https://mainichi.jp/articles/20171227/k00/00m/040/099000c
岡口JのTwitterの内容が、犯罪被害者遺族から抗議を受けている。岡口JのTwitterはすでに抹消されているが、その要旨は最高裁ウェブサイトに氏名をぼかして貼り付けられていた東京高裁判決のリンク先を貼り付けて、その上に1行感想を書き込んだものだ。いま最高裁ウェブサイトを閲覧しても当該東京高裁判決自体が消されている。
犯罪被害者遺族は実名でFBに次のような意見を披露している(2017/12/27AM0時点)。
「この裁判官に12/15にこのようなツイートをされたので 弁護士の先生に相談後 抗議のツイートをしました。控訴審の判決文を私達に断りもなく 勝手にSNSにあげるこの行為は 法に触れていなくても 犯人に上告されストレスもある中で私達家族の心をさらに傷つける行為です。私の抗議に対する謝罪もなく 数分後にはツイートだけを削除しました。この行為に対して 厳重な処分を求め本日「要望書」を東京高裁に弁護士さんを代理人として提出致します。このような事をする 現職の裁判官が実際にいると言う事をどうか 私の周りの方には知って頂きたい。なぜ 犯人以外の被告弁護人や現職の裁判官にまで心を殺されなくてはならないのでしょうか…。」
「東京高裁の判事とは、このような事をしても許されるとでも思ってるのでしょうか?被害者遺族の事などなにも考えてないこの行為…立場を利用したと思われるこの投稿内容、裁判官による被害者遺族への冒涜としか思えないふざけた行動…私達遺族は個人のツイートの反応の為にいるわけではありません。皆さんはこの方の行為、どう思われますか?」
「僕らが不愉快な思いっていうのは、高裁がルールを守らずに判決文を公開していたって事と、この判事がツイッターでその判決文を誰もが見られるようにリンクを貼っていたって事。ほかの記事だと、茶化されたからとか、気分が悪いとか、そういうワードばかりが独り歩きするんだよなぁ…僕らが伝えたいのは、そこじゃないんだよねぇ…そんなに面白おかしくしなくちゃダメなのかね?でも、皆さんに真実を知っていただければ…」
裁判官にも言論の自由はありながら、同時に、犯罪被害者遺族にも心の静謐を求める幸福追求権はありと、権利の調整というデリケートなバランス感覚を要する問題をはらんでいるので、岡口JがTwitterで呟いた内容に関する私からのコメントは今は差し控えることとする。
法曹実務として気に留まったのは棒線の箇所である。そもそも判決文を匿名で公開する際に当事者や被害者の同意は不要なのだろうか、当事者が公開に明示に反対したときは公開してはいけなくなるのか、最高裁が速攻で東京高裁判決を公開から非公開扱いに変更したので、そもそも公開非公開に何らかのルールを設けるべきなのか気になった。
ちなみに、性犯罪などの判決は掲載しないという内部のルールが存在するそうだが、法曹の私も初めて知ったルールである。
あと判決のネット公開に関しては、プライバシー情報を明記した点が異なるものの、大阪高裁2017/11/16があります。
また、判決文の雑誌公開や実名記載が違法行為を構成するかについては長野地判飯田支部1989/2/8判タ704号240頁とさいたま地判2011/1/26判タ1346号185頁があります。
憲法82条1項は「裁判の対審及び判決は公開法廷でこれを行う」、憲法82条2項は「裁判官の全員一致で公序良俗を害するおそれがあると決定したときは、対審は公開しないことができる」と定めている。
このように憲法上、判決は常に公開の法廷で行わなければならない。憲法が判決のほか裁判公開を原則としたのは、近代国会において専制君主や権力者の恣意による裁判を排除し、司法権の行使場面を国民の直接の監視批判の目にさらすことで、裁判の公正さと裁判への信頼を確保するための制度的保障といえる。
しかし、判決の場面が法廷で公開されているからといって、イコール判決文のネット公開(昔だったら本や雑誌への掲載ということになるのか)も自由無制限ということにはならないだろう。判決には刑事の性犯罪に限らず、民事の不倫や離婚など想定しても、当事者にとって知られなくない秘事が含まれていることが多い。しかも、法廷以外でネット公開などされれば半永久的に誰もが簡単に閲覧できる状態が生まれることになる。憲法82条の制度趣旨を達成するためには、判決を公開の法廷で行うことを超えて、ネット公開まで必要ということにはなるまい。
とはいいつつも、裁判の公正さと裁判への信頼を確保するためには、当事者以外も事後的に検証できるように、判決文公開の要請があることもまた事実である。
例えば福井地判2015/4/13(センターオーバーされた対向車両に4000万円の支払義務を認めた)も、一審判決が公開され冷静に分析されるまでトンデモ裁判官だとネットで叩かれまくったことを覚えている人もいるだろう。死刑を回避して無期懲役を選択するのが妥当なのかを学術的に検証するためにも、法廷の公開のみでなく判決の公開の要請はあるといえる。
判決文の公開にはこのように事後的に学術的に検証できることの要請に応えるという機能があることは事実である。とはいえ、犯罪被害者遺族の目からは「医学で症例報告の対象にされる際もかつてと違って被験者の同意を求めるようになった。自分の身内を扱った裁判を法曹の検証材料に用いるためには当事者の同意を求めるのが当然ではないか」という意見が出てもおかしくはなかったのだし、このたびの苦情申立はこの趣旨に沿ったものと位置付けてよいのではないか。
これまで法曹は判決文を公開することの学問的必要性のみに目を奪われ、自己に関する事件をさらされる対当事者との許容性については匿名化することを超えて気づいていなかったように思える。
常に当事者の同意がなければネットはおろか雑誌にも掲載できないと硬直的なルールをつくると、学術研究が非常に衰えてしまう欠点を生むので、法曹である私の本心ではこのたびのネット公開からの削除申出に全面的に賛成することに躊躇いがあるのだが、同時に、軽んじられない魂の叫びのようなものも感じるのである。 http://jiko110.jp/
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