2020年の東京五輪を控え、首都圏では次々超高層ビルが建設され、テナント獲得競争も激化している。東京を代表する超高層ビル「六本木ヒルズ」復活に一役買ったすご腕の営業マンがいる。森ビルのテナント営業で前人未踏の境地を切り拓いたチームリーダー、飛松健太郎(39)だ。リーマン・ショック後、空室率に苦しむ六本木ヒルズにメルカリ(東京・港)など有力な新興企業約30社を引き込み復活させた。これまで営業のノウハウは決して口にしなかったが、「一線は引いた。そろそろいいかな」と飛松が今明かす極秘の営業の手の内とは……。
■灘中受験に失敗
「生きるか死ぬかでやっている営業マンが手の内をさらすわけなんかない。よくある営業手法のハウツー本なんて中身はスカスカ」。取材をすべて拒否。この10年間、飛松はこのスタンスを貫いてきた。
ではすご腕といわれる飛松の「本物」の営業手法とは。意外や意外、基本は学生時代のアルバイト、子供向けの教材販売でたたき込まれた。「たかが教材販売」と笑うことなかれ、ここで実績を残すことは飛松にとって自分の存在意義を示すことそのものだった。パワハラ体質のアルバイトで、飛松はグッと耐え、森ビルで伝説をつくるのに必要な営業の基礎を皮膚の穴から全身で吸い込んだ。
兵庫県宝塚市で育ち、小学校のときに「ごく当たり前のように灘中学を目指した」飛松だったが受験に失敗、四国の有名進学校、愛光中学(松山市)に入学した。「よし、東大を目指そう」。奮起した飛松。しかし、これもかなわず、さらに追い打ちをかけるように父親が勤めていた会社が倒産し、リベンジも許されなかった。仕方なく首都圏の国立大学に入学したものの「正直、腐っていた」。
■アルバイトで月60万円
そんな時、出会ったのが教材販売のアルバイト。家庭を訪問し、家庭教師の派遣とセットで教材を販売する仕事で、「腐っていても仕方がない。ここでまずはトップをとってみよう」。必死で駆け回り最高で月60万円を稼いだ。ものの見事にトップ営業マンとなったが、ここで学んだのは「クラッチング」という営業の手法だった。
クラッチングとは自動車のクラッチを切り替えるようにギアを段階的に切り替えていき最後に契約にまで持って行くやり方。まず最初は子供を仲間に引き込む。次に母親を攻める。何度か押したり引いたりしながら、断られれば「分かります。確かにそうですよね」と共感した形でいったん引く。すると必ず今度は相手が譲ってくる。そこで再び相手を誘い込み土俵に引き戻す。
大切なのは「決して説得したり、説き伏せようとしないこと」と飛松。強く出れば、反作用が発生、相手も強く押し返す。法則だ。あくまでも相手に寄り添い、共感し、最後の「ラスト1マイル」で一気に勝負をかけ契約に持っていく。
■押したり引いたり2時間で決着
訪問販売で付き合ってくれる時間はせいぜい2時間。この2時間で決着をつける。「しばらく考えさせてください」と言われ、繰り延ばせば9割方は熱が冷め破談だ。押したり引いたりしながら2時間で契約する。これでないとダメだ。飛松はこのアルバイトで、間合いの取り方を徹底的に学んだ。
応用編は積水ハウスで習得した。飛松が就職したのは2002年。アルバイトで営業の楽しさを知った飛松、どうせなら「人にとって一生で1番高い買い物」である家を売る仕事を選んだ。天職だった。世田谷、目黒の富裕層相手に飛び込み営業、巧みな話術と庭木の種類まで勉強する熱心さで成績は面白いようにどんどん伸びた。たった3年で店長に。異例の出世だった。
そんな飛松はある時、店長を束ねる支店長に怒鳴られる。「飛び込み営業に頼っているなんて、おまえは3流だ」。自分の営業スタイルに自信を持っていた飛松。支店長の言葉がそれを打ち砕いた。そして支店長はこう告げたのだった。「飛び込み営業は即刻やめろ。『リピート』と『紹介』だけでやれ」
■飛び込み営業は非効率的
支店長の理屈はこうだ。「営業とは確率、成約率は2~3割だ。この割合を上げようとするなら思い切った値引きなど無理が生じるだけ。大切なのはどれだけの量の顧客を引き寄せてこれるか。まずはボリュームが大切で、このボリュームが大きければ大きいほど、成約の数は増える」
そのうえでこのボリュームの質を上げるにはむやみやたらに声をかけてもダメ。お金持ちのお友達はお金持ち、筋のいい顧客に筋のいい友達を紹介してもらうこと、そしてその筋のいい顧客に何度も利用してもらうことが大切なのだと教えてくれた。
この支店長のアドバイスが後に生きた。30歳になった08年、飛松は森ビルに転職する。東京といえば新宿しか知らなかった飛松。あこがれの東京都港区の六本木での法人営業の配属で、テナントを六本木ヒルズに誘致する仕事だ。
「ヒルズ族」という言葉まで生まれるほど、IT企業や外資系金融機関など資金力の豊かなテナント企業が集まっていた六本木ヒルズ。しかし、リーマン・ショックで金融機関が相次ぎ撤退した。楽天やヤフーなどIT企業も次々去った。入居するには順番待ちだった六本木ヒルズにも空き部屋が増え、一時は稼働率90%も割り込んだ。
「これでは六本木ヒルズのブランドが毀損する。生きのいいベンチャー企業を呼び込まないと」。
■ベンチャーに照準
ここで飛松は積水ハウス時代の支店長の言葉を思い出す。「紹介でやれ」――。飛松はベンチャーキャピタル(VC)を回った。あなた方が出資するベンチャー企業の中でいい会社を紹介してください。
Gunosy、メルカリ、CROOZ、KLab、UUUM……。業績はまだまだ。しかし、キラキラしていた。ベンチャー企業の一等星がつながって行った。
好循環は次の好循環を生むようになった。「僕らは財閥系ではない。あなた方と一緒だ。僕らは面白い街をつくる。あなた方はその街の主人公なんです」。「熱量の高い」言葉で口説いていった。「みんな、最後は共感してくれ、またテナントが増えていった」
今、飛松は企画部門となり、営業を後方から支援する立場となった。
「『これはいい。面白い』と言われる新しい街づくりに挑みたい」と飛松。本当に良い街づくりは営業現場にいてはできない、きちんと考える部門にいることこそ大切だという。ただ、自分が作り出した街が、テナントになかなか理解されず、稼働率が苦戦するようなら「いつでも前線に復帰する」考えだ。
=敬称略
(前野雅弥)
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