ゴシップ報道ばかりのマスコミなんていらない

rocketnews24.com

不倫を叩いていた文春が叩かれる側になったらしい。

テレビのワイドショーをちらりと観たら、すっかり老害と化してしまった木村太郎が周囲の意見も聞かず的外れなことをのたまい己の衰えをアピールしていた。
ワイドショーも同族を擁護するのか、木村太郎と同じくなにやら世間とは随分方向性が異なる意見をだらだら流しているが、失策を隠しきれない。

介護が必要な家族がいるのに報道するのがわかっていれば、こういう自体も想定して然り。
文春は、よほど自信でもあったのかもしれない。
だが世間では、同情の声の方が圧倒的に強かった。
「驕る平家は久しからず」を地で行く展開。



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マッチポンプ

小室氏も介護で疲れたからか、才能の枯渇か、以前から引退を考えていたところに、文春の不倫報道が背中を押した形。
文春が望んだ「介護が必要な夫人を放置して浮気した最低の小室が泣く泣く会見」というクソみたいな展開にはならなかった。

個人的に、不倫、結婚、熱愛なんて心の底からどうでもいい。
面白い映画や番組、クオリティの高い音楽が聞ければそれでいい。
作り手のプライベートに興味はない。

レストランで美味い飯が食えれば、コックの私生活なんて知らない。
不倫しているコックの作る料理が不味いと?

不倫している役者でも演技が良ければそれでいい。
不倫している歌手でも歌が良ければそれでいい。

芸能マスコミは本来、芸能事務所の宣伝とマッチポンプ。
新しい映画に出る、ドラマが始まる。
本を出す、曲を出す。
すると雑誌や番組で取り上げインタビューを行い表紙を飾る。

だから代わりにタレントのプライバシーを写されても仕方ない。
他のタレントの活躍や宣伝で、事務所とマスコミはウィンウィン。

宣伝という光とゴシップという闇。
だからこそ成立する互助関係、共犯関係。

ところが最近はマスコミのそんな宣伝に力がなくなってしまった。
世間がテレビを観ない、雑誌を買わない。
たいした宣伝にならない。

なのにゴシップだけが切り取られネットで無制限に拡散される。

マッチポンプのバランスが崩れ、マスコミのゴシップだけがネットのエゴによってグロテスクに肥大する。
ベッキーの不倫騒動を見てもわかるように、ゴシップは芸能事務所や関連企業に大ダメージを与え、芸能界とマスコミの互助関係を完全に無に帰した。
芸能ゴシップに正義なんてどこにもない。

殺人生中継

滝田洋二郎監督、内田裕也主演の映画「コミック雑誌なんかいらない」は、80年代の加熱したゴシップ報道をカリカチュアライズした名作。
いくつもの実際にあった事件がモティーフになっているが中でもマスコミの目の前で白昼堂々行われた豊田商事会長刺殺事件はそんな報道の闇の最たるものだろう。

高齢者を中心に金塊の現物を見せ、金を騙し取り被害額2000億円と言われる巨額悪徳商法を行った豊田商事。
その豊田商事会長、永田氏が逮捕されると情報が流れマスコミが会長のマンションを取り囲む中、被害者の依頼を受けた自称右翼の男ら(映画ではビートたけしが演じている)が無理やり部屋に踏み込み、永田会長を刺殺。
生中継で、殺人事件が報道された。

映画が描いた80年代芸能マスコミによる加熱しすぎた報道合戦と狂騒は、当時のトップを走ったフライデーやフォーカスの廃刊で幕を閉じることになる。
映画で豊田商事会長を刺殺しマスコミにポーズを決めた犯人役を演じたビートたけしがフライデーを襲撃したのが、そのきっかけになったというのも今となっては実に皮肉に思える。

勝者と敗者

今やワイドショーも週刊誌もゴシップなしでは成立しない。
パンダの赤ちゃんがあーだこーだ、どこかで人が死んだ、トラックが突っ込んだ、不倫だ、浮気だ、熱愛だと取り上げ、スタジオのタレントは愚にもつかないコメントをして番組が成立する。

だが芸能マスコミと芸能事務所の互助関係のバランスが崩れて仕舞えば、芸能事務所からしてもダメージしかない。
それが看板タレントであればクリティカル。

もはや両者の関係は。狩るものと狩られるもの。
マスコミがやり過ぎれば業界から干されるのも定番。

有田と週刊プロレスと シーズン 2
Posted with Amakuri at 2018.1.25
上田暁子, 島田勇夫, 久保浩章

かつてターザン山本が編集長だった週プロはやりすぎプロレス団体から出禁を食らい、やがてターザンは週プロを追われた。
(「有田と週刊プロレスと」第二シーズン 25. No.025 「さらば週プロ」!?ターザン山本編集長、『週刊プロレス』を去る! を参照)

文春は己の報道姿勢が「正しい」と自信満々に砲撃してきたが、いつの間にか風向きが変わったことに気づいたとしても今さら方向修正はできない。
週刊プロレスはターザン後藤を生贄にして難を逃れた。
文春はこれからどうしていくか。
飽きっぽい世間は、文春に対しての怒りなんて放置しておけば忘れるかもしれないが。

潮目の変化

「フォトジャーナリスト」の肩書きをこの時期から堂々とつけていた吉田は、後にダイアナ妃死亡事故で一般に知られるようになった「パパラッチ」(スキャンダリズム専門のカメラ無宿たち)もすでに引き合いに出して、しかしそういうパパラッチたちの撮る写真は「離婚の証拠写真として使われたり、ゆすりたかりのネタとして悪用こそされ、正統なジャーナリズムの場には決して登場しない類いのもの」とまで言っている。
そう、同じ写真でもスキャンダリズム全開、プライバシーなんざクソ喰らえで撮ったものとは違うのよ、「報道」なんだからメディアのクオリティがあるべきなのよ、というわけだ。
<strong> 『フォーカス』の終焉</strong> - king-biscuit WORKS

本来のジャーナリズムとしての使命を置き去りに、ウケのいい安易なゴシップに走り、「文春砲」を名乗り一般のニーズという錦の御旗に応じてタレントの不倫ばかりを追った結果、文春もまた自覚のないままかつてのフライデーのようにゲスなスキャンダルメディアに堕ちた。

テレビも新聞、雑誌、ネットニュースも人気(アクセス、発行部数)集めと、偏向報道ばかり。
どれもこれも薄っぺらい三流ゴシップと企業や政府のプロパガンダに成り果てた。

SMAPが解散し、安室奈美恵が引退し、小室哲哉が引退する昭和という時代の終わり。
勢い余った文春もそんな昭和の終わりの中、これからの時代に向けての報道メディアとしての姿勢が問われている。
そんな文春を他人事で見ている他のメディアもまた当事者という自覚はあるんだか。
かつてフライデーやフォーカスが廃刊した歴史を繰り返すのはどこか。

有意なジャーナリズムと有害なゴシップがいつから同意になったのか理解に苦しむ。
今のマスコミが、現代に本当に必要なんだろうか?
マスコミもどきのネットニュースはもちろんとして。