大戸屋創業者の息子が宅配事業を始めるワケ

きっかけは「店舗経験」と「祖母の存在」だった

大戸屋創業者の息子である三森智仁氏が社長を務めるスリーフォレストは、名字の三森から命名した(撮影:田所千代美)
1月25日、スリーフォレストという新興企業が宅配サービス事業への参入を表明した。同社が手掛けるのは、介護を必要とする高齢者が簡単に外食チェーンのメニューを注文し受け取ることができる「ハッピーテーブル」というサービスだ。
この事業の先頭に立つのが、スリーフォレスト社長の三森智仁氏(28)。定食チェーン「大戸屋」の実質創業者、故・三森久実氏の息子である。智仁氏は25日の記者発表会で「2020年に全国で100万人に利用されるネットワークを構築していく」と意気込んだ。
智仁氏は大戸屋ホールディングス(HD)で役員を務めていたが、2016年2月に辞任。その後、同年5月に智仁氏ら創業家と大戸屋HD側との対立が明らかになった。両者は久実氏が2015年7月に病気で急逝した後、創業者功労金の支出や経営方針、人事などを巡って争ってきた。
その後、2017年6月開催の定時株主総会で創業者功労金の支給が決まり、事態は一応の決着をみせた。現在も大戸屋HD株の2割弱を、故・三森久実氏の妻、三枝子氏と智仁氏が保有している。
なぜ今回、新規事業の立ち上げを決断したのか。そして、古巣の大戸屋HDとは今後どのようにかかわっていくのか。智仁氏を直撃した。

ニューヨークでの父との思い出

――大学卒業後、銀行を経て大戸屋に入社されたのはなぜですか。

大学生のときに父(三森久実氏)に「起業してみろよ」と言われた。父も21歳のときに祖父が亡くなって、会社(現在の大戸屋)を継いで、株式会社をつくったという経験をしている。やはり父の中でも経営者、起業家としての経験を私にさせたかったのだろう。けれども、私としては、そのとき、「自分で何をやりたいのか」ということが見つからなかった。

就職活動をして、父と間接的に一緒に仕事ができるような業界、銀行や、食品・飲料メーカーなどを受けた。銀行(三菱UFJ信託銀行)に就職することが決まった後の大学4年の秋、米ニューヨークに父と2人で行ったときに日本食のレストランに入った。そこではごく普通の生姜焼き目当てにニューヨーカーたちが押し寄せていた。店を出て一緒にたばこを吸っているときに「勝てるな」と父はつぶやいた。その姿を見て、本当に格好いいなと思ってしまった。だからそこで、大戸屋に入り、会社を継ぎたいと思い、父にも伝えた。

私にはロサンゼルスで育った異母兄がいるのですが、父は「兄には海外のほうを任せたい。お前は大戸屋ホールディングスのトップを目指してほしい」と言われた。銀行を2年で辞めて大戸屋に就職することにした。

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    正直大戸屋のお坊ちゃんの発案だから取り上げられているのだろう。
    被介護者の食事は受動的だ。
    施設職員がデリバリを職務だとするならば、ある程度の注文は入るだろう。
    しかし、「余計な働き」と捉えられたなら、積極的な利用は進めないのではないか?
    つまり、めんどくせーと思われたら、「今日は仕出しの弁当にしましょうね」と
    半ば強引に決められる。このスキームは危険が一杯だ。続報に注目したい。
    俺が介護施設の職員なら?天気の良い日はいいさ。寒かったり暑かったり、雨ふってたら?時給に上乗せしてくれるなら仕事としてやるかも?息抜きにもなるし?て感じ。
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    2018/1/25 17:18
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