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2018.01.23

[書評] フランス現代史 隠された記憶(宮川裕章)

 56歳過ぎて始めたフランス語だが、フランス語はラテン語とは異なり、現在でもフランスを中心に話されている言葉である。そうした生きている言語を学ぶのであれば、書籍やオーディオ教材ばかりを使っているのではなく、ちゃんとネイティブのフランス人から直接学ぶべきだろう。ということで、昨年から語学校や大学が提供している語学の講座に通ってネイティブのフランス人からで学ぶようにしている。フランス語の授業というより、全部フランス語で行われる授業なので、それなりにタフではある。

 いくつか講座を取った。基本は会話が中心だが、購読的な授業もあったほうがいいと思い、「A la page 2017」という読解中心教材を使う講座も受講した。文章のレベルは仏検準2級程度なので、それほど難しい文章ではない。内容は、現代フランスを知るための多面的な題材を扱っている。授業ではさらに関連事項の説明や補足説明、時事の関連、ディスカッション、またネイティブとしての感覚を伺うといった、教本からは学べない部分も多く学べた。結果として非常に興味深い授業で、フランス語だけではなく現代フランスを知る上でとても勉強になった。いっそう、フランスという国や文化に関心を深めた。
 そうした一面にあるのがフランスの現代史である。自分ではそれなりにフランスの歴史は知っているつもりでいたが、そうでもないなあと反省することになった。しかたがない面もある。フランスの現代史も、日本の現代史同様、時代ともに刻々と受け止め方が変わってきているからだ。特に、戦争にまつわる傷跡のようなものは、意外と1990年代以降になってようやく形を整え、フランス政府も後追い的に対応するという展開になっている。日本だと、歴史の反省はドイツやフランスのような先進国にはるかに劣るという論調が目立つが、実際そうである側面が多いには違いないが、そう単純なものでもない。フランス現代史にも、暗部という言い方は正しくないが、以下言及する本書副題に「戦争のタブーを追跡する」とあるように、一種、タブーのような部分がある。
 フランスのそうした側面について、ある程度まとまって知りたいと思って手にしたのが、この『フランス現代史 隠された記憶(宮川裕章)』(参照)である。読後の印象からすると、取り上げられた話題については、非常にバランスよく記述されているし、なにより新聞記者である筆者が足で稼いだ話題も多く、充実した書籍になっている。もちろん、「戦争のタブー」としながら、ベトナム戦争関連など取り上げられていない話題もある。
 全体は、第一部の第一次世界大戦と第二部の第二次世界大戦に分かれている。が、1960年代の話題になるアルジェリア問題についても第二次世界大戦のドゴール将軍の文脈で語られている。
 この構成についてだが、レマルクの『西部戦線異状なし』など考慮すれば意外なということでもないが、フランスにとって「大戦」というのはなにより第一次世界大戦を指すらしい。この本書の起点の認識は重要に思えた。そこが現在のフランス人にとって、現代という区分の始まりでもあるのだろう。その点、日本を対比すると、日本では第一次世界大戦の意義は弱いだろう。
 そしてフランス人にとっての第一次世界大戦という時代のシンボリックな人物が「ジャン・ジョレス」というのも、興味深い指摘というより、的確な指摘に思えた。私たち戦後の日本人は、できるだけナショナルな視点を避け、世界をつい公平な視点から見ようとしがちだが、むしろ世界的に公平な視点というのは神の目のような視点ではなく、各問題の連鎖のなかで民族がどのようにナショナルな視点を形成していくかという、ある種、ネットワークのような構造をしているはずだ。
 第二部の第二次世界大戦の話題になると、戦後世代の日本人にとっても同時代性の感覚が生じてくる。特に、戦後、連合国が生み出した日本にしてみると、枢軸国への忌避はその国家原理にも近く、これに微妙に日本人の戦争被害的な感性が核問題で交差する。フランスも枢軸国ナチス・ドイツの被害者的な感性を持つし、なかでもユダヤ人迫害については、その悪の部分をすべてナチス側だとしたくなる。本書第四章「ユダヤ人移送の十字架」も基本的に従来からのそうした感覚の文脈で書き出されていくのだが、この章の終わりで、フランスはナチスに反対し抵抗してきたという「レジスタンス」が神話であることの言及が含まれる。史実を丹念に追っていくと、第二次世界大戦時のユダヤ人迫害は、フランスがナチスに占領されて余技なくされたものではなく、フランスの歴史に内在する文脈があることが見えてくる。ただし、この点について本書の説明はあまり多くはない。
 それでも、この、第二次世界大戦時のフランスの分裂的な状況は、それが象徴するヴィシー政権とフィリップ・ペタンに関連した文脈かなり充実して書かれていて読み応えがある。
 他方、このフランスの分裂的な状況は、マージナルな部分で、特にアルザスで問題になる。本書では第六章「悲劇からの出発 オラドゥール村の葛藤」でも少し扱われているが、この不可解な虐殺の文脈が表立って、アルザスというマージナルな部分の歴史的な意義が本書ではややわかりにくい印象はあった。
 個人的な関心にもなるが、本書終章「ドゴール・フランス・アルジェリア 残った遺恨」での「アルキ」についての記述も読み応えがあり、興味深かった。ごく簡単にいえば、アルジェリアという植民地でフランス側に立った人をフランスが見捨ててきた問題である。
 アルキに似たような問題は日本も抱えていると言ってよいように思うが、それら顧みられるのは現代日本ではいわゆる「右翼」の文脈になりがちだし、現状ではおよそそうした点に触れるだけで「右翼」のレッテルを貼られがちである。
 歴史をアイロニカルに見たいわけではないが、歴史のなかにある「正義」の視点が注入されたとき、かならず零れ落ちるものがあり、そこをのぞき込むと、しばしば深い傷が秘められている。それは、日本と限らず、フランスにおいても同じであり、おそらく、どの国でも同じだろう。


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