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【格闘技】

ドン・フジイ 愛される親方 相撲仕込みの豪快ファイター

2018年1月24日 紙面から

ドラゴンゲートのリングで、独特の存在感を放つドン・フジイ(大西洋和撮影)

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 大相撲出身のプロレスラーは数多くいる。有名なのが力道山、天龍源一郎…。ドラゴンゲートでいうと、レスラー歴20年の大ベテラン、ドン・フジイ(47)がその人である。オールバックのヘアに黒タイツのコスチューム。所々に相撲仕込みの技も交えるユニークなファイトスタイルは、観客のハートをグッとつかんで放さない。若い選手にとっては親方のようなフジイさんに、ぶつかり稽古のような気持ちで突進してみた。(聞き手・仲田美歩)

 -ドラゲーでは数少ない力士出身です

 ドン・フジイ「小学生のころは作文にプロレスラーになりたいと書いていました。アントニオ猪木選手が好きでした。ただ、当時の新日本プロレスは入門条件が身長180センチ以上。自分は175センチで5センチ足りない。これは実績作って頑張るしかない、とアマレスのある大阪の高校を探して受験したのが、甲子園などで知られる浪商(現大体大浪商)。これが見事に不合格! どうしようかと思っていたところに、偶然テレビで北の湖部屋が取材されていたのを見たんですよ。ちゃんこ鍋を囲む若い人たちの雰囲気がよくて『ここだ!』と。次の日、宿舎に押しかけました」

 -で、新弟子検査はすんなり合格?

 「次の夏場所の新弟子検査を受け、合格ラインの75キロのところ、ぼくは73・6キロとわずかに足らず。7月の名古屋場所で順調に体重を増やして、ようやく合格しました」

 -でも、やっぱりプロレスラーに…

 「力士は10年やったんですけど、十両になれなかったんで区切りをつけ、実家の精肉店を継ぐということでやめました。実際、3カ月ほどコロッケを揚げていたんです。でも、またプロレスラーになりたいという気持ちがムクムク湧いてきて、縁あって天龍源一郎さんがいたWARで面接してもらえることになりました。でも、レスラーとしてはやはり無理、営業ならOKということになりました。当時は望月成晃選手(現ドラゴンゲート)が活躍していて、ぼくは『フジイ君』と呼ばれていましたよ。そこからは営業どっぷりの毎日。体形も崩れてしまい、銭湯の鏡に映った自分の姿にガッカリしましたよ」

 -その毎日が変わるきっかけは

 「ウルティモ・ドラゴンさんが闘龍門(ドラゴンゲートの前身)というプロレス養成学校を作ると聞き、何とかならないか、人生賭けますと熱意を伝え、どうにか入門にこぎ着けました。ただ、天龍さんにそのことを言えないまま12月にやめたんです。翌1月にWARの後楽園ホール大会の日に控室の天龍さんを思い切って訪ねて『メキシコに行くことになりました!』と報告したら、言葉はなく、ニヤッとほほ笑んでくれたんです。ホッとしましたね。今でも鮮明に覚えていますよ」

 -メキシコ時代の思い出を

 「食事は合わなかった。体重が95キロから半年で83キロまで落ちました。それでも、住めば都で2年過ごしました。1年間は道場にいて、残りの1年は日本人ばかりといても言葉も覚えないから、それぞれ好きな所に住むことに。ぼくはあてがなく、プロレス教室を回って住まわしてもらえるところがないか訪ねたんです。やっと『お父さんに聞いてみる』と言ってくれた子どもがいてそこへ。その家は家具屋さんで物置小屋を使わせてもらうことになりました。壁にかけていたスーツが1日で真っ白になったり、帰ったら突風で屋根が飛ばされていたり…。いろいろありましたが、けがや病気をすることもなく過ごせました」

 -さて、フジイ選手といえば、ドラゲーきっての酒豪

 「まずはビール、焼酎、ハイボール。普段はここからシャンパン、ワインなどに。今までに飲んだ量の最高はビールケース2箱。酒席での失敗はたくさんあります。一番すごかったのは、屋形船でワインを大量にいただき、チェイサーを水だと思ってガンガン飲んでいたのが実はストレートの焼酎だったんですよ。そこからバーンと倒れて目が覚めたら翌日のお昼。病院のベッドで手錠をはめられ、下はオムツをはいていました。不思議とお酒は抜けて頭はスッキリしていましたね。そのままオムツの上にズボンをはいて帰りました」

 -肝臓は大丈夫ですか

 「病院に行ったら恐ろしい結果が出そうで行ってない。汗をかいているので老廃物はないでしょう。なので健康だと思ってます。お酒飲めなかったら人生半分終わり。飲んだら食わない、飲まないなら食う。大阪に住んでいるので、休みはほぼ北新地で飲んでいます」

 -食べ物の好き嫌いは

 「やはり鍋ものが好きですね。相撲のときは毎日だったので懐かしくなる。豚肉、豆腐、キャベツ、ニラをぽん酢で食べるのがフジイ流。苦手なのがハマチとイワシ」

 -北の湖親方は2015年に急逝されました

 「実家を継ぐと言ってやめたのに、WARの営業になった。怒られるのを覚悟で部屋を訪れました。ところが親方は『元気かおまえ。ちゃんこ食べてけ』『すみません。精肉店を継がずプロレスの営業やってて…』『分かってる、分かってる。もういいから、ちゃんこ食ってけ』って言ってくれたんです。亡くなられた後、おかみさんから写真をいただいて部屋に飾り、お水をお供えし線香をたいて手を合わせています」(親方の優しさが胸にジーンときますね)

 -相撲時代のことが今に生かされていることは

 「体の丈夫さ。固い土俵で転がったりして鍛えたので。相撲の世界では自分は小柄だったので、大きな力士にぶち当たる強さ。あとは人付き合いの上下関係。ドラゲーの後輩には、ぼくが経験した10のうち2~3くらいは伝えたいですね」

 <ドン・フジイ> 本名・藤井達樹。1970(昭和45)年7月6日生まれ、大阪府箕面市出身の47歳。175センチ、100キロ。大相撲北の湖部屋を経て97年5月、スモー・フジの名でデビュー。ドラゲーでは現在までに、オープン・ザ・ドリームゲート王座、ツインゲート王座、トライアングルゲート王座など軽量級王座を除く全ての主要タイトルを獲得。得意技はナイスジャーマン、のど輪落とし。

 

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