ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

大森靖子「MUTEKI弾語りツアー」ファイナルin中野サンプラザ 〜頭で考えるよりも先に撃ちこんだ雑感〜

大森靖子MUTEKI弾語りツアー」のファイナル公演に行った。個人的には約3年ぶりの中野サンプラザ、前回は大森靖子のファーストアルバム『洗脳』ツアーのファイナルだった。

 

今日のMCでも言ってたけど、大森さんはあのとき妊娠を隠してライブをしていた。そのときお腹の中にいた子供が今朝、部屋を散らかしていたという「家庭のグチ」を漏らし笑っている大森さんを見て、時が経つのは早いな、とありきたりなことを思った。

今日のライブでは『洗脳』収録の楽曲がひとつも弾き語られなかった。特に意味はないんだろうか、あるんだろうか。

 

Zepp DiverCityでだったと思うけど、大森さんは「この規模でもひとりひとりとコミュニケーションできる!」と語っていた。もちろん今日もサンプラザ中野に集まった2000人のひとりひとりと対話を試みていた。ステージから降りて、お客さんが「剃刀ガール」を一曲まるごと歌っているあいだ、大森さんはギター伴奏に徹した。ふつうの人の(とはいえとても上手だった)歌声が、中野サンプラザに2分も響きわたる。大森靖子のライブではこんなことが実に当たり前に起こってしまう。

正直、大森靖子の歌が大好きで楽しみにしてライブに行ってるのだから、知らない人の歌声を聞いているうち、少したじろいでしまった。大森さんがMCで旧知のファンとだべっているのを見るのは微笑ましくも自分が蚊帳の外に置かれたような気になってしまう。でも、やっぱり、こういうファンとの関係性も含めて《大森靖子》なのだった。

 

ぼくは、今回のMUTEKIツアーはファイナルしか行ってない。タイムラインに流れてくる地方で行われたライブの感想を見る限り、各地で濃密かつ親密な、秘密の時空が生まれているようだった。選ばれたライブ会場はどこも個性的で素敵なライブハウスよりも比較的小さなハコばかりで、それがまた大森さんとファンとの距離を近づけていた。その延長線上に今日の中野サンプラザがあったのだから、あのゆるくて軽くて日常と地続きなMCの時間も、「MUTEKI弾語りツアー」のパフォーマンスのひとつだったのだ。今回の弾語りツアーはおそらく密室感のあるもので、それが中野サンプラザの大きさでも実現された。中野サンプラザアジールと化した、そのことに驚こう。

 

 

荒涼な大地に吹き荒れる強風のようなSEの流れる中ステージに現れた大森さんは「M」をピアノ伴奏で歌う。『洗脳』ファイナルのときは、SEが「私はわるくない」で、あの悲痛な「大森靖子たち」の声の重なりに否応なく鷲掴まれて泣いてしまい、そこからの「PINK」絶唱によって引き込まれた。でも今日のスタートはすごくゆるやかで、中野サンプラザの雰囲気と大森さんのチューニングを合わせるような冒頭の流れだと感じた。3曲目の「夏果て」あたりからチューニングが合ってきて、「キラキラ」のころにぴったりだった。

大森さんはピアノの上に置いたスマホを触りながら、聞こえるか聞こえないかの小さな声で《できるかな、できるかな》と口ずさんだあと、「POSITIVE STRESS」をパフォーマンスした。ピアノの弾語りで初めてやったというこの曲は、小室哲哉の作曲だ。ピアノと歌だけで聞くとこの曲の骨格が露わになっていて、昨日ひたすらにglobeを聞いた耳にとてもグッときた。特にBメロ(?)のピアノのglobe感に鳥肌が立った。

しかしなんといっても歌い出しの「カリスマ全滅 あたしの大切はひみつ」だ。カリスマもアイドルも次々と倒れていく。

大森さんは最後の方のMCで「アイドルが『有名になって見返したい』とか言うけど、有名になんてやらない方がいいですよ」と言った。有名になったら何も事情を知らない人間にまで見つかってしまう。何も知らない人間に通り魔的に傷つけられる。大森さんはその痛みを身をもって知っている。

今日は歌われなかったが、「わたしみ」の歌詞は須藤凛々花の「結婚宣言」を見てから書いたとも話していた。《わたしのたいせつを たいせつにまもれるのは わたしだけ》。そうやって結婚を選んだ須藤がなぜ非難されるのか分からないのだと。

 

《やばい噂も 消せない歴史も 刻んだ身体で立ってる 私は私よ》。大森さんが引き受けようとしているものは、あまりにも大きい。無自覚で無邪気でインスタントな無数の憎悪に社会はまみれている。

あんなに大きな魔法陣をバックにしなければ立ち向かえなくなるかもしれないほどに、集合した憎悪は巨大だ。

《世界はもっとおもしろいはずでしょ》そう言って「洗脳」を開始した大森靖子は今のこの社会をどう思うのだろう。聞いてみたい。

 

今日聴けてよかった曲は「POSITIVE STRESS」の他には「流星ヘブン」、「みっくしゅじゅーちゅ」、「最終公演」、「魔法が使えないなら」でした。流星のアルペジオめちゃくちゃ美しかったし、「みっくしゅじゅーちゅ」は本当にキュートだ。《お願い 君と私はほらもっと 君か私かわからなくなるほど CRAZY CRAZYに溶けて》という歌詞は、「POSITIVE STRESS」の《私は私よ》と一見矛盾するようだけど、響きあう。

「私は私」「あなたはあなた」という個の絶対性があるからこそ、私とあなたが溶け合うことの官能が引き立つ。「絶対彼女」では今日もまた観客を細分化しながら観客全員に声を上げさせようとしていたけど、誰もが《私は私よ》と叫ぶことで、「サイレントマジョリティー」は解体され、《君は君らしく生きて》いける。でもこの道のりは《ときには孤独にもなる》から、ぼくらは愛欲に身をゆだねる。

しあわせな生活にも、愛と孤独は当然のように混在する。愛があっても孤独だし、孤独でも愛はある。孤独と愛は並存する。

 

「最終公演」と「魔法が使えないなら」は、ずっと大森さんが大切に歌いつづけている曲で(「最終公演」はkitixxxgaiaツアーでもセットリストに入っていて驚いた)、歌いこんだ歴史によって楽曲の強度が増していて、感動してしまった。《エモい》に流れず、淡々と歌われていたのに、この2曲には圧倒的な存在感があった。中野サンプラザに響きわたったこの2曲は間違いなくこの日のハイライトだった。

《魔法が使えないなら死にたい》は「魔法が使えるから死なない」だ。魔法は積み重ねのうえに生まれるのかもしれない。

 

 

大森さんは頭で考えるよりも先に喋ってしまう、ツイートしてしまう、と言っていた。そのあとで、自分の中の理性の部分が、発言を追いかけていくのだと。

ぼくもそれくらいのスピード感でもってバンバン乱射していきたいと思った。たとえ社会的に間違っているとしても、自分が思ったことを大切にしたい。