私の家は2004年あたりまでラブホテルを経営していた。男同士の宿泊はお断りだった。
母の話だとラブホテル経営し始めた当初は男同士も問題なく受け入れていた。90年代になって経営し始めたうちのホテルではとにかく客がほしかった。
そのもっと前だとエイズへの恐怖で男同士を禁止するラブホテルが多かったみたいだけど、うちが経営し始めた頃は感染理由も広まり無知の恐怖で断る必要はなくなっていた。
最初は受け入れたうちのホテルだが、すぐに断るようになった。これも母が言うには「すごく汚すから」という理由だ。
清掃費や従業員の精神的負担を考慮すると断るしかないとのことだった。そうじゃなきゃ潰れてしまう。
男同士の客の8割は汚くしたと母は言っていた。そのなかでは宿泊施設がなく友人同士で泊まるケースもあったので男性同性愛者が汚す率は実際は8割を超えてたと思う。
経営者としてとにかく客=金が入ればいいので、差別意識で断ってるラブホテルはあんまりないんじゃないだろうか。
でも差別て訴える人は、そのなかにいた<汚さない人>なんだと思う。彼らにとってはそりゃあ理不尽な話だとも思う。
私は差別と生活が天秤にかかったときにどっちを選ぶかと問われた差別を選んでしまう。
差別される側としてもその感覚は骨身に沁みている。ラブホテルをやってる家の子供、<ザイニチ>の子供として。
小学校の通学路近くにラブホテルを建てたものだから散々クレームが来たうえに、これだからザイニチは・・ともよく言われた。
金に汚く性的なことを子供にあけすけに話す母親と母の内縁の夫と暮らしながら、家では日本への呪いを、外では日常的な差別を受けてきた。
学校ではあだ名が「姫」だった。ラブホテル=お城=姫ってわけだ。地味でお世辞にも姫っぽさのかけらもない私が「姫」と呼ばれてることを教師たちは問題視することはなかった。
ザイニチの私はザイニチだと言われつつもそれで得したこともある。就職氷河期に短大出の私がそれなりに良い条件でそれなりの会社の正社員になれたのはそのルーツによるコネのおかげだった。
あのとき同じ会社に面接を受けた私より優秀で有能な人たちにとってザイニチは狡い存在だと思う。ザイニチだから結婚を考えた人に振られたけど、ザイニチだから就職できた。
日本人と結婚させたくなかった母や母の夫は私が別れたときに喜んだけど、それから38歳になった私は今も独身で子供もいない。これからもずっと独身でいると思う。
子供は産みたくないしほぼタイムリミットになってきて嬉しい、って
書いてたら何を書きたかったのかわからなくなったので終わります。
私は狡いから差別されてるし仕方ないって話?