思うんだ・・・
でも何つ~の、たまに一人になって横浜まで明け方飛ばして行った事もあったし
太陽が昇る前に道路が紫色に見えるんだよね、忘れらんねーよ・・・
紫のハイウェイ/COOLS 1975
作詞・たちひろし 作曲・五大洋光
夜明け前の 紫の Highーway オレの心を 今 走らせ
Oh my baby yes my lover 会いにゆくんだ すぐに
I Love you with my heart 星さえ うすれて・・・
(中野サンプラザ フルバージョン映像 https://youtu.be/Z2zr94MJK40)
舘さん脱退の経緯の真相は僕にはわからないが、クールス関連の書籍やインタビュー記事
更には元メンバーのブログを読むと、前回のCAROOLSクールス編でも触れたように
舘さんと他のメンバーのボタンの掛け違いから生じた対立であろうと思われる
舘さんは雑誌のインタビューでこんな風に語っておられます
俺は歌の才能ないのも、芝居の才能ないのも自分で知ってたから
一生懸命パフォーマンスする事に(最初は)興味がなかった
人気なんか長く持つわけないと思ってたから、バンドで少しお金もらったら
引越し屋をやるとか、コーヒーショップ付のガソリンスタンドを皆でやりたいとか
(リーダーとして)そういう事を考えてた・・・
早く引退してメンバーをまとめて、皆を食わせていくかを考えてた
バンドCOOLSなんてどうでもよかった
何でもいいから皆でやれる場所、皆でお金を稼げる場所が
(タイミング的に)バンドCOOLSだった
このカフェレーサー、ずーっと舘さんのZⅡだと思い込んでたけどよく見るとマッハじゃない!
バイクに乗ってるのは舘さんだと思うけど、クールスでマッハに乗ってたのはフランクさんだから
写真のH2はたぶんフランクさんの愛車だと思われますね
そっか~ だから以前フランクさんとマッハの話をした時に
フランクさんがハローグッバイのアルバムの・・・って言ってたんだ
話を戻します
しかし、そんな舘さんの気持ちはメンバーには伝わらず、映画「暴力教室」への
出演に端を発し不協和音が流れ始め、次作「男組 少年刑務所」への出演で決裂した
もちろん理由はそれだけではないとは思うのだが・・・
舘さん脱退の事を現クールスリーダーの佐藤秀光さんは
著書「ハングリー・ゴット」の中でこう語っておられます
1977年4月に舘ひろしが脱退したが、俺たちからすればそれは自然の成り行きだった
クールスでメジャーデビューしたあとでも、舘が役者でやっていきたいという気持ちを
持っているのは俺たちも何となく感じていた
実際にクールスのメンバーが出演した「暴力教室」や「男組 少年刑務所」でも
奴だけは演技に対して飛び抜けた情熱を持っているのがわかった
舘の心の中で役者への興味が溢れてきた時に、クールスのボーカリストとの
掛け持ちは不可能になっていったんだろう
それがわかっているから俺たちメンバーはリーダーの脱退を黙って見送ったんだ
実際に元メンバーのベーシスト、大久保喜市さんは著書「ストレンジ・ブルー」の中で
やはり秀光さんと同じように舘さんは主役を演じた2本の映画出演時は
バンドをやってる時と気の入れ方が違い全力で演技してたと語っている
更には、それら一連の流れにピッピさんとジェームスさんは不満をぶちまけ
「男組 少年刑務所」への出演を拒否している
しかしピッピさんは2008年の舘さんとの雑誌での共同インタビューで
大将(舘さん)はとにかく責任感強いからね
メンバーが(当時)何かしでかしても全部一人で責任とって言わないからね
俺は後から聞いて「本当にゴメン!」っていうのは結構あるよ
と、語っておられる
こうして各メンバーの発言を聞くと少々話がチグハグな部分もある
表には出てないし出せない事もあるのかも知れないが
やはりどちらが、良い悪いではなくボタンの掛け違いのような気がしますがね~
てか、もともと皆さん個性が強い「不良」ですから・・・! 笑!
そして1977年初頭、喜市さんの著書では原宿の「パレ・フランス」
ピッピさんのブログでは明治神宮前駅の近くのレストラン「コロンパン」で
(どちらが正しいのかはわかりませんが 笑)元キャロルのスタッフのM氏立ち合いの元
舘さん脱退の意向が自らメンバーに伝えられたそうだ
(大久保喜市 ストレンジ・ブルーより)
「俺、クールス辞めるよ」 舘ひろしが言った、ピーンと空気が張り詰めた
誰もがその言葉を察していたが、実際耳にすると動揺を感じた
「俺はバイクのグループ作って、バンドを始め、俺らを世の中に認めさせようと
やってきたつもりだけど、もうこれ以上お前らとはやっていけないよ」
メンバーは黙って話を聞いた
「俺らってデビューする前はどこに行っても白い目で見られ
挙句の果てにはレオンまで出入り禁止にされて嫌な思いばかりしてきただろ
俺は悔しかった、だから世の中に俺らを認めさせようとしたのさ
これが俺のやり方だし、信用できないなら一緒にやるわけないだろ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「俺はバンドを辞める、後はお前らで好きにすればいい
今日集まってもらったのはその事を伝えたかったからだ
お前らがバンドを続けるのか解散するのかは知らないが
今後どうするか決めたら事務所に連絡をくれ」
舘ひろしはそれだけ言うと席を立って店を出て行った、沈黙が流れた・・・
↑の「・・・・・・・・・・・・」は喜市さん的には誰も舘さんに対して面と向かって反論しない
状況という沈黙を表現されているのだと思うがピッピさんがご自身のブログに
綴っておられる状況はちょっとニュアンスが違う、ピッピさんは
「何言ってんだよ!俺たちはバンドやりたくて集まったんじゃないんだよ!
頭が辞めるって言ってるんなら、スパッと解散した方がカッコイイよ、それがCOOLSだよ!」
皆んなは、と見ると下向いたまま誰一人口を開こうとしないで黙り込んでる
沈黙のまま時は過ぎて行き、僅かな時間で解散しその場を後にしたと綴られている
ピッピさんは映画「男組 少年刑務所」の出演に対し不満をぶちまけ拒否し実際に出ていない
しかし当時のクールスを描いた遠藤夏樹さんの著書「原宿・ブルー・スカイ・ヘブン」では
ピッピさんは当時、舘さん寄りの立場で描かれている
この辺りのピッピさんの当時の本当の立ち位置はグレーゾーンだな~ 笑!
ま、この辺りが前記した「後から聞いて本当にゴメン!っていうのは結構あるよ」
って事なんだろうか?
実際に遠藤夏樹さんの著書には神宮前にあったクールスの事務所グリースブラザースに
舘さんは一人で泊まり込み経理の雑務をしたり、交渉事に出向いたりと粉骨砕身していたと
当時マネージャーだったサムさんが語っていたとの記述がある
映画出演に際し気合いを入れていたのもリーダーとしてや、主役としての
責任感からだったのかも知れないしクールスとして金を稼ぐチャンスを
次に繋げ広げるための舘さんのやり方だったのかも知れない
しかし給料をもらう立場のメンバーはリーダーだけが
オイシイ事をしているように見えたのかも知れない
「何で舘ばかりが主役なんだ?」「やはり主役はギャラがいいんだろう!」
「自分を売り込んでる・・・」
こんな妬み心が出ても不思議じゃないし、世の中こんな話は山ほどある
ここで舘さんも一人で背負い組むんじゃなく収支もオープンにして
メンバーとコミニュケーションを取ってたら違ってたかもね~
喜市さんの著書ではメンバーは当時地方公演が終わったらファンの女の子を
ホテルの部屋にお持ち帰りしていたという記述がある
しかし何かトラブルがあった時にリーダーの自分に非があったら困るから
舘さんはそんな時はメンバーとは行動を共にしなかったらしい
まあ舘さんは外国人女性好きだったそうだから他では遊んでもいたんでしょうけどね~
そりゃそうでしょうよ、元は不良なんですから 笑!
さて、話をアルバム「Hello!Good-bye」に戻そう
2枚組のアルバム、ハローグッバイは2枚目のA面で
クールス7人としての最後の演奏になります
最後の曲を歌う前に舘さんのMCが入ります
と、いうわけでクールスの7人での最後のステージも後1曲になりました
いっぱい・・・ いっぱい色んな事があって
いっぱい色んな事を今日話そうと思って来たんだけど
何にも言えないよ俺・・・
最後に俺の一番好きな歌、聞いてください 恋のテディーボーイ
恋のテディーボーイ/COOLS 1976
作詞・たちひろし 作曲・大木トオル
赤い赤い バラを手もとに シャレたシャレた リボンでつつみ
いきな ダークスーツとブーツで そっとむかえに 行こうか
内気なお前の 心射止めた Oh Teddy BOY・・・
皆さんもよくご存じのように、このアルバムを最後に舘さんはキングレコードに残りソロになり
クールスはクールス ロカビリークラブとしてトリオレコードに移籍して6人で再出発を図ります
しかし実際にはグループ名を改名したんじゃないとムラさんは語っています
本当はクールスでやりたかったんだけどキングレコードから名前を使うなと・・・
だからロカビリークラブってのは名乗ってないのよ本来は
本当は法的には何もなかったんだよね、(キングが)言っただけで
解散したのに何でやってんのかとか、クールスは一切解散してないわけだから・・・
キングに残った舘さんは同年ソロデビューアルバムをリリースしますが
2枚組アルバム、ハローグッバイの2枚目のB面には舘さんのオリジナルソロ曲が
舘ひろしとセクシー・ダイナマイツ名義で6曲挿入されています
そんな中から「ロックンロールウェイ」という曲をお届けして今日は終わりにしようと思います
次回「CAROOLS 70’s」いつになるかわかりませんがこうご期待! ジャンジャン!!
恋のロックンロールウェイ/舘ひろしとセクシー・ダイナマイツ 1977
作詞・たちひろし 作曲・田上正和
真っ赤なオープン飛ばしてルイジアナ 白いスーツのポケットにダイヤモンドリング
涙で震えた声の ゆうべのアイツの電話に 初めて感じた愛なんだぜ
飛ばせRock’n Roll way・・・
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甘いアメリカングラフィティー!まさに、クールス聞きながらこれ、流しながら、海に行ったりしましたね!
ボーダーシャツと、革ジャン真似ました。
でも、こういうバンドなぜ、平成で、生まれないんでしょうね?
マックショーや、ニートビーツにしても、俺の全然上の世代だし、
時代は繰り返されりと言うけど、これだけは、今の時代に超すようなバンドみたいすね。
ひょっとしたらですが、舘さんが、ずっと続けてたら、いわば、伝説な初期クールスは、生まれてなかったかも、知れませんし、キャロルも、伝説化してなかったかもしれません。でも、舘さんや、陣内さんは、役者のほうなむいてると個人的におもいました。二人とも歌唱力以上にパフォーマンスが、うまいし、かっこいい。すなわち、役者に、向いてると思うんですよ。
でも、今見ても初期クールスかっこいいですね。でも、いまだ、既存のクールスも、やり続けてる格好良さありますよね。
岩城さんと、舘さんは、会ったりするのは、役者同士だからですかね?あの、原宿の出会いの絆ですかね?
2017/2/17(金) 午後 3:12 [ sido.takuya ] 返信する
> sido.takuyaさん
僕はクールスを聴くと中学生の時を思い出しますね
特に舘さん在籍時の初期のクールスはそうだね
見る物、聞くもの、体験する事など何もかもが刺激的で新鮮だった
あれから40年が経ったなんて信じられないね
やはり何やかんや言ってもロックンロールって日本じゃマイナーな音楽なのよ
あの永ちゃんだって全盛期のレコード売り上げは凄かったし長者番付の常連だったけど
一般の人が知ってる永ちゃんの曲って「時間よ止まれ」くらいじゃないかな~?
ロックンロールって時代のサイクルで一瞬は流行るんだけど長く続かない
やはりサザンやミスチルみたいな歌謡ロックが王道なんだろうね
ロッカーズの陣内さんなんて、あのまま音楽だけやってたら消えてるだろうね 笑
舘さんだって、あのままクールス続けてたら今のような大成功もなかったと思う
でもシドさんが言うように結成40年を超えた現クールスのメンバーは
味もあるしシブいと思うし違う意味でカッコよさはあるよね
そう言えばブラックキャッツの久米さん(兄)の娘さんがバリバリの
ロカビリーバンドやってるみたいよ
2017/2/17(金) 午後 3:40 [ プレインズ ] 返信する
そーです。やはり、むかしのスタイリッシュな、クールス最高ですが、大人の、少年魂ある、今の、クールスが最高ですね。結果はやはり、渋すぎます。
やはり大人は渋さですよ。
今日は初期クールス流します。
だって、久米ヒロシさん、当時はMagicやってまして、よく、保育園の娘をピンドラに連れて来てました。それがいまや、ロカビリー継いでまして俺も歳を取るわけです。笑
ロカビリーと言うか、あの感じ、お洒落だと思いますが、やはり
日本人はあまり似合わないすかね。
次の特集も楽しみにしてます。
2017/2/17(金) 午後 6:56 [ sido.takuya ] 返信する
> sido.takuyaさん
やはり時代性に伴う若者の価値観ってあるんじゃないかな~?
僕らが思春期の頃はツッパリの全盛期だったし、ツッパッてる奴が
カッコいいって時代だったからね~
でも今の若者はツッパッてるような恰好してる奴見てダサいって言うじゃない
個人的な見解で言うと昔の欧米の不良の恰好は今見てもお洒落だと思うのよ
だからモッズやロッカーズやフィフティーズは今でもOK
でも日本のそれは70年代がギリギリで今でも通用するのはアイビーを
着崩した感じの着こなしまでだと思うのよ
80年代のヤンキーファッションは今やギャグレベルだと思うんだよね
なぜかというとファッションの基本から外れてるからだと思うね
まあそれでも昔の不良ファッションって全体から見ればマイナーだからね
舘さんや岩城さんが今でもカッコいいのはファッションの基本を知ってるし
年齢に合わせて進化してるからだと思いますよ
(続く)
2017/2/17(金) 午後 7:32 [ プレインズ ] 返信する
(続き)
永ちゃんの娘や、桑名&アンルイスの息子だってメジャーになれない
ミュージシャンってやはり実力がいるから親の七光りにはなかなかあやかれないんだよね
久米さんの娘もアンダーグラウンドの世界なんだろうけど
自分が好きでやってるんならいいんじゃないかな
でも食っていくには相当厳しいと思うよ
日本ってそういうお国柄だって内田裕也さんも言ってたよ 笑
2017/2/17(金) 午後 7:33 [ プレインズ ] 返信する
そうです。ロックは時代を映す魔法であり、不良は世相すら、変えると、思ってます。モッズ、ロカビリー、パンク、アイビー、昔のビギや、カラス族とか、拘りに溢れ、かっこいいから、後輩はそれ見て真似しますよね。
クールスとか、モッズはスタイリッシュでしたから。
まさに、ビーバップ世代ヤンキーは、いまだ仲悪いです笑
あとは、ブイシネマ系のヤクザと、エグザエルや亀田一家ファッション。でも、彼等も、真似されてますから、影響力はあるのかも知れません。
そうてます。俳優は二世いても、歌手は、売れないと食えませんから。裕也さんがいう、布袋と矢沢以外、ロックは儲からないと言うのは、的を得てますよね。ロックは損する男の生き様。美容師も、プレインズさんなりのロックンロールな生き様だとおもいます。
2017/2/17(金) 午後 8:01 [ sido.takuya ] 返信する
> sido.takuyaさん
1970年代初頭のあの頃はファッション業界的にはヒッピーの影響で
サイケデリックなカラフルなファッションが流行ってたんだよね
当時フォークをやったり、聞いてた連中はそっちに傾倒したんじゃないかな~
でも不良と言われたちょっとツッパッてる連中はVANの服を着崩して着ていた
僕はそんな大人を見てカッコいいと思ったし、そこが僕のファッションの原点になってる
その後僕も時代の波に吞まれてヤンキーな格好も経験したけどね 笑
その後、フィフティーズもパンクもDCブランドもアメカジも経験したけど
今振り返ればヤンキーファッションだけはいただけなかったと思うのよ
シドさんが言うVシネのヤクザ系やエグザイル、亀田って僕の中のジャンルでは
ホスト系だと思うんだけど確かに高価な物なんだろうけど僕は好みじゃないね
ロックンロールはやせ我慢だって昔から言うじゃない
人が陰口を叩こうが我慢して自分を貫く、まさしく生き方だと思うね
2017/2/17(金) 午後 8:44 [ プレインズ ] 返信する
何度も同じようなこと言うけど・・・
それなりの人数が集まり、なにがしかの「活動」をやりだしたら必ずすれ違い・誤解・軋轢・嫉妬、なんてものが生じる。
仕方がないことだからね、こればっかりは。
舘さんはクールスを愛していたし、そのリーダーとしての責任を全うしようとしていた。
要するにクールスが認められて、食えるようにしていきたいと・・・
その結果が皮肉にも「脱退」という形になったんじゃないか(^^ゞ
おまけに人一倍自己主張が強い不良の集まりだから、相当なすったもんだがあっただろうなぁ(^^;
ロカビリーを楽しんでいる世代が高齢化しているのは紛れもなく事実だけど・・・
今の若い人たちはその楽しさを知らない、知らされていないんだろうと思う。
「スイングジャズ」も今やヨーロッパあたりで「エレクトロスイング」なんてものに変わって生まれ変わってそれなりの人気を得ている。
ロカビリーもそのうち若い世代が彼らの感覚で生まれ変わるんじゃないかな(^^♪
私は今の若い人たちにはそれなりの期待をしているんだよ(*^^)v
2017/2/18(土) 午前 7:04
返信する
> ゴルゴさん
僕の方も何度も同じような事を書いてます 笑!
まあ、このシリーズはちょっとマニアックなシリーズですからご容赦ください
バンドに限らず何か組織を立ち上げると、しばらくすると内紛が起きる事はよくある事ですよね
最初は志がある者たちが同じ目標に向かって集まるのだから皆で協力するから上手くいく
しかしある程度成果が出て来るとモチベーションにも個人差が出て来るし
そのグループにおけるポジションも様々だから不平不満も出てきますし
管理する側と、される側では立場が違うからゴルゴさんが言われるように、すれ違い・誤解・軋轢・嫉妬が生じる事も致し方ない
僕は舘さんは当時クールスを離れてソロや役者で独立する事を
最初は望んでいなかったんじゃないかと思います
すれ違いの空気が徐々に充満して孤立した時にそう考え始めたんじゃないでしょうか
そんな気がしますね
(続く)
2017/2/18(土) 午前 7:43 [ プレインズ ] 返信する
(続き)
若い人がロカビリーや、その楽しさを知らないのは確かでしょうね
僕の私感で言うとロカビリーが流行ったのは80年代が最後のような気がします
やはりメディアを通して流行しないと若い子は喰いつかない
流行しないと環境も整いませんからね~
今の日本の音楽会はいつも言うようですが団体戦で似たり寄ったり
これしかないんですからロックンロールやロカビリーが入り込む空きもないんでしょうね
今の若者は少子化の影響もあるでしょうし、群れて遊ばないし、遊びは
子供の頃からインドアのゲームだし、メディアは同じような事ばかり売り込むし
ちょっとマイナーなロックンロールやロカビリーが流行る状況じゃないのかも
未だにそれらを追いかけ楽しんでるのは青春時代にそれらを経験した
オッサン、オバサンばかりですもんね 笑
2017/2/18(土) 午前 7:51 [ プレインズ ] 返信する
こんにちは。先月名古屋ブルーノートのLIVEの模様を書き込んだ者です。
待ってました!CAROOLS 70’s!
冷静かつ客観的、加え独自の考察がとても愉しく頷きながら拝読しています。
(CAROOLS 70’sの記事以外もです これを書き出すときりがないので)
彼らの人間模様のエピソードはとても人間臭くて好きです。アツいですね。
実は私はクールスのファンしては新参者なのです。
剣さんを観に行った際、ジェームスさんへの敬意を語っておられ、そこから。
なんで今まで聴かなかったんだろう、バカバカ私のバカッと思いましたね。
晴海のLIVEの頃はまだランドセル背負っておりました。
その後は古い洋楽のR&RやR&Bへといってしまい。
特にクールスは怖いオ二イサン方という先入観から全くのスルー。
大木トオルさんや達郎さんがレコーディングに参加しているなど露知らず。
愚かな私でした。
私のような新しいファンも虜にするクールスの実力は底知れないと思います!
2017/2/20(月) 午前 8:45 [ okappa ] 返信する
> okappaさん
CAROOLSのシリーズは僕が知ってる事を全身全霊をかけて(笑)深く掘り下げるから
気分が乗って時間がある時じゃないと書けないんですよ
だから頻繁には書けないんですが気長にお楽しみください
てか、先日プレインズのブログを日々の楽しみにしているという面識のない
他県の58歳の方から電話をいただいたんですよ
最初何かのクレームかと思ったら賞賛と激励の電話だった
特にクールスや旧車の記事が楽しみだそうでテーマのリクエストも貰いましたよ 笑
でも、こういった読者の方の存在や声は嬉しいですね
あの時代は何事に対してもアツい人が多かったんじゃないでしょうか
何事もまだ確立される前の時代だったから可能性もあったですからね
今は養成所やスクールなどに入ってマニュアルに沿ってデビューしますから
個性があったり、本当の意味でのスターになる人が出現し難いんじゃないでしょうか
どうしても若い子はテレビに出る人やメディアに踊らされますからね
(続く)
2017/2/20(月) 午後 0:00 [ プレインズ ] 返信する
(続き)
横山剣さんもクールス時代があったから今がある
その事をご本人もよくわかってるから今でもクールスに対して敬意をもってらっしゃる
だから事ある毎に共演もされるし、楽曲提供もされるんだと思います
剣さんのライブに行くと即興でクールスのナンバーを歌ったりされますしね
僕はクールスファン歴40年を過ぎました
クールスに関して好きな事言ったり、時には苦言を述べたりもしますが
それもずっと見て来たからだし本当のファンだからと思うんです
ここまで来たら墓場まででしょうね
2017/2/20(月) 午後 0:00 [ プレインズ ] 返信する
私も電話したいです。でも長電話になるので止めときます。
いつか呉の街にも行ってみたいです。店の前に怪しい女性が立っていたら私です笑
私の息子も70年代の内外のロックが好きで特にキャロルをリスペクトしておりバンドを組んでいるのですが、「誰それ?」扱いで悔しい想いをしているようです。
そういえばニートビーツさんとご一緒させていただ事もあるようです。
今は私がクールスへと誘っております。
私もキャロルは好きでしたが、クールスは何か自分でもよくわからない魅力に取り憑かれています。
楽曲がストライクというだけではなく、彼らのスタイルにも強く惹かれるのかもしれません。
なぜこんなにも永くファンに愛されているのかわかる気がします。
ここ数ヶ月、クールスしか聴いてません笑
ですからプレイズンさんのブログはとても読み応えがあり楽しみでもあるのです!
2017/2/20(月) 午後 1:58 [ okappa ] 返信する
> okappaさん
アハハハ・・・ 店の前に怪しく立ってられたら怖いですよ 笑
まあ、いつか縁があったらお会いしましょう、是非呉にも遊びに来てください
息子さんがお幾つなのかが気になりますが、現在の若者でキャロルを
リスペクトしてるのは珍しいし素晴らしい
チェッカーズはアマチュア時代に久留米でクールスの前座で出てたんですよ
もしかしたら息子さんも・・・笑!
キャロルのメンバーは永ちゃんにしても、ジョニーにしても音楽ありきの人で
貧しい家庭に育った事もありファッションどころじゃなかった
ウッちゃんは大学生のボンボンで、ユーさんは元はハードロック系の人ですしね
対してクールスは基本的にそんなに貧しい人もいなかったんじゃないでしょうか
舘さんも岩城さんも家はお金持ちだったしメンバーの多くは大学生でしたしね
だから音楽ありきで集まったグループではなく、どちらかと言えば気の合う遊び仲間だった
そんな所もグループの個性に出てるんじゃないでしょうか
今週もクールス関連の記事を用意してますから、乞うご期待下さい!
2017/2/20(月) 午後 9:19 [ プレインズ ] 返信する
こんな、遊び場があったとは・・・(笑)!?
当時は、ヒロシが抜けてもあまり深く思わなけっど、やっぱり違うって直ぐ感じた、重厚感、ブラック当違う感慨が・・・
抜けてから、私の感度下がりっぱなしで、興味が薄れて行って」しまった・・
確か1985/11/11 事務所前にいたら、メンバーとお茶に行き、可愛いぶって、「ホットミルク」をお願いした、ムラがお砂糖を・・・
その後、彼らの話題は、ず~~~~~~っと「T氏」の・・・
本当にビックリしました・・・
血の結束と思っていたのにね・・・
またよろしくお願いします。
2017/3/14(火) 午後 8:15 [ fufufu ] 返信する
> fufufuさん
そうですよ、こんな遊び場もあるんですよ 笑
僕が1977年にリアルタイムでクールスを聞き始めた時には既に舘さんが
脱退した後だったので、厳密に言うと僕は初期のクールスをリアルでは聴いてないのですが
後追いで初期のクールスを聞いてRCの音楽と比べるとずいぶん雰囲気が違うと感じました
やはり個人的には舘さんがリーダーだった時代のクールスが好きですし
クールスらしいと思いますね
1985年と言ったらたぶんクールスも低迷期に入っていた頃ですね
横山剣さんも脱退された後であまり活動していなかった頃だと思います
当時舘さんは石原プロに入って俳優として大人気の頃ですよね
前年の1984年には「泣かないで」も大ヒットしましたしね
続く
2017/3/14(火) 午後 8:59 [ プレインズ ] 返信する
続き
クールスの低迷と、舘さんの大人気でムラさんには妬みやヤキモチもあったのかも・・・
僕は舘さんはムラさんと一番合わなかったんじゃないかと思っています
バイクチーム30周年の時に舘さん始めメンバーがクロコダイルに集まった時に
ムラさんだけ来なかったのも二人が尾を引いているんじゃないかと思うんですがね
ピッピさんもブログでムラさんの事を非難してるような言い回しをしてますし・・・
ムラさんはルックスも良いし、自己主張も強そうだからもっと目立ちたかったのかも
だから舘さんが目の上のタンコブだったのかも知れませんね
血を分けた親兄弟でも揉める時には揉めるんです
いくら血判状と言っても所詮は若気の至りですから利害が出れば揉める事もありますよ 笑
2017/3/14(火) 午後 9:02 [ プレインズ ] 返信する
ごめんなさい、1975/11/11 の間違いです・・・
2017/3/15(水) 午後 5:34 [ fufufu ] 返信する
> fufufuさん
1975年11月と言ったらクールスがレコードデビューして
まだ2ケ月しか経ってないじゃないですか
その頃から、そんな感じだったんなら遅かれ早かれだったんでしょうね~
2017/3/15(水) 午後 6:20 [ プレインズ ] 返信する