「岡田斗司夫ゼミ」で岡田さんは宮﨑駿のエロスを、
「オッパイやフトモモを見せたいんじゃない!他の大事なところを見るべき!というカットで、大胆にオッパイやフトモモを見せる」
という、カムフラージュの凄さと説いた。
べ、別にオッパイ見せたいんじゃないんだからねっ!ということか。
僕はそんなまどろっこしいことをしない。
『WUG』でパンモロさせた時、観客の余りの読解力のなさに脱力して、インタビューで、
「いやぁ僕が見たいから見せたんですよ」
と、やぶれかぶれに言ってまたヘイトが溜まる、という、アニメってなんて不自由な表現なんだろう、と呆然とした記憶がある。
でも最近、『薄暮』を作っている内に気付いたのだが、僕はヒロイン(少女)側に強く感情移入しがちなんだな、ということだ。
これはたとえば『フラクタル』にも言える。フリュネやネッサを男目線でああ描ける訳がない。だから萌え豚にブーブー言われたのだろうが。
僕は女性の体躯を使って、所謂「萌え」であるとか、そういう視線に反抗し続けた。
しかしそれは観念的、イデオロギッシュなアンチテーゼではなくて、ヒロインと同化することで感覚的に導き出されたものだと思う。
「萌え豚めぇー!」と仮想敵を作って訴えているのではなくて、自分が女ならここまでする!という、強い感情移入の表れなのだ。
だから、ヒロインのパンモロやら裸やらは、「自分が女ならここまでする!」という、強い意思表示なのだと思う。
エロいかエロくないかなんて知らない、自分はここまで曝け出すんだ!という、思い切りなのだ。
だからそれにチンコでしかアニメを観れないバカが「不愉快だ!」と反応するのは、もう愚かでしょうがない。構ってられない。
お前らが見たいものを見せるつもりなんか1ミリもない。
だからやっぱり僕の作品は女性の支持が高いのだろう。
前回の「ヤマカンナイト」は、深夜帯にもかかわらず女性が1割くらいいた気がする。驚きだ。
「オッパイやフトモモを見せたいんじゃない!他の大事なところを見るべき!というカットで、大胆にオッパイやフトモモを見せる」
という、カムフラージュの凄さと説いた。
べ、別にオッパイ見せたいんじゃないんだからねっ!ということか。
僕はそんなまどろっこしいことをしない。
『WUG』でパンモロさせた時、観客の余りの読解力のなさに脱力して、インタビューで、
「いやぁ僕が見たいから見せたんですよ」
と、やぶれかぶれに言ってまたヘイトが溜まる、という、アニメってなんて不自由な表現なんだろう、と呆然とした記憶がある。
でも最近、『薄暮』を作っている内に気付いたのだが、僕はヒロイン(少女)側に強く感情移入しがちなんだな、ということだ。
これはたとえば『フラクタル』にも言える。フリュネやネッサを男目線でああ描ける訳がない。だから萌え豚にブーブー言われたのだろうが。
僕は女性の体躯を使って、所謂「萌え」であるとか、そういう視線に反抗し続けた。
しかしそれは観念的、イデオロギッシュなアンチテーゼではなくて、ヒロインと同化することで感覚的に導き出されたものだと思う。
「萌え豚めぇー!」と仮想敵を作って訴えているのではなくて、自分が女ならここまでする!という、強い感情移入の表れなのだ。
だから、ヒロインのパンモロやら裸やらは、「自分が女ならここまでする!」という、強い意思表示なのだと思う。
エロいかエロくないかなんて知らない、自分はここまで曝け出すんだ!という、思い切りなのだ。
だからそれにチンコでしかアニメを観れないバカが「不愉快だ!」と反応するのは、もう愚かでしょうがない。構ってられない。
お前らが見たいものを見せるつもりなんか1ミリもない。
だからやっぱり僕の作品は女性の支持が高いのだろう。
前回の「ヤマカンナイト」は、深夜帯にもかかわらず女性が1割くらいいた気がする。驚きだ。