NHK高校講座 日本史「動揺する日本」[字] 2018.01.19
歴史に対する憧れと深い知識を持ったアイドルの養成所。
それが日本史研究の殿堂高橋歴史女学館である。
歴史は暗記するものではなく推理するもの。
館長の高橋です。
今日は「動揺する日本」。
「動揺する」とは穏やかじゃありませんよね。
日本は一体何に動揺したんでしょうか。
まずは前回学んだ事を整理しておきましょうか。
はい。
第一次世界大戦が終わってヴェルサイユ条約が結ばれました。
更にアジア・太平洋地域の新しい国際関係が作られました。
それがワシントン体制です。
はい。
新たな国際秩序の中で日本はアメリカやイギリスと協調する道を選びましたね。
しかし日本はこのあとさまざまな困難に直面する事になります。
それはどうしてだったのでしょうか。
それでは今回学ぶべき重要ポイントを見てみよう。
今回の時代は…第一次世界大戦終結後経済的危機が日本を襲いました。
恐慌という経済パニックが立て続けに起こり日本は深刻な不況に陥っていきます。
この恐慌はなぜ起こったのでしょうか。
政府は…そんな中日本は協調外交から強硬外交へと転換します。
今回押さえるべき「三つの要」は…恐慌による日本の動揺と中国への強硬姿勢に転じた時代を見ます。
日本の経済を立て続けに恐慌が襲ったんですね。
(3人)「きょうこう」?はい。
時代を追って見てみましょうか。
1920年大正9年に起こった戦後恐慌から7年後の金融恐慌。
その3年後の昭和恐慌と10年の間に3度も起きてるんです。
ふ〜ん。
最初の戦後恐慌はどうして起こったんですか?はい。
第一次世界大戦が終わりますとヨーロッパ諸国の工業生産が回復し始めます。
そのために日本の工業製品が売れなくなってしまったんですね。
それが戦後恐慌なんですね。
更に日本の関東地方で大変な事態が発生するんです。
それでは「三つの要」に沿って見ていこう。
その一。
関東地方南部に大地震が発生。
被害総額は当時の金額で60億円に上りました。
戦後恐慌に続きこの関東大震災の影響で日本経済は大打撃を受けます。
そして3年後…年号が「昭和」と改められます。
この年に成立していた若槻礼次郎内閣は緊縮財政によって日本経済を立て直そうとしました。
しかし昭和2年議会で片岡直温大蔵大臣が不良債権を抱えた銀行名を公表するという失言をしてしまいます。
この失言がもとで人々が預金を引き出すために銀行に押し寄せる取りつけ騒ぎが起きました。
これが引き金となって各地の…更に第一次世界大戦中急速に発展した商社鈴木商店が破産。
この鈴木商店に巨額の融資をしてきた台湾銀行が経営危機に陥りました。
こうした金融機関を中心に広がった恐慌を金融恐慌といいます。
事態の収拾に失敗した若槻内閣は辞職に追い込まれ金融恐慌の波は全国に広がっていきました。
次いで成立した田中義一内閣は3週間の支払猶予令を発令。
日本銀行から巨額の救済融資を行い取りつけ騒ぎに始まった金融恐慌をようやくしずめました。
取りつけ騒ぎって何かすごいですね。
どうしてそんな事が起きたんですか?じゃ聞きますけど君たちがお金を預けていた銀行これがもし倒産するかもしれないそう聞いたらまずどうしますか?無我夢中でもう…。
お金を下ろしに行きます。
走って。
そうですよね。
でも預金者全員が一挙にお金を引き出そうとしたら銀行に押し寄せますと銀行にはお金がなくなってしまいますよね。
(3人)ああ。
そしたらその銀行倒産してしまうんですよ。
ああそっか。
また倒産するかもしれないという噂が噂を呼んで金融界が混乱すると。
それが金融恐慌だったという訳ですね。
なるほど。
それでは「三つの要」その二。
1929年立憲民政党の浜口雄幸が首相に就任。
内閣を組織しました。
日本経済を根本的に立て直そうとします。
井上は輸出を促進するために外国為替相場を安定させようとしました。
そのために行ったのが1930年の金の輸出を認める金解禁です。
しかし結果的にこの金解禁は最悪のタイミングでした。
1929年の秋…これをきっかけに世界中で大恐慌が始まっていたからです。
「昭和恐慌」と呼ばれる深刻な恐慌に陥ります。
日本の経済を立て直すためにどうして金の輸出を認めたのかよく分からないです。
分からないですね。
ここは先生に解説して頂きますか。
季武先生!こんにちは。
よろしくお願い致します。
我が女学館の特別講師季武先生です。
(一同)よろしくお願いします。
先生。
金の輸出を認めたというところから教えて下さい。
はい。
これは実に難しい問題なんです。
まずこちらをご覧下さい。
通常の金本位制の下では金の価値と同じ価値を持つ金貨のほかに交換に必要なために持っている金と同じ額の紙幣を発行する事ができます。
では次に今度はこちらをご覧下さい。
ここに輸入超過の国があったとします。
その国は輸入超過ですから多くのものをほかの外国からもらってる訳です。
って事はそれに対して何らかの対価を払わなければならないんです。
それを金で払う訳なんです。
ですからその輸入超過の国からは金が海外に流出します。
そうしますと国内の通貨の流通量が減ります。
そうしますと一般的にはデフレといわれる状態になりまして物価が下落致します。
物価が下落すると今度は輸出が多くなる可能性が出てまいります。
これを繰り返していくうちに自然と落ち着き安定した状態が保たれみんなが安心して貿易をするようになり貿易が促進されるだろうというのがこの金本位制による経済自動調節機能なんです。
なるほど〜。
(季武)そこで金解禁をしますと…そしてもう一つ理由があります。
日本の経済を根本的に立て直すためにこれを考えた訳です。
解禁前の実際の為替相場は第一次大戦前と比べますと円安状態でした。
それを従来の形で金解禁をしますと逆に円高の状態となって輸出には不利になり不況になる事が予想されます。
政府はむしろそのような厳しい環境を作ろうとしたんです。
それは第一次世界大戦中の好景気の中で生まれたあまり競争力のない会社これがたくさんあった訳ですけどもこういう会社が厳しい環境の中で努力して国際競争力を高める。
そうする事によって将来の飛躍を期そうと考えた訳なんです。
ですが初めは多少不況でもしょうがない。
けれども将来的には絶対良くなるぞというのがこの金解禁政策だったんです。
ところがそこに世界恐慌。
先生。
これ政府の想像をはるかに超える大規模な恐慌になったんですか?はい。
この時の…はあ〜。
まあ経済というものが人々の想像以上に国際的に深く結び付いていたんですね。
当時アメリカには世界の資金が集まっていました。
また日本ですとアメリカへの輸出金額は第一次大戦の前に比べますと5倍にも増加していました。
(生徒たち)へえ〜。
(季武)またヨーロッパではドイツを中心に経済復興が進んでいたんですけどもその資金を提供していたのがアメリカでした。
ですからアメリカが恐慌になりましたんで日本もヨーロッパも同時に恐慌になってしまった訳です。
あ〜そういう事だったんですか。
先生ありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。
さて立て続けに恐慌に見舞われたこの時期。
日本は中国に対してどんな政策をとったんでしょうか。
「三つの要」その三。
中国では辛亥革命後中国国民党と軍閥と呼ばれる各地域の地方勢力が対立し覇権を争っていました。
1927年孫文の後を継いだ介石率いる中国国民党が南京に国民政府を樹立。
中国を統一するため北方軍閥を軍事的に打倒するいわゆる北伐を行います。
これに対して日本の田中義一内閣は中国東北部満州における日本の権益を実力で守る事を決定。
満州軍閥の張作霖を支援して国民革命軍に対抗するため…しかし張作霖が国民革命軍に敗北すると関東軍の一部将校の中に……があらわれてきます。
関東軍とは…1928年6月満州へ引き揚げる張作霖を関東軍の一部将校が独断で列車ごと爆破して殺害。
この張作霖爆殺事件の真相は国民には知らされず田中内閣は事件の処理を巡って天皇の信頼を失い退陣しました。
事件の結果関東軍のもくろみとは逆に張作霖の後継者で息子の張学良はそれまで戦っていた国民政府に合流。
その傘下に入ります。
こうして国民党の北伐は完了し…田中内閣に続いて成立した浜口雄幸内閣は幣原喜重郎を外務大臣に再起用。
協調外交を復活させます。
1930年軍縮会議に参加しロンドン海軍軍縮条約に調印。
これに対して海軍の一部や国家主義者は…浜口首相は東京駅で右翼の青年に狙撃されて死亡。
協調外交は挫折し経済不況と社会不安は更に深まっていく事になります。
(2人)「とうすいけん」?館長!説明お願いします。
いや〜統帥権の問題これ非常に難しい。
実は私もね詳しく知りたいんですよ。
先生に聞いてみましょうか。
(3人)はい。
改めまして我が女学館の特別講師季武先生です。
統帥権についてなんですけれども。
はい。
これ私にも実に難しい問題なんです。
このあと日本の軍部が暴走する事になるんですがその根拠が統帥権の独立でした。
まずこちらをご覧下さい。
大日本帝国憲法の第十一条に「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とあります。
統帥とは軍隊に対する最高の命令という意味です。
軍隊では上官の命令が絶対なんです。
その上官の命令は更に上の上官から来ます。
こうしますと命令を発する人はただ一人になります。
それが天皇だったんです。
ですからこの軍事的な行動に関しましては内閣も議会も全く口出しをする事はできませんでした。
ですから独立なんです。
はあ〜誰も文句は言えない。
しかし問題はもう少し複雑です。
まず天皇は軍事の専門家ではありませんので天皇の決定を補佐する人が必要でした。
それが陸軍では参謀本部。
海軍では軍令部といいます。
ですから実際にはこの参謀本部と軍令部が作戦計画を練る訳です。
そして実は憲法にはもう一つの条文があります。
それがこの第十二条。
「天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム」とあります。
編制といわゆる予算という事ですね。
(季武)はい。
これを編制権といいます。
実はこれが重要だったんです。
兵力量は作戦計画とも深い関係がありますから軍部としましては「これは統帥権のうちだ」と主張します。
しかしそれに対しまして内閣や議会はこれは軍事予算である…。
予算…。
予算です。
だから「我々にも口出しをさせろ」と主張致します。
それがロンドンで開かれた軍縮条約の時にこれが表面化したと…。
はいそうなんですね。
ロンドン海軍軍縮条約では各国と合意した日本の軍艦の量を浜口内閣は承認し更に天皇もそれに許可を与えました。
しかし海軍の軍令部は「その量では日本の国防の安全を維持できない」と同意しませんでした。
そして統帥権を侵害したとして態度を強めたんです。
(3人)ああ〜。
天皇の許可を得たんですから軍部の言い分はおかしいですよね。
そうですね。
それで浜口内閣は自分たちの主張を押し通して条約を批准しました。
しかし軍部はこれ以後統帥権を前面に出して強気な態度に出るようになっていくんです。
へえ〜。
そのあと軍部の発言力これがどんどん強くなっていくと。
ここからですね。
はあ〜。
(一同)ありがとうございました。
へえ〜。
統帥権。
そうか。
…となりますと来週のテストなんですがもし赤点を取った場合館長の統帥権として退学にしましょうか。
(3人)え〜!やだ〜!やだやだ。
ちゃんと生徒総会の話聞いて下さい。
そうか。
やっぱり民主主義は大事だね。
2018/01/19(金) 14:00〜14:20
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 日本史「動揺する日本」[字]
日本の今は、誰が、どのように作り上げたのか? 日本史研究の殿堂、高橋歴史女学館がその謎に迫る。出演:高橋英樹・AKB48(向井地美音、土保瑞希、込山榛香)
詳細情報
番組内容
第一次世界大戦後の世界の体制の中で、日本は米英との協調路線を選択した。しかし、その後日本は立て続けに「戦後恐慌」「金融恐慌」「昭和恐慌」といった経済的な危機に直面する。こうした恐慌はなぜ発生し、そして当時の政府はどう対応したのだろうか? また、この時期日本は協調外交から強硬外交へと転換していく。恐慌による日本経済の動揺と同時期に起きた、外交方針の変化を見ていく。
出演者
【司会】高橋英樹,【出演】土保瑞希,向井地美音,込山榛香,【講師】創価大学教授…季武嘉也,【語り】杉村理加
ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
趣味/教育 – 大学生・受験
趣味/教育 – 生涯教育・資格
映像 : 480i(525i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0x0808)
EventID:10304(0x2840)