昨日も書いた通り、僕は「自殺」という選択肢自体を認める気がありません。
そこについて、むしろ、ご意見を伺いたいと思っています。
なんで日本って「自殺」が「選択肢」に入ってるんですか?
理解できないんですけど。コメントも多数頂戴しましたが、
「うつ病だったんですよ。正常ではなかったので『しょうがない』」
というご意見が(けっこう多数)あったのですが…
よく考えて頂きたいのです。
人を殺したいほど憎いって思った人がみんな殺しますかね?
皆さんの中にも
「も~あんな奴、死んじゃえーー」
って思った経験、ある人も少なくないような気がするんですよね。
殺します?
殺さないですよね?
要は、正常な人って、殺人とか犯さないですよね?
佐世保の事件もそうです。
完全に「異常」な女の子ですよね?って言うか、「正常」だったら、人は殺さないでしょ?
僕は「正常なまま」人殺しする殺人犯、見たことないんですが、そんな人、いるんです?
人を殺してる段階で異常でしょ?
「正常じゃなかったんだから自殺したんでしょ?」
ていう理屈に、激しく反論したいのですが…そこ、つながらんだろ?って言うか、つなげちゃダメだろ?
それ言いはじめると、殺人犯した人もみんな「異常」ですよね?「異常」だったら殺人を犯していいって理屈でしょうか?ダメですよね?そうじゃないですよね?
なのに、なんでこんなにたくさんの人が「うつ病だからしょうがないんだよ」って理解を示しちゃってるのか?って所を知りたいんですよね?
それ、暗に「自殺」って行為を「選択肢」に入れてないか?と。
いや、僕の中で、自殺はそもそも「選択肢」から完全に外すべき行為だと思ってるんですよね?
精神状態がどうとか背景がとか言いはじめたら、殺人者もヤクザも全部、バックボーンくらいあるじゃないですか?じゃあヤクザが人殺ししても「育ちが…」って言いはじめて、
「いい家庭じゃなかったんだからヤクザになっちゃったのは可哀想」
って理屈?人殺しは
「正常じゃなかったんだから可哀想」
って理屈?佐世保の女の子、「異常」だから許せって?理解しろって?いや、無理でしょ、それは。
いいですか?こういうと必ず、
「ヤクザや殺人は人に迷惑をかけてるんだー」
「自殺は自分を殺してるだけだー」
って言いだす人がいるんですよね。
絶対違うから。
身近な人、一度自殺で失ってみたら分かります。
身近な人が自殺したら、周囲、どれだけ傷つくか。どれだけのものを背負うか。はっきり言ってかなりでかい心の傷になります。しかも一生。なんでそれなのに…
「自殺」だけは「精神状態が不安定だから理解できる」ってコメントになるかな?と。
「精神状態が不安定」なら「精神状態を安定させる治療を行うべき」
なんであって、そこに「自殺」って選択肢は入れちゃダメだろ。繋がらないだろ。そこは。繋げてもダメだろ。
皆さんもご存じのように、日本ではなんと、毎年3万人もの人が「自殺」で命を失っていってます。
この数字は、対人口比で見ると他の先進諸国と比べても絶望的に多い数字で、明らかに他国からは日本人が
「自殺という選択肢を美化している変な国」
と見られているのです。
アメリカでは本気でseppku(切腹)が日本で行われていると信じている人すら(少ないけど)いる状態です。アメリカの国民的ドラマの「glee」の中にも、ミスをした生徒に先生が
「もし日本なら腹を切ってるね。seppukuしてるよ!」
と発言するシーンがあります。英語で言ってんのよ?「セップークゥ~」って。これ、いっときますけど、世界的に超ドン引きの文化ですからね?
自分で腹をナイフで切るんですよ?
で、介錯の人が「お見事!」とか誉めながら首、切り落とすのよ?
で、「彼は見事切腹して果てました」とか言って誉めちゃったりしてるんですよ?
アホだろ。ただの。冷静に突っ込みますが、狂ってるとしか見られない文化です。何が「お見事」だよってね。
その文化の影響か知らないけれど、日本では、今どき、
「自分で自分を殺す」
という行為を「選択肢」に入れているような気がしてしょうがないのです。
絶対ダメな行為だから。そもそも「発想」の中に入ってちゃダメでしょ。僕はそう思ってるんですけど、それって普通じゃない?
多くの
「精神病だったんだから可哀想だ」
というコメントをくれた皆さん、教えて欲しい。
じゃあ、殺人しても「精神病」だったらしょうがないんですかね?殺人鬼ってかわいそうなの?ヤクザも家庭環境が悪かったからしょうがなくて可哀想なの?そこに被害者の感情はなくていいんでしょうか?
精神的に追い込まれた=自殺した
って、なんで繋がってるんです?僕は繋がってないと思う。繋げてもいけないと思うんです。
アホ丸出しな誹謗中傷コメント、面倒くさいからやめてね。他者を攻撃する文章とか。
せっかくなので今回は反論意見もほとんど全部承認したいから。
そこについて、むしろ、ご意見を伺いたいと思っています。
なんで日本って「自殺」が「選択肢」に入ってるんですか?
理解できないんですけど。コメントも多数頂戴しましたが、
「うつ病だったんですよ。正常ではなかったので『しょうがない』」
というご意見が(けっこう多数)あったのですが…
よく考えて頂きたいのです。
人を殺したいほど憎いって思った人がみんな殺しますかね?
皆さんの中にも
「も~あんな奴、死んじゃえーー」
って思った経験、ある人も少なくないような気がするんですよね。
殺します?
殺さないですよね?
要は、正常な人って、殺人とか犯さないですよね?
佐世保の事件もそうです。
完全に「異常」な女の子ですよね?って言うか、「正常」だったら、人は殺さないでしょ?
僕は「正常なまま」人殺しする殺人犯、見たことないんですが、そんな人、いるんです?
人を殺してる段階で異常でしょ?
「正常じゃなかったんだから自殺したんでしょ?」
ていう理屈に、激しく反論したいのですが…そこ、つながらんだろ?って言うか、つなげちゃダメだろ?
それ言いはじめると、殺人犯した人もみんな「異常」ですよね?「異常」だったら殺人を犯していいって理屈でしょうか?ダメですよね?そうじゃないですよね?
なのに、なんでこんなにたくさんの人が「うつ病だからしょうがないんだよ」って理解を示しちゃってるのか?って所を知りたいんですよね?
それ、暗に「自殺」って行為を「選択肢」に入れてないか?と。
いや、僕の中で、自殺はそもそも「選択肢」から完全に外すべき行為だと思ってるんですよね?
精神状態がどうとか背景がとか言いはじめたら、殺人者もヤクザも全部、バックボーンくらいあるじゃないですか?じゃあヤクザが人殺ししても「育ちが…」って言いはじめて、
「いい家庭じゃなかったんだからヤクザになっちゃったのは可哀想」
って理屈?人殺しは
「正常じゃなかったんだから可哀想」
って理屈?佐世保の女の子、「異常」だから許せって?理解しろって?いや、無理でしょ、それは。
いいですか?こういうと必ず、
「ヤクザや殺人は人に迷惑をかけてるんだー」
「自殺は自分を殺してるだけだー」
って言いだす人がいるんですよね。
絶対違うから。
身近な人、一度自殺で失ってみたら分かります。
身近な人が自殺したら、周囲、どれだけ傷つくか。どれだけのものを背負うか。はっきり言ってかなりでかい心の傷になります。しかも一生。なんでそれなのに…
「自殺」だけは「精神状態が不安定だから理解できる」ってコメントになるかな?と。
「精神状態が不安定」なら「精神状態を安定させる治療を行うべき」
なんであって、そこに「自殺」って選択肢は入れちゃダメだろ。繋がらないだろ。そこは。繋げてもダメだろ。
皆さんもご存じのように、日本ではなんと、毎年3万人もの人が「自殺」で命を失っていってます。
この数字は、対人口比で見ると他の先進諸国と比べても絶望的に多い数字で、明らかに他国からは日本人が
「自殺という選択肢を美化している変な国」
と見られているのです。
アメリカでは本気でseppku(切腹)が日本で行われていると信じている人すら(少ないけど)いる状態です。アメリカの国民的ドラマの「glee」の中にも、ミスをした生徒に先生が
「もし日本なら腹を切ってるね。seppukuしてるよ!」
と発言するシーンがあります。英語で言ってんのよ?「セップークゥ~」って。これ、いっときますけど、世界的に超ドン引きの文化ですからね?
自分で腹をナイフで切るんですよ?
で、介錯の人が「お見事!」とか誉めながら首、切り落とすのよ?
で、「彼は見事切腹して果てました」とか言って誉めちゃったりしてるんですよ?
アホだろ。ただの。冷静に突っ込みますが、狂ってるとしか見られない文化です。何が「お見事」だよってね。
その文化の影響か知らないけれど、日本では、今どき、
「自分で自分を殺す」
という行為を「選択肢」に入れているような気がしてしょうがないのです。
絶対ダメな行為だから。そもそも「発想」の中に入ってちゃダメでしょ。僕はそう思ってるんですけど、それって普通じゃない?
多くの
「精神病だったんだから可哀想だ」
というコメントをくれた皆さん、教えて欲しい。
じゃあ、殺人しても「精神病」だったらしょうがないんですかね?殺人鬼ってかわいそうなの?ヤクザも家庭環境が悪かったからしょうがなくて可哀想なの?そこに被害者の感情はなくていいんでしょうか?
精神的に追い込まれた=自殺した
って、なんで繋がってるんです?僕は繋がってないと思う。繋げてもいけないと思うんです。
アホ丸出しな誹謗中傷コメント、面倒くさいからやめてね。他者を攻撃する文章とか。
せっかくなので今回は反論意見もほとんど全部承認したいから。
コメント
コメント一覧
自殺は悪いことだ!一種の殺人だ(だから悪)!といいながら彼らを直接助け出そうとしなかった人たちは、見殺しにしたってだけですね。
自殺以外の選択肢をなくすまで放置し、仕方なく死を選んだ彼らを責める。
……無関心より酷いように思えるのは、私だけでしょうか?
自殺が悪いことだというのなら、それを止める活動をしてほしい。
自殺者を止めるのではなく、その根本原因と戦ってほしい。
弱い彼らを追い込む者を撃退し、彼らを救うために動いてもらいたい。
言うだけなら、誰でもできます。
もちろんあってほしくないです。
自殺を防ぐルール、教育はあると思います。
心に言い聞かせることも悪いことではないと思います。
いけないいけないと念ずることだけしか、彼らを救う道はないのでしょうか。
生理的なプログラムの歪み、生き物としての限界、意志だけの問題でないとは言えないものなのでしょうか?
彼らは「欲を持ってしまった悪人」として生き続けなくてはいけないのでしょうか。
彼らがこの厄介な「病」から解放されて皆と毎日を過ごせる日は来ないのでしょうか。
自殺は人に迷惑をかけるから「絶対だめ」
というのなら、迷惑行為は全部「絶対だめ」なんだろうか。
「絶対だめ」と他人が言ったところで、死は不可逆絶対のものだから、死んだ人が甦ることはない。
「絶対だめ」なことをした当人が死んでいて何も裁きを受けることができない以上、その人の罪?を言い募っても何も生産性はない。
そもそも死は生きる者すべてに与えられた唯一の絶対的な安寧である以上、自らの生死を好きにする権利がある。
なんだか色々な価値判断を所与の前提として自殺を絶対悪としようとしているけれど、無理がありすぎて訳が分からない。
つい数日前、以前一緒に働いていた仲間が自殺しました。
私が退職してからはほとんど付き合いがなかったのですが、
訃報を知った時は驚きました。
同じ職場だった同僚から「自殺」であることを知らされて
衝撃とショックを受けました。
自殺に至るまでの経緯は一切わかりません。
その人には家族がいるのです。
自殺は周囲の人の心を殺します。
長谷川さんの仰るとおりだと思います。
今は多くは語れません。
ただ、自殺は周囲の心を殺すのだと
声を大にして言いたいのです。
家族も疲弊する程の病です
精神疾患で犯罪を犯す事件が増えている様に感じます
罪も無い人を犠牲にするなら
自殺もありではないですか?
もっと病気やそれを支える家族の状況を
知ってから考えて頂きたいです
心と言いますが本当は脳の病気です
脳が死にたくなる悲しい病、、
周りは、実際何も出来ません
見守る事しか出来ません
長谷川さんが考える
違う最善の選択肢とはどの様な物ですか?
今記事を拝見させて頂きました。
長谷川さんは全く正論だと思います。
ただ、私は毎日死にたいと思っている人間ですが、やはり詭弁にしか聞こえません。
そもそもアナウンサーになれる能力をお持ちの方が一般論を論じても結局勝ち組だから何でも言えるとしか思えませんし、やはり給料がアップするもしくはスタートが高い方はやはり努力は凄いと思いますが、つまり社会的強者の作る社会制度の中の意見では無いでしょうか?
1000万稼げなきゃ負け組と言われるのに疲れました。
失礼致します。
10数年の付き合いで結婚の約束もしていたのに、最期の言葉もないままいなくなってしまいました。
どうして死んでしまったのか?
どうして助けられなかったのか?
どうして一緒に連れていってくれなかったのか?
どうして?どうして?どうして?と考えない日はありません。
今まで自殺という行為については本当に他人事でした。
今、直面し本当に苦しんでいます。
正直、彼を追って死にたいと思ったりもしました。でも、こんな辛い思いを他の人にさせるわけにはいかない。
ただ、それだけの思いで、死なないために生きています。
自殺は自分を殺してしまうことだと私も思います。
彼を助けられなかった自分は、殺人を犯してしまったのと何らかわりないのでは?・・・・そんな風に考えたりもします。
本人は鬱のような状態で、死にたい衝動にかられ苦しかったのかもしれません。死んでしまえば楽になれる、そう考えたのかもしれません。
でも、残された人間はこの先、死ぬまで、彼がいなくなってしまった悲しみや苦しみを抱えて生きていかないといけないんです。
ずっとずっとです・・・
平気な顔をしていると思われても、身近に残された人間の心の中はズタズタです。
自殺はある意味、身近な周りの人の心も殺してしまう行為かもしれません
どうやって、死ぬまで生きていったらいいのかな・・・
自殺が選択肢として存在するのは仕方ないのではないでしょうか。
死にたいとか殺したいという自分の欲望よりも周りに迷惑かけたくないという
気持ちがあればどちらもしないことだと思いますが、それらを踏まえた上で
自分の欲求の方が大切だと思う場合もあるんじゃないでしょうか。
そういう意味では自殺も殺しも同列なのかもしれませんが
生きている以上、どんなことも選択肢になり得れることだと思います。
もし私の家族が自殺したら私は私を物凄く責めると思います。
実際、主人がメンタル系の病気になったことがありますので・・・。
私も病気を持っていますが、メンタルな病気は癌とかとは全く状況違いますよね。
不摂生にしろ不養生にしろ、病気になる条件は似たようなものかもしれませんが
(それに遺伝子的なものも含まれますが)一度発病してもメンタル系の方なら
環境を変えることにより回復できる事もできますから。
自殺は自分の体を殺しますが、周囲の心をも殺してしまうのではないかと思います。
そういう意味では殺人と似たような結果をもたらすのかもしれません。
同じうつ病でも自分の死への欲求を達成する人と>>たかさんのお知り合いのように
踏みとどまって周りの方の心を殺さない道を選ばれる方の差は何なのでしょうね。
投薬状況?もともとの本人の性格?周囲の環境?
初期段階で気付いてあげ適切な対応をしてあげるのが大切なことなのでしょうか。
あれから10年になりますが、心の底から「生きてて良かった。失敗して良かった。」と思える日は、ありませんでした。
いろんな本を、読みました。今は読書だけが、唯一の拠り所になってます。
読書の日々から得た僕なりの今の気持ちは、「二度と自殺する事はないと思うけど(あくまで「思う」です)、早くお迎えが来て欲しいな」です。
春日武彦さんという、精神科医がいらっしゃいます。独特な視点を持った方なので、好き嫌い別れる方ですが、何かの本に「人間には『めんどくさい』と言う厄介な感情がある。自殺者の心理を理解する上で、覚えておいた方がいいだろう」と言った事を書かれてました。僕は妙に納得しました。
須原一秀さんと言う哲学者の方は、自らの思想から自殺しました。それまでに至る過程は、「自死という生き方」と言う本に纏められてます。
自殺が良いのか悪いのか、生き方の一つとしていいのか、僕にはわかりません。
未遂者としては、
「自殺した人を、責めないで欲しい」
「遺族や周りの人は、自分を責めないで欲しい」
「自殺しようとしてる人を(見かけた、発見した時に息をしていた)、助けないでほしい」
と言う思いがあります。
僕が他人には決して言えない思いを、初めて伝えられました。この機会を与えてくれた、長谷川さんに感謝します。
拙い文章ですが、最後まで読んで頂きありがとうございました。
それらがない以上、自殺という楽になれる選択肢に流れるのは仕方がないことでしょう。
ボケて周りに迷惑かけて人としての尊厳もなくしても自殺しなくてよかったと思える自身がありません。
悔いなく生き、然るべきときになるべく迷惑がかからないよう人生を終えたいと思う。
感銘したので実名でコメントさせて頂きます。
フェイスブックシェアされてた姉歯記事から飛んできましたので
アナウンサーの長谷川さんだとは気づかないで初めは読んでましたが、
僕は家庭環境の問題から沢山苦しんで15歳で社会人になり、今となってはだからこそ今があると思いますが、当時は大変でした。しかし中卒で今は京都でテーラーを営み31歳現在、たくさんの経営者の先輩方に信用、信頼、応援されるまでになりました。
だから、育ちがどうあれ人はなりたいようになれると思います
勿論、殺人同様自殺なんて絶対しちゃいけない事と強く共感します。
いや、そういう感銘ではなく
長谷川さんが、こんなブログをしてる事に非常に感銘を受けるのです、このブログはしかもコメントも受け付けている。実名で顔の知られた人である長谷川さんが自分の考えや価値観を発信している事に感銘を受けてます。
自分を発信する事は勇気が必要でもありますし、しかもおっしゃってる事は社会ニュースから露わになる人間の部分。人それぞれ考え方は違えど目を向けるべき事を発信されてますね。
マスコミなんていう大きい呼び方じゃなく、一体お前はどう思うんだという、世の中にある善悪を本当に見極めれているのかとか、自殺大国になる日本について1人1人が疑問を持って考えなくていいのかとか、とても私自身必要だと感じる内容でありますし、「本気論」アナウンサーとしてではなく一人間としての発信に感銘しました。
是非、頑張って下さい
京都人なので、おきばりやすでしめさせて頂きます。
おきばりやす^ ^
でもやはり長谷川さんと同じ意見です。
年間自殺者の数ばかりクローズアップされますが、自死した独りの方に関わった何人の方が自殺と言う決断に悩み苦しみ それを背負って一生を送るかわかりますか?自殺を身近で感じると、正直自殺して解決した事の方が楽に感じ取れる程に生地獄なんです。
その苦しみが分かるからこそ、苦しくても死ぬ事すら出来ないんです。
私も自殺はただ楽に逃げただけと思います。
だからって逃げたら終わり、、
私は年間自殺者の数をニュースで流すのをやめて欲しい
そんな数ばかり知らせるから、たやすく自殺するという安易な選択を連想させている気がします。
自殺を身近に発想させやすくしているんです。
生きたくても寿命と闘いながら生きて居る人沢山います。
最低な言い方ですが、どうせ死ぬなら最期、誰かの役に立つ臓器提供を出来るように考えてから命の選択をすればいいのに…とさえ思ってしまいます。
そんな事考えたりしてる時間が少しもない中、様々な理由で命を落としていく人間がゴマンといる世界なんだよなぁ~と。
私自身『生き辛さ』も感じたりしながら日々過ごしているので決して日本人が『平和ボケしてるんた』とかは全然思いませんが。。
そもそもこの書き込み自体アホ丸出しで趣旨とは違うところの意見で申し訳ありません。。
自殺を容認する、しないかの議論については自分なりに思うところはありますが、アホなのでこれからも自分なりの模索を自分なりにして行くところに留めておきたいと思います( ̄^ ̄)
嫁も言いましたが、病院に行くこと自体が「生への執着」だと思いますし、本当に鬱が深刻ならば、動けませんし食物も食べれません。ましてや遺書など書けません、そんな余裕があれば会社行きますから。
ただ寝ていて、漠然と「死んだらみんな悲しんでくれるかな?」とかは考えます。自分はその時点で深刻な鬱ではないんですけどね。笹井さんは、全てを墓場まで持っていくつもりで死なれたんだと思います。ご指摘のとおり、鬱だから死んだのではなく、何らかの明確な意思を持っていたから、決行されたと思います。
「自分の死は周りの人に迷惑なんかかけない」
と思っているわけではありません。
「周りの人のことなんて考える余裕はない」
というのが実際だと思います。
これだけ多くの人が自殺する日本において、
「自殺」は、「殺人」と同じく絶対悪であるという
社会的なコンセンサスが必要であると考えます。
確かに「自殺」も含めた、ほとんどの主義主張は相対化できます。
「殺人」であっても自爆テロをやる原理主義者にすれば肯定されるものです。
しかし本来「殺人」は絶対に相対化させてはいけない行為です。
「殺人」を肯定するということは自分自身が殺されることも
理由があれば肯定されてしまうことになります。
「自殺」という行為を『しょうがない』と思える方は、
「殺人」についてもどうしようもない理由があれば『しょうがない』のでしょうか?
身内が殺された時に『しょうがない』とは絶対思えません。
「自殺」も「殺人」と同様だと思います。
身内が自殺した時にどれだけ周囲の人を不幸にする行為か。
あんなに苦しんでたんだから自殺はしょうがないとは
絶対に思えないし思いたくありません。
ウツなどの病気がどうのとかは関係ありません。
どんな悲惨な状況でも生き抜いている人は大勢います。
「自殺」は最悪な現実逃避であり、
周りの人を不幸にする最悪な行いです。
社会的に「自殺」は絶対によくないというコンセンサスを持つことが、
「自殺」を考える状況にある人の抑止力になると思います。
日本での自殺者が少しでも少なくなることを祈っています。
確かに自殺はダメだっていう意見は長谷川さんと同じです。人を殺してるんですから。
だけど、そこを選ぶしかなかったくらい追い込まれて苦しかったんだろうなっていう心情は理解できてしまうんですよね。だからといって「じゃ、自殺していいよ」とは言いません。自分の知人が自殺をしようとしてることを知ったら必死で止めるし説得するでしょう。
ただこの前、配偶者が認知症に陥って介護をしてるおじいさんの話をTVでみました。老々介護です。
一般的にしられてるアルツハイマーとは違ってピック病という認知症の為に、あらゆる施設に入居拒否をされ、24時間介護をしなきゃいけないおじいさんは睡眠時間もなく体力的にも限界がきて2人で死のうと考えたと言ってました。ま、その後施設が見つかって今はきちんと生活できてるのですが、それを見たときに、老々介護で配偶者に手を掛ける人。また、その後、自殺を選ぶ人。ニュースでよく見ますよね。この人たちを誰が責められるんだろうって。
責められるとしたら、子供がいるとすれば、介護の手伝いをできなかった子供、そうでなければ、そういう人を受け入れられない施設、またはそういう体制を作れなかった自治体、政府なのかなと。
本人をそこまで追い詰めてしまった周りの責任も大きいと思います。
自殺はダメだっていうのは簡単だけど、自殺しないような環境を作ってあげるのが大切なんじゃないですかね。日本人はそれが下手な気がします。日本人の気質として。
本当は生きていたかったでしょう。
自殺をすることの是非なんて議論するようなことではないです。
長谷川さんのご意見はまったく正しいのですが、読んでいてどうも、この根深い問題の核心部分について知らずに、つまり、状況や身体や心の状態に追い詰められた人の状態についてわからずに、ご意見をなさっているように思えるんです。
現在「笹井」や「自殺」で検索すると、長谷川さんのこのブログが最上位でヒットします。
この問題、よろしければ、つらつら取材なさっていただき、実態を知っていただき、取材を元に知りえた新たな情報を含めまして、ブログでご意見を発信し続けてはいただけないでしょうか。
勝手なこと言うな! と、心の声が聞こえてきますが、この問題、苦しんでいる人が多い割には、健康な人にはまったく伝わらない問題なんです。
それで、急にそういうことに追い込まれた人は、どうしていいかわからなくなって、自殺してしまったりします。
よろしければ、このままこのテーマを、つらつらでいいので取り扱ってください。
有名な方々とはいえ、憶測だけで実名を出してしまったことは、これはお許しください。
(連投もちょっとしくじってしまいましたが、お許しください)
また、パキシルという有名な抗うつ剤がありまして、この薬の副作用に、自殺したくなる、というものがあります。
抗うつ剤のいくつかのものには、自殺衝動が強くなるという副作用があります。
笹井氏は抗うつ剤で、ろれつがおぼつかなかったという報道もありますので、あるいは、その影響も出ていた可能性もあります。
(笹井氏の件は、エリートにありがちな打たれ弱さを感じずにはいられず、また、お立場の上からも、自殺はしてはいけなかったと思えるのですが、、、そもそも科が違えども医師ですし、、、抗うつ剤でも医師の自殺は止められなかった実例が残りました)
それに、抗うつ剤を服用しながらお酒を飲むと、やはり効果が出すぎて自殺衝動が強くなる場合もあります。
(ものすごく明るかったと言われていたポール牧師匠は、このパターンではないかと思います
大杉(鈴木)君枝アナは、お知り合いではなくても、長谷川さんもご存知ではないでしょうか。
報道されている以外は憶測ではあるんですが、あえて名前を出させていただきます。
テレビを通して見ていた大杉さんは、まじめでありながら、お笑いタレントさんの無茶振りにも合わせて番組を盛り上げ、視聴者の方によろこんでもらおうと努めていらっしゃったようにお見受けしておりました。
一方で、私生活も当然まじめに取り組んでいらっしゃったと思うのですが、繊維筋痛症という難病にかかられてしまい、そして、あとは伝えられているとおり、残念な道をたどられてしまいました。
産後うつ、という言葉もありますが、出産後、間もなかった事も原因の一つかもしれませんが、繊維筋痛症という、治る見込みの無い、痛みがずっと続く病気になり、子育てやその他の事との兼ね合いから、まじめでいらっしゃった大杉さんは、身体も心もいっぱいいっぱいになり、考えることすらできなくなっていたのだと思うのです。
また、繊維筋痛症もそうですが、痛みが続き、治らない病気をお持ちの方は、痛みから逃れたい、人様にこれ以上を迷惑をかけたくない、という思いが、正常でない身体の具合で追い討ちをかけられ、死という選択を望んでしまうようになる場合があります。
連投③
同じく、タレントの清水由貴子さんも、ご母堂の介護疲れと責任感から、同じような心境になってしまわれたのだと思います。
まじめで、身体がいっぱいいっぱいで、まともに考える事ができなくなる、という状態について、もう少し、長谷川さんにもわかっていただきたいのです。
ただのアホ、で片付けられないんです。
自殺はいけない、と、健康時には当たり前に思っていたような人が、なぜ死を選んでしまうか。
この点についての実態を、もうちょっと知ってください。
(笹井氏の事についてではなく、総論という事でお話します)
自殺は絶対に認められない、という点は、これはまったくそのとおりです。
そして、自殺する方の中には、健康時には、自殺など認められないと思っている方もいます。
でも、身体と心が追い詰められると、自殺を選んでしまう場合が少なからずあるんです。
自殺したらまわりの人が悲しむと言われてますが、悲しまれない人だったらしんでも良い訳じゃないでしょ??
命は同じだと思います。
まわりに愛する人や友人がいる人も全くいない人も命は同じだけの価値があります。
長谷川さんの理論でいえば、死んでもまわりの人を悲しませない孤独者は自殺しても殺されても構わないというふうにとれるので。
自殺について書かれていて興味を持ったので書き込ませて頂きます。
長谷川さんは自殺は殺人と同じようなものと書かれていますが、私は、自殺については本人の自由ではないかと思っています。他人の命を勝手に奪うのはダメだけど、
自分の人生、命なのに自分で終わらせる選択したらだめなんですか?
確かに残された人は辛いけど、だからといって生きたくない人を生かすのもって思います。生きるのが辛くて死にたい人を無理やり法律とか道徳で縛って生かすのって、ただの周りの人のエゴだと思います。
某国では安楽死が認められています。私は日本でも安楽死が認められることを願っています。
病気やらで苦痛で苦痛で死にたくなっても死ねないなんて嫌ですから。
乱文失礼しました。
現在は症状が落ち着いており、自殺願望自体がなくなると同時に、
何故あんなことをしていたのだろうと自分でも不思議でなりません。
「普通じゃない状態になる」
このことは、普通じゃない状態になったことのない人には分からない感覚かもしれません。
色々酷いコメントがあったかとお察しします。
まあ「本音論」で批判覚悟でしょうから。
私も「よくこんなこというなあ」と時にはあきれ、時には感心しますけど…。
切腹のくだりはいらなかったかも。
そもそも昔の時代の価値観を現代の感覚で語っても的外れな感じがします。
昔の日本で、自死を美徳とするような文化があって、それが脈々と現代の文化にも少なからず影響を与えているようなことを主張したかったのですかね。
「日本って…」とありましたが韓国だってかなり自殺率高いですよね。
容認というか、自殺を選択する傾向になりがちな文化的な土壌というものは国や地域であるのかもしれませんね。
そういうことを言いたかったのかと勝手に解釈いたしました。
だとしたら伝わりにくかったかも。(解釈が間違えているかもしれませんが)
異常と正常の記事がありましたけど、「何があっても死んじゃダメっ」てことですよね。
良くある正論ですよね。
逗子海岸の件で正論についてコメントしてましたけど。
今回は語調は強いけど、意外と普通という感じです。
でも笹井さんの件を機に、記事を読んだ方に自殺を考えさせるきっかけにはなったと一応の効果は認められるかと思います。
笹井さんの件に対するメディアの責任論については自殺の良否ではなく、メディアの最前線に身を置くかたに正直な気持ちを聞いてみたかったです。
論点がズレてしまっているのが残念です。
はあ?ですね。
なぜ上を見れないのか?
もっと言えばあなたはなぜ生きているのか?
上を向いて歩けないのは、遺伝的なものなのか
これをね、医療的に治そうと思っても、無理ですよ。
心療内科、精神科・・・・なんですかこれ?
「あ。俺病んでるな」
「ちょっと精神科で見てもらおうかな」
「もらった薬飲んでたら、口内炎が・・・」
わかります、はいわかります。
病院に行くまでに、相談する人もいないのかな?
独居老人ならまだ分かる。
笹井氏は大人に見えるけど精神は中学生レベルだったんだね。
社会人って何らかの仕事をして、その対価として報酬をもらうんだけど
その「仕事」の中には苦悩や苛立ち、挫折裏切り全て含まれていると
思わないか?
誰がね、順風満帆ストレスフリーで仕事を完遂できる?
誰でも大小問題を抱えながら、生きてるよ。
俺の周りでも、ほんと自殺は多いよ。
けどね、あなたが自殺してね悲しむ人間誰なのか
考えたらね、絶対諦めたらあかんよ。
前回も書いたけどね俺の22~44歳までは、結果が出なかった。
45で花開くこともある。
Facebookに、載せたのを、見ていろいろ考えさせられます
私は小学校からいじめが、すごくあり今の職場でもありますね。でも、毅然としているんですが、時には弱いところもあります。
大人になってから聞こえなくなったのでその道のりは長いのですが、今はある同居人に、殴られたりは、ありますね。
でも、回りは殴るのはDVと言われますが私は、母親が手に挙げる人でしたから何か悪いことしても手にあげた時代でしたが、今ら手に挙げるのは、禁止時代ですよね?
口で、嫌がらせで、子供が、悩んで自殺って、言うのは、親もしからない時代に、突入したのでは?と私は思うけど、ど今は良くわかりません。
今は誰を信用してよいかわからないので、耐えてる一方で、何時かは明るい日が、来ると信じながら…
ていう理屈に、激しく反論したいのですが』
解釈が根本的に違っていると思います。
「うつ病」の【症状】の中に、「自殺衝動」「自殺願望」というものがあります。
(※全てのうつ病患者がこの症状を発症するわけではありません)
インフルエンザになったら熱が出る、骨折したら患部が腫れる、これに近いものだと思ってください。
その認識を持たないと、「うつ病」による自死を防ぐことはできません。
「こうあるべき自分」と「肉体の自分」が分離してしまって、
「こうあるべき自分」と「肉体の自分」のギャップが広がる。
「こうあるべき自分」は社会関係の中でつくられるけれども、
かなり、言語的、概念的、イメージ的につくられる。
だから、「世界を、社会をどう捉え、そう見るか」で変える事ができる。
「こうあるべき自分」と「肉体の自分」のギャップが広がりすぎた時、
そのギャップに苦しむ人が多い。
けど、「肉体」は変えられないから、「こうあるべき自分」という「考え」の方を
シフトさせていくのが、「普通に生きる」ことだと思う。でも、
「こうあるべき自分」をどうしても「変えたくない」場合、「肉体の自分」
を変えてしまう。整形、性転換、自殺
これは、脳内イメージによる肉体の虐待だと思う。
脳内イメージが、体内を勝手に占拠し、独裁政権を敷いている。
養老孟司センセイの「唯脳論」の行き着く先だと思います。
から、殺人事件に話を展開させる時点で、貴方は心底「うつ病」について理解する気が無い、数多くの指摘にも耳を貸さない人だという事が良く分かりました。
『「精神状態が不安定」なら「精神状態を安定させる治療を行うべき」なんであって、そこに「自殺」って選択肢は入れちゃダメだろ。繋がらないだろ。そこは。繋げてもダメだろ。』
もうぽかーんとするしか無いのですが、精神疾患が疑われているのに周囲や家族の勧めも聞かず専門医への通院を拒絶したのならばまだしも、笹井氏の場合はそのケースでも無い。「選択肢」として「自死」を選んだわけでは無い(可能性がある)のに、相変わらずそこの理解は一切しようとしない。
客観性を失い、かつ他者からの指摘も聞き入れない。それで「言論人」と胸を張って言えますか?
ただ、「うつ病だったんですよ。正常ではなかったので『しょうがない』」の『しょうがない』の部分に関しては、私も『しょうがない』とは思いません。
日本ではうつ病をはじめとした精神治療は投薬療法中心で行われています。これは変えていかないといけないと思います。
まず絶対に認めないと書いていますが、認めちゃいけないんですよね。特に不特定多数の人が見れる場所では。例え長谷川さんが自殺に理解を示していたとしても。肯定してしまったら誘発しかねませんし認めてもなにも生まれませんからね。
また自分の生命ってのは自分の財産とは違います。自由に扱っていいものではありません。生命がなぜ与えられたのか、根本原因を考えてみないといけませんよね。生きさせてもらえてること、選ばれた人なんだということを。
精神的に病んでしまったら、病院、薬、環境、周りの人も重要ですが、応急処置なんですよね。最終的には本人の気持ちをコントロールできるかです。病んでいるときって周りの声は聞こえないし薬も治す時間を作っているだけですし、コントロールできない人は長い通院を余儀なくされますから。
また、子供の頃から沢山挫折をして学んで挫折してを繰り返していくような環境をつくってあげないといけません。うまくいかないのが人生だということを認識させる必要があると思います。
このようなことを普段から教え、考えさせていくことが病まない、病んだときに自殺をしないようにすることではないかなと経験上思います。病気に理解を示すことは大事ですが自殺に理解を示しても自殺は減らない、だから認めるべきではないと思います。
自殺と殺人は同じかは非常に似て非なるものではないでしょうか?
もし、友達が誰かを殺して逃走中に事故死したときに葬儀に参列しますか?もし参列するなら自殺=殺人ではないでしょうか。
台風が接近しているときに川に遊びに行き、中州に取り残されて救助される若者集団と冬山登山で遭難して救助される登山者。愚か者か冒険か。私には違いが説明できません。
①なぜ自殺を選択するほど「異常」な精神状態へと至ったか
自殺する人は異常なのです。しかし、なぜ精神が異常状態に至るのでしょうか。その原因は周囲の環境にあるはずです。当然自殺者本人に帰責する要素がないとは言いませんが、報道や文献を参照する限り、多くの場合は人間関係や社会・経済的事情が背景であると想像されます。
したがって、サポートできなかった「正常」な精神状態にある周囲の人々の苦しみのみを取り上げ、自殺を許容できないと断ずるのは一方的であると思います。その意味で、「自殺はしょうがない」を遺族等への慰みの言葉として用いる限りにおいては私も認容できませんが、自殺者はまさに「異常」であり、それゆえに自殺という発想に至るのは「しょうがな」かったのではないでしょうか。
②自殺を選択させないことは却って自殺の選択を助長させるのではないか
先述のように、自殺は「異常」な精神状態の下で起こるものと推察されます。「異常」とは、おそらく「追い詰められている」という状態で、通院するなどの正常な選択を必ずしも行い得ないでしょう。そして、このような「異常」な人間に対して、自殺者があたかも悪であるかのようにして自殺を否定する行為は、追い詰められている者をさらに追い詰めて自殺への道を拓くばかりであって、自殺を防止できるとは思えません。
自殺を悪であると断ずるのは簡単ですが、その言葉を自殺者に対して向けることは無益であり、正常なる者の感情論だと私は思います。
最後に、家庭環境等を理由に殺人を犯すべきでないことを引き合いに出していましたが、現に裁判ではそのような事情は忖度されていますし、すべて個人の責任とする考え方は普遍的なものではないことを付け加えさせていただきます。長々と失礼いたしました。
自分の正義感に酔った可哀相な方ですね。
命は大切。これは納得。
自殺。妄想とかに囚われていたとしても…本人が究極的に考えた結果。
周りが手厚くサポート?
必ずそのサポートが上手く行くとは限らない。
限界がアル。
綺麗事はうんざりデス。
自殺って物理的に出来るし、自分の苦しみに終止符を打つ手段の一つであることに間違いはないと思います。
そりゃ周りは辛いでしょう しかし、本人は死ねばそれ以上苦しみません。
自殺なんかありえないのになんで自殺するの? ってそれだけの話です そこまで踏まえて論じていただきたいです
記事内では、殺人についても触れていますが、では実際問題としてなぜ多くの人は人を殺さないか。簡単な話です。頭の中で簡単な計算をするんですよ。「殺意+覚悟=殺人=罪人」の方程式が成立しているんです。日本で出所者(殺人罪)の仕事なんて大してありませんから、一生を棒に振ってまで殺す理由は余程の事がない限りないのです。
しかし、ここでいう「精神異常」でなくても殺人を犯す人もいます。自身の将来の(栃木実父殺し事件)為、自身の生命を守る(正当防衛事案)為に殺人を犯した人もいる。
理解せずに全てをまとめて「精神異常」と断ずるのであれば、自殺を論じる以前の問題ではないのか。
この記事では最後に日本の「切腹文化」を批判しているが、果たして「切腹文化」が今日の日本で発生している自殺と同列なのか。第二次大戦終結まであった切腹文化だが、少なくとも彼らはその責任から自ら刃を自身の腹に刺す。己の名誉と贖罪の為、死を以て償うというものだ。確かに自殺と似てはいるが、細部が異なる。それは自殺の原因として確かに贖罪もあるが、自殺の理由はそれだけではなく、また原則として切腹は衆人環視の下で行われるという事だ。
どうだろうか。
最後に、精神異常の殺人の許容とある。私個人が許容したことがないが、法規範という観点でならばそのように明記してもらいたい。少なくとも複数人の殺傷で精神病棟は私もおかしいと考えている。
人が自殺する理由は様々です。経済面や対人関係、就業・・・・挙げればキリがない。
鬱病もその理由の1つになるでしょう。私は鬱病を罹患したことがないので、経験はありませんが、友人が自殺した理由が鬱なのかそれとも将来への絶望かはその亡き友人のみぞ知ることです。そして自殺に至った友人を、生きている我々が責めることも同情する事もできません。
どれだけ自殺者の近親者や友人がショックを受け傷つき悲しむとしても、自殺を決意し実行に移した人物に比べれば、まだマシでしょう。なぜならその人物はその一線を越えるための動機があった。例えそれが第3者から観てどうでもよい事柄であったとしてもです。故に人は自殺する。その理由を理解しなければ、少なくとも自殺の可否は論じられないでしょう。
記事内では、殺人についても触れていますが、では実際問題としてなぜ多くの人は人を殺さないか。簡単な話です。頭の中で簡単な計算をするんですよ。「殺意+覚悟=殺人=罪人」の方程式が成立しているんです。日本で出所者(殺人罪)の仕事なんて大してありませんから、一生を棒に振ってまで殺す理由は余程の事がない限りないのです。
しかし、ここでいう「精神異常」でなくても殺人を犯す人もいます。自身の将来の(栃木実父殺し事件)為、自身の生命を守る(正当防衛事案)為に殺人を犯した人もいる。
理解せずに全てをまとめて「精神異常」と断ずるのであれば、自殺を論じる以前の問題ではないのか。
わかります。
周りの方、特に近しい人にとっては、心に深い傷を遺す事になるかと思う。
自分で自分の命を断つ…確かに一つの殺人ではあるのかもしれないけれど、“死”を意識し選ぼうと一瞬でも考えた事がある者としては、今回の長谷川さんの記事を読んでいて辛く切なく感じました。実際近い方を亡くされて、長谷川さんもとてもツラい経験をされていると思います。
でも。率直な所、自殺を選んでしまった方の生き方や思いを否定するように聞こえてしまいました。
追い詰められて病になって、本当は本人も選びたくなかったかもしれないけれど、それ以上に傷付き心に余裕もなくなり希望を失い、疲れ果てブレーキをかけられなかったのではないのかな…。
周りの人の事もきっと浮かんだと思うけれど、もしかして自分が存在している事で迷惑かけてるかも、いっその事いなくなった方が皆楽になるんじゃないか…そう思ったかもしれない。
私は軽い鬱だったけれど、しょっちゅうそう考えてしまい切なくて申し訳なくて泣いていた。何でもない時に、急にそんな考えが浮かんできて泣いた事もありました。
後から思えば、自分があの時ああ言えば考えれば良かったと思う所もありますが…でもツラかった。
気が弱い、心が弱い、もういい歳した大人がと思われるかもしれませんが、そう考えてしまう人もいるんです。普段はそんな事考えるような人でなくても、ある時何かが起きて追い込まれて選んでしまうかもしれない。
心を強くもてる人ばかりではないです。
自殺で近い人を亡くした事ないのに、偉そうに語るなと思われるかもしれませんが、言いたかったので長々と書きました。
自分の経験と考えと想像の部分と混ざって、読みにくかったかなと思います、ゴメンなさい。
そもそも殺人がダメだっていったって、裁判で、何故殺人したか吟味するし、それによっては、同じ殺人だって刑が変わってくる。
つまり「一律」って事はないのですよ。
あなたは一律「自殺ダメ」って考え方だが、事情は酌量されるべきです。
そして、今回の自殺は、マスコミによる一種の自殺教唆だと言っていい。
あなたの理屈ではどんなに教唆されても自殺するやつは悪だといって
教唆そのものについてまるで関心を持とうとしない。
教唆したマスコミの当事者の片割れとして、その態度はあまりに無責任なんじゃないですか?
私の言っている事が理解出来ますか?
よく考えて下さい。
殺人がダメだったら、教唆しても、関係なく殺人がダメというだけで、教唆者は関係なく無罪なのか?
自殺がダメだったら、教唆しても、関係なく自殺がダメというだけで、教唆者関係ないのか?
最初の質問者は自殺の意義を問うているのではないのです。自殺教唆の責任制を問うているのです。
それをあなたは自殺の意義にはぐらかしている。それがズルイと言えるんじゃないですか?
つまり、自分の都合で他人の選択肢を勝手に狭めているだけなんじゃないですか?
自殺もエゴならあなたの主張もエゴだと思いますよ。
自殺は選択肢にないって、そんなの無理ですよ。だって出来るんですもの。
同じく殺人だってチャンスがあれば出来るんですから選択肢でしょ。
もちろん、それにともなう結果を引き受けなければならない。
本人も周囲も。
それも引き受けさせる事も含めて、選択肢なんじゃないですか?
殺人も、場合によっては社会に対する一つの意思表明でしょ。
つまり、テロがそうだ。
自殺も同じ。チベットである焼身自殺だって、社会に対する一つの意思表明でしょ。
そこには場合によってはそれしか選択肢がないという状況に追い込まれた結果なのかもしれない。
あなたの理屈では、そんな状況はあり得ない!なんでしょうけど、それはあなたが、そこまで「思いやろう」って気持ちがないからなんじゃないですか?
原因は、働き過ぎでした。
過労から風邪をこじらせて、ゆっくり治す暇も無く体の悲鳴を無視した結果、心が倒れたのでした。
医師からは、頑張ってと言わないで治癒するのを待ってあげてと言われました。
体が風邪を引けば熱や咳が出る、心が風邪を引けば鬱になる。鬱は精神論で補えない立派な科学的病いだから皆で彼を看病しましょう、そう言われました。
例え様無く辛そうな夫を目の当たりにして、私が真っ先に医師にお願いしたのは、とにかく安らかに過ごせる日を取り戻してあげたい。それだけでした。
医師は、私(医師)は彼(夫)に適した薬を、あなた(妻の私)は安らぎを、職場は時間を彼に与えること、それ以外に彼を救う方法は無い。大変な日が続くと思うが、夫のこれまでの人生とこれからの人生どちらも大切なら鬱=死は選択肢じゃない。鬱は不治の病じゃなく心の感冒症です。風邪っぴきの人に、楽になるなら死なせてあげよう、なんておかしいでしょ?
死を選ぶ人の気持ちをわかってあげようよ、なんて言う人がいたら、そんなの他人の偽善に過ぎない。上っ面の偽善に耳を傾ける必要は無い。
繰り返し医師から言われた言葉です。
夫は、当時の事を、あの頃はとにかく辛くて自分が死んでもいいのかな、と君(私)にずっと許しを探してた気がする。でも君と先生の態度には安らぎはあったけど死への許容は全くなかった。ありがたかった。しんどい自分の居場所がこの世にあると思える細い道筋が段々見えてきて、気付けば心が楽になってた、と言います。医師の言葉が無かったら、私も偽善者になっていたかもしれない。
死にたくなる気持ちを病状として理解する事と、死を容認することは一緒にしてはいけません。自殺は選択肢の一つだなんて周りが口にしてはいけません、絶対に。
メディアが風邪引きのきっかけになったとしても、死を選択させない職場であったなら。。
私も唯一の親友が自ら命を絶った経験があるからです。
翌日逢う約束のメールをしていて その30分後に親友は帰らぬ人になりました。
親友もうつ病でした。だからって自殺は仕方ないとは思いません。
そして私自身軽度のうつ病になっていた時期があります。
あくまで私の考えですが・・・
その当時を思い返ると、死にたいと思った事はなかった気がします。
ただ・・・悩んで、考えて、頭の中は色んな思いがぐるぐるしてて答えも出せずに
『こんな自分が生きてていいのか?』とか『こんなに苦しい状態がずっと続くなら楽になりたい』と思ったのは今でも覚えています。
経験上、死にたいと思って自殺するより、楽になりたいって想いなのでは?と思っています。
だからと言ってうつ病だからって自殺しても仕方ないとは思いません。
自ら命を絶つ事を肯定するつもりもありません。
私は親友の自殺を止められなかった。メールの返事がなかった時に親友の家に行けばよかった。
その自分への後悔を一生背負って生きて行くって、冷たくなった親友の顔を触りながら誓いました。
ただ、起こった現実をきちんと受け止める事しか私には出来ないと思ったから。
そしていつか私が寿命を生き抜いてあの世に行った時 親友に『あんた馬鹿だねぇ!生きてればこんな楽しい事もうれしい事もあったんだよ!』って自慢する為に・・・
確かに
ひとの痛みを共感できない殺人者と
自殺者は似ている心境なのかもしれませんね。
自殺が「自分を殺すこと」ならば、加害者=自分=被害者ですよね?
「精神病だから仕方ない」という心情の方々は、笹井さんのことを加害者としてよりも被害者として同情している面が大きいんだと思います。
笹井さんは「自分を殺した」のか「自分に殺された」のか。
どう感じるかは人によって異なるかと思います。
長谷川さんがご自身の経験から「自殺は認めない」と言い切る力強さは本当にすごいですね。
ちなみに私自身も笹井さんの自殺に関しては同情していませんが、「認められるべき自殺もあるかもしれない」という立場です。
もし機会があれば、終末医療や尊厳死などの死生観についても、長谷川さんのご意見を伺ってみたいです。
「人の死」について改めて考えさせられる記事を書いて頂きありがとうございます。
わたしの選択肢に自殺があります。
身近に自殺したもの、自殺未遂のもの
大人になると増えました。
残される人の悲しみも理解できます。
だから自殺する時はきっと身を隠します。
生きている振りをします。
ただ思うのは
普通は
自己中心的な気持ちにならないと鬱にもならないし自殺もしないと思います。
自分のことしか考えられないくらい
余裕がなくなったんだなと理解してます。
制限で書ききれなかったことを付け加えさせてください。
自殺論にシフトしてきましたが、笹井氏の自殺とマスコミの関連に関しての質問の答えが「大前提で自殺は認めない!自殺につなげる理由なんかない!俺だって同じ体験したけど自殺していないぞ!」だと、なんだかぼやけているかと。
質問の仕方も「自殺」までの責任を問うたのがずれた要因かと思いますが、
多分、ここの読者は「自殺に追い込んだ責任の有無」だけではなく
「不当に追い詰めた」ところがあるのかも聞きたいかと。
もう一度言いますね。
追い詰めた結果の自殺を認めるかどうかではなく、その前段階、「不当に追い詰めた」と感じるかどうか。
私は不倫疑惑、阿保方さんなどを「場外乱闘」でバカそのものと感じていますが、
「阿保方さん」を放送したほうがいいというポリシー、
「阿保方さんの何が問題なんだ?」と言い切った長谷川さん。
「自殺だめ、絶対」とかきれいな議論ではなく、上記の「場外乱闘」含め、マスコミは彼を追い詰めた一因になり得たと考えるのか否か。
小保方氏サイドにダメージを与えたあの番組予告、笹井氏には無関係であったと到底言えないと思います。加藤さん、笹井氏をやってましたし。
不倫疑惑なんて論外。彼を不当に追い詰めたでしょう。
そして、
報道機関に身を置き、TVに出続けた長谷川さんと、笹井氏とでは
ネット、マスコミの暴走に対する免疫が違いすぎる。
「全部知った上で」という目からの持論は無理がありすぎます。
立場が似ているように見せかけて、実は全然違うと思います。
非承認は容赦なくどうぞ。
今までも長谷川さんは非承認のコメントは持論があれば完全無視しておらず、結局それなりに反応してましたから。
何も反応がないということは、書きたい考えがない、と理解します。
正常な判断ができないという強いストレス症状で 「自殺」 を選択しても仕方がないでもない。
長谷川さんの意見に賛同しています。
「仕方がない」という人も本当は 「仕方がない」と「言ってはいない」のではないか。
「仕方がない」という言葉や、「責める気もない」という言葉を放つ人は、自殺を「選択」する行為を全て肯定している でいいのか。
「仕方がない」という言葉が何故出てくるのか考えてみた。
死んだ人に対し、何故死んだんだよ、他の選択肢があるだろう、対策はなかったのか、相談は、予防は・・・
どれだけ相手に問いかけても 答えが返ってこない。
選択肢の中から「自殺」を選んだ事実に対し、その相手に何を言っても「仕方がない」 という諦め ではないか。
そして、かわいそうだからは別として、そういう症状だから「仕方がない」。
これも「自殺」を選択した事実に対する 諦め ではないか。
皆、事実を受け入れられない、諦められない。
が、その諦め を言葉で言わないと整理がつかない人がいるのかも知れない。
諦め の言葉を言わない事で整理をつける人がいるかも知れない。
一方、殺人鬼の生死に関わらず、被害のあった家族は永遠に「仕方がない」はないと思うが、
各人がどう事実に向き合い、残りの人生をどう生きるか、様々な考えがあると思う。
~だからしょうがないんだよ は、言葉だけとると自殺は止むを得ない論者のように思うが、その人が真に(長谷川さんと同じような体験をしたならなおさらだが)、肯定しているとは思いたくない。
選択肢に入れたらダメだ、肯定してはダメだ。
皆が思っているハズ。
いつも応援しています。
今の自殺の問題に連続性があるとは思えない。
現代のはもっと病的な入り組んだ根の深い問題のように思う。
今の自殺に対する擁護的な雰囲気をつくる日本人としての特性は、
死者を悪く言いたくないし、
自殺したものを罪人のように言うのは、家族に対しても気の毒だろうと
他人を思いやる優しさがあるからだろう。
(それからみんな実は自殺願望があるから人のことを言えない・・・)
特攻隊のことを言えば・・・
どうしようもない社会情勢のなか、
誰かが犠牲にならなくてはいけないと追い込まれ、
自分の死が、家族を他の国民を生かすことになるのだと
言い聞かせて死んでいったその気持ちはちゃんと受けとめるべきだと思う。
私は特攻隊のことを思うたびに、自殺などとんでもない贅沢だと思い直す。
あと、先天的であれ後天的であれ精神疾患にかかってしまったものに対しては、
当然のことだが社会が、周囲の人間ができるだけ愛情をもって接する
べきだしそうするしかないだろう。
多くのコメントにあるように、そのような人に人を殺すな、
自殺するなと言っても気の毒だがわからないのだから。
かなり話は脱線しますが、かなりつたない英語でも自分の気持ちを周りに伝える大切さ、私今これが辛いんだよと
内に秘めるのではなく些細な苦しい事でも自分から発する事で聴いてくれる方はいるんだと初めての海外で学びました。
内に秘めて自分で解決しようとするあまり、余計悩んでしまうというループをたどらないために、
声を上げる事も必要だと思います。誰でもいい、誰かにまず話す事から悩みの根っこを摘んでいけるように。
とくに、うつのような、気分障害の場合、寛解寸前で自死に及ぶということは、よくある話なんです。
何かから逃げ出したいから自死に及んだということは、あると思うし、それがなければ説明がつかないといったこともあるわけです。
もちろん、あと追い自殺なんかもありますけどね。
でも、説明のつかない自死もあるんです。
長谷川さんの、選択肢の一部に自死があってはいけないというのは、一般道徳、倫理、観念としてはそうですが、実際問題、そこまでいってしまったひとには、この世には存在せず、自死の理由は聞けないわけですから、問題提起としては正しくても、実際の運用はそうはついていかないのが世間の習いですよね。
また、治りかけのうつ患者が自死を選びやすいということの説明は、今もってよくわからないということもあって、問題は複雑ですから。
『ぜったい!』
って言いますが、これは意識的ですか?無意識ですか?
貴方の『ぜったい違うからね!』
に、『ぜったい!はないからね!』
と言わせてください。
どんなに貴方の常識から外れても、
それでも、どうしても自ら死を選ぶ人はいます。
そこに、ぜったいダメだからね!は
通用しないんですね。
絶対に間違いを起こさない人はいないんです。
でもその正論がかえってツラい精神状態になる人も、世の中には沢山いるんです。
長谷川さんが大事な人を失ったツラさも、追い込まれる立場を経験されたことも分かります。
でもそのときに、同じように声をかけてくれたり、目をかけてくれる人間関係が無い、孤独な人も沢山いるんです。
長谷川さんからすれば到底理解できないでしょうけど、例えばニューヨーク時代のブログで、次男坊君が言葉の壁から授業を聞かないことを身につけてしまって、最初長谷川さんは「真剣に授業に取り組みなさい!」って叱ったけど、その原因が解って奥様が一生懸命に勉強に関わったことで、次男坊君がちゃんと勉強に取り組むようになったのを見て泣いたって綴られてたじゃないですか!
人間、その状況に置かれた人にしか分からない精神状態や行動というのは間違いなく存在します。
長谷川さんの言われてることは間違いなく正論ですけれど、次男坊君を叱った時と同じで相手の気持ちを本当に理解しようとされてません。
そういう人たちからすると今回の長谷川さんの正論はツラいんです。
長谷川さんからすれば、絶対に自殺なんてしないで欲しいという想いを込めているのは解るんですけど、かえって追い込んでしまってるんです。
これからも長谷川さんのこと、応援します!(^^)/
また、自分だけささっと死んでしまい、残された人には一生心に残る傷を負わせることになるので、そんなもの到底容認できないというのも、その通りだと思います。
しかし、自殺してしまう人は一択の精神状態になっているんじゃないかと思います。
そして「自分が死んだら周りの人が悲しむだろうな」という感情がすっぽり抜け落ちてしまっているのでしょう。
普通は人を殺しませんが、私利私欲のために殺すこともあると思います。あるいは人を殺してみたかったという理由で。
人を殺せば裁判にかけられます。その過程で精神鑑定をする場合もあります。
精神鑑定の結果、責任能力がないと判断されれば罪に問えません。
もちろん被害者の関係者は、責任能力があろうがなかろうが、殺したことに違いはないのだから、そいつは絶対に許せない、死刑にしろぐらいの気持ちでしょう。
でも罪に問えないし、納得できない気持ちのままでいるしかない。適切かどうかはわからないけれど、それを「しょうがない」という言葉で客観的には表現していると思います。
なぜその一線を越えてしまったのかは本人にしかわかりません。もしかしたら本人さえも分からないかもしれません。生きていればあれこれ問うことができるでしょうが、自殺してしまい当の本人がいないのでそれができません。
生きている人があれこれ考えて、自分なりに理解し納得しようとする過程で、個々に色々な考え方があって異なるのは自然なことだと思います。
論文も本もたくさんあります。
ぜひ、1冊でも良いので読んでみて下さい。
うつ病による自殺と殺人は違うと思います。
自殺はどちらかというと殺人の被害者に近いと思います。
本人が自殺を選択したのではなく、
病気によって自殺することになってしまったんです。
自殺を美化していたのは、切腹や特攻という言葉が
日常的に違和感なく使われていた時代ではないでしょうか?
今の日本では古い考え方だと思います。
長谷川さんは医者ではないし他人の気持ちが想像できないようなので
経験してみないときっと分からないと思いますが(分かりたくない?)、
経験したことのない私でさえ、きちんとした知識を身につければ、
「自殺=逃げ」は短絡的で偏見に満ちた考え方だと分かるようになります。
「自殺=逃げ」と決めつけている無知な人がいる限り、
日本の自殺者は減らない気がします。
長谷川さんの今回の記事は、肺がん患者に向かって
「呼吸困難で死ぬことを選択肢に入れるな」と言うのと似ています。
どうか、もう少し勉強なさって下さい。
もちろん「自殺=殺人」とゆう考え方は正しいと思います。
でも、よく「死刑になりたいから人を殺した。誰でも良かった」なんて殺人犯をニュースで知るたび(全然関係ない人を殺すくらいなら、自分で死になよ!)と思う自分がいます。
そんな人に、自分や自分の大事な人の命を理不尽に奪われるなんて…憤怒どころではありません。
正常な判断が出来なくなってしまった場合、その混乱した気持ちを自分に向けるか、他人に向けるかの差だと思うんです。
他人に向けるくらいなら、自分だけに向けろと言いたくなる事件がとても多いような気がします。
もちろん、自殺した方のご遺族は(なんで自殺したの…)と割り切れない気持ちで一生苦しむと思います。
ですが、大事な人を「誰かに殺された」場合、犯人に対する消えない怒りとゆう感情がプラスされてしまうので、すごく辛いと思うんです。
笹井さんのケースとは全く別問題になってしまいました。
テーマがずれていたらごめんなさい。
自殺は良くない事には変わりありませんが、私なりの意見を書かせて頂きました。
自殺、、、あります。しようとしたこと。もう5年前ですかね、双子と年子の3人の子供。完全な育児ノイローゼ、産後鬱です。よくある話だし、今思えばなんであんなことって思います。でもね、その時はそうすること以外全く考えられないんですよ。毎日毎日涙が止まらない。なんなんでしょうね、アレ。子供が可愛いくないわけじゃない。死にたいわけじゃない。でも思考がそこにしか行かなくなる、、、私はその状態から抜け出すのに1ヶ月程要しました。でもきっとそんな私を弱い人間だ、母親失格だって責める人いるでしょうね。自分でもそう思います。でもね、仕方ない。なりたくてなったわけでもないし。今はちゃんと幸せに母親やってます。そんな私の精神は異常でしたが、他人を殺そうなんて考えは浮かばなかった。自殺は肯定されるべきことではいし、無責任、いけないこと、逃げ、、、それはそうかなとは思いますが、それを殺人、異常者と同列は違うかなと私は思います。自殺はいけないこと、してはならないこと、、、だから自殺を考えるような人間が出てこないように、他人に無関心をきめこまず、思いやり、助け合う、そんな世の中になるのがいいな。
この記事は納得いきません。
自殺は自らを殺す殺人行為で許されるものではない、決して正当化されるものではない。
これは同意ですが、あくまでも個人の考え方の範疇。他人の人生のなかで自殺という選択肢はなしにしますというのは、個人でどうにかできる話ではありません。(というか、選択肢を奪うという、権限も力もないので、そもそもが不毛な提案なわけですが。)
もちろん、長谷川さんが「自分はどんなになっても自殺という選択肢はない。」と言うのは問題ないかと思います。
自殺する人は、多くが何かに絶望し、それから逃れるための死以外の選択肢が見つからないor見つけていてもそれを実行する気力や余裕がないので死ぬのだと思います。
もし、死ぬ前に誰かが希望をくれる選択肢を提示してくれれば思い直す可能性もあるかもしれませんが、そういうケースにどれだけの人が行き着くでしょう?長谷川さんが、自殺した友人に、手をさしのべて自殺を止めるチャンスはありましたか?
ただひとつ言いたいのは、マスコミのいじめ自殺に関する報道方法。
亡くなった人につらくあたる報道はできないにしても、何も対策を打たなかった校長が頭を下げ、クラスメートが泣いて惜しみ、いじめの張本人が罰せられるなど、「死ねばすべて思い通りにナルんだ」と錯覚させるに充分な演出。あれはやめさせた方がいいと思いますね。
自殺が選択肢に入っているのは日本だけでは無い様です。欧米では『尊厳死』が認められつつあると聞きます。回復の見込みの無い病の苦しみから逃れるため、人間らしい最後を迎えたいという望みを肯定的に認める人達もいる。やむを得ない選択、という捉え方なのでしょうが。。。本当に本当にそれ以外の選択は無いのか⁈ と思わざるを得ません。『それ以外の選択肢が無い状況』というのは、本人がそう捉えているに過ぎないと思うのです。
精神疾患による常軌を逸した行動による結末を断罪しようとは思いません。ですが、そこに至る程に自分自身を追い詰める、追い詰められるように思ってしまっちゃダメでしょう。うつになる程自分を虐めちゃダメです。そんな必要全く無いんですよ、人生に。
私達はこの世に生まれてくることもいつ死ぬかも選択することは出来ない、そういう存在でしょう。であればそのいつ来るかわからない最後の瞬間まで生き抜くのがその理不尽さに抗う最高の選択では無いでしょうか?
でも、長谷川さん。前にもコメントさせていただきましたが、逆風の中で、自分の意見を曲げずに貫き通すことは素晴らしいし、なかなか出来ることではないと思います。
私に出来ることは、長谷川さんの退路を断ってあげて、不退転の決意を後押ししてあげることだけです。
絶対に謝罪などなさらずに、頑張ってください!!
応援しています!!
頑張れ頑張れ頑張れッッ!!!!
色々な立場の方々が見ていますよ?
ご自分のブログですから自由に発言出来る権利はありますが、自殺と鬱病の因果関係はデリケートな話であり、他人があ~だこうだと述べられることではありません。
そんな簡単に済ませられる病気でしたら、精神科医なんていりません。
素人が余計なことを言うのは危険です。
論議しても悲しくなるだけ。
人を傷付けるだけの話題です。
長谷川さんは多分、自殺を防ぐという意図でにこういうことを書いてるんだと思いますけど、正直鬱病などの精神病で自殺する人間にたいしては、なんの効果もないと思います。
「自殺してはいけない」
「自殺すれば周りの人間が苦しむ」
正常な状態ならそれでいいけど、自殺願望抱えた状態でこういうこと言われるのって、ほんと苦しいんですよ。「自殺したい」という心と「自殺なんてとんでもない」という圧力とで、板挟みになりますから。
自殺を阻止したい人間は、相手がどれだけ苦しんでいようとも、それでいいと思っているのかもしれませんけど。
鬱病の人間に「がんばれ」と言ってはいけない、というのは鬱を調べれば常識のように出てくることですが、長谷川さんのブログはそれと同じに思えます。
検死管理する人が自殺者判定する最大限の数らしい。
もしかしたら年によっては自殺者三万人以上の時も有るかもしれないのです。
しかし、そうした周囲の悲しみを一切考慮せずに単純に己の死を考えた時。
まだやりたい事がたくさんあって死にたくないと思っている時に第三者から一方的に死を与えられる場合と、この世からこの身を抹殺したくて自発的に行動した場合。
どちらも、己の命が消えるという同じ結果にはなりますが同列には考えられないなと思いました。
脳が激しいショックを受けると、脳にダメージが与えられ、自殺しないように頑張って踏ん張っても、脳の悲鳴に耐えられずに、自殺してしまうんです。
自殺する人はもう次元の違う世界にいるんです。でも、周りが愛情でいたわれば、自殺をとどまってくれるかもしれません。
それが「間違った決断」だったとしても他人がガタガタ言うことではない
残された人の心の傷?
それは残された人が解決すること
自殺した人たちが抱えていた心の傷はそんなものではない、ハズ
もちろん未然に自殺を防げればそれに越したことはないが
起きてしまった事こそが真実であるならば
それを受け入れるのが残された人々の宿命
いづれにせよ
生きてるものはいつか必ず死を迎えることを理解すべき
アホ丸出しでしたらまた非承認で。
自殺を認めないは賛成です。
でも自殺が現に存在する今、「認めない」「自殺という選択肢がおかしい」と全否定する前に、世界中で年100万件も起きている「自殺」という現象を知ろうとしないと、永遠に交わることのない価値観のぶつかり合いに終始し、あまりにも非生産的な議論です。
もったいない、これほどの人の意見を集める力があるblogなのに。
今の段階だと悲しい体験からの「アレルギー反応」のようにも見える自殺否定論。
冷静な検証が欠けているから、違和感を持った読者たちから非承認したくなるコメントが来るのでは?(アホ丸出しのコメントの読者も、実はそんなにアホでもないと思いますよ)
悲しい体験から少し離れ、自殺を科学としてとらえてみませんか?
自殺者のほとんどは精神疾患を持ち、うつ病であったり、統合失調症であったり。
人によっては「自殺しろ」という幻聴、誰かに追われている「幻覚」のもと、自殺に走る人もいます。そんな人、たくさん見ます。
そんな人たちに、長谷川さんの持論、通じますか?
そんな人たちに「精神病だから仕方ない、じゃつながらないだろ!!!」と言いますか?
どこかの大学図書館にでも行かれ、自殺に関する論文検索してみてください。
例えばかもさんのコメントも文化的背景からの考察で勉強になります。
こういうblogだったらかなり寄せられるコメントも変わっていたのでは。
私は、この世に自殺が「存在すること」は認めます。
自殺が「許される」ことは認めませんが。
また、今回の事例では、「精神的に追い込まれた=自殺した」というよりも「自殺が幇助されたため自殺した」という表現の方が適切です。貴方の中で「精神的に追い込まれた=自殺した」が繋がらないのかは、記載が皆無のため推測しかねます。私は貴方の意見と伴に、前述の思考がされていない以上、自殺は不可避であると考えます。文章を再評価されたほうがよろしいと思います。
最後に、じっくりと拝見させていただきましたが、このブログ内では強意が多用され、高圧的な文面が目立ちます。論理的で客観的な文面でも感情表現は可能です。貴方がどのような創造性を求めてテレビ局を退社されたか存じ上げませんが、このブログからは本気ではなく、アクセス数を稼ぎたいという金欲しか感じられません。これが退社してまで貴方の伝えたかったことだったのでしょうか。
そのうえで。
鬱病の場合は、治療成功なら生き延びる、失敗すれば死ぬ(自殺)。
癌の場合は、治療成功なら生き延びる、失敗すれば死ぬ(病死)。
この違いはあまりないように思う。
癌で死んでしまって仕方がないと思う人は、鬱病の自殺でも仕方がないと思うでしょう。
あるいは一時的に異常な状態になることと病気はまた別の問題ではないでしょうか。
>要は、正常な人って、殺人とか犯さないですよね?
>佐世保の事件もそうです。
>完全に「異常」な女の子ですよね?って言うか、「正常」だったら、人は殺さないでしょ?
うちの爺ちゃんは自殺したけど、誰も殺してない。結果として爺ちゃんが死んでしまったけど、他の誰の生命も理不尽に奪ったりしてない。
当時の爺ちゃんの精神状態は、正常とはいえなかったかもしれないけど、佐世保の猟奇殺人犯と一緒にしてほしくない。
俺は、爺ちゃんの自殺を気にウツのこと自殺のことを自分なりに勉強した経験があったから、自分の身にうつ病が降りかかった時に、踏みとどまれた。
そういう意味では爺ちゃんは反面教師だったかもしれないけど、俺の命を救ってくれたことは間違いない。佐世保の猟奇殺人犯とはぜんぜん違う。
自殺遺族の心もメッタ刺ししているんだよ、このコメントは。自覚してほしい。
自殺は以下の理由で、人生の問題への対処としての選択肢ではないと考えます。
自殺を考える時って、刹那的な感情に襲われていて、その人に他の選択の余地は無くなっているのではないか?
あとは、行為をするかしないか…。
(病気を患っているかどうかに関わらず)
大事なことは、年間自殺者三万人という事実から目を背けないこと、行為に至らしめないために日頃からどんなことに気を配っておくべきなのか、を考えること。
これって、何も特別なことではないんじゃないか?と思ってます。
(^^)
この記事だと
生存権の話になる
そうなると極刑、戦争、中絶、安楽、尊厳という事も含まれ
自殺はいけないが、中絶はいいとか
中絶もいけないし、安楽もダメと
様々な意見がある
長谷川さんの中では、この関係性は説明できるの?
今のままだと「自殺は許せない」は、長谷川さんの"私刑"執行(字を間違えた訳ではないです。こちらの意味です。なので一方は極刑としました)
長谷川さんは"私刑"容認派なのかな?
また異常者の殺人は倫理的には間違いですが、法的な責任は問われないことはご存知だと思います。また精神疾患、先天疾患が全てコントロールできると考えることも現状では間違いになります。
自殺が多い日本。様々な介入をおこない自殺の予防が研究されていますが、うつ以外にもたくさん原因があること、また日本の歴史上の文化という要素もあること、効果的な治療法が確立されていないことなどから、現状ではまだ困難です。
教育も含めて社会で考え解決しなければいけない問題です。
ただ気持ちは一部同意します。
自分で自分を殺すなんて、したくてする人はいませんよ。何の得もありませんし。
どんな人間でも(というか動物は皆)、死にたくないのが普通ですから。
だから、自殺を「選択した」っていう長谷川さんの考え方に共感できない人も多いんですよ。
自殺した人は、なんで自殺したのかというと、精神的に追い詰められて、そういう「症状」が出てしまったんじゃないですかね?
ストレスにさらされた子供には、爪噛み、抜毛などの自傷行為が症状として出ることがあります。
虐待された人間には、リストカットなどの自傷行為が症状として出ることがあります。
犬や猫などの動物にも、ストレスにさらされると自傷行為の症状が出ることがあります。
自殺は究極の自傷行為ですから、メカニズムは同じなんじゃないですか?
長谷川さんだって、たとえば全身皮膚病にかかって、痒くて痒くて仕方ないとき、体を掻くのを我慢できますか?皮膚科に行くのが合理的であって、体を掻いても事態が悪化するだけだと理性で分かっていても、抗えないんじゃないですか?
強度のストレスにさらされた人が、自殺念慮に逆らえなかったとしても、それほど責める気にはなれないんですよね。
強度のストレスにさらされた人間が、不合理な行動を取るとき、それは「選択」ではなく「ストレス症状」に見えるんですよ。長谷川さんを批判している人たちは。
「症状」を批判するのは、非人道的でしょ?
どうか、塚越孝さんの自殺について書いて下さい。
長谷川さんの先輩でもあり(関わりがあったかどうかは存じませんが)、小倉智昭さんの盟友でもあった方を例にして話されれば、具体的なイメージが湧きます。
このブログを小倉智昭さんも読まれているでしょうから、コメントも頂きたいですね。
それはそれでご意見としてはありと思いますが、そこから先に行くことを禁止するのは良くないと思います。
例えば、自殺とうつ病の相関関係は統計的にも説明できます。抗鬱剤である程度自殺衝動を軽減することも可能ですが、逆に使い方によっては自殺衝動を亢進させる薬剤(パキシル)も報告されています。
うつ病によって自殺が引き起こされる可能性が高い、だから、なんとかそれを止めようと努力をすることを切り捨てるわけにはいきません。
殺人事件にしても、予防のための対策を研究することを切り捨てるわけにはいきません。
誰が異常と正常の判断を下すのですか?
正常から異常に至る過程を吟味し、バックグラウンドから教育や報道や地域社会の在り方を見直し、改善していく務めは無駄ですか。
(ストーカー防止法などはいらないですか。)
これは別に反論じゃありませんが、自殺や殺人を単に「異常」として切り捨てるスタンスには同意できません。
私は社会(われわれ)の問題として捉えるスタンスを支持します。
自分の命は自分だけのものだと「勝手に」思い込んでいるんですよね。その命を自分なら途絶えさせてもいいと「勝手に」思っている。生んでくれた親のことも、支えてくれた仲間のことも、何も考えていない。
長谷川さんがおっしゃっていることは、この件についてはほとんど賛同できますし、論理的にも正しいと思います。自殺が許されるなら他殺も許容されることになりますよね。
論理を感情でどうにかしようとするのはどうかと思いますね。
職務を執行するに際しての、貴い犠牲を賛美していませんか。
私は,全ての人の死は、有ってはならないことだと考えています。美しい死や、尊い死があってはならないと考えています。人の死は常に,有ってはならない、悲しみであるべきなのです。尊崇すべき死があってはならないのです。悲しむべき死だけがあるのです。
だから、殺して良い死もありません。殺人鬼は殺して善いのですか。犯罪者は殺しても良いのですか。考えて下さい。犯罪者は、究極の弱者であり、敗者なのです。だってそうでしょう。犯罪者は常に自由を奪われ、権利を制限され、償いを求められます。この逆説はちょっと理解しにくいかも知れませんが、考えてみて下さい。
残念ながら,この国には、潔い死という選択肢が歴史的にあります。そのことを先ず認めなければ,如何に、自殺が悪だと主張しても,かみ合った論議にはなりません。善悪は別にしてですよ。
現に、この国の総理大臣は、先の戦争で,特攻兵として敵に自殺攻撃を仕掛けた兵士や、玉砕という自殺戦略を敢行して、生きて虜囚の辱めを受けずと死んだ兵士を奉る靖国に、尊崇の念を表し感謝すると公言しています。潔い死という精神風土がこの国に有ることを認めなければあなたの主張が伝わらないのですよ。
あなたの言うように,キリスト教社会では,自殺は絶対悪として定義されているようです。
これは社会通念としての宗教による刷り込みが,文化としてあるかどうかなのです。
この国を変えたいのなら、先ずそこから始めなければなりません。あなたは靖国を否定しますか。否定できますか。其れがリトマス紙です。自分を犠牲にして国を守る美しい死を肯定しますか。その死に感謝しますか。変えるべきはその心の風土です。
名誉を守るために死を選ぶことをしないという固い決意、或いは本能的刷り込みがなければ自殺を社会から排除することが出来ません。
あなたが語るべきはその事ではないのですか。
その上で自殺の否定ですね。
追い込まれて,正常な判断が出来なくなったときに、自殺を選択してしまう心の弱さは、一方で,自殺を卑劣な行為としない心の風土があることを考慮するなら、その故人を非難することも又、間違いです。だって、社会が絶対悪として自殺を決定的に排除していないのですから。
今の世の中、人間を律してるモノは、ほぼ法律である。
ほとんどの人が自分自身の行動の結果生じる事象を天秤にかけ、自身の行動を選んでるのであって、そこに異常とか正常などという概念を当てはめるのはナンセンス。
わかるから今、ここで文章を書けます。
自分も大量に服薬したことありますから。
で、自力でその服薬をやめましたから。
笹井氏がその向精神薬を服用していたかどうかはわからないのですが、向精神薬の中には恐ろしいことに「自殺を促してしまう副作用」がある薬もあるのですよ。
とりあえずこんなリンクを挙げてみます。
http://u-drill.jp/archives/2007_06/28_110325.php
自分もこの薬飲んで頭がおかしくなりかけました。
医師にはナイショで勝手にやめました。
で、ただ休んでいるだけで十分改善されました。
んじゃなんでそんな薬を服用するんだ、という話にもなってくるかと思いますが、そこから先は精神科医と薬剤メーカーと患者との絡みとかになってくるかもしれないので・・・
自分もうつ病を患ったからこそ逆に、自殺は全否定します。
ただ、こういう薬剤関連の事もあるので長谷川さんのお耳にも入れておきたいと記載させていただきました。
でも、主語が違うんです。
「精神状態が不安定」なら[主語:周りが]「精神状態を安定させる治療を行うべき」であり。
「精神状態が不安定」なら[主語:本人が]「自殺するのはしょうがない」です。
「自殺は絶対にいけない」それは私はまだわかっています。
常に自分に言い聞かせています。
しかし、心の病は、それを論理的に判断できなくなる病気です。
その病気に思いを至らせてみて下さい。
それとロジックが少しおかしいです。
人を殺してる段階で異常でしょ?→Yesです。
「異常」だったら殺人を犯していいって理屈でしょうか?→Noです。
つまり、精神的に「異常」だから「殺人」は肯定しても、(病気によるロジック)
「殺人」は肯定してはいけません。(倫理的/論理的なロジック)
ただ、精神的に「異常」なら殺人は刑に問われることが
ないことがあるというのは日本の法律です。(法的なロジック)
病気と倫理/論理と法律に主観を混ぜると話がややこしくなります。
「精神的に追い込まれた=自殺した」
→それがつながるのが精神病なんです。
「僕は繋がってないと思う。繋げてもいけないと思うんです。」
→その通りです。でもそれは倫理的/論理的考え方です。
正常な人はそれが判断できます。
「殺人しても「精神病」だったらしょうがないんですかね?」
→ダメです。でも法律では問われないこともあります。
こう分けるとどうでしょうか?
また、誰一人自殺も殺人も容認していないと思います。悲しんでいるだけです。
でも、長谷川さん。頑張ってください。
応援しています。
今後マスコミの報道のあり方はどうすべきなのか
というのが元々の質問だったように思います。
マスコミの力というものは、時として人を殺しうる、ということを自覚した上で
その責任をどう取るのか、報道被害者の行動を自己責任で片付けることなくお答えいただければと思います。
自己の管理下に有るものを自分で好きにする行為は完全な合法です。
それに後付けで『社会的責任』というものがあるのみであり『真相究明』と『税金が投入された自己の知的財産』の放棄という事自体は責められて然るべし行為です。
同じ様に自殺なされた友達も大きな傷を氏を含め多くの方に残されたという意味で相応の責めは妥当であると思います。
ただそれが殺人罪ほどの責めが適当かと言うとそれには当たらない。
笹井氏の場合、嘘をついていた場合『証拠隠滅』に相当しますし、氏の友達の場合は『心的外傷』に保証出来ない事態を起こしたという意味で其れ相応の責めは有るべきです。
つまりは社の方針と合わないからと言って世間的に抹殺するのが適当では無いのと同じ様に、傷害したからと言って殺人罪に相当しないと言えるわけです。
そう言うんであれば、前回のエントリーで蹴られた私の意見を載っけていただきたいですね。
>いや、僕の中で、自殺はそもそも「選択肢」から完全に外すべき行為だと思ってるんですよね?
そりゃそうです。誰も死にたいなんて思ってないんです。結果としてしに至ってしまうという悲しい現実があるということと、死ぬ選択肢があるかないかという議論が噛み合うはずがありません。
だれだって、病死する選択肢も、事故死する選択肢も、殺害される選択肢も、持ちたくなんか無い。自殺だって同じです。誰だって自殺なんかしたいわけ無いんです。
自殺とそれ以外の死を線引することが無理解である、とこの前のコメントで書きました。
>「精神病だったんだから可哀想だ」
そんなこと言った人がいたのかわかりません。長谷川氏のコメント欄ではみんな蹴られてましたから。
私が言ったのは、「結果として死んでしまう病気である」という意味で癌や他の疾病と、同じように考えなきゃいけないのに、うつ病による自殺だけ非難されるってどういうことなんでしょうか?理解に苦しみます。
うつ病で自殺するのが非難されないんだったら、精神病で殺人してもいいんですかって、貴殿が言っているのは、癌患者が人を殺していいんですか、っていうくらい的はずれな質問ですよ。
貴殿の誤解のもとは「自殺が本人の意志による能動的行動」と捉えている点です。
「自殺は精神病による忌避しがたい悲しい結果」に過ぎません。
癌患者に「癌になるなんてけしからん」といっても仕方ないように、自殺者を非難したところで、何の解決にもならないんですよ。
「生きているだけで、たとえば道を歩いていてダンプカーが猛スピードで横切るときにびっくりしてヒヤっとするでしょ?その芯からヒヤっとして冷や汗をかいているような状況がずっと続く」
自殺する方は誰だって喜んで死んでるわけではない。耐えられない状況に襲われてるから死んだりするんです。これは別に自殺を肯定しているわけではない。
それを
>正常な人って、殺人とか犯さないですよね?
などと言って、殺人犯と同列に扱うあなたは完全におかしい。
私の知人は運よく助かって、治療をして何とか治って復帰しています。
その方を殺人未遂よばわりされるのは不愉快ですね。
今回の、自殺に関するその2の記事まで読んでみて、長谷川さんが言いたいことは理解出来ました。
自殺については、自分の中でもじっくり考え直したい問題ですね。
NHK出版から出てる「自殺者三万人を救え」という本を最近読んだんですが、
それも大変参考になったので、ここに記しておきます。
しかし、長谷川さんがそこまで強硬に主張なさるのであれば、大バッシングが起こったとしても、謝罪などせず、最期まで自分の意見を貫き通して、頑張ってください。
応援しています。
切腹については少し現代の自殺とは違うのではないかな?
ある種の切腹については、周りが見ている中で行われ、
周囲のいたしかたないという同意があったのではないでしょうか?
いいかえれば現代で、裁判所の下した死刑判決を
大部分の人はいたしかたないと思うのと似ている状況だった。
(切腹を決していいとは思いませんが・・・)
現代の多くの自殺は、自殺するとわかれば周りは絶対に止めるところを
隠れて死んでしまうところに「逃げ」がありかっこ悪い上に
周りの人間のショックは計り知れないと思う。
死んだ人間を悪く言うのは・・・は確かにそうなんだが
心を鬼にして言えば利己的な行為だと思う。
容認してはならないと思う。