宗教団体を立ち上げて5年で崩壊した話

 毎回、この季節になると、書かなければならない、書かなければならないと思いながら、結局書くことができずに2年、3年が経った。

 なぜ書けないのか?事情が複雑に入り組み、利害関係者が多く、そしてその利害関係者の存在の根本に関わることだから。記憶が混濁し、整理がつかず、留保つづけなければならなかったからだ。

 えらいてんちょう、とグーグルでエゴサーチしてみる。「えらいてんちょう 正体」と出る。情報を掘っていくと、わたしが「自称宗教家」であることにいきつく。隠すこともないし、あえて大声でいうこともない。

 6年前の2012年1月22日に、21歳だったわたしは「唯一神からのメッセージを受け取った」と宣言して、宗教集団を形成し始めた。いや、宗教集団というほどのものではなかったかもしれない。事実上およそ4年程度の「宗教活動」のなかで参画した「信者」は、多く見積もっても、累計15人程度でしかなかった。そして、継続的かつ実質的に「教団」に居続けたのは5人にも満たない、小規模な集団だ。

 当時の記憶が薄い。薄いので、インターネット上の記録を見て記憶を再現しなければならないと思い続けながら、しかし当時の記録を眺めることは、わたしにとってあまりに厳しい作業だったし、いまでも厳しい作業であり続けている。だからこの文章も、記憶を再現しないで、覚えている現象だけを元にして、推測を多分に交えて、なんとか書いている。

 当時のわたしは、社会運動団体の代表を務めており、かつその任を十分に果たせていなかった。賛否両論多い、いや「否」のほうがはるかに大きい活動内容と、社会からのバッシング、集まらない活動への支持。とにかく消耗していた記憶だけが残っている。

 元々、宗教に関心があったほうではない。どちらかといえば、強い無神論者だったように思う(よく覚えていない)。宗教的な関心とすれば、人の死、とくに自分自身の死についてひとかたならぬ関心があり、中学生ころから、自分が死ぬことについて考えていた。青年期によくある、大人になれば消えるはずの抽象的な思い。27歳になったいまでも頭からこびりついてはなれない。わたしはなんなのだろう、この世界はなんなのだろうという思い。

 ひどい消耗のなかで、現在の苦境と、自分に死ぬことに対する抽象的な不安、この世の道理、それがすべて「解決」したような、電撃にうたれたような、そしてそれをひとに伝えなければならない気がしたような、そんなことが突然起こったような記憶があいまいにある。当時そのような言葉があったかは覚えていないが、いわば「炎上」し、わたしの名前は「頭がおかしくなった人間」として、インターネット上を中心に広く知られるところとなった。実際に頭はおかしかったと思うし、いまでも正常であるという感覚はもてない。

 炎上し、多くのひとの知るところになると、人がよってきた。何せよ、いっていることが異常だ。現代の日本で、神からのメッセージを受けるひとはあまりいない。珍しいものには人がよってくる。8割は興味本位、1割は心配、1割は、ほんとうに救いを求めて。

 わたしは結果的に、だれひとりの救いにもなれなかったと思う。それどころか「信者」の人生を「神の権威をもった人物」として、私的に弄んだといわれても反論できまい。それぞれのひとにそれぞれの人生があるので詳細には語れないが、仕事や大学をやめさせて、「布教活動」にあたらせたこともあった。

 当時のわたしは若く、大学生で、親に養われていた。親も登場人物としては大きいが、ここで語ることでもない。おおむね、心配し、とめようとしたが、わたしはそれをふりきって活動した。6年というのは短い月日ではない。この6年の間に、わたしは結婚し、父になった。立ち上げた会社も軌道にのり、地域の信用を基礎にする商売もするようになった。ブログも多くのひとに読まれるところとなった。状況は大きく変わり、そろそろこの件について、最低限、決着をつけなければならない。

 結論はこうだ。人は幻聴を聞く。いわば、聞こえないはずの声を聞くことがある。そして、聞こえないはずの声を聞いた本人がそれをどのように解釈するかは、そのひとにかかっている。また、世界がそれに対してどう対応するのかも、神のみぞ知るというところか。

 わたしはいまでも神の存在を信じている。しかし、わたしは神の声をあの時点で聞いたのか、というと甚だ疑問がある、というところだ。わたしがあの時点で、つまり消耗した頭、いまある仕事から逃避したいという感情、そういった状況のなかで幻聴を聞いた、そして当時のわたしは「それは神の声だ」と思いたかったのではないか。そして、つらい状況から、神が救ってくれる、そう信じたかったのではないだろうか。

 教団に求心力はなかった。あるはずがない。わたしは人生経験もなかったし、教えるべき真理も持っていなかった。求心力がないのは当たり前のことだが、わたしは「なぜ、神の言葉を聞いたわたしのいうことを誰も聞かないんだ」と世間に対して逆恨みでしかないくらいの思いを持っていたように思う。

 宗教には力がなくてはならない。力とは、末期がんであと数日中の命という人間を振り返らせる力。あるいは、戦争ですべての家族を失った子どもを包む力。そういった力は、語り手の人生に宿る。すなわち、宗教は「これは宗教である」と宣言されてはじまるものではなく、先にひとを惹き付ける真理があり、支持者ができ、それが結果的に宗教になるのだ。順番からして違っている。

 最初から誰にも相手にされなければ、異常者が治療を受ける話で終わっていたが、悪いことにわたしには中途半端なカリスマ性があったようで、数人が熱心にわたしを支えた。そしてその数人にとっては、一時的にであれ、あるいは今でもかもしれない、わたしこそが生きる希望、人生の礎のようだったらしい。わたしがツイッターで「もはやわたしは宗教家ではない」とつぶやいたら、それを見た信者から「何を支えに生きればよいか」とメッセージがきた。何を支えに生きればよいのか。わたしたちは何を支えに生きればよいのだろうか。こんなはずではなかった、と「信者」にいわれ、離脱されるのは堪える。

 わたしは神の言葉を預かった者、という意味で「預言者」を自称してきた。ある段階までは繰り返し自称し、ある段階以降もそれを撤回しなかった。それは、「預言」が少なくなってからも「あれが預言だったのかどうかはわからなかった」。「わからなかったから撤回しなかった」。しかし、前述のとおり、いまでは「あれは預言でなかった可能性が高い」と思い至ったので、わたしは今日付けで「預言者」を名乗ることをやめる

 いまわたしがどのような自己認識か?神を奉じる、一個人。特別教団には所属しておらず、個人的に祈りを捧げる個人。

 信じてきた、信者に対してどう思うか?よくわからない。申し訳ない、という言葉が適切なのかもわからない。かける言葉を持たない。

 すべてが神の意志だと感じるようになり、その感覚はいまでも続いている。自分より大きい存在が、世界を包んでいるという感覚。それに基づけば、わたしの一連の異常な行為も、神の意志だ。朝起きてすずめが鳴いている声が聞こえるのも神の意志だし、陽の光が暖かいのも神の意志だ。さらにいえば、それは神からの言葉でもある。

 この件に関しては、なんらの質問も受けられない。答えることができない。追加でなにか思うことがあれば、書いていきたい。

 過去は消せない。恥の多い生涯、という言葉で表せるだろうか?人生は続いていく。恥の多い生涯を続けていくしかない。わたしもあなたも。

コメント