1月29日(日) 放送
2016年の師走。目まぐるしく事態が動き続ける沖縄で、住民がもっとも恐れていたことが現実となった。名護市辺野古から遠くない浅瀬に米軍輸送機オスプレイが墜落したのだ。日本政府は米軍に抗議をしたが、わずか6日後に米軍の意向に沿って飛行再開を受け入れ、東村高江地区を取り囲むように建設を進めていたオスプレイ用の新ヘリパッド(着陸帯)を完成させて、米軍に引き渡した。
「ボケ、土人が」。この高江で10月、大阪府警機動隊員が工事に反対する住民に放ったこの言葉に沖縄県知事はじめ県をあげて反発がひろがった。しかし、この発言に対し「差別とは断言できない」、「差別用語かどうか、一義的に述べることは困難」という趣旨の閣議決定がなされ、その後、基地に反対する人々への冷たい非難が増幅したかに見え、むしろ基地に反対する住民たちの振る舞いこそが「問題である」との声が広がった。インターネットで検索すると沖縄の市民運動そのものを「過激」「違法」とする書き込みが続々登場。オスプレイなどこれ以上の基地負担に抵抗する声は、戦後71年を経てもなお、米軍と米軍の意向のまま動く日本政府によって、押さえつけられている。
10年近く工事を阻止するために高江で座り込みを続けた男性(62)は、6人の里子を育てながら農業を営んでいる。人間に恵みをもたらしてくれるこの土地を愛し、自然豊かな「やんばるの森」を守りたいがために反対の声をあげる。「何もしないことこそ政治的。基地のために一度も土地を提供した覚えはない」と訴える。
普天間飛行場近くの病院から高江に通う作業療法士(51)は、「沖縄極左」「プロ市民」とネット空間で攻撃されている。だが、市民運動に参加したのはわずか4年前。「普天間基地のゲート前をたまたま通って反対運動を知りました。ほっとけなかっただけなんです」。穏やかな口調の人柄は、ネット上で拡散する人物像とは別人だった。
「土人」発言をきっかけに広がった沖縄ヘイトといえる現象。基地反対運動に関し、これまで以上に虚実が入り混じる言論空間。私たちが見つめるべき真実は、どこにあるのだろう。番組では、日本全体の100分の1にあたる沖縄の声をめぐり、インターネットを中心にデマやバッシングが広がり、沖縄の人々の1の声が、いかに消されようとしているのか、その裏側と構図に迫りたい。
「ほっとけなかった・・・」。沖縄で生まれ、沖縄で暮らす泰真実さん(51)が、基地反対運動に関わることになったその理由です。米軍輸送機オスプレイが強行配備された5年前のあの日、普天間飛行場のゲート前に人だかりが出来ていました。たまたま通りかかった泰さんは、誰か倒れているのかなと思い近づいたといいます。職業は作業療法士、当時は「オスプレイ」の言葉すら知りません。そこでお年寄りたちが、殺気立った米兵に対し必死に抗議する姿を目にします。泰さんは、頑張っているお年寄りたちをほっとけなくなった。それが基地反対運動を始めるきっかけでした。
とても優しい目をしている泰さん。ところが、インターネットで検索すると「沖縄極左」「過激派」とされています。1970年代の「成田闘争」で暗躍した人物だと告発する脅迫状が職場にも届きました。根も葉もないデマです。こうして、泰さんはネット空間で危険人物に仕立て上げられていったのです。
「基地反対運動は県外からの活動家、過激派」。大阪府警機動隊員が東村高江のゲート前で暴言を吐いて以降、そんな言説が一気に広まりました。高江を取り囲んで建設される米軍北部訓練場のヘリ着陸帯に反対する人たちをめぐる風説。衝撃だったのが、ネット空間に影響されてか「基地反対派は酷いねえ」と身近な人たちが語り始めたことでした。
やんばるの森に囲まれたゲート前で地元住民が2007年から座り込みを続けてきた反対運動。去年春、私が訪れたときはのんびりした闘いに見えました。ところが、そこに1000人近い機動隊員が投入され、反対住民らとぶつかった去年夏以降、あたりは一変します。想像してみてください。自分が住んでいる町内に全国から1000人近い機動隊員が押し寄せてきたら・・。住民はわずか140人なのに。
今回の取材では、「え、まさか」と絶句する出来事が連続しました。その極めつけが、「基地反対派は暴力集団」「危険で近寄れない」と新年早々に報じた東京の情報番組。信じる人はいないだろう、そう思う自分がいると同時に、取材を通じ「デマは大げさなほど拡散する」ことを身をもって体験した自分がいます。この言論空間で基地反対運動への虚構が作り上げられようとしているのだとしたら、一体それはなぜなのか・・。突き詰めれば、私たちの暮らしそのものにもつながっていて、沖縄だけの問題ではありません。であるならば、今こそ基地反対運動の素顔に目を向けてほしい。そんな思いで作った番組です。ずっと語り継がれてきた沖縄戦と戦後72年間を歩んできた沖縄の人々の歴史に思いを寄せることができたなら、この言論空間にさまよう木霊(こだま)のありように、これからどう向き合うべきか考えることができると思うのです。