私の存在、メランコリック、それとフィロソフィー。

ちっぽけな人間のちっぽけな存在証明

フィロソフィーとは

第3回となる今回はフィロソフィーについて書いていきたいと思います。カミシロです。

 

まずはじめにフィロソフィーとはなんなのか。

philosophyの意味・使い方 - 英和辞典 Weblio辞書

philosophyの意味・用例|英辞郎 on the WEB:アルク

哲学、人生観、処物観、物の見方や考え方を意味する。

 

私が今回ブログを始めた理由(テーマ)は2つある。

  • 私がこの世に存在していた存在証明
  • 自分の考えや人生観、哲学に関することを共有したかった

その2つ目について触れる。

 

フィロソフィーとは哲学であるが、哲学とはなんなのか複雑だ。

哲学 - Wikipedia

実は私は哲学専攻の人間ではないので哲学がなんなのかわかっていない。皆さんはわかりますか? そんな感じでブログを書いているのでひとまず哲学に関しては置いておいて物の見方や考え方を考える。

 

前回の記事でも書いたように私の考え方は絶望的に共感者が少ない。自分でもよくわからないときもある。だからそんな自分の考え方に関して答えを探したくてブログを書き始め、哲学書を購入した。哲学書を読み始めてからこのブログで自分の考えを整理するように纏めるように共有していけたらなと考えています。

 

こんなたいそうな名前を銘打っておいてあまり哲学には学がないなんて哲学に学のある人には申し訳ないことをしました。でもこれから頑張っていこうと思います。もしよければお付き合いください。

 

私という人間は今日も頑張って生きていた。そんなちっぽけな存在証明。

メランコリックとは

第2回目の投稿となります。カミシロです。

今回のテーマは「メランコリック」です。

 

まずはじめにメランコリック(melancholic)とはどういう意味なのか

melancholic(メランコリック)の意味 - goo国語辞書

melancholicの意味・使い方 - 英和辞典 Weblio辞書

こんな感じで憂鬱な様や塞ぎ込んでいる様、物思いに耽る様を言葉にした形容詞?です。

 

なぜこんなネガティヴな言葉をブログのタイトルに使うのか。それは私がメランコリックな人間であるからである。逆にそれ以外の理由はあまりない。

 

私には人並みの喜怒哀楽が備わっていない気がしてならない。小中高と虐げられてきた自分の人生の中で唯一信じられたものは自分だけだ。他者との関係に期待しないこと。自分の中に思いを留めアウトプットしないことでそれらから逃げてきた。そんなことをしているうちにいつのまにか感情表現は下手になり泣くことや怒ることが苦手になりやがて喜び方もわからなくなってしまった。

 

弱者のポジションは辛いが同時に楽でもある。そのバランスが取れているうちは弱者でもなんとも思わない。しかし、バランスが崩壊し辛い気持ちが先行し始めてしまうともうそこからは立ち直ることが難しい。気持ちの切り替えが必ず必要になる。

 

大事なのは「学校を休んで」遊びに行くことや、走ったりストレッチをしたり、整体を受けに行ったりしてもいい。とにかく嫌な環境から意図的に離れ、自分の好きなことややりたいことをやることだ。それが長期に渡るのはあまり良くない。それならば学校を変えることが必要になる。

 

 

人間は欠陥品だ。感情を持ち社会を形成し何もかもを共有したがる。ただそれは私とて例外ではない。こうしてブログという形で他者に私の考えを押し付け、主張している。しかし、こんな人間だからこそ可能なこともある。それは考えること。自らの力で状況を打破することができることだ。考えることを辞め、状況を打破することを諦めた人間に待っているのは自殺という道しかない。自殺は1つの選択肢だ。ただ1つだけ勘違いしないで欲しいのは自殺は最低最悪の選択肢で自殺を選択しないだけで最高な選択肢ということだ。

 

人間には寿命がある。いつかは死ぬ。だからいつ死のうが関係ない。それは間違っている。生きているだけで良いことは沢山ある。今日も空は綺麗な青で寒い風と暖かい陽が射していた。そんな空の下お気に入りの音楽を聴きながら歩いているだけでなんだか得した気分になれる。人間はそういう生き物だ。無限に可能性を増やすことができる。私はこのブログを風呂に浸かりながら書いている時間と本を読んでいる時間がとても幸せに感じる。それは今まで外に出してこなかった自分の考えを発信できるからだ。生きていれば時代も移り変わる。環境も変わる。だから早くに死ぬことは損なんだと思う。

 

そんなことを考えていたらいつの間にか私はメランコリックな人間になっていた。これは別にマイナスではない。私という人間の在り方なのかもしれないし小さな特徴なのかもしれない。

 

私という人間は今日も頑張って生きていた。そんな存在証明。

 

 

ブログを初めてみました

大概こういうものは3日も続かないと相場が決まっている。でもそれでもいいと思って始めた。

 

これは私の存在証明であり20歳の私が何をどうやって考えて行動し、結果にありついたのかそんなくだらないことを綴っていくものである。

 

文章や言葉選びがクサいとは思うが、この世に1人しかいない私という人間の数少ない特徴だからあまり気にしないでほしい。

 

そんな思いでこのブログをやるわけだが、まだ内容が定まっていない。上には結果にありついたプロセスの様なものを書くと明言しているが、ブログタイトルにある通りメランコリック[melancholic(物思いに沈むこと,憂鬱なこと)]とフィロソフィー[philosophy(哲学)]について触れられたらなとも思う。

 

拙い文章ではありますがもし良ければお付き合い下さいね。これからよろしくお願いします。