まとめた
~江戸時代 将棋の歴史に女性が登場~
現存する最古の将棋の棋譜は、皆さんご存知の通り1607年(慶長十二年)の初代大橋宗桂と本因坊算砂の一戦。では女性が指した最古の棋譜は知っていますか。
将棋の文献に初めて登場した女性は江戸時代後期の大橋浪女(おおはし・なみ)。
棋力は二段と伝えられている。大橋家と関わりがあったのかなどの詳細は不明。
1809年(文化六年)の福島順喜との飛車落ちの対局の棋譜が残っている。
ぜひ盤に並べてみてほしい。これは個人の感想だが、結構強いのでびっくりした。
手合割:飛車落ち
下手:大橋浪女
上手:福島順喜
△3四歩 ▲7六歩 △4四歩 ▲4六歩 △3二金
▲4八銀△4二銀 ▲4七銀 △4三銀 ▲5六銀 △5四歩 ▲4八飛
△3三桂 ▲3六歩 △5二金 ▲6八玉 △6一玉
▲5八金右△7二玉 ▲7八銀 △6二銀 ▲9六歩 △9四歩
▲3七桂△5三銀 ▲8六歩 △6四歩 ▲8七銀 △7四歩
▲7八玉△6三金 ▲6八金上 △1四歩 ▲1六歩 △8四歩 ▲2六歩△7三桂 ▲4九飛 △6五歩 ▲4五歩 △同 歩▲同 桂△同 桂 ▲2二角成 △同 金 ▲4四歩 △同銀直 ▲4五銀△同 銀 ▲同 飛 △4四歩 ▲4九飛
△5五角 ▲7七角△3七角成 ▲4四飛 △同 銀 ▲同 角 △4九飛 ▲4八歩
△3二金 ▲5二銀 △6四馬 ▲5六桂 △5三馬
▲6一銀打△6二玉 ▲6三銀成 △同 玉 ▲6四金 △同 馬 ▲同 桂
△5三銀 ▲1一角成 △7九金 ▲7七玉 △6四玉 ▲5九香△4六桂
▲8八玉 △5八桂成 ▲同 金 △4四歩 ▲7九玉
△4六桂 ▲5六桂 △5五玉 ▲4四桂 △5八桂成
▲5六金△6四玉 ▲3二桂成 △5九飛成 ▲8八玉 △6八成桂
▲5五金打△6三玉 ▲8一角 △6二玉 ▲7二角成 △5一玉 ▲3三馬
まで102手で下手の勝ち
次に、幕末の書『将棋営中日記』で池田菊女という女性が登場する。
1840年(天保十一年)、山王無量院で催された将棋会に出席して、七段大橋宗桂(飛車落)と松波瓢斎(角落)との席上手合せを披露した。
また1838年に指された平手の棋譜が一局残っている。最後の家元制名人、八代伊藤宗印(当時12歳?)相手に相矢倉の熱戦を制している。
池田菊女は明治の世まで生き、1870年(明治三年)の将棋番付に、「四段」として名を連ねた(女性として最高段位)。
大橋浪女、池田菊女のほかにも女性の名は挙がっている。
天保十年に大橋柳雪が発行した『将棊見立相撲』には、八丁堀はる女、本郷まさ女、水野こう女、大島き代女の四人の名があった。
しかし、明治~大正~昭和初期にかけて将棋を指す女性はほぼいなくなる。
~女性の系譜が途絶えた明治から昭和初期~
まず明治時代というのは将棋界にとって受難期であった。
明治維新で江戸幕府が崩壊し、家元制度が消滅した後は、安定収入のある専業の将棋指しはほぼ皆無となった。将棋指しの多くは稽古料では食えず、賭け将棋あるいは生業を別に持ちながら、将棋の復興に向けて苦闘を続けた。
いくつかの将棋指しの団体も作られ、専門紙の発行による新聞棋戦も試みられたがなかなかうまく行かなかった。
賭け将棋がよく指されたことも、女性から敬遠された一因だと考えられる。将棋人気は衰退し将棋指しの世間での評価は地に堕ちた。
明治末に新聞に将棋が掲載されたことが人気が再沸騰する要因となった。
1947年(昭和22年)に関根金次郎らの尽力で「日本将棋連盟」が結成。
統一的な将棋指しの団体が結成されることによって、新聞紙上に実戦対局棋譜を掲載することによって賞金による安定的な収入が得られるようになってゆき、将棋を専業とすることが可能になった。
これが大正~昭和初期。
~女流草創期・女流プロの誕生~
1961年(昭和36年)蛸島彰子が女性として初めて奨励会入会(初段で退会)。
※奨励会では「指し分けで昇級」という特別ルールが適用。のちに奨励会に所属した他の女性とは条件が異なる。
『将棋世界』『近代将棋』では、女性が著名将棋ファンとの対局する企画が行われ、女性を対象とした大会、教室が増えるに従い女流棋士創設の機運が高まる。
1974年、報知新聞からプロ野球のオフシーズンの女流棋戦の開催を打診され、開催にこぎつけるまで2か月で話は進み、女流棋士は連盟が候補を挙げ打診するという方向で行われた。
蛸島ら6人の女流棋士が誕生した。
1978年に女流王将が創設されてからは2タイトル時代に。
蛸島と山下がタイトルを分け合う二強時代であった。
1961年 蛸島彰子が高柳敏夫門下で奨励会7級入会(当時15歳)。
1962年 連盟が「女性教室」を開設。1期生に寺下紀子、多田佳子、村山幸子。
1965年 全国高校将棋選手権が創設。個人、団体共に女子の部が創られた。
1966年 蛸島が奨励会を初段で退会(当時20歳・結婚が契機になった)。
1968年 女流名人戦(女流棋士会発足後「女流アマ名人戦」に改称)が始まる。
第1回優勝は関根紀代子(旧姓吉田。同年に関根茂八段と結婚)。
1972年 連盟の教室に通っていた山下カズ子は講師の松下八段からレッスンプロを勧められ、1級に認定される。
1974年 連盟と報知新聞社の間で女流棋戦創設の交渉が始まり、両者の合意によって女流プロ名人位戦が創設されて蛸島、関根、山下、多田、寺下、村山の6人が女流棋士に認定される。(蛸島は三段、関根、多田が二段、山下、寺下、村山が初段でスタートした)
1974年 将棋会館において第1回女流名人位戦が開始。蛸島が初代女流名人位に就く(その後3連覇)。
1977年 山下が蛸島から女流名人を奪取(その後4連覇)。
1978年 第2のタイトル戦、「女流王将戦」が創設。蛸島が初代女流王将に就く。
蛸島初代女流名人誕生を伝える報知新聞(1974年11月27日付)
http://www.hochi.co.jp/topics/garticle.html?id=20171207-OHT1I50108
蛸島彰子名人「この名人位戦が開設される前までは、女性のプロは私ひとりだけだったので下手な負け方だけはしたくないと必死でした。
勝ってほっとしたという気持ちです。これからはプロの仲間が増えたのでみなさんと一生懸命やっていき女流将棋の普及、向上につとめたいと思います」
<蛸島彰子の経歴>
女流プロ第1号蛸島彰子についてもう少し。
蛸島が将棋を始めた小学生の頃はまだ女性が将棋を指すことが一般的ではなかった。そそっかしい性格を見かねた父親が、将棋をやれば落ち着きが出るのではと教えた。
実力を評価した金易二郎の勧めにより、高校一年生で奨励会に入会。2歳で母親を亡くした蛸島に、当時病弱だった父は自分に万が一の事があったとき一人で生き抜く強い精神力が身につくだろうと、強く入会を勧めた。
女流棋士制度誕生まではレッスンプロのような存在で将棋イベントに出演したり、記録係を務めたり。奨励会退会後は実戦からは遠ざかっていた。
初代女流名人、女流棋士会初代会長、女流育成会幹事、女子プロ将棋協会特別相談役という経歴と実績を持つ彼女は、その後の女流棋士に多大な影響を及ぼした。
NHK杯テレビ将棋トーナメントの棋譜読み上げを務めていたことを覚えている人もいるかもしれない。
蛸島さんがいなかったら今の女流棋界はない
~林葉・清水・中井の三人の天才少女~
1980年代から1990年代前半にかけて林葉直子、中井広恵、清水市代の三人は女流棋界を席巻し「女流三強」と呼ばれた。当時のタイトル戦のカードはほぼ三強同士の対戦であり、1982年度から1993年度まで三強で全てのタイトルを独占。
林葉と中原誠十六世名人の世間を騒がせたスキャンダルについて詳しくは述べない。
1980年 当時中学生の林葉直子が女流2級として入会
1981年 林葉は女流王将を奪取(14歳、史上最年少)。中学生タイトルホルダーとして話題を呼び、女流棋士の認知度を大いに高めた。
(その後、林葉は女流王将を10連覇。未だに破られていない同一女流タイトル連覇記録)
1981年 棋士(いわゆる男性棋士)の公式戦に参加が認められ、第12期新人王戦で蛸島が飯野健二、山下が高橋道雄と対局、2人とも敗れた。
1982年 林葉が蛸島から女流名人を奪取し女流二冠を独占。
1983年 育成組織として「女流育成会」が発足。
(発足以前はアマチュア棋戦での成績と棋士の推薦で女流棋士になることができた)
1985年 中井広恵が史上二番目の若さ(16歳6か月)で女流名人を獲得。
1985年 清水市代が育成会を卒業した女流棋士第1号となる。
1987年 清水が女流名人を獲得。
1987年 公式棋戦「レディースオープントーナメント」(2007年に、タイトル戦「マイナビ女子オープン」へ発展移行)が創設。
1989年 女流棋士発足15周年パーティが開催されたのを契機に、「女流棋士会」が発足。
1990年 第3のタイトル戦「女流王位戦」が創設。中井広恵が初代女流王位に就く。
1991年 当時非公式戦であった銀河戦で林葉が男性棋士から白星を挙げる。
1993年 タイトル戦「大山名人杯倉敷藤花戦」が誕生。林葉が初代倉敷藤花に就く。2007年度まで4タイトル時代が続く。
1993年 中井がプロ公式戦で男性棋士に初勝利。(竜王戦、対池田修一)。35戦目。
1994年 5月 当時倉敷藤花のタイトルを保持していた林葉が休養願いを提出。
連続で対局を不戦敗し、失踪報道。連盟から出場停止と損害金の支払いなどの処分を受けた。
1994年 斎田晴子が女流王将を獲得。
1995年 8月 林葉は将棋連盟を追われる様に退会。
~二強と若手の台頭~
1995年に林葉直子が退会してからは中井、清水は「女流二強」として若手女流棋士に立ちはだかる(1993年の女流名人位戦から2007年の倉敷藤花戦までの全てのタイトル戦に、中井か清水のいずれかか両方が登場している)。
清水、中井と同世代の斎田や、「55年組」や「(若手)三羽ガラス」と呼ばれた昭和55年生まれの矢内、千葉、石橋が二強を追いかける形に。
1996年 第18期女流王将戦第1局が女流棋戦初めての海外開催(清水-中井、アトランタ)。
1996年 清水が女流四冠を独占。
1996年 公式棋戦「鹿島杯女流将棋トーナメント」(2006年で終了)が創設。
1997年 矢内理絵子が女流王位を獲得。
1998年 清水が再び女流四冠を独占。
1998年 女流棋士総則が改正され、「女流棋士が新たに奨励会に籍をおく場合は女流棋士を休場しなければならない」という規定ができる。(甲斐智美が初の適用者となり休会)
1999年 石橋幸緒が師匠の清水から女流王将を奪取。
2002年 中井、自身初の三冠(女流名人・女流王将・倉敷藤花)に。
2002年 奨励会を2級以上で退会した女性に女流棋士になる権利を得る規定ができる。
2004年 岩根忍が奨励会1級で退会し女流棋士に(初の規定適用者)。
2004年 清水、中井が百番指しを達成(女流棋士で唯一)
2005年 千葉涼子が女流王将を獲得。
2005年 瀬川晶司のプロ試験で中井が女性唯一の試験官に選ばれ、第4局で対局(負け)。
2006年 千葉、清水、斎田、矢内の4人で4タイトルを分け合う。
清水市代は女流棋界のレジェンドの一人
~女流棋界分裂・独立/出雲のイナズマの登場~
女流棋士は対局料などの面で棋士と格差があること、棋戦を自ら運営できないこと、連盟の意思決定に参画できないこと、などの点で待遇改善を求める声があった。女流棋界の分裂騒動も長くなるので簡潔に。
2010年 清水が18年7か月ぶりに無冠となる。そして女流棋界に新たなニューヒロインが誕生。
2006年11月 女流棋士会が日本将棋連盟から独立する動きが報じられる。
2006年12月 日本将棋連盟女流棋士会の臨時総会で、新法人設立の準備委員会設置を賛成多数で承認。
2007年 レディースオープントーナメントで里見香奈が決勝進出し、史上最年少優勝記録を達成する可能性があったため大きな注目を集めた(結果は矢内が優勝)。
2007年2月 女流棋士新法人設立準備委員会が新法人当初運営資金の寄付金募集を開始。連盟は独立する女流棋士の連盟主催棋戦への参加を認めない可能性を示唆する理事会の見解文書を女流棋士に送付。
2007年4月 日本将棋連盟による経緯説明の記者会見。56名(引退女流棋士含む)中39名が残留を表明し、女流棋士会は分裂することとなった。
2007年5月 連盟への残留を希望しない女流棋士17名によって、有限責任中間法人「日本女子プロ将棋協会(LPSA)」が設立された(2013年現在は公益社団法人)。
2007年6月 LPSA所属の女流棋士が日本将棋連盟へ移籍届を提出し、女流棋士会からも退会
2007年 公式棋戦「大和証券杯ネット将棋・女流最強戦」(2013年に休止)創設。
2008年 10月に同年度(30期)限りでの女流王将戦の休止が決まったが、2009年7月に再開が決定し、2009年度女流王将戦(31期)が実施され、女流タイトル戦の減少が回避された。
2008年 矢内が自身初の二冠(女王・女流名人)に。
2008年 里見が史上3番目の若さ(16歳8か月)で倉敷藤花を獲得。
2009年 「女流育成会」廃止。その役割は男女混合の「研修会」へ移行。C1クラスへ昇級すると女流棋士仮会員(女流3級)になる資格(権利)を得る。室谷由紀が初のケースとなる。
2009年 日本将棋連盟が、棋士・女流棋士の両方を含む新たな棋士会を創設したのに伴い女流棋士会は連盟棋士会の中の組織とされ、女流棋士会の役員会は発展的に解消された。
2010年 女流棋士会ファンクラブ「駒桜」を創設(2015年に発展的解消)。
2010年 清水が激指、GPS将棋、Bonanza、YSSによる多数決合議で指し手決定を行うコンピュータ将棋システム「あから2010」と対戦し敗北した。
2010年 日本将棋連盟臨時総会で、「女流四段以上またはタイトル経験者」である女流棋士を正会員とすることが決議された。同日時点での該当者、甲斐、里見、清水、関根、長沢千和子、斎田、矢内、千葉、谷川治恵の9名が正会員となることが決まった。
※LPSA所属およびフリーの女流棋士は日本将棋連盟を退会しているため対象外。
2011年 上田初美が女王を獲得。
2011年 タイトル戦「女流王座戦」が創設。タイトル戦は6に。
~女性奨励会員の活躍~
里見香奈が奨励会に入会し、長年女性が突破できなかった奨励会1級の壁を破る。奨励会員が女流棋戦にエントリーが可能になり、加藤奨励会員が活躍。
昔は正会員ってのは奨励会の棋士だけで、正会員は連盟を運営する理事の選挙権や被選挙権がある それが改正されて、女流のタイトルホルダーもしくは女流4段以上の女流棋士の人も正会員になれるようになった
2011年 里見が、奨励会の1級編入試験を受験し合格。女流棋士と奨励会の掛け持ちが解禁されることとなった。
2011年 日本将棋連盟が『奨励会と女流棋士の重籍に関する件』を発表し「女性の奨励会員が女流棋戦にエントリーし、出場することは自由である」とした。
2011年 奨励会員の加藤桃子が初代女流王座に就き、女流棋士の資格を持たない女性が女流タイトルを獲得した初の事例となった。
2012年 里見が(現行制度で)女性初の奨励会初段昇段。
2012年7月 LPSAが独自規定に基づき渡部愛を女流3級と認定。しかし連盟には認められず、連盟主催の女流棋戦に出場出来ない状態が続いた。
2013年 里見が女性初の奨励会三段昇段。
2013年1月 マイナビ女子オープンの契約問題及び、渡部のプロ認定問題を巡り、代表理事である石橋が第6期マイナビ女子オープン準決勝里見戦をボイコット。
2013年7月 連盟が特例で渡部を女流3級として認定。連盟主催の女流棋戦に出場出来ることになった。
2013年 里見が史上初の五冠
2013年 香川愛生が女流王将獲得。
2013年 アマチュアから女流3級を経て女流棋士となる制度ができる。
(アマチュア出場枠のある公式棋戦で本戦ベスト8に進出した場合に、研修会・奨励会を経ずに女流3級になる資格を得られる)
2014年1月 中井がLPSAに退会届を提出し、協会側が受理した。
2014年1月 石橋が引退し、LPSA代表理事任期満了をもって退会することが発表された。
2014年 里見が体調不良により約10か月間の休場(3月~2015年1月復帰)
2014年 加藤が自身初の二冠(女王・女流王座)に。
2014年 西山朋佳が女性2人目の奨励会初段に昇段。
2014年 加藤が女性3人目の奨励会初段に昇段。
2015年 来日して研修会に入会していたポーランド人のカロリー ナ・ステチェンスカが女流3級の資格を得る。
2015年 公式棋戦「女子将棋YAMADAチャレンジ杯」創設。
2015年 里見が奨励会復帰。女性初の三段リーグ参加。
2015年 西山が20歳5ヶ月で奨励会三段に昇段。女性としては最年少の昇段記録。
2017年 カロリーナ・ステチェンスカが女流2級に昇級して正規の女流棋士資格を獲得し、棋士・女流棋士を通じて将棋界初の日本国籍を有さないプロとなった。
小さい頃から中井広恵さんは強かったです。
小学6年生のときに小学生名人戦で準優勝しました。その時の3位に佐藤康光九段。当時5年生の羽生二冠は準決勝までに敗退し、翌年に優勝しています。
ちなみに女子で小学生名人戦でベスト4に入ったのは中井さんの他は伊藤女流二段と中奨励会員の二人だけです。
以上女流棋士の江戸時代~2017年の簡単な歴史
女性の棋士は今まで一人もいない
「女流棋士」は現在の制度だと研修会C1
「棋士」になるには奨励会を抜けて「四段」にならないといけない。
※研修会C2~A=奨励会6級(一番下)相当
現在、奨励会には6名の女性が在籍しているが、史上初の棋士は誕生するか?
(奨励会は男女含めて160人以上在籍している)
全員女流棋士です
棋士の一歩手前の三段リーグには女性が2人
里見さんは25歳で年齢制限ピンチ
西山さんは22歳
ちなみに意外と知られていないが、2006年に制度化された「フリークラス編入試験」は女流棋士も対象である。とは言っても、女流棋戦で無双して女流枠で公式戦に出場し、10勝以上、かつ勝率6割5分以上の成績をあげるのは相当にハードルが高い。
<女流タイトル戦の特徴など>
永世称号獲得者は2017年現在。永世称号獲得条件は以下の通り。
永世女王:連続5期または通算7期
クイーン名人、クイーン王将、クイーン王位、クイーン倉敷藤花、クイーン王座:通算5期
・女流名人戦
正式名称:岡田美術館杯女流名人戦
方式:予選、女流名人リーグ、決勝五番勝負
報知新聞社が主催・ユニバーサルエンターテインメントが特別協賛。
クィーン名人:中井広恵、清水市代、里見香奈の3名(クィーン名人獲得順)
・女流王将戦
正式名称:霧島酒造杯女流王将戦
株式会社 囲碁将棋チャンネルが主催、霧島酒造が協賛。
方式:予選・本戦(16名)はトーナメント戦、決勝三番勝負
本戦・三番勝負が、囲碁・将棋チャンネルで放送される、棋士・女流棋士のタイトル戦では唯一の「テレビ棋戦」
クィーン王将:清水市代、里見香奈の2名。10連覇の記録を残した林葉直子は1985年にクイーン王将となったが、1995年に連盟を退会したため称号を名乗る資格を失っている。
・女流王位戦
新聞三社連合、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)が主催
方式:予選、挑戦者決定リーグ、紅白各組の優勝者同士の挑戦者決定戦、決勝五番勝負
クィーン王位:清水市代のみ※>>2017現在
・倉敷藤花戦
正式名称:大山名人杯倉敷藤花戦
倉敷市・倉敷市文化振興財団・山陽新聞社が主催
方式:トーナメント、決勝三番勝負
クィーン倉敷藤花:清水市代と里見香奈の2名。
・マイナビ女子オープン
番勝負:五番勝負
マイナビ(旧・毎日コミュニケーションズ)、日本将棋連盟が主催
優勝賞金:女流棋戦では女流王座戦と並ぶ最高額の500万円。
方式:予選・本戦(16名)はトーナメント戦,決勝五番勝負
第4期よりプロアマ混合の予備予選「チャレンジマッチ」が設けられ、より多くの女性アマチュア選手に門戸が開かれた。
永世女王:称号獲得者なし
・リコー杯女流王座戦
リコーが主催・日本経済新聞社が特別協力
優勝賞金:女流棋戦ではマイナビと並ぶ最高額の500万円、準優勝賞金は150万円。
方式:一次予選、二次予選、本戦トーナメント(16名)、決勝五番勝負
クイーン王座:称号獲得者なし
フィクションの世界だと女性の棋士がよく描かれていたりする
1978年『5五の龍』虎斑桂が奨励会入会(林葉直子が奨励会に入る一年前)
1996年(茉奈佳奈で話題になった)朝ドラ『ふたりっ子』で岩崎宏美演じる野田香子が奨励会を抜けて棋士になりタイトルを獲得
あとぱっと思いつくのは
『しおんの王』主人公は女流棋士
『3月のライオン』主人公の義姉が奨励会に入会していた
『将棋めし』主人公は女性の棋士(奨励会卒業)
『りゅうおうのおしごと』主人公の姉弟子が奨励会二段
≪ 【竜王戦】木下浩一七段が斎藤明日斗四段に勝利 デビュー後の連勝は3でストップ | HOME | ワイ将棋初心者、とりあえず早めに投了することで上級者感を出す ≫
蛸島さんすごいね
2歳でお母さん亡くされてたってのも驚き
競技人口の差とは言われるけど、個人レベルでは同じくらいの棋力だし男性と一緒に指してれば女性のプロ棋士が出てもおかしくないと思うんだけど
女性のが早熟で、その時点で同レベルくらいだと棋力の伸びが頭打ちになるんかね?
かえすがえすもLPSAの石橋暴走事件がなかったら、LPSAの発展的解消で連盟に吸収されて、何もなかったようにできたのにな。
男なら風呂にも入らず3日徹夜もアリだが女性ではなかなか難しい
また体力=集中力の持続力、という気もするし
そういう面でも女性は不利
開拓者の方々には頭が下がるね
矢内時代に殆どサービスせずに年会費だけ取っていたら会員が伸びなかった
バースデーカードとほぼ竹部、久津、石高、野田澤、室田、山口のブログで年5,000円は高いよ
矢内会長自身が駒桜のブログに殆ど投稿せずにツイッターばかりやっていて呆れた記憶がある
解消時点で竹部や久津は5~600件記事を書いていたが、矢内は10件未満で最後の2年は0件だった筈
たった10ヶ月だったのか
その点、矢内よ
確かに出産・育児が大変なことであるのは当然わかるが、
お前、いったい何年休んでいるんだ?
その下地を作ったのは、ニコ生公式将棋だと思っている。
特に、そのニコ生に初めて出演した女の竹部の功績は認めてあげたい
また、その初期主要メンバーとして、藤田綾さん、安食総子さん、貞升南さんの
三名の功績も非常に大きいと思う。
男の棋士以上に将棋の普及に貢献したと断言する。
女流棋士の仕事が「対局」と「普及」の二本柱だとするのであれば、
彼女たち四名も日本将棋連盟の正会員にすべきだと考える。
そして、これからも「普及」に対する貢献の大きい女流への
流れも作っておくべきだ。
いろいろかき乱された事実ってのはあるよな
今一度、蛸島さんの提案どおり
LPと連盟で
なにか大きな話し合いくらいは必要じゃない?
その結果のマイナビ事件だし
最近は、しのちゃんもがんばっている
あとは、西日本地方でのイベント女王いおたん
政治事務処理面では、村田さんや野ださわさんや明日香さん
LPSA運営者もそう
結局は全員を正会員にしないと、やっぱりなんかおかしいわ
三段リーグでプロ入りを争えるまでになったし女流のような男性差別的な制度は男女平等に
反するので無くすべきだね。
体格差があるスポーツは別として、基本的に今は男女関係無く競わせる時代。
だって、強いソフトが一杯あるのだから
人間と言う括りがあるだろ。
ソフトは関係ない。
格闘技でも熊とやってるか?
いい加減に、将棋村の政治も『脱米長』でいかないとさ
米長路線を貫いた谷川の政治はどうだったかと
将棋連盟の理事は、すべてAIだ
ならないよ
人間が指すプロ将棋がいらないと言うのかね
女流いらない論はそれと全く別。女性棋士に門戸は昔から開かれているのだから。
個人的には女流は将棋界のために必要だと思うが、あんたの議論は意味不明だ
これが、すべてを表しているね
人材なんてしょせんは使い捨て
そして、おのれも使い捨てられる
そういうことだろうね
本当の平等を確保するには相当な努力が要る
それにどれだけ気付くかは、その人がどれだけ社会を客観視できているかによる
どっかの請け売りで「男女平等競争」をいってもしょうがないですね
43. 安食総子
44. 大庭美夏
45. 藤田綾
46. 上川香織
47. 野田澤彩乃
48. 山田朱美
49. 北尾まどか
このあたりのレベルひどすぎると思うけど女流棋士って順番待ちでなれるんだっけ?
女流はアマ5段くらいらしいけどこのあたりアマ3段くらいしかなさそうに見える
先輩方が創られてきたモノを、いっちょ出の調布の女が、ひったくっていくなよ
くそしょぼい軽いノリでさ
LPが蛸島さんの発言をスルーするのはな
LP(中倉会長)から統一についてコメント出せよ
それで連盟が反応しなければ連盟が悪になるから好条件で統一できる可能性もちょっとだけ上がるのに
将棋じゃあなかなか食べていくのも難しくて
一般会社で働いていたりしていたそうな
苦労人だ
それに比べて、今の若手は楽ちんなことだなあ
もちろん、今のほうが健全な体制ではあるんだけど
だからこそ、その代わりやっぱり
聞き手しても、凄みってのが違うんだな
桃子さんの聞き手は、マジでプロ中のプロだ
遊びのようにやっている若手とは大違いなんだなぁ
この違いわかるかなぁ、同じように見えても香川や山口なんかのとは全然違う
そういうことなんだよなあ
今後、abema等が急になくなったとしても
桃子さんは生きていける
断言しておくよ
蛸島〜林葉・中井・清水〜里見〜
えらく桃子さんの技量について驚いていただろ
そうそう
一見同じように見えてもさ
全然、基礎体力つーのが違うんだよ
女流界というか将棋界はもっと中村桃子さんを大切に扱えつーーーーの
清水は石橋をみごろしにした印象しかない
その癖、おのれは矢内みたいに、NHKや会長職に走った
どこがレジェントなことか・・・
理事になっても、LPSAのためには何もしないよ、ただただ冷たい人だ
君、しつっこいね。
あんなのどうすりゃ救えるんだ
関係ないけど
こないだの朝日杯名古屋対局でAbemaのカンナさんが
現地の木村・鈴木両氏に「お二人は何でそこにいるんですかァ?(嬉)」て
突然石斧ぶつけるような質問してたのは笑ったw
両人の返しもよかったし
でも、きちんと棋戦でも活躍していた
今のチヤホヤ組ってだれだ
室谷・香川・山口か
でも、この人達は
里見の前から両手を挙げて逃げ出して
やれ人狼だ、やれゲームだ、やれ競馬だの人でしょ・・・
本来なら里見がチヤホヤされなきゃならないのに
里見は奨励会で修行僧みたいだもんな・・・
チヤホヤ利権だけいただけるだなんて、なんて羨ましいことでしょう
奨励会4級だった竹部が1敗で1期抜けしたりしていた
現行の研修会C1になってからは高浜と堀を除けばそこまで酷いのは出てきていない
高浜は歳だし堀は孤立しているから仕方ない部分もあるけどな
なんで?
安藤大将は女から男だったので大した問題はなかったけど
その逆だと相当面倒なことになりそう
相手は誰だ? まさかまた凸だったら笑うが
NHK国民放送という、物凄く立派な実績がある
別にややこしくないだろ
四段合格ならプロ棋士だし、それには足らないが女流規定に乗ってたら女流になるだけ
性同一性障害で本人の性別が女ということなら女流の枠組みになるだけ
このご時世だからそれを阻む方が差別だなんだとややこしいことになる
レジェンド蛸島さんの投げたボールに対し、どのような返球をするのか
いよいよ、お手並み拝見のみどころが来たな
うっふ~ん
あたし、じめ子よ~
引退に追い込まれて本当に勿体ないわ
渡辺永世竜王が早く会長に就任して復帰させて欲しい
あとなんなら分裂騒動も解決しちゃってくだしあ笑
わろた
みなみちゃんの聞き手おもろいわあ
蛸島さん
女流棋士番号1は関根だし
米長が死んで5年
時代は変わって、明らかに性格の悪いのは弾かれる時代が来た
女流になった順番で振り直せばいいだけ
所詮は、数十人の世界なんだから、1時間もあれば調べられるだろっ
清水常務理事、山田女流棋士会長、谷川相談役、関根特別相談役、中倉LPSA代表理事、蛸島特別相談役、藤森相談役、それに中井クイーン名人
が話し合って自分たちの事は自分たちではっきりと決着をつけてほしい。
下の世代に押し付けるな
LPASを忌み嫌っている真田や復帰に苦労した北尾まどかとかが強硬に反対しそうだけど
相手にしなくていいわけだし
知と美を兼ね備えた本田さんを一切イベントに意地悪して呼ばない姿みてて
いつも思うわ
おまえらナベさん会長就任の時のお祝いコメントを今からキチンと考えておくように
名前と理由をきちんと公表してやったらいいんだよ
んなもん考えているのは山口ぐらいだろw
LPSAと将棋連盟の女流は、もっと話し合いなさいと言っておられるんだ
山口だけじゃなく、関西勢とフットサル勢が握れてるから大勢は既に決まってる
渡辺会長、久保会長時代の到来を早く気づけたかヤツは優れた祝辞が用意出来るということだけ
中井と米長のバトルの時に和解を促すために日レス会長が動いたり
石橋をなんとか謝らせるために三社連合の局長が間に入って動いたり
中倉が謝罪する場を山陽新聞が提供したり
こじれてる問題を動かすには第三者の強い介入が必要
どこの世界も同じ
それが山東昭子なのかスポンサーなのかは知らないが
たかだか、相撲村よりもしょぼい将棋村のくせに
ヤクザみたいなことやってんじゃねーよ
てか、公益法人とりけされんぞー、世論で
連盟の仕事なんだから連盟女流がやるのが当たり前だLPSAは絶対にあげないって狭い考えなんだろうけど
関東は聞き手不足気味だし、たかだか補完する形で数人ふえても大勢に影響はないだろ
なんでそんなに意地になるのかね
端から見たらだけど
やっぱり時代に合わない何かを強烈な形で米さんなど連盟側からやってしまったんかな~と思ってる
それで一部の人は普段からの不満と相まって爆発してああなったのかなぁ
連盟のある種のオジサマ体質は渡辺事変でもチラホラ見えたからな~
そこ何とかしてほしい
朝青龍や日馬富士など盤外工作が趣味の亀 頭と比べると優しいものだ。
連盟、LPSA、ねこまど、竹俣
とバラバラで四分五裂状態でしょ?
どうにもならんよ
ねこまどは自分たちの勢力拡大しか考えてなさそうだし
それが女の政治というものなのか
北尾、島井、香川、山口、塚田娘
すでにLPSAより強そうでしょ
良好なのはLPSAと連盟であって
女流棋士会とLPSAは今でも組織としては反目しあってるんでしょ
個人としては悪くないんだろうけど
まとめも乙、ありがとう
はぁ?
堀と高浜が弱いのはそうだけど
山口絵美菜は底辺まっしぐらだし
藤井はいまだに0勝よ。相手も強くないのに
長谷川も最初だけで上の二人と並んで関西最弱
飯野も相川ももちろん底辺まっしぐら
はっきり言って未熟で弱い女流が増産される印象
武冨や小高、次の加藤圭や加藤結あたりもねぇ
20年後に超谷間の世代と呼ばれてそう
蛸島彰子
中井広恵
林葉直子
清水市代
里見香奈
司会 千葉涼子
これやってほしい
将棋世界でやったら漢だぞ、康光会長!!
なんか、あえて自らのクビを絞めてるシステムだわ
本人もまわりも余計な心配が多いだけでしょ
あと、産休のシステムも見直し必須だわな
女には負けられないってマークされるってのはあるだろうなあ
メディアでの聞き手仕事がほとんどまわってこない現状は
もはや、別業種だわ
なら、いっそ独立しちゃおう
退会したからって歴史から抹消するってケツの穴小さすぎだろ
大介?清水?
囲碁は、女性もかなり活躍している。
そのためには、囲碁のように、将棋の昇段規定を男性棋士と同じにすればよい。
棋力が弱ければ、待遇云々とかも言えなくなる。
臭いものに蓋をするなよ(´・ω・`) また第二の渡辺明を生むぞ
60人ぐらいしかおらんのに二つあるのはなぁ
何とか一緒にならんか?
ほ
それで勝っちゃうんだから流石だよね蛸島さん
全然今の将棋についていけなかった某老棋士よりも偉いよ