12月13日放送
“平成” 生きた屋台 最後の日々
東京駅の近くで30年近く親しまれてきた屋台が、今月すえに閉店することを決めています。
いま、店主の高齢化などを理由に、次々と姿を消している屋台。『平成』の時代を生きた一軒の、最後の日々をみつめました。
東京駅前のビル街から、すこし路地に入ると現れる一軒の屋台。
『おまちど~さん!卵付きね!』
看板メニューは、店主の地元 鹿児島風の豚骨ラーメンです。
訪れていた客は「外が寒いから、その分フーフーして食べるのが、おいしい」 「毎回 本当においしい。涙出そうだな・・・」といいます。
『また明日! ハハハハハ』
店主の田中 幸男さんは、毎日深夜1時ごろまで営業しています。
「老若男女、いろんな世代が来て、いろんな話が聞けて。星空の下、知らない者同士がすぐフレンドリーに会話できるのが屋台」だといいます。
田中さんは元々、実業家でした。
27歳でカラオケチェーンを起業し、都内で多くの店舗を経営。
しかし、次第に立ちゆかなくなり、多額の借金を抱え倒産。
絶望の中思い出したのが、幼いときのごちそうだった『ラーメン』でした。
「無一文になって、幼い頃のラーメンが忘れられずに、あのおいしいラーメンを自分で作って、みんなにも食べてもらえれば どうだろうと」
40歳にして、屋台の世界へ。
平成2年にオープンして以来、休まずに営業を続けてきました。
しかし、仕込みから片付けまで1日14時間に及ぶ仕事に、体力の限界を感じ始めた田中さんは、2020年のオリンピックに向け、東京の街も大きく変わる中、『ここが潮時だ』と閉店を決意したのです。
「屋台のよさ、おもしろさを知っている世代の人がどんどん去って、やがて ついていけなくなるのかな」
別れを惜しんでやってくる客は後を絶ちません。
19歳のときから、26年通っている鉄道員の男性は、仕事に疲れたとき、このラーメンに元気をもらったといいます。
「屋台って こんなにうまいんだって思った。それから夜食にちょうどいいので、よく来ます」
田中「いろんな人を連れてきてくれた」
男性の妻「ずっと話を聞いていたんですよ」
この日、この屋台のラーメンを味わってほしいと、初めて家族を連れてきました。
「こういうところは、二度と来られるか分からない。無くなっちゃうなら なおさら・・・」
また、この屋台に “人生を救われた” という人もやってきました。
「外資系だったからM&Aとかあって・・・」
10年前、外資系企業の経営者だった男性。
会社を買収され、役職を失い、失意のどん底にいたといいます。
「すっごく悩んで、来るたびに落ち込んで、お酒を飲んで 飲んで 飲んで」と田中さん。
男性が思い悩んでいたとき、背中を押したのは、田中さんの一言でした。
「『やめちゃえ!』って。昔からの付き合いで、悩んでいるのも分かっていたし。『じゃあもう悩むことないし 辞めちゃえ』って言われたら、踏ん切りがついて」
今は、新たな会社で再び経営を任されるようになりました。
男性は「めちゃくちゃおいしかった。残念ですね 無くなるのが・・・」と、こみ上げてくる思いを飲み込んでいました。
『平成』とともに、28年の歴史に幕を下ろす屋台。
昔ながらの東京の風景が、また1つ、姿を消します。
田中さんの屋台は、今月(12月)26日を最後に、営業を終了するということです。
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問い合わせ先
◇紹介した屋台について
「丸源(まるげん)」
場所:東京駅八重洲口の近くにある、八重洲ブックセンター脇の路上で営業
営業日時:平日、午後8時ごろから深夜1時ごろまで。
(雨の日は営業していない)
※12月26日の営業を最後に閉店の予定。
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