『ラピュタ』は自分にとって印象が強すぎる作品なので、普段封印気味にしているのだが、岡田さんのせいでまた火が付いた。
こうなると一日中ラピュタラピュタラピュタ!だ。
僕が『ラピュタ』を観た最初の引っかかりは、シータ可愛い!でもアクションがいい!テーマが素晴らしい!でもなく、
「この世界にずっと浸っていたい!」
だった。今も忘れない。
ED前最後のカット、パズーとシータが乗った凧が地平線まで消えゆく瞬間、
「行かないで!」
と、心の中で叫んだものだ。
この世界が終わってしまうのがとてつもなく寂しかったのを覚えている。
お前の嫌う現実逃避やないか!と言われるのかも知れないが、いや違う。
宮﨑アニメの真骨頂は、そこから「現実世界の美しさ」を気付かせるところにある。
『ラピュタ』を観てからというもの、僕はずっと空を眺めるようになった。
ああ、あの雲がラピュタなのかも知れない、あの空の先にラピュタがあるのかも知れない。
そう夢想するようになった。
実際は覚えていないが、高校の部活の同級生によると、後輩達に、
「あの雲の向こうにラピュタがあると思ったか?」
と言ったらしい。
現実世界の中にファンタジーを見つけ出す、それが本当の想像・空想の楽しみ方なのだ。
確かにアン・シャーリーもそう言ってたが、僕は宮﨑駿からそれを学んだ。
宮﨑御大も、仲間のアニメーターが亡くなった時、こう呟いた。
「死んだら、この空も見られなくなるんだねぇ」
『ラピュタ』の影響を受けた人は、必ず空を見るようになっただろうし、空に惚れ込んだはずだ。
かくいう僕も、今もことあるごとに空を眺め、写真に撮っている。
これがアニメの偉大さなのだ。
(ちょっと聖地巡礼にも近いかも知れない)
こうなると一日中ラピュタラピュタラピュタ!だ。
僕が『ラピュタ』を観た最初の引っかかりは、シータ可愛い!でもアクションがいい!テーマが素晴らしい!でもなく、
「この世界にずっと浸っていたい!」
だった。今も忘れない。
ED前最後のカット、パズーとシータが乗った凧が地平線まで消えゆく瞬間、
「行かないで!」
と、心の中で叫んだものだ。
この世界が終わってしまうのがとてつもなく寂しかったのを覚えている。
お前の嫌う現実逃避やないか!と言われるのかも知れないが、いや違う。
宮﨑アニメの真骨頂は、そこから「現実世界の美しさ」を気付かせるところにある。
『ラピュタ』を観てからというもの、僕はずっと空を眺めるようになった。
ああ、あの雲がラピュタなのかも知れない、あの空の先にラピュタがあるのかも知れない。
そう夢想するようになった。
実際は覚えていないが、高校の部活の同級生によると、後輩達に、
「あの雲の向こうにラピュタがあると思ったか?」
と言ったらしい。
現実世界の中にファンタジーを見つけ出す、それが本当の想像・空想の楽しみ方なのだ。
確かにアン・シャーリーもそう言ってたが、僕は宮﨑駿からそれを学んだ。
宮﨑御大も、仲間のアニメーターが亡くなった時、こう呟いた。
「死んだら、この空も見られなくなるんだねぇ」
『ラピュタ』の影響を受けた人は、必ず空を見るようになっただろうし、空に惚れ込んだはずだ。
かくいう僕も、今もことあるごとに空を眺め、写真に撮っている。
これがアニメの偉大さなのだ。
(ちょっと聖地巡礼にも近いかも知れない)