ある日、ある大学の前に立っていると顔のいい女が歩いて行った。
スタイルもいいし、体も良さそうだった。
結局、この女の価値が月日で無くなることはあっても経済不況や政変ではなくならないものだろう。
彼女の価値は経済や政治とは独立していて、どこまでも自分には手に入らないのだ。
資本主義には問題があると感じて、資本主義の限界性と新しいシステムを論ずる本を読む。
しかし、カネの格差がない世界もそれはそれで地獄なのではないかと感じる。
どこまでも容姿などで差異化させられるのではないかとかいう恐怖だ。
自分は醜いゆえに資本主義の外の世界を夢見ることも許されないのだろうか。
最近、自分は父親に贈与された金をどうやって運用するか迷うが、投資なんか考えるのが間違いなのかもしれない。
だから、自分は整形などといった「自分への投資」という運用を考えた。
しかしながら、自分は免疫抑制剤を飲んでいるし医者も嫌がりそうだ。
株やらは高値掴みになりそう云々でやる気になれない。
恐らく、資本主義とは違う容姿やらの格差があるから人々は金稼ぎに邁進するのではないか。
もし、容姿のフェアが確立できた時に資本主義は弱まるのではないか。