スカパー!のおすすめ映画はこちら


菊地夏野のブログ。こけしネコ。


by anti-phallus

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

記事ランキング

最新の記事

なぜ私はフェミニストではない..
at 2018-01-19 17:25
セクハラ #Me too 
at 2017-12-29 21:46
福島・放射能・原発etcのこと
at 2017-11-23 15:46
2017年衆院選挙結果を受け..
at 2017-10-27 13:54
ナンシー・フレイザー「資本主..
at 2017-09-13 15:49
諦めが生む女性専用車両
at 2017-08-31 18:33
アイヌのこと
at 2017-08-07 17:59
家族に介入する国家が問題なの..
at 2017-05-05 23:51
ジュディス・バトラー インタ..
at 2017-03-11 21:12
朝日新聞・女子力コメント
at 2017-03-08 13:39

カテゴリ

全体
つれづれ
非常勤問題
小説
ブックレビュー
シネマレビュー
仕事
イベントの案内
フェミニズム
セックス・ワーク
クィア/LGBT
日本軍「慰安婦」問題
原発/震災
ユニオンWAN争議
その他
未分類

以前の記事

2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 05月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 08月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 05月
2014年 03月
2014年 02月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月

最新のコメント

> 森さん お読みいた..
by anti-phallus at 16:53
はじめまして、だいぶ昔の..
by 森 at 22:27
はじめまして、だいぶ昔の..
by 森 at 22:27
> サドさん ラディカ..
by anti-phallus at 15:55
結婚制度を廃止したらいい..
by サド at 13:58

画像一覧

なぜ私はフェミニストではないのか:ジェッサ・クリスピンのフェミニスト宣言を読む ラディカルになるべき時

とても面白い英語記事があったのでシェアします。



本の書評ですが、この評自体が今のフェミニズムと社会を鮮やかに浮かび上がらせるものになっていると思います。
最近、フェミニズムに関してやや新しい(かのような)スタイルで語るパターンがあって、「やわらかい」とか「ソフト」とか「楽しい」とか良さげなキーワードで、「これまでのフェミニズムとは違うもの」を売りにする語り口が増えています。男性を攻撃しない、とかおしゃれやファッションを軽く楽しむ、とかの語りが付随します。これは誰かが何かを主張していると言うよりは、なんとなく「フェミが流行ってるらしい」とにおわせるようなやり方です。そしてそのフェミというものが何を意味しているのかはよくわからないまま。

例えばディオールが高いTシャツに「WE SHOULD ALL BE FEMINISTS」と書いたとか、追っかけでGUも「I am a feminist」と書いた安いTシャツを売った、とかは分かりやすい例。(ブランド産業の問題性についてはナオミ・クラインをとりあえず読みましょう)(そういうTシャツを着ることを私は全く否定しませんが、ブランドやファスト・ファッションのマーケティングに乗せられているだけではないかという疑問ぐらいは忘れないようにしましょう。Tシャツを着たからといって性差別の現実は変わりません。メーカーや小売店にわたしたちのお金が入っただけです)

私はこういうのを見るたびに胃もたれのような感覚を覚えていました。世の中の性差別構造はほとんど変わっていないのに、なんかそれを批判しちゃいけないのかな?と。ですがこういうことを言うとそれこそ「やわらか系」の誰かに陰口を言われそうだし、まあそれはいいとしてもフェミニズムに水を差すことになりやしないかと心配だしで、面倒。

アメリカでも似たような状況があるようで、というかむしろ日本のマスコミがアメリカの真似をしているわけで、そういう状況への危機感をはっきり打ち出してくれている本です。

ここでも出てくるように、フェミニストのセレブ、というポジショニングなどもう本当にうんざりさせられるわけです。フェミニズムとはすべての女性のためのものであるはずなのです。女性の中に序列をつけ、トップの人たちを選び出して賞賛するなんて、フェミニズムではないのです。ところが、セレブの持つアクセサリーの一つのようにフェミニズムを語るスタイルが出てきています。こういう語りはフェミニズムの力を奪い、わたしたちの力も盗みます。

文中のアンドレア・ドウォーキンとは有名なフェミニストの著作家ですが、彼女たちのようなラディカル・フェミニストは日本では最近あまり触れられることも減りました。ドウォーキンのよく知られたフレーズに、「すべてのセックスはレイプである」というものがあります。聞いた人は引いてしまうでしょうが、セックスや恋愛をほめたたえる言葉とイメージばかり溢れている中では、いちどこのフレーズを噛みしめる必要があると思います。知人のフェミニストはこの視点を、「一度必要な絶望」だと言っていました。絶望から始まるものがあるということですね。

それから面白いのが、ツイッターの中の「怒りのフェミニズム」について指摘しているところ。近年、ツイッター上で誰かが性差別的な発言をすると大勢が批判し、またそれをマスメディアが報道する、という循環パターンが生まれています。それ自体は必要な仕事かもしれませんが、長くやっていると疲れてしまいますね。それが本当に私たちにとって一番必要なことなのか、著者は問いかけています。

あらぬ方向に流されてしまいがちなわたしたちを、本来の道に呼び戻してくれるような気がします。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なぜ私はフェミニストではないのか:ジェッサ・クリスピンのフェミニスト宣言を読む ラディカルになるべき時

フェミニズムはかつて、社会の変容やロマンスへの挑戦、生きるための新しい方法を意味していた。今や、無難なものにイメージを変えられてしまっているとクリスピンは論じる。


スザンヌ・ムーア
2017.2.15


ジェッサ・クリスピンはフェミニズムに問題を感じている。それがあまりにも牙を抜かれてしまったので、彼女は同一化(identify)できないのだ。クリスピンは牙をもっているし、それを見せることを恐れていないから。彼女は、一部の人々のように、「フェミニスト」のラベルが不快で、ぼさぼさ髪の男嫌いを思い起こさせるから拒否するのではない。まったく逆だ。フェミニズムは陳腐なものにイメージを変えられてしまっていると彼女はいう。フェミニズムの普遍化はある種の牙抜きのようなものだ。フェミニズムを無意味なものにしてしまっている。

フェミニストが与えなければならない、女性は賢く付き合いやすい存在だという安心感は、クリスピンにとって、問題含みだ。「それはつまり、私は無害で、牙を抜かれてるの、襲って(fuck)ちょうだいと言っているようなもの。だから私はフェミニストのラベルを拒否することにした」。

アメリカ人の編集者であり批評家であるクリスピンは、自分のエンパワメントとしてフェミニズムを批判し、その真のラディカルな可能性を再発見することを決意した。彼女は、女性雑誌やライフスタイルを謳うサプリメント剤に好まれる「自分へのご褒美」フェミニズムに反対する。そこにはまた、ラディカリズムとは本当はどのようなものかについての重要な問題がある。近頃では、たくさんの「セックス・ポジティブ」な歌姫はただの男性への快楽提供者のように見える。この崖っぷちのフェミニズムのほとんどは女性の生の基盤についてまったく何も語らない。わたしたちがポリガミーについて話せる時になぜ年金について語っているのか?

ポップ・カルチャーのなかに自分をフェミニストと認めるセレブがあふれている時代に、大事なことは、主流と周縁の関係性そのものであるとクリスピンは主張する。「主流の人々は、自分のためのラディカルな空間を主張したがるが、同時に、ラディカルな人が行う活動を否定する」。このようなことが生じるために、アンドレア・ドウォーキンやシュラミス・ファイアストーン、ジャーメイン・グレアのようなラディカルな人々の否定が行われる。若い女性の、これら「フェミナチス」を非難したいという母殺しの欲求は、今でも不快な人物として残されているドウォーキンをしばしば中心に置いている。一体これはどういうことだろうか。クリスピンは、ローリー・ペニーがドウォーキンの信念体系について書いたものを、「私が支持しているフェミニズムに全く場所を与えていない」と挙げている。

これは何を意味しているのだろうか。ドウォーキンの仕事は最終的に、権力とその意味するところに関するものであり、それが深く不快である理由は、私たちの最も親密な瞬間の中にさえ、権力関係が存在していることを示しているからだ。ラディカルな変化は恐ろしい。ドウォーキンのような人物に体現される時、女性たちは自分はこの種のフェミニストではないという行列に並ぼうとする。革命は遠くに行ってしまったと言う人々はフェミニズムをもっとユーザー・フレンドリーにするためにそうしていると言うのだろう。だがそのユーザーとは誰のことだろうか?

ラディカリズムから自助グループへの移行は、確かに脱政治化である。かつて生きるための新たな方法を構想した運動は、個人的な目標としてのエンパワメントを伴う自己啓発コースに変わった。フェミニズムが本当に女性をより幸福にしたいと考え、私たちにより良い仕事と結婚とオーガズムを与えたいと考えるなら、「宗旨替えは必要ない」とクリスピンは恐れずに言う。本書の真の刺激は、権力とそれをどのように女性が使うかについて彼女が語る箇所で感じられる。私たちがより多くのカネを得れば得るほど、カネの力で家父長制による困難を解決できるようになる。平等とは男性が生きるように生きることだという考えはラディカルではない。わたしたちは価値体系をリセットし、その全体を解体しなければならない。

これは、女性が、女性に対する抑圧において共犯者となっているのではないかという気まずい疑問を生みだす。それは、たくさんの白人女性がトランプに投票している今やタイミングの良い問いだ。だが、女性にとって、核家族を離れて、男性たちに同一化しないようになるようなどんな動機づけがあるというのだろうか?フェミニズムがオルタナティブな仕組みを提示しているわけでもない。支配的なロマンチックな文化の外部で生きたいと欲する女性に対して何があるのだろうか?これこそがやるべきことなのだ、生きるための新しい共同の方法を創造すること。これについて男性がどう考えるかということにクリスピンは関心を持っていない。もし彼らが反対すれば、「どこか他でやりなさい、男性は私の問題ではないから」。

だがもちろん、クリスピンは男性の非人間化も認めない。例えば彼女は、女性の安全への祈りは、あまりに多くの男性、特に黒人男性を刑務所に入れる十分な理由になるのだろうかと疑問をもつ。

このような考えがいくつも本書にほとばしっていて、さらに論じられる必要がある。だが彼女は常にはっきりしている。オンラインにまず存在している「怒りのフェミニズム」について、彼女は新鮮な空気を入れようとする。そういった怒りの全ては何を達成するのだろうか?わたしたちは「ツイッターおやじ(twitter bros)」にいくら時間とエネルギーを費やすのだろうか?ミソジニー(女性嫌悪)は個人どうしで闘ってはいけないのだ。

挑むところどこでも、彼女はクリシェを明るみに出し、本当に重要なものーーーーーーそれはつまりもちろん平等ではなく自由ーーーーーを私たちの手に取り戻させようと試みる。権力のある地位に女性を増やしても、彼女たちがそのシステムに挑戦しないのならば不十分だ。美や承認の定義を広げるだけでは足りない。むしろ、恋愛は私たちの生の中心的な特徴から降格されなければならない。

クリスピンはより良いものを築くためにそれを想像する必要を語っている。自分に夢中になるものとして、新しいライフスタイルへの追加オプションとして、フェミニズムはわたしたちをつかんでいる、・・どこに行こうとしているのか?わたしたちは今どこにいるのだろうか?止まってみよう。どれだけ素早く後退してしまえるのか見極めよう。フェミニズムはいつそんなに小さいものになってしまったのか?いつから、礼儀正しく安全な、よく売れるものになったのだろうか。クリスピンはわたしたちに大きく、恐ろしいほど大きく考えるよう促すことでこれら全てを爆破してしまう。













by anti-phallus | 2018-01-19 17:25 | フェミニズム | Comments(0)
CASA