私はやはり日本人には”人助け”という概念がないなあと思って調べたらやっぱりそうやな。
私は小さいころから、”人助け”をしようと思ってきて、まあ「耳をすませば」を1995/6/10の宝塚の試写会で観て速攻で感想書いてジブリにFAXしたし(いや感想をFAXされても迷惑やったやろけど、まだ完成披露試写前やったし確実に印象には残ったやろなあ)、他のいろんな作品の感想も必ず書いたし(その延長でいま舞台とか映画とかAKBの公演とかなんでもかんでも感想書いとるんやし)、とにかく感想を書いてきた。
それで、感想を書いたら、「耳をすませば」で近藤喜文さんからサインをもらったり、1998年に「がんばっていきまっしょい」では田中麗奈のサイン本を送ってもらったり、桝井省志さんから直接会って名刺をもらったり、制作側の方から評価されてきた。
だから、私が感想を書くことは、制作側の方から評価されるのだし、制作側の方から評価されることを想定して、制作する人々に対してどういうことを伝えればいいのか?を考えながら書いてきた。
ソウルでLUNAを見つけて、コイツは絶対に女優になる器だと思ったり、まあそれはダメだったけど、岩田華怜にしろ田野優花にしろ、絶対に女優になる器と思って応援してきたのもある。
それは全部”人助け”やねん。
日本の人々は”人助け”がない。
いやもちろん、たとえば事故が起こったり発作が起こったりで、その人を助ける、というのはあるけど、とりわけイジメに遭っている人を助けるという発想がない。
”いじめ防止対策推進法”
https://ja.wikipedia.org/wiki/いじめ防止対策推進法
なんてのがあるけど、罰則規定ないし、学校よりも陰湿な会社のいじめはゼンゼン問題にしてない。
・・・てかそうすると、こんな法律を作ったって、ウラを返したら会社とか社会のいじめはどんどんやってこうと言うとるようにしか私には見えん。
まあそれで、なぜこんなに日本人は”人助け”をしないのだ、と思って検索したら、こんなのに当たった。
2015年11月02日 08:29世界で最も他人に冷たい先進国、日本
http://blogos.com/article/142286/
それで、2017年の統計を見たら、やはりヒトのブログだけれどもあった。
世界寄付指数ランキング2017年が発表されました
Posted on 2017年11月27日 by ほのぼのスタイル / 0件のコメント
http://xn--u9ja1bf5rretb2z.com/2017/11/27/kifu2017/
まあ私は寄付するのは、寄付した相手がどう使うかが不透明だから、寄付はするなと言っているけれども、海外と比較しても日本は陰湿なのかもしれない。
人助けの発想がないからこそ、寄付も素直に人助けに使われていないんじゃないか?と勘ぐってしまう。
別に寄付とかボランティアとか、誰かがカタチにしたものに賛同なんてしなくていい。
友達の様子がなんかいつもと変だ、と思ったときに、「いつもと違って気になるけど、なんかあったの?」と一言言ってあげられるか、ただそれだけで、その人は救われるかもしれない。
もちろん、映画とか舞台とかの感想を書くのだって人助けやし。
とりわけ舞台の感想をリアルタイムで書く人はあまりいないから、ものすごく貴重なはずや。
私も、文章にし直して、ツイッターででも定期的にお悩み相談するかなあ?
そういうのを主張するのはアリやんなあ。
自分の闘いに賛同しろ!というんじゃなくて、相手に寄り添うのが本筋やと思う。
だいたい政治家なんて相手に寄り添うのが本筋やん。
斎藤いくまほか中核派の政治家候補は「自分の闘いに賛同しろ!」なんて言うとるから、万年最下位なんや、という理屈くらいワカランかなあ。
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