山中伸弥先生の記者会見の様子をビデオで見た。「不正を防げず、無念」とのコメントだったが、私は不正など、組織がとてつもない努力をしても、防げるはずがないと思っている。性善説に経てば、努力によって防げるはずだが、世の中から犯罪がなくならないのと同様に、絶対にこのような不正はなくならないように思う。偉そうに言っているメディアでも不祥事は起こっているではないか!
そして、どう考えても、この件の一義的な責任は、研究者とその直属の上司にある。山中先生が所長を辞職しなければならないような理由はどこにもない。この立場にとどまって、日本で、そして、世界で、山中先生に期待している患者さんや家族のために尽くすべきだと思う。
それにしても、「論文の見栄えをよくしたかった」という理由が述べられていたが、幼稚すぎて唖然とするしかない。とても、30歳を過ぎた大人の発言ではない。見やすい図や表を作ることと、数字や図を改竄することは全く異次元の話だ。30歳代半ばの研究者が、「見栄え」と「改竄」を区別できないことには驚きを禁じえない。
(私のことが紹介されていた)昔の雑誌を整理していたところ、2005年の日経バイオビジネスに、当時、京都大学の特任教授だった柳田充弘先生の論文不正に対するコメントが目に付いた。「一人前の研究者になる前に、正直であることの重要性を教育することも重要だ。その意味で指導者の役割は大きい」とあった。私もそう思う。しかし、助教というポジションは、学生や大学院生にこれを教えるべき立場であり、この人物は、学生・大学院時代にこのような教育を受けていなかったことになる。「データを改竄する」ことに罪の意識を覚えないかどうかは、基本的には道徳心の問題だ。家庭教育・義務教育レベルの話であり、この段階で培われた基本的な精神構造は大きくなってもそれほど変わるとは思えない。
このような問題が出るたびに、研究費を獲得するための重圧だとか、高いポジションを得るために評価の高い雑誌に論文を発表したいという重圧だとか、日本の研究環境に責任を転嫁する人がいるが、これは絶対に間違いだ。今回の件は、一般社会に例えれば、詐欺行為だ。貧しくてお金が欲しいとの理由で、詐欺行為を働いた場合、「貧乏」に責任を転嫁できるはずもない。どの社会にいても競争はあり、研究者たちの甘えだ。研究者だけ、人間としてどうあるべきかという基本的な精神が欠落していることを許されるはずがない。
問題が起こるたびに実験データのチェック・管理体制の強化が叫ばれるが、所長がこんなことに時間を割いていては、もっと重要なことに費やす時間がますます制約されてしまう。ドクターXではないが、「ある役職の人には、その役職に相応しい仕事があるはずだ」。医師免許を持った人間は、それに相応しい仕事に集中できれば、もっと患者さんに対応できる時間が増え、自分の知識・技術向上につながり、医療の質は上がるはずだ。若い時にもっと研究者、指導者としてあるべき姿の教育を充実させ、大学で助教以上の立場についた人間は、自己管理、自己責任を徹底すればいいと思う。組織全体での管理など、時代錯誤で時間とエネルギーの浪費だ。私は、若くして独立させるのではなく、大講座制に戻して、立派な指導者が厳しい教育をしていく方が、日本の文化に適していると思っている。どうも、今の制度になってから、人間が小粒になってきたように思えてならない。
本題に戻すが、山中伸弥先生は、国レベルで再生医療のあるべき姿を考える人材であり、この問題で辞職が話題として上ることなど、とんでもない話だ。
頑張れ、山中伸弥所長!