50歳現役投手とRC世界王者、それぞれの"身の引き方"
山本昌(以下、山本) 今回、ぼくが書いた『笑顔の習慣34〜仕事と趣味と僕と野球』(内外出版社)には大きなテーマがひとつあるんです。それはセカンドキャリアをどう生きるか。ちなみに広坂さんが現役を退いたのはいつでしたっけ?
広坂正美(以下、広坂) そうですねえ、2009年です。
山本 なにかきっかけがあったんですか?
広坂 昌さんも知っているように、ラジコンはスポーツ。身体がしっかりしていないと、いいタイムが出せない。その中でも特に重要なのが目ですね。目がしっかりしていないと、得られる情報量が少なくなって圧倒的に不利なんです。その目が少しずつ悪くなったと感じてきたのが引退する10年前の1999年くらいでした。
山本 つまり目が悪くなってから、さらに10年現役生活を続けたと。
広坂 はい。眼鏡でごまかしながら続けたんです。
山本 そこから10年続けたのは、なぜですか?
広坂 ぼくは会社の看板も背負っていたし、チームもあったので、簡単に「はい、やめます」というわけにいかなかったんです。10年間、ごまかしごまかし続けて、ようやくやめられる時期がきてやめたというところですね。
山本 広坂さんは「ヨコモ」(※)の看板を背負ってきて、新車が出たらそれで勝たなきゃいけない。勝って、新製品の販売促進をするのが選手の役目ですからね。チャンピオンの広坂さんが勝てないんじゃ、会社も新車を売りようがない。その勝たなきゃいけないプレッシャーは並大抵のものではなかったと思う。
※広坂さんが所属する日本を代表するラジコンカーメーカー。
広坂 たしかにプレッシャーはありましたね。
山本 広坂さんがやめられたのは、思うに若くて強い子が育ってきたというのもあるんじゃないかと。ぼくにもそういうところがあった。絶好調でも先発6番手に入れないようじゃ、やめるしかないですから。ただぼくは、最後の最後まで悪あがきをしたんですが。
広坂 ぼくは最後まで現役にこだわる昌さんを見て、いいなあと思っていました。ぼくはそういうことができなかったですから。早くやめて若い人にバトンを渡さないとキリがない、そう思って引退を決めたんです。ですからぼくは、セカンドキャリアへの切り替えは比較的上手くいった方かもしれない。
山本 ぼくは広坂さんと違って、いつまでも野球をしていたかった。というのも野球をすることが自分にとっていちばん楽だったから。試合ではプレッシャーがかかるし、練習もつらいですが、野球のことなら、なにをやればいいかわかっていますからね。
セカンドキャリアとしてのラジコン。趣味だからこそ負けたくない
広坂 昌さんは引退してから丸2年経ちましたが、セカンドキャリアの大きな目標はありますか?
山本 やりたいことはいろいろあるんですが、ひとつはやっぱりラジコンですね。30代後半から、若いころより身体のメンテナンスに時間がかかるようになって、引退まで14年間は完全にラジコンを封印したんです。だから引退したら、我慢していたラジコンを思う存分やろうと思っていました。ところがいざ引退したら、むしろ忙しくなってしまってあまりできていないのが現状ですが……。
広坂 でも、ラジコン界に復帰する気は十分なんですね。
山本 はい。なにをおいても野球第一なんですが、ラジコンもちゃんと取り組みたいと思っていますね。
広坂 それを聞いて安心しました。
山本 実は引退してからの2年間、ゴルフは一度しかしていないんです。なぜかというとゴルフをするなら、ぼくはラジコンをしていたいんです。ですからいまは、ちょっとした時間を見つけてはサーキットに行くようにしているんですよ。実は今日も朝6時半に起きて、早い時間にここに来ました。時間があるなら一日中ラジコンをやりたい。もちろんこれは趣味ですが、趣味だからこそ一生懸命やって、だれにも負けたくないという思いがあるんです。
広坂 第二の人生でも夢中になれるものがある。それって幸せなことですよね。
山本 そう思います。まずは自分の競技力を上げること、それからもうひとつ考えていることがあって、ラジコンへの恩返しができればと。仕事を引退した方々、これから引退する方々にラジコンを勧めていきたいんです。広坂さんがいったように、これはスポーツ。指先をずっと使うので老化防止にいいですからね。
広坂 操縦台を昇り降りすることも含めて、全身を使う。いい運動ですよね。
山本 ラジコンの環境も徐々によくなってきて、この谷田部アリーナ(※)も車イスで操縦台に昇ることができる。バリアフリーの環境が広がり、年配者にもラジコンが普及していけばいいですよね。ラジコンは足腰が衰えても、指先ひとつで若い人と勝負できる。それは夢があることだと思うんです。
※広坂さんが所属する「ヨコモ」が運営する世界最大級の電動ラジコンカー専門サーキット。茨城県つくば市にある。
「なんでも楽しんじゃえ」の 笑顔が周りをハッピーにする
広坂 それにしても久々に昌さんに会いましたが、やっぱりいい表情していますよね。ラジコンだけでなく、人生そのものを楽しんでいるというのが伝わってきて、こっちも楽しくなってくる。初対面のときの表情の輝きが、少しも変わってないですから。
山本 だとしたらうれしいですね。「一度しかない人生、なんでも楽しんじゃえ」という思いがぼくの根っこにあるんですが、その中でもラジコンは特別ですから。ラジコンのことを考えるだけでうれしくなってくるんですよ。
広坂 ぼくらの仲間には、昌さんを応援している人がとても多いんです。それは昌さんがいつでも楽しそうにラジコンをやっているから。昌さんが楽しんでいるところを見ると、自分も楽しくなってくる。そういうファンが多くて、自然と応援したくなるみたいですよ。このぼくがそうなんですから。
山本 ありがとうございます! それならなおさらがんばらないと。
広坂 今回の昌さん本のタイトルにもあるように、昌さんのトレードマークはやっぱり「笑顔」なんです。野球をしているときは、厳しくて真剣な表情が多かったですが、でもいつも心はほがらかで伸び伸びしている。そこがいいなあと思うんですよ。
山本 ははあ、そうなんですね。
広坂 昌さんには笑顔がたくさんありますけど、いちばんいい笑顔が出る瞬間があるんです。それがいつか、ご自身でわかりますか?
山本 え? なんだろう……。
広坂 それはラジコンでいいタイムが出たとき。そのときの笑顔は、もう最高なんです。みんなが真剣に昌さんの車を調整するのも、それを見たいから。笑顔は周りの人をハッピーにするんです。
山本 いやあ、ちょっとみんなに甘えすぎかもしれないなあ……。
広坂 いいんです。それも人柄ですから。みんな昌さんのことが好きで、喜んでやっているんです。
勝っても笑顔、負けても笑顔のセカンドキャリアを
山本 ぼくのことはいいですから、広坂さんのセカンドキャリアについて聞きましょう。広坂さんは第一線を退いてもう8年近く経ちますが、どんなときがいちばん充実してます?
広坂 ラジコンについては、現役時代よりも楽しくなった気がします。現役時代は勝ってなんぼ。常にプレッシャーとの戦いでしたから。いまもファンの方々と勝負する機会はありますけど、勝ってもうれしいし、負けてもうれしいんです。
山本 負けても!?
広坂 というのも自分が負けると、勝った人がすごく喜んでくれるんです。それを見ていると自分もうれしくなるんですよ。
山本 レジェンドに勝った! ということですね。つまり広坂さんは、みんなに幸せを振りまいている。
広坂 そこは現役時代にやってきたことが役に立っているのかもしれないですね。ところで昌さんは2018年から、例の「山山杯」(※)を復活させるとか。
※山本さんと、長年の“相棒”山﨑武司さんが1995年に立ち上げたラジコン大会のこと。山本さんの「ラジコン断ち」まで10度開催され、2018年1月27日・28日に再開されることが決まっている。
山本 そうなんです。ラジコン界への恩返しという意味合いもありますが、封印していた14年間のギャップをこの大会を通じて埋めようという、ひそかな目的もありますね。やるからには勝ちたいですから。もちろん、広坂さんもご招待します。本気で走っていただいて構いません。賞金を持ち帰ってください!
広坂 アハハ。ぼくは出られるだけで十分ですよ。それよりも勝って喜ぶ昌さんの笑顔が見たいなあ。
山本 もちろん、しっかり準備をして勝ちに行きます。(スタッフに向かって)ということで対談、もう十分すぎるほど話したでしょ? いまからサーキットに走りに行っていいよね? ダメとはいわせないよ。
広坂 (苦笑しながら)いいなあ、昌さんは。こんなにセカンドキャリアを楽しんでる人、いないですよ。
(構成・熊崎敬/撮影・土屋幸一)
【お知らせ】
山本昌さん出版記念サイン会 開催決定!
山本昌さんの新著『笑顔の習慣34~仕事と趣味と僕と野球~』(内外出版社)の発売を記念して、読者限定の【出版記念サイン会】を名古屋にて開催します。
■日時:2018年1月29日(月)19時~
■会場:星野書店 近鉄パッセ店(名古屋)アクセス
■お問合せ:052-581-4796(10:00~21:00)※星野書店 近鉄パッセ店
※イベントの参加条件・注意事項等はこちら(内外出版社ウェブショップでの整理券発行は終了しました。参加ご希望の方は会場にお問い合わせください)
山本昌(やまもと・まさ)1965年8月11日生まれ。1984年に日本大学藤沢高校からドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。32年に及ぶ現役生活で3度の最多勝に輝き、1994年には沢村賞を受賞。2006年には史上最年長でのノーヒットノーランを達成(41歳)。以降も数々の歴代最年長記録を塗り替え、2008年には通算200勝を達成(42歳)。史上初となる50歳での登板を最後に、2015年に現役を引退。セカンドキャリアでは、野球解説者・スポーツコメンテーター、講演会講師として精力的に活動。ラジコン、クワガタのブリーダー、競馬など趣味の分野でも活躍中。Twitter:@yamamoto34masa
広坂正美(ひろさか・まさみ)1970年2月26日生まれ。幼少期に父の影響でラジコンを始め、7歳のときにラジコン大会で初優勝する。16歳で全日本選手権初優勝、17歳で世界選手権初優勝。2009年のメジャーレース引退までに世界選手権14勝、全日本選手権52勝、通算307勝、18年間世界選手権優勝保持の記録を持つ日本ラジコン界のレジェンド。現在はラジオコントロールカー模型製造発売元(株)ヨコモ営業部に所属し、ラジコンの普及活動に力を注ぐ。ヨコモ・ウェブサイト:http://www.teamyokomo.com/