『妹さえいればいい。』スタッフ陣への連載インタビュー第5回目は、シリーズディレクターの玉村仁さんにご登場いただいた。
バラエティとウェットなドラマを両立させるためのテクニック、青春群像劇としてのこだわりなど、演出面を中心に本作の魅力を語っていただいた。
[取材・構成=かーずSP(下着派)]
『妹さえいればいい。』
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■バラエティの根っこにある人間ドラマを丁寧に描くことを意識した
──今回「シリーズディレクター」とクレジットされていますが、どういった役割を担っていたのでしょうか?
玉村仁さん(以下、玉村)
工事現場にたとえると現場監督ですね。設計図を大沼心監督と私でつくって、工事・施工の現場指揮を自分でやっている感じです。今回だと大沼監督と二人三脚で一から築いていくプリプロ(プリプロダクション。撮影前までの工程の総称)の部分で、設定やシナリオ周り、 コンテ部分を担当しました。
───設計図の段階ではどういった話し合いをされたのでしょうか。
玉村
『妹さえ』は作家のあるあるネタや業界の内幕もの、変態描写など多彩な要素が描かれていますが、根っこにあるのは人間ドラマです。だからここは絶対に描かなければいけない部分だと、大沼監督と話し合いました。
――原作を読んだときも、そういうご感想でしたか?
玉村
はい。個性的な性格・言動のキャラクターが織りなすスラップスティックコメディだけど、その中にしっとりとしたドラマが入っている。ドタバタあり、泣きありという振れ幅の大きさがこの作品の魅力かなと。
■ウェットな感情や少し影のある表情を、情緒を廃して背中で語る
――アニメ化するにあたって意識していたポイントは?
玉村
まず一番に、キャラ同士の掛け合いの面白さですね。原作の大きな魅力がダイアローグ劇としての面白さなので 、キャラクターの言動が気持ちよく見られるように心がけました。
コメディ部分はテンポよく流れる反面、ボードゲームやお酒を飲んでいる時は、だらーっと会話をしつつも重要なセンテンスが入っていたりする。なので、いたずらにカットを割ったりトリッキーな演出を入れず、お客さんに聴かせる姿勢を持たせるために落ち着いた画面づくりとしています。
――ギャグのテンポ感と違って、お酒のシーンはゆっくりした印象を受けます。
玉村
平坂先生の脚本がそういうムードを大事にしていると感じました。ただ映像メディアは小説と違って、前に戻ったり自分のリズムで読んだりできません。映像は一方的に押しつけるメディアなので、お客さんがついてこられるように適度にハンドリングしました。ギャグの後は一拍置いて、余韻を残しつつビターなドラマが始まるように工夫しています。
――なるほど、コメディからムードのある雰囲気に移行する時のテクニックですね。
玉村
ピーキーな人物が多いんですが、根底にあるのは現実にいる我々と同じ生活感や態度だったりします。キッチュなキャラクターが多いので、そのままだと表現がアニメっぽい記号に振り切ってしまいかねない。
それに感情をそのまま押し出してしまうと、一面的な見え方になってしまいます。でも人間はそんな単純じゃなくて、複雑な感情を持っていますから、あえて情緒を抑制して、奥行きのある感情表現を目指しました。
――具体的にはどういったところでしょうか。
玉村
2話で伊月と春斗が飲みながら、伊月の「作者のキャラ性で本が売れても嬉しくもなんともない」という創作へのこだわりが見え隠れして、それに素直に返せない春斗とか。春斗もひとりになってから「お前ら天才どもがそうやって足踏みしている間に、俺はもっと先に進んでやるさ」とつぶやいたり。ウェットな感情や少し影のある表情を、情緒を廃して背中で語ることを意識してやりました。