30年ほど前に買った「中国文学館」(黎波著、大修館書店)は、古代から現代までの中国文学の歴史を概括的に学ぶことができる良著だ。その中に、中華人民共和国建国(1949年)後「人民作家」と呼ばれ、文学界の重鎮として活躍した趙樹理(ちょう・じゅり)が文化大革命中(1966~76年)に紅衛兵らの批判にさらされる場面が出てくる。
「彼は頭に高い帽子をかぶり、首には数十斤(1斤は500グラム)もする重い鉄板をぶら下げ、机を3つ積み重ねた高い台の上に立っている。机の上に跪かせると思うと、今度は立てと迫る。その立ち上がった瞬間であった。酷い暴徒が後ろから力任せに突き落としたのだ。この一突きで(……略……)腰骨は砕けてしまい、肋骨も折れ、折れた骨が肺を突き刺してしまい…4日もたたないうちに、趙樹理同志は怨みをのんで世を去った……」
文革の被害を受けたのは、趙樹理だけでない。「実に多くの作家、評論家、文筆家が、殺害され、獄死し、迫害されて病死し、自殺した」(同著より)。
この他にも、国家主席だった劉少奇や、朝鮮戦争を指導した彭徳懐ら、多くの建国の功臣が文革中に死亡したほか、広西チワン族自治区では粛清の犠牲者の人肉を食べるといったおぞましい事件も報告されている(この事件については最近刊行された『文化大革命 〈造反有理〉の現代的地平』(白水社)が詳述している。)
文革による犠牲者は公式には死者40万人、被害者1億人だが、一説には死者2000万人とも言われている。
この「10年の浩劫(中国語で大災害の意味)」の公的評価については、1981年の中国共産党第11期6中総会が採決した「建国以来の党の若干の歴史問題についての決議」(歴史決議)では、「毛沢東が誤って発動し、反革命集団に利用され、党、国家や各族人民に重大な災難をもたらした内乱である」として、完全な誤りであったとされた。
ところが、最近になり、この文革の災禍を「希薄化」、すなわちなかったことにする動きが大きな議論を呼んでいる。
きっかけとなったのが微博アカウント「講史堂」が1月10日に暴露した内容だった。
この中で中国教育省が新たに編纂した8年級下冊(中学2年後半)の中国歴史教科書の審査版(サンプル)から「“文化大革命”の10年」の項目を削除、「社会主義建設10年の模索」と合体し、「困難な探索と建設の成果」として新設すると伝えた。
新旧それぞれの教科書の文革に関する内容は大きく異なり、旧版では「毛沢東は党中央に修正主義が出現し、党と国家で資本主義が復活するとの危険があるとの認識を誤り」とあったが、新版は「毛沢東は党と国家で資本主義が復活すると認識し」と「錯誤(誤った)」を削除した。
このほか、見出しの「動乱」「災難」の2つの字句を削除し、まとめ部分では「世の中に順風満帆な事業はない。世界の歴史も紆余曲折を経て前進する」との表現が加えられた。
この指摘に対し、出版元の人民教育出版社は、第6課「困難な探索と建設の成果」の中で、専題(専門のテーマ)として文化大革命について、その発生の背景や経過、危害などについて記述するとして、打ち消しに努めた。
これに対して「購史堂」はさらに「専題」というのは、「困難な探索と建設の成果」という項目の一部分にすぎず、朝鮮戦争の英雄を紹介すると同レベルの扱いであり、これは適当だろうか、と疑問を投げかけた。
それともに、「歴史を正視してこそ、未来に向かい合うことができる。誤りは客観的に存在し、忘れるべきではない」として「文革を独立した項目とすべきであり、これが歴史に対し、未来に対し、さらには民族に対し責任を持つことだ」と指摘した。
ただし、この「購史堂」というアカウントは、おそらくは当局の指示により、削除されてしまった。