女を権力者だと思っているというお話、目からうろこだったのですが、いわゆる負け組男性が女を脅威に感じている一方で、負け組当事者でもなんでもない男性が「非モテに女をあてがえ」とかいってるのが、事態をややこしくしてるのかなと感じています。底辺男性が女を脅威に感じるのはまだ理解できるのですが、底辺でもなんでもない男性が「底辺を救うためには女を物扱いすべき」と主張するのは、どういう動機によるのでしょうか・・・
自分はアンチフェミに反対する立場であると前置きした上で返答いたします。ツイッターにいるアンチフェミの論客は、裕福な人や頭のいい人(僕の基準では日東駒専以上は高学歴の部類)が多く、客観的に見れば負け組とはいえません。しかし、彼らと話してみて、「彼らは自分自身を負け組に分類している」と感じました。これは不思議なことではありません。人間は誰しも自分とその環境を基準に考えがちです。また、日常で最も多く接するのは同階層者です。金持ちが自分と他の金持ちと比べ、負け組だと感じる可能性は十分にあります。高学歴が自分と他の高学歴を比べ、負け組だと感じる可能性も十分にあります。裕福だが社会的に成功していない。高学歴だが出世しておらず、金も持っていない。社会的成功を収めたが、異性関係では失敗した。金も学歴もあるのに、異性には見向きもされない。こういう人が自分を負け組と定義するのは、不思議ではありません。なまじ持っているがゆえに、挫折感がより大きいともいえます。金や学歴をもってしても、克服できなかったわけですから。
努力して高収入や高学歴を得た。それでもうまくいかなかった。努力ではどうにもならないのか?何がまずいのか?このような自問自答を繰り返した時、答えは人それぞれでしょう。努力が足りなかったと思うかもしれないし、運が足りなかったと思うかもしれないし、環境が悪かったと思うかもしれない。環境が悪かったと思う人も様々でしょうが、アンチフェミはその一つの答えとして(彼らの考える)「女性優位社会」に行き着いたのでしょう。
さらに付け加えると、彼らには本気で女性を権力者だと感じ、脅威視する理由があります。上で述べたように、人間は自分を基準に考えます。裕福な男性が比較基準にするのは、やはりそれなりに裕福な女性でしょう。高学歴男性が比較基準にするのは、やはりそれなりに学歴の高い女性でしょう。同じ階層内で比べるならば、収入や学歴はアドバンテージになりません。そうなると、同階層の中で相対的に劣る彼らは、ただのひ弱な男性として女性に相対することになります。強弱は相対的なものなので、彼らが自分と女性を比較し、「自分は弱い」「女性は強い」と感じることも十分にありえるのです。
僕の見るところ、アンチフェミの女性論は女性全般を語っているように見えて、実は裕福で学歴のある女性を語っているように思えます。当てはまる部分もあるが、それは所得も学歴も平均以上の女性だなと。そして、そういう女性は彼らの競合対象であり、獲得対象でもあります。彼らが救われる=”男”になるには、自分が強くなるか相手が弱くなるしかないです。しかし、彼らは頑張っても強くなれないので、相手に弱くなっていただくしかない。「女性の権利を抑制しろ。弱い男性を救え」と叫ぶ時、彼らもまた救われる対象なのです。
彼らは自分自身を弱い男性と認識しています。だから、貧乏で学歴のない底辺男性にもシンパシーを覚えます。弱くて”男”になれなかったのだから、自分たちの仲間であると。仲間の救済を求めるのはごく自然な感情ではないでしょうか。むろん、本気で底辺男性を救いたいと思っている人ももちろんいるでしょう。彼らの視点でフェミニズム批判をやれば、貧困問題に関心を持たざるを得ません。その過程で底辺男性の暮らしぶりを知り、「だから、女社会は駄目なんだ」との思いを一層強くすることもあるでしょう。一柳さんのように現実社会で何かしらの体験があり、それによって底辺男性への同情を抱くこともあるでしょう。
以上、長々と語らせていただきました。僕は物心ついた頃から男女平等論者で、当然の成り行きとしてフェミニストになりました。異性を獲得したいという欲望が薄いため、異性を獲得できないことになぜ苦しむのかが理解できませんでした。アンチフェミの主張も感覚的に理解できませんでした。だからこそ、「彼らはなぜそう思っているのか」が気になりました。ほぼ推測ですが、それほど的外れではないと思っています。
努力して高収入や高学歴を得た。それでもうまくいかなかった。努力ではどうにもならないのか?何がまずいのか?このような自問自答を繰り返した時、答えは人それぞれでしょう。努力が足りなかったと思うかもしれないし、運が足りなかったと思うかもしれないし、環境が悪かったと思うかもしれない。環境が悪かったと思う人も様々でしょうが、アンチフェミはその一つの答えとして(彼らの考える)「女性優位社会」に行き着いたのでしょう。
さらに付け加えると、彼らには本気で女性を権力者だと感じ、脅威視する理由があります。上で述べたように、人間は自分を基準に考えます。裕福な男性が比較基準にするのは、やはりそれなりに裕福な女性でしょう。高学歴男性が比較基準にするのは、やはりそれなりに学歴の高い女性でしょう。同じ階層内で比べるならば、収入や学歴はアドバンテージになりません。そうなると、同階層の中で相対的に劣る彼らは、ただのひ弱な男性として女性に相対することになります。強弱は相対的なものなので、彼らが自分と女性を比較し、「自分は弱い」「女性は強い」と感じることも十分にありえるのです。
僕の見るところ、アンチフェミの女性論は女性全般を語っているように見えて、実は裕福で学歴のある女性を語っているように思えます。当てはまる部分もあるが、それは所得も学歴も平均以上の女性だなと。そして、そういう女性は彼らの競合対象であり、獲得対象でもあります。彼らが救われる=”男”になるには、自分が強くなるか相手が弱くなるしかないです。しかし、彼らは頑張っても強くなれないので、相手に弱くなっていただくしかない。「女性の権利を抑制しろ。弱い男性を救え」と叫ぶ時、彼らもまた救われる対象なのです。
彼らは自分自身を弱い男性と認識しています。だから、貧乏で学歴のない底辺男性にもシンパシーを覚えます。弱くて”男”になれなかったのだから、自分たちの仲間であると。仲間の救済を求めるのはごく自然な感情ではないでしょうか。むろん、本気で底辺男性を救いたいと思っている人ももちろんいるでしょう。彼らの視点でフェミニズム批判をやれば、貧困問題に関心を持たざるを得ません。その過程で底辺男性の暮らしぶりを知り、「だから、女社会は駄目なんだ」との思いを一層強くすることもあるでしょう。一柳さんのように現実社会で何かしらの体験があり、それによって底辺男性への同情を抱くこともあるでしょう。
以上、長々と語らせていただきました。僕は物心ついた頃から男女平等論者で、当然の成り行きとしてフェミニストになりました。異性を獲得したいという欲望が薄いため、異性を獲得できないことになぜ苦しむのかが理解できませんでした。アンチフェミの主張も感覚的に理解できませんでした。だからこそ、「彼らはなぜそう思っているのか」が気になりました。ほぼ推測ですが、それほど的外れではないと思っています。