先日、新宿は『カフェ・ラバンデリア』にて、鶴見済(つるみわたる)さんと吉田奈緒子さんの刊行記念トークイベントに行ってきました。
こちらの本ですね。
マーク・ボイル 紀伊國屋書店 2017-08-29
一緒に行ったA1理論さんが詳細な記事を書かれていますので、是非ご覧ください。
okite.hatenadiary.jp
鶴見済(つるみわたる)さんについて
先月発売されたばかりの『0円で生きる』は、私の周囲の人もたくさん読んでいたので、私も購入しました。
『0円で生きる』が初めて読んだ鶴見さんの本です。
にわかファンで申し訳ございません!!
去年の秋、家業を継ぎたいとかずっとこの場所で生活したいと思うようになってから読む本とか好きな人って、やっぱりだいたい繋がってるんだなあと思ったり。
私は特に最後の第七章『自然界から貰う』に関しては、自分がこれから一番深く楽しめる分野ですね。
私は今年、これをもっと突き詰めていきたいです。
そして、鶴見さんと言えばこれですよね。
『完全自殺マニュアル』は、タイトルしか知らなかったけど、『0円で生きる』を読んで抱いていたイメージとは、だいぶ違うよなあと思いました。
なので、今回のイベント参加にあたり『完全自殺マニュアル』も購入しました!
この本はもう25年も前に発売された本ですが、『0円で生きる』も実際マニュアル本なので、タッチは似ているなあと思いました。
「自殺」と「生きる」は真逆の言葉のようでいて、『完全~』の方も、根底にあるテーマは結局「生きる」ことなんですよね。
いざとなったらこれを読んで自殺すればいい!だからまだ生きていてみようって思えるのはわかる。
そうか~苦しくない死に方ってたくさんあるんだなあって、初めて知りました。
私は今、全然自殺したくないですが、そういう人間にとっても不思議な安心感を与えてくれる気がします。
自分もいつか死ぬし、理想の死に方ができるかは分からないですからね。

吉田奈緒子さんについて
実は吉田さん(翻訳者)の本は失礼ながら未読、と思っていたのですが、直前に佐々木さんにこの表紙を見せて貰って思い出しました!私3年くらい前にこの本読んだことありました!
マーク ボイル 紀伊國屋書店 2011-11-26
低コストで生きるという内容の本や、実際実行している人のブログなんかは世の中にたくさんありますが、完全にお金を使わないという行為は大変特異ですよね。
映画(INTO THE WILDとか)じゃないですよ。現実世界の話です。
著者はマーク ボイルさん、翻訳をしているのが吉田奈緒子さんです。
そして今回はこちらに引き続き2冊目、『無銭経済宣言~お金を使わずに生きる方法~』の刊行イベントだったわけです。
トークイベント
お二人のトークはとても面白かったし、私は今のマーク ボイルさんの生き方にはすごく興味が沸いたので、改めて吉田さんの本を読み込んでから感想を書きたいなと思っていました。
でも今日アップされたA1理論さんの記事を読んで、やっぱり今この瞬間に思っていることをとりあえず書きたいなと思いました。
私は『無銭経済宣言~お金を使わずに生きる方法~』は、すみません、まだ読んでいないのですが、トークを聴いて思ったことを元に書きます。
お金を否定することとは?
今回4人でこのイベントに参加し、私は終始頷きながら楽しんでいました。
そしてイベントが終わってから飲みに行ったのですが、一緒に行ったA1さんとNanaさんは、私と真逆の感想でびっくりしました。
トークの中で吉田さんが「ボイルはお金そのものに怒っている」とおっしゃったのが、この飲み会での主な論点!
私はイベント中に吉田さんのこの話を聞きながら、ああ、西野亮廣さんの言う信用経済も発想は同じなんじゃないかなあとか
堀江貴文さんが、「俺もうお金をいかに多く稼ぐかには興味ない」という趣旨のことを仰っていたのも、近い発想なんじゃないかなあと
日本でも近いことを考えている人は結構いるんじゃないかなということを思っていました。
私も実際貨幣という概念を無くすことはできないと思いますよ。
でも近い将来、現金そのものはたぶん無くなると思います。
実際いま、日常生活において、物理的に現金をやりとりしていなくても売買が成立していますしね。(クレジットカードでの購入など。ローンもそうですね。)
既に物理的お金は「信用」で一時的に代替えされています。
・・・いや、ボイルが言ってるのはそういうことじゃないよ。
うんわかってるよ!
でもたとえば日本において西野亮廣さんがやろうとしていることって、根本的に考えると、ボイルさんとかなり近いんじゃないかと思う。
ホームレス小谷さんという方が、家が無いのに結婚できて結婚式が挙げられて日本全国海外を飛び回っていつでも小谷さんを助けたいと思う人がいる。
西野さんが推奨する彼の生き方。
お金じゃなくて自分の信用を用いて、小谷さんを助けたいと思う人に助けられている。
それも、たとえば病気だから看病してあげるとかだけじゃなくて、小谷さんに旅行を楽しんでほしいから旅行をプレゼントするとかそういう感じ。
銀行とかは小谷さんを助けてはくれないと思うけど、一般人で小谷さんを助けたいと思う人がいる。
いやそこに物質的な貨幣は介在してるじゃん!貨幣必要じゃん!
て思うかもしれませんが要は、
今までお金を通して手に入れるのが当たり前だったものが、以前○○してくれたから今度は私が助ける(助け方が時にお金になる場合もあるけれど)という 、いわば信用の売買のような行為は成立するし、こういう発想は広く浸透してもいいよなあと思っています。
銀行とかカード会社だったら、現金そのものをその場でやりとりしなくても物を買える、その時に必要なのは、支払い能力という信用。
でも、人対人だったら、現金そのものをやりとりしなくても、物を貰えたり何かをしてもらえたりすることはあって、その時に必要なのは、お互いに助け合えるという信用だと思う。(互いにでなくとも、誰かに恩を回すなどの考え方もありますね。この話はまた深いので別に機会に。)
まあこれも極端な話で、誰もができるわけじゃないけれど、こういった行動には、学ぶところはほんとうにたくさんあるなあと思っています。
そしてボイルさんの話も、すごく極端なことを言っているけれど、別にその思想が危険だとか間違っているとかは全然思わないし、たぶん一個人としては貫けるやり方はあると思うし、そこから学ぶことってあるからそういう人がいてもいいよなあと思うのです。
一人ぐらいそういう極端な主張をする人がいてもいい、というかいた方がいいんじゃないかと私は思います。
考え方の違い
A1さんはボイルの考え方が極端なことに加え、その考え方に心酔している人が結構いるっぽいことにびっくりしたんじゃないかなあと思いました。
あと、A1さんは人の分析とカテゴライズが好きなんだなって思いました。(いいとか悪いとかじゃないですよ。)
今回の記事にあるチャートのように。
まあ、もちろん私も人に対して、この人こうじゃないかなあとイメージは抱いたりするけれど、できたらいろんな人と話してみたいと思う。
そしてやっぱり合わないや~と思ったり、何かしらのダメージを食らいながらも「あっ、自分とんでもない思い込みをしていたな!!」って思うことはたくさんあるんですよね。
こういう私は、だからいつも自分が何者かわかったつもりになっちゃだめだなと思っています。
A1さんはとても頭が良い人だから、私よりずっと広い世界が見えていると思うし、人の特性とかもわかるんだと思います。
でも私は、あ、たぶん相容れない人だなと思う人でも自分が気になったところがあれば話したいし、時にダメージも食らいますが、そうやって実践で未熟な自分を成長させていきたいと思っています。
あと、A1さんのよく言う「親和性の高い人とだけ一緒にいたい」っていうのは、すごくいいなと思っていました。
でも、そう思って人と付き合っていく中で、そもそも私にとっての親和性とはなんだろう?ということを考えるようになりました。
考えていくうちに、自分というものを確立していない自分には、親和性という言葉は取り扱えないなと思いました。
私は会社が嫌で会社を辞めたけれど、いい会社もたくさんあると思うし
そんなところで働けていたらまた考え方も違うと思うし
会社員ですごく楽しそうな人もたくさん知っているし
後は私は音楽が好きだけれど同じ音楽が好きでも
趣味や考え方が全然違う人ばかりだし
旅が好きな人と一緒にいても、旅の仕方は様々だし
書くことが好きな人といても書きたいことは様々だし
そこに親和性はあるし、ない。
だけど、この人は自分と親和性が高い人だなあと分かることとか、ましてやそういう人とだけ付き合いたいと考えることは、自分を確立していない自分には、あまりできないことなんじゃないかなあと最近思いました。
だからこれからも、いろんな人に会いたいし、話したいと思いました。
私はどんなふうに生きたいか
今の自分は20代に比べて、急速にいろんな我慢を捨てきたなあと思っています。
そうすることで、出会えてよかったなあと思う場所や人の存在があります。
でも、そこで自分というものをよく理解したつもりになって、今の自分に無駄なことはしたくない、無駄な神経を使いたくない、気の合う人とだけいたいということを、一瞬突き詰めすぎてしまったかなあと思っています。
何を分かったつもりになっていたのか、なかなかの勘違いをしていたなあと思っています。
未熟な私は、これからもたくさんの人に合って、たくさんの本を読んで、たくさんの経験をして、知らないことをみくびらないように、わかったつもりにならないようにしたい。
そういう想いで一年間生きてみたら、こんな話も迷わずまとめられるようになるのかなあとはすこし思う。
だいぶ、悩んで書いたけれど、すごくたくさんのことを考えた数日でした。