「徳とは共感のことである」
18世紀イギリスの哲学者、デイビッド・ヒュームはそういう言葉を残しています。そして2018年は資本主義の時代から価値主義の時代へと移り変わろうとしている転換点だといわれている昨今です。共感と自由とは密接に結びついている、しかも、反対の形で、という本を読みました。ベストセラーになった『嫌われる勇気』です。
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お役立ち情報があふれる世の中で
ヒュームの名前を出すまでもなく、私たちは共感を得ようとやっきになっている側面があります。たとえばSNSでは「「腹減った」とか「眠い」とかつぶやくな!ブランディングに差し障る!」といった言説が支持され、インフルエンサーを目指す若者たちはこぞって有益なコンテンツを投稿します。
昔は本やセミナーにいかなければ手に入らなかった情報がタダで手に入る時代。そんな時代には、有益な情報を惜しみなく提供していくものこそが、価値主義の勝利者であると考えられています。だからこそ、みんな「お役立ちコンテンツ」を配信するのでしょう。
嫌われても良いから自由を目指そう
しかしアドラー心理学においてこれは束縛です。人から好かれよう、認められよう、いいねをもらおうとすることこそ、他人の願望を生きることになる、という言説、鋭いと思いませんか。私たちはみな他者の目から逃れられない。異様に他人からの視線を気にすることこそ、不自由であり、束縛である、と。
近代社会は自由を手にするために生まれた
そもそも近代国家そのものが、より自由を得ていくために、束縛から解放されるために発生しています。そして従来型の資本主義では、ストレートに表現すると「お金」こそがその自由を得るためのものでした。
そして価値主義の時代になると、今度はみなが「いいね」の奴隷となります。インフルエンサーはフォロワーをお金に換金し、影響力こそが正義と語られる。しかし、会社を辞めること、組織から逃れることだけが自由ではないとアドラーはいいます。真の自由とは、カント的な転がり続ける欲望に抗うこと。それこそが魂の自由であると。
アドラー心理学、面白いぞ!
結構面白いですね、350円で買ってお風呂で読んでいますが、覚えるまで何度も読もうと思います。ちなみにパートナー(社長)には「くだらね」と一蹴されました。他者の目を気にしない男・・・!彼こそが真の自由人なのでしょう。
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