2018-01-22

下手な投資よりも自分投資したほうがいいのかもしれない

ある日、ある大学の前に立っていると顔のいい女が歩いて行った。

スタイルもいいし、体も良さそうだった。

彼女は何をやっても擁護される気がしたし、実際にそうだろう。

結局、この女の価値が月日で無くなることはあっても経済不況政変ではなくならないものだろう。

彼女価値経済政治とは独立していて、どこまでも自分には手に入らないのだ。

最近、色々と不動産投資関連でも大変な話が流れてくる。

資本主義には問題があると感じて、資本主義限界性と新しいシステムを論ずる本を読む。

しかし、カネの格差がない世界もそれはそれで地獄なのではないかと感じる。

どこまでも容姿などで差異化させられるのではないかかいう恐怖だ。

自分は醜いゆえに資本主義の外の世界を夢見ることも許されないのだろうか。

最近自分父親に贈与された金をどうやって運用するか迷うが、投資なんか考えるのが間違いなのかもしれない。

小金のために投資をしても、結局は虚しいだけだ。

例え、成功してものだ。

から寄付をしようとかいうのではない。

結局は経済政治独立した容姿重要だったりするのだろう。

から自分は整形などといった「自分への投資」という運用を考えた。

しかしながら、自分免疫抑制剤を飲んでいるし医者も嫌がりそうだ。

出来ても良くならない可能性もかなりある

結局、何に運用していいかからなくなるものだ。

株やらは高値掴みになりそう云々でやる気になれない。

世の中が投資先がなくて、金余りの状態らしい。

こんなの間違っている。しかし、人々は資本主義をやめない。

恐らく、資本主義とは違う容姿やらの格差があるから人々は金稼ぎに邁進するのではないか

醜かったら、カネ以外で差異化できない可能性もあるからだ。

もし、容姿のフェアが確立できた時に資本主義は弱まるのではないか

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