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さる1月12日、結成30周年にして初の日本武道館公演を成功させた怒髪天。彼らは地元北海道のロックシーンで早くから注目を集めながらも、1990年前後のバンドブームに乗らず、90年代後半には3年ほどの活動休止期間も経験している。そんな時期を経て、メンバー自身も四十路を迎えてからの快進撃は、日本の音楽シーンでも稀有な成功例といえるだろう。さきごろ出版されたボーカル増子直純の自伝『歩きつづけるかぎり』(音楽と人)は、増子自身が幼少時から現在までの日々をユーモラスに語り尽くした名著であり、大器晩成型バンドの代表格といえる彼らの歩みを記録した貴重な資料でもある。同書で取材と執筆を担当した石井恵梨子さんに、怒髪天というバンドの特異性や、増子直純の魅力的な人間性について語ってもらった。
――『歩きつづけるかぎり』では、決して短くない厳しい時代をくぐり抜け、00年代から活躍の場を広げていく怒髪天の姿が描かれています。今年で結成30周年、彼らが今の地位を築くまで、バンド活動を継続してこられた理由はどこにあるのでしょうか。
石井: 言葉にするとバカみたいに思われるかもしれませんが、「バンドが楽しい、みんなで演奏するのが好き」という一点を貫き通してきたところにあるように思えます。ロックミュージシャンらしからぬ…というか、真っ直ぐな性格の増子さんはもちろん、ほかのメンバーに聞いてみても、その部分は一切ブレていないんです。
怒髪天は80年代、バンドブームに乗ってドカンと世に出る可能性もあった。ミッシェル・ガン・エレファントなどの台頭でロックバンドが再評価された90年代後半にも、同じようにブレイクの期待はありましたが、その当時、怒髪天は活動を休止していて、増子さんは包丁の実演販売をしていた(笑)。ある意味では“時代”に乗ってこなかったバンドであって、だからこそ流されもせず、長く続いているのかもしれません。
――実弟の増子真二さんがヴォーカルを務めるDMBQがいち早く海外で評価されたり、活動休止中に北海道バンドの後輩=eastern youthやthe pillowsがブレイクしたりと、焦る要素はあったと思うのですが、増子さんと怒髪天はあくまでマイペースだったと。
石井: バンドブームに乗らなかったのは意図的だと思いますが、活動休止に関しては「30歳を目前にしてふと考えた結果」であり、大好きなバンドで楽しくワイワイできなくなったから。それでも鬱屈することなく、DMBQの大阪ツアーで運転手を買って出たりしているんですよ(笑)。そこが増子さんの面白いところですね。
周りのバンドがブレイクしていっても、そのことに焦ったり、羨んだりせず、「ブリッツで観てきたけど、あいつら最高だったよ!」って。このあたりは「悔しくなかったんですか?」としつこく聞いたんですけど、本当になかったみたいです。普通なら、少しは「ちくしょう!」ってなると思うんですけどね。
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