僕の場合は、本当になんと恵まれていたことだろうかと思うが、自称無職上等で不定形発達当事者な妻が、高次脳となった僕を「あたしと同じ感じになった」(高次脳機能障害と不定形発達=発達障害は酷似する)と本能的に察知。
パニックになったら背中を撫でるだとか、外出先でパニックを起こして歩けなくなったらすかさず手を握って導くとか、妻自身がかつて「して欲しかったと思う支援」を僕にもしてくれることで、劇的に苦しさを緩和してもらうことができた。
少々恥ずかしいけれど、今も僕は心が塞ぐ日に妻の膝枕を借りることがある。高次脳の療養を経て、それが最も気持ちを楽にする方法だと知ったからだし、同じように妻の気持ちが塞いでいるのを感じた時には、忙しくとも積極的にその頭を膝に抱いてやるようにしている。
日々そんな距離感だから、周囲からは「あんたらは近すぎて見てると恥ずかしい」とか「猫とか犬の兄弟みたい」と言われることもあるが、気恥ずかしくともこれが脳が壊れた人間が苦しさを感じずに生きるひとつの正解なのだと理解している。
僕らのような小市民とトップアーティストのふたりを比較するのもおこがましいけれど、今回会見で小室さんが見せたあの疲弊ぶりは、支援する家族にもまた支援が必要なのだということを痛感させるものだったと思う。
痛切な表情で、「先は見えない」「もうここまでだなと思っていたところ」と語った小室さん。だが、KEIKOさんにとって今も最も信じ頼ることができるのが小室さんならば、ここから改めて夫婦生活をスタートしてほしいと願う。そして、周囲の関係者の方々は、今こそそのふたりを支えてほしいと、そう祈ってならない。
しまった。担当編集さんより拙著『されど愛しきお妻様』のスピンオフ記事を書いてほしいと言われたのに、全然スピンオフになってない記事を書いてしまったじゃないか。
鈴木大介さんの「大人の発達障害」の妻との記録を綴った『42歳「脳が壊れた」ルポライターのその後〜私が障害を受容するまで』第一回はこちら http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50288)