日蓮大聖人と極楽寺良観との祈雨対決
☆学会と宗門の関係に酷似.
頼基陳状(よりもとちんじょう)に、恐るべき極楽寺良観の悪行が記されている。
その悪行とは祈雨対決で負けたことを怨み、大聖人を殺害せんとしたことである。
詳しく申し上げるならば、祈雨対決で7日のうちに雨が降れば、大聖人は良観の弟子となる、逆に雨が降らなければ良観が大聖人の弟子となる、という実証での対決をしたが、結果、雨が降らず、さらに7日を加えた祈祷においても雨が降らなかった。
結果、良観は大聖人の弟子とならず、「日蓮を死罪にすべき」との申し状を提出した。
そのことで、日蓮大聖人は竜の口法難に至る。
御書1157ページには以下の内容が記されている。
(先に平仮名文、次に原文を示す)
くびを はねらるべき よしの もうしじょうを かきて
さつざいに もうし おこなわれ そうらいしが いかが そうろうけむ
しざいを やめて さどの しままで おんる せられ そうらいしは
りょうかんどのの しょぎょうに そうらわずや.
頸を はねらるべき 由の 申し状を 書きて
殺罪に 申し 行はれ候しが いかが候けむ
死罪を止て 佐渡の島まで 遠流せられ 候しは
良観上人の 所行に 候はずや.
日蓮大聖人が竜の口法難、佐渡流罪になった原因は、極楽寺良観の企てであった。
では、そのきっかけとなった祈雨対決とは具体的にどのようなものだったのか。
以下に、御書1157、1158ページからその描写の御文を示す。
(先に平仮名文、次に原文を示す)
いぬる ぶんえい 8ねん 6がつ 18にち だいかんばつの とき
かの ごぼう きうの ほうを おこないて
ばんみんを たすけんと もうしつけ そうろう よし
にちれんしょうにん ききたまいて これていは しょうじ なれども
この ついでに にちれんが ほうけんを ばんにんに しらせばやと おおせありて
りょうかんぼうの ところに つかわすに いわく
なのかのうちに ふらしたまわば にちれんが ねんぶつむけんと もうす ほうもんをすてて
りょうかんしょうにんの でしと なりて 250かい たもつべし
あめ ふらぬ ほどならば かの ごぼうの じかいげ なるが
だいおうわく なるは けんねん なるべし
じょうだいも あまごいに つけて しょうぶを けっしたる れい これ おおし
いわゆる ごみょうと でんぎょうだいしと しゅびんと こうぼうと なり
よりて りょうかんぼうの もとへ しゅうぼうぼう
いるさわのにゅうどうと もうす ねんぶつしゃを つかわす
ごぼうと にゅうどうは りょうかんが でし また ねんぶつしゃ なり
いまに にちれんが ほうもんを もちうる ことなし
これを もって しょうぶと せん
なのかの うちに あめ ふる ならば もとの はっさいかい ねんぶつを もって
おうじょう すべしと おもうべし
また ふらずば いっこうに ほけきょうに なるべしと いわれ しかば
これら よろこびて ごくらくじのりょうかんぼうに このよしを もうし そうらいけり
りょうかんぼう よろこびないて なのかの うちに あめ ふらすべき よしにて
でし 120よにん あたま より けむりを だし こえを てんに ひびかし
あるいは ねんぶつ あるいは せいうきょう あるいは ほけきょう
あるいは はっさいきょうを ときて しゅじゅに きせいす
し ごにち まで あめのけ なければ たましいを うしないて
たほうじの でしら すうひゃくにん よびあつめて ちからを つくし いのりたるに
なのかの うちに つゆ ばかりも あめ ふらず
そのとき にいちれんしょうにん つかいを よこす こと さんどに およぶ
いかに いずみしきぶと いいし いんにょ のういんほっしっと もうせし はかいのそう
きょうげんきごの 31じを もって たちまちに ふらせし あめを
じかい じりつの りょうかんぼうは ほっけ しんじつの ぎりを きわめ
じひ だいいちと きこえ たもう しょうにんの すうひゃくにんの しゅうとを ひきいて
なのかの あいだに いかに ふらし たまわぬやらむ
これを もって おもい たまえ
いちじいょうの ほりを こえざるもの にじょう さんじょうの ほりを こえてんや
やすき あめをだに ふらし たまわず
いわんや かたき おうじょう じょうぶつをや.
去る 文永八年 六月十八日 大旱魃の 時
彼の御房 祈雨の法を 行いて 万民を たすけんと 申し付け 候由
日蓮聖人 聞き 給いて 此体は 小事 なれども
此の次でに 日蓮が 法験を 万人に 知らせばやと 仰せありて
良観房の所へ つかはすに 云く
七日の内に ふらし給はば 日蓮が 念仏無間と申す 法門すてて
良観上人の弟子と 成りて 二百五十戒 持つべし
雨 ふらぬ ほどならば 彼の御房の 持戒気なるが
大誑惑 なるは 顕然 なるべし
上代も 祈雨に付て 勝負を 決したる例 これ多し
所謂 護命と伝教大師と 守敏と弘法と なり
仍て 良観房の所へ 周防房、入沢の入道と 申す 念仏者を遣わす
御房と入道は 良観が弟子 又 念仏者なり
いまに 日蓮が 法門を 用うる 事なし
是を以て 勝負とせむ
七日の内に 雨 降るならば 本の八斎戒 念仏を以て 往生すべしと 思うべし
又 雨らずば 一向に 法華経になるべしと いはれしかば
是等 悦びて 極楽寺の 良観房に 此の由を 申し候けり
良観房 悦びないて 七日の内に 雨 ふらすべき 由にて
弟子 百二十余人 頭より 煙を出し 声を 天に ひびかし
或は 念仏 或は 請雨経 或は 法華経
或は 八斎戒を説きて 種種に祈請す
四 五日まで 雨の気 無ければ たましゐを失いて
多宝寺の 弟子等 数百人 呼び集めて 力を尽し 祈りたるに
七日の内に 露ばかりも 雨 降らず
其の時 日蓮聖人 使を遣す事 三度に及ぶ
いかに 泉式部と 云いし 婬女 能因法師と 申せし 破戒の僧
狂言綺語の 三十一字を以て 忽に ふらせし 雨を
持戒 持律の 良観房は 法華 真言の 義理を極め
慈悲 第一と 聞へ給う 上人の数百人の 衆徒を率いて
七日の間に いかに ふらし 給はぬやらむ
是を以て 思ひ給へ
一丈の堀を 越えざる 者 二丈 三丈の 堀を 越えてんや
やすき雨をだに ふらし 給はず
況や かたき 往生 成仏をや.
極楽寺良観は祈雨対決に決定的な敗北を喫した。
当時、この対決は鎌倉中に知れ渡っていたことだろう。
法論に勝てない良観は、唯一の活路を祈雨にかけた。
しかし、一滴の雨をも降らすことができず、無力さを世に知らしめた。
この時、良観は「民衆を救わんとする行為を妨害する日蓮であるから死罪にせよ」と上申するのである。生き仏と讃えられた良観が、である。
この史実に、改めて大聖人の揺るぎない確信に驚かされた。
「もし、雨が降ったらとお考えにならなかったのだろうか」
「ほんの少し、パラパラと雨が降る予測はされなかったのか」
もし、ほんの少し雨が降ったなら、良観は「降った」と言い訳もできたろう。
されど、一滴も降らなかった。現証として完璧だった。
でも雨が降ったら、大聖人は「法華経を捨てて弟子となる」とのこと。
これは命がけの対決だったことになる。
思うに、この極楽寺良観、現代の悪僧と類似していないか。
そう、阿倍日顕である。池田先生を亡き者にしようとした日顕・・
大聖人が仏であるが故に、魔の出現があったように、池田先生もまた現代の仏であるが故にまったく同類の魔が出現したということなのだろう。
良観一派は滅びた。日顕宗の未来も同じであろう。
今、創価は池田先生と共に大発展を遂げている。日顕宗は没落の一途である。
池田門下、創価の偉大は、日顕宗によって証明されるということか。
何と不思議な符号であろうか。
今、小説・新人間革命で、克明に日顕宗の問題が語られている。
以下に、その第30巻の読書感想文URLを示す。
http://sokamori2.exblog.jp/i49/
尚、大聖人は、良観に使者を出し、速やかに大聖人の弟子になるように伝えている。
その内容をご参考までに、以下に抜粋する。
(先に平仮名文、次に原文を示す)
しかれば いまよりは にちれん うらみ たもう じゃけんをば
これを もって ひるがえし たまえ
ごしょう おそろしく おぼし たまわば やくそくの ままに いそぎ きたり たまえ
あめ ふらす ほうと ほとけに なる みち おしえ たてまつらむ
なのかの うちに あめ こそ ふらし たまわざらめ
かんばつ いよいよ こうせいに はっぷう ますます ふきつもりて
たみの なげき いよいよ ふかし
すみやかに その いのり やめたまえと
だいしちにいちの さるの とき ししゃ ありのままに もうす ところに
りょうかんぼうは なみだを ながす
でし だんな おなじく こえを おしまず くやしがる
にちれん ごかんきを こうむる とき このこと おたずね ありしかば
ありの ままに もうし たまいき
しかれば りょうかんぼう みのうえの はじを おもわば
あとを くらまして さんりんにも まじわり
やくそくの ままに にちれんが でしとも なりたらば
どうしんの すこしにでも あるべきに
さわなくして むじんの ざんげんを かまえて さつざいに もうし おこなわむと せしは
とうとき そうかと にちれんしょうにん かたり たまいき
また よりもとも みきき そうらいき.
然れば 今よりは 日蓮 怨み給う 邪見をば
是を以て 翻えし 給へ
後生 をそろしく をぼし給はば 約束のままに いそぎ 来り給へ
雨 ふらす法と 仏になる道 をしへ 奉らむ
七日の内に 雨 こそ ふらし 給はざらめ
旱魃 弥 興盛に 八風 ますます吹き 重りて 民のなげき 弥弥 深し
すみやかに 其のいのり やめ給へと
第七日の 申の時 使者 ありのままに 申す処に
良観房は 涙を流す
弟子 檀那 同じく 声を おしまず 口惜しがる
日蓮 御勘気を 蒙る時 此の事 御尋ね 有りしかば
有りの ままに 申し 給いき
然れば 良観房 身の上の 恥を思はば 跡をくらまして 山林にも まじはり
約束のままに 日蓮が弟子とも なりたらば 道心の 少にてもあるべきに
さはなくして 無尽の 讒言を 構えて 殺罪に 申し行はむと せしは
貴き僧かと 日蓮聖人 かたり 給いき
又 頼基も 見聞き 候き.
何と無残な極楽寺良観の敗北であろうか。
今の日顕宗そのままではないか。
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by sokanomori3
| 2018-01-20 06:30
| ひらがな御書に学ぶ
|
Comments(6)
菊川さん、こんばんは。
私は大誓堂へ入った時に、初めて心の底から日顕のバカタレと心の中で叫びました。
正本堂の荘厳さは、比類なきものでした。
未だ貧しかった創価学会員の真心の結晶でした。
どれ程の思いで出来たのか、少しは知っております。
父が亡くなって、実家をかたずけていた時に、
仏壇の中から出て来た正本堂建設の御供養の領収書。
小学生だった私の名前でしてくれたものもありました。
それも多額の金額で驚きましたが、
わが子に福運をというありがたい親心に感謝しました。
創価が末法万年まで栄える一幕であるにせよ、
残虐極まりない坊主どもです。
私は大誓堂へ入った時に、初めて心の底から日顕のバカタレと心の中で叫びました。
正本堂の荘厳さは、比類なきものでした。
未だ貧しかった創価学会員の真心の結晶でした。
どれ程の思いで出来たのか、少しは知っております。
父が亡くなって、実家をかたずけていた時に、
仏壇の中から出て来た正本堂建設の御供養の領収書。
小学生だった私の名前でしてくれたものもありました。
それも多額の金額で驚きましたが、
わが子に福運をというありがたい親心に感謝しました。
創価が末法万年まで栄える一幕であるにせよ、
残虐極まりない坊主どもです。
ルピナスさん、私も同じです。
実家の仏壇の中に、正本堂の御供養の領収書がありました。
さらに正本堂建設に対する学会の赤誠の思いと行動が収められた写真集などを見るにつけ、また、正本堂が完成したときの模様を映し出した映像(TVが8ミリ映写かさだかでないです)を私は見ていたし、さらにその後、日顕一派の謀略と暗躍を知って、絶対に許せない思いで一杯です。
けれど、この正本堂や総本山消失は結果として良かったと
心の底から思うのです。
総本山をありがたがるなんて無駄ですから。
別れて大正解ですから。
大聖人は、この上記御文の続きに次のように仰せです。
>かんぎょう とうの ねんぶうつの ほうもんは ほけきょうを とかせ たまわむ ための しばらくの しつらい なり
とう くま むための あしだいの ごとし
しかるを ぶっぽう なれば しゅうし あるべしと おもう ひと だいびゃっけん なり
とう たてて のち あしだいを とうとぶ ほどの はかなき ものなり.
>観経 等の 念仏の 法門は 法華経を 説かせ 給はむ
為の しばらくのしつらひ なり
塔 組まむ 為の 足代の 如し
而るを 仏法なれば 始終あるべしと 思う人 大僻案 なり
塔 立てて後 足代を 貴ぶほどの はかなき 者なり.
すなわち、法華経以前の釈尊の経は、家を建てるための足場である、
それなのに足場をそのままにして、ありがたがっている、
それは大いに間違った受け止め方であり、無残な人生である、
と述べられているのです。
大事なことは日蓮大聖人の仏法の実践であり、広宣流布であり、
結果、私たちが幸せになること。
それなのに彼らの繁栄のために生活費を切り詰めて御供養し、
そうして僧侶たちの贅沢な生活を支える・・
もう、こういうことが永遠になくなったのです。
これは大功徳ではないでしょうか。
この功徳を開いてくださったのは池田先生ですね。
ありがたいです。
★菊川広幸
菊川さん、こんばんは。
>すなわち、法華経以前の釈尊の経は、家を建てるための足場である、
御書には、明快に仰せですね。
御書根本は、まさに正しい道しるべだと思います。
牧口先生、戸田先生が現代に生きておられたら、
きっと、池田先生が築いた創価学会が正しいと仰るに違いない。
そう確信しています。
>すなわち、法華経以前の釈尊の経は、家を建てるための足場である、
御書には、明快に仰せですね。
御書根本は、まさに正しい道しるべだと思います。
牧口先生、戸田先生が現代に生きておられたら、
きっと、池田先生が築いた創価学会が正しいと仰るに違いない。
そう確信しています。
第30巻の読書感想文、読ませてもらいました。
>彼らの三悪道四悪趣の命
そうですよね。
今月の座談会で、私たちは「顕仏未来記」を研鑚しました。
大聖人は、ご自身が唱えたの南無妙法蓮華経」の「仏法」は、
「必ず東土の日本より出づべきなり」と。
極東の日本から世界へと広がっていく大聖人の仏法。
その未来記を実現してきたのは、紛れもなく池田先生と
その指揮とで、苦難を乗り越えてきた創価学会の同志です。
そういう七百年後の未来記を顕された大聖人は、
釈尊、天台、伝教に御自らを並べて
「三国四師と号(なづ)く」と宣言されました。
その大聖人御在世当時に醜い「三悪道四悪趣」の命を
顕したのが極楽寺良観であり、
七百年後に、その再来の如く。
「白『日』の下に、魔の正体を『顕』した」のが、
文字通り『日顕』でした。
七百年から八百年という時空を隔てながら、全く同じ現象。
同じ『三』と『四』でも真逆の境涯が顕れました。
まさに永遠に続く「仏」と「魔」の闘争ですね。
>彼らの三悪道四悪趣の命
そうですよね。
今月の座談会で、私たちは「顕仏未来記」を研鑚しました。
大聖人は、ご自身が唱えたの南無妙法蓮華経」の「仏法」は、
「必ず東土の日本より出づべきなり」と。
極東の日本から世界へと広がっていく大聖人の仏法。
その未来記を実現してきたのは、紛れもなく池田先生と
その指揮とで、苦難を乗り越えてきた創価学会の同志です。
そういう七百年後の未来記を顕された大聖人は、
釈尊、天台、伝教に御自らを並べて
「三国四師と号(なづ)く」と宣言されました。
その大聖人御在世当時に醜い「三悪道四悪趣」の命を
顕したのが極楽寺良観であり、
七百年後に、その再来の如く。
「白『日』の下に、魔の正体を『顕』した」のが、
文字通り『日顕』でした。
七百年から八百年という時空を隔てながら、全く同じ現象。
同じ『三』と『四』でも真逆の境涯が顕れました。
まさに永遠に続く「仏」と「魔」の闘争ですね。
ルピナスさん、こんばんわ。
同意です。^^
★菊川広幸
同意です。^^
★菊川広幸
福島の壮年さん、こんばんわ。
>その大聖人御在世当時に醜い「三悪道四悪趣」の命を
顕したのが極楽寺良観であり、
七百年後に、その再来の如く。
「白『日』の下に、魔の正体を『顕』した」のが、
文字通り『日顕』でした。
七百年から八百年という時空を隔てながら、全く同じ現象。
同じ『三』と『四』でも真逆の境涯が顕れました。
まさに永遠に続く「仏」と「魔」の闘争ですね。
納得のコメント、ありがとうございます。
★菊川広幸
>その大聖人御在世当時に醜い「三悪道四悪趣」の命を
顕したのが極楽寺良観であり、
七百年後に、その再来の如く。
「白『日』の下に、魔の正体を『顕』した」のが、
文字通り『日顕』でした。
七百年から八百年という時空を隔てながら、全く同じ現象。
同じ『三』と『四』でも真逆の境涯が顕れました。
まさに永遠に続く「仏」と「魔」の闘争ですね。
納得のコメント、ありがとうございます。
★菊川広幸
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