ここ20年ほどで日本で最も話題になったキーワードはなんでしょうか。
そのひとつに「格差」があります。
ところが90年代後半を境に日本の社会は大きく変わってしまいました。
バブルがはじけ、大学生の就活が大変だということがメディアでは定番の話題になり、四大を卒業しても非正規雇用で働くしかない若者が溢れ、かつて多くの人の雇用を安定させてきた製造業が凋落し、大企業の不正が次々に発覚、東芝はサザエさんのスポンサーをやめ、ITビジネスで豊かになった人々と、メルカリで一万円札を買うような人たちが共存する社会になりました。
日本にも様々な格差が存在する時代になってしまいました。
しかしその格差の中には他の国から見ると全然悩む必要のないようなバカバカしいものもありますし、改善できるようなものもあるんです。
1月11日に発売になった新作書籍「バカ格差」では日本で様々な格差に対して日々悶々としている人たちに対して、格差の原因を考え、分析して、今後私たちはどのように生きていくべきかという提言をしたいと考えています。以下は第一章からの抜粋です。
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今の日本でバカ格差の筆頭に挙げられるのが、「タワーマンションの階数格差」です。
タワーマンションの階数格差とは、首都圏を中心に急増している超高層マンションの住民が、住むフロアの階数によって同じ建物の住民や会社、近所などで差別されるという問題です。
例えば「上の階(当然販売価格も上)から降りてきたエレベーターは止めない」という暗黙のルールが存在するマンションもあるそうです。
2016年にはタワーマンションを舞台にしたドラマ『砂の塔~知りすぎた隣人』で、その人間関係の暗部がリアルに描かれました。女性同士のヒエラルキーにおける陰湿さや陰険さは、見ている人が鬱になるレベルです。
▼居住階数が社会的スペック
タワーマンション住民にとって、居住する階数は社会的なスペックと同じです。
それは物件の価格にも反映されており、低層階は高層階に比べて坪単価で3割以上割安になるケースもあります。住民同士も、どの部屋がどのくらいの価格相場なのかをたいてい把握しているため、その「価格格差」によって、高層階の住民が低層階の住民を蔑む気持ちが生まれることがあるのです。
高層階の住民が下の階の住民を、陰で「低層階の人たち」と呼んで見下す、マンションの会合で会っても目を合わせないなど、例を挙げればキリがありません。
さらに、マンション内には賃貸と分譲の違いもあります。当然買うほうがお金があるわけですから、賃貸組と分譲組の間にも格差が生まれます。
フロアが異なる住民同士、分譲組と賃貸組も、タワーマンションの売りである共用のスポーツジムやプール、プレイルーム、エレベーターなどで接触します。
ちょっとした世間話から、どの階に住んでいるのか、分譲か賃貸かといったことだけではなく、夫の職業、子どもが通っている学校、乗っている車、持っているバッグのブ ランドなどの探り合いに発展し、マウンティング(社会的関係における優位を誇示すること)が始まります。
分譲組と賃貸組では共用スペースの利用料が違うこともあります。
さらに、リア充(実生活が充実しており、アウトドアなど大人数での活動が大好きな人々)が大好きなバーベキューや盆踊りなどのイベントでは、賃貸組は呼ばれず、分譲組だけで盛り上がることもあります。
そんな差別戦国時代状態の中に、Facebookなどのソーシャルメディア、マンション用のインターネット掲示板での悪口合戦も加わり、バーチャルな世界でも逃げ場がないわけです。
高いお金を出して購入した住民からすると、タワーマンションは成功の証であり、ステータスなのでしょうが、日本の封建的な価値観を反映した村社会そのものであり、旧世代的な思考の塊です。
▼タワマン住民は大半が田舎者
明治大学住環境研究会が公表した「豊洲タワーマンションアンケート調査結果」(2010年1月)によると、住人の妻か夫が東京都出身なのは20%程度で、半分は千葉や神奈川など東京近郊出身ですが、その後半分は地方出身者です。
要するに田舎出身者が大半で、田舎における「でかい」「高い」「上にある」「キラキラしている」という単純でわかりやすい指標を引きずった人々なのです。
田舎に行くと、お中元・お歳暮は質より量が重視されたり、定食の量が凄まじかったりしますが、それと同じ価値観です。
同調査で「マンション内で付き合っている人がいる」と答えた人の割合は、20~30代で約45%であり40代以上を大きく引き離しているのをみても、若い割にはベタベタとした付き合いが好きだという、田舎っぽい感性の持ち主が多いことがわかります。
▼お金持ちほど田舎に住む欧州
このような日本のタワーマンションの階数格差というのは、他の先進国から見ると大変バカげたものです。
特にイギリスや欧州大陸ではこの傾向が顕著です。
なぜかというと、欧州的な価値観では、「人間は人間らしい生活を送ること」が至上であり、都会の「箱」の中に住むのは、非人間的で貧しい生活だと考えられるからです。
欧州では、裕福な人ほど都会の混雑や自然のなさを嫌って、郊外や田舎の平屋か、せいぜい2階建ての邸宅に住みます。平家の多くは伝統的なレンガ造りや木造の家で、ガラスや鉄筋、コンクリートで作られた近代的なタワーマンションとは正反対です。
古い家の保存には大変な手間とコストがかかり、修復を行えるのもごく一部の大工さんや職人のみということがよくあります。しかし、修復や改築の手間も生活の楽しみの一つと考えられています。
消費するのではなく、自分にとって大切なものを直したり、保存するのが楽しいという価値観なのです。
欧州の南部のほうは気候が暑いので、建物の多くは石やレンガ作りですが、北部のほうはそれほど暑くないので、屋根は茅葺きということもあります。茅葺きの家は大変価値が高く、家によっては3億円とか4億円することもあります。昔話に出てくるような家が超高級の豪邸なのです。
なぜ欧州の人々はこういった価値観を持っているのでしょうか?
それは技術が発展して人間が高い建物を建てられるようになってまだ歴史が浅いことにあります。人類は高層ビルに住むことには慣れていませんし、土から離れて暮らすのは自然なことではないからです。
欧州では、ゲノム研究やAI(人口知能)の研究が進んでいる一方で、「人は人らしく」という原理原則に沿った生活が好まれます。
それは頑固な考え方でもありますが、理にかなった思考でもあります。高層建築に住むことは人間のメンタルヘルスにもよくありませんし、地面や草花など自然からはなれることで、体内のバクテリアが増える機会を失います。 人間は外で活動すると自然からさまざまなバクテリアを受け取りますが、それらは腸内環境に大変重要なものです。
最近の研究でわかりはじめましたが、腸は想像以上に重要な器官で、体全体の健康状態に影響を及ぼしています。ですから人間の健康を考えた場合、やはり自然に近い環境に住んだほうがよいのです。
欧州のお金持ちや教育レベルの高い人たちはそれをよく知っています。ですから田舎の一軒家に住んでおり、あえて農場や牧場の中に住むのです。
▼非人間的な文明の象徴
さらに、欧州の人々にとっては、ガラスや鉄筋、コンクリートで作られた「箱」は、戦後の復興期の効率性と結びついています。
大戦で徹底的に破壊された街は住宅不足に陥り、急ごしらえのコンクリートのビルが数多く建設されました。
今でも1950〜60年代に建てられたビルは現役で、主に公団住宅や市役所として使われています。
ナイロン、宇宙、化学、機械化、大量生産というものが賞賛された時代だったので、どれも同じような形、簡素な作りで、日本でバブル期に流行ったコンクリート打ちっぱなしのような建築が主流でした。
その背景には、当時盛り上がっていた共産主義思想の影響も強くあり、その少なからずがスターリン様式です。
ところが人々が大量生産の虚しさに嫌気がさし、宇宙開発競争が下火になると、未来の希望の象徴であった公団住宅は、移民や低所得者ばかりが住む犯罪の巣窟になり、「箱」は非人間的な文明の象徴として憎まれるようになりました。
その一方で、世の中では、オーガニック、手作り、コットン、木製、アンティークといった自然に近いものが好まれるようになったのです。
大量生産時代のバカさ、虚しさは人々を幸せにしないことに気がついた人が多かったのでしょう。そして共産主義は多くの人を死に追いやりました。
人はなぜ富を得るか、人生の意味は何かと考えると、それは自分が納得する生活を送ることであって、人に自慢することではありません。マウンティングに時間を費やすようなことは、人間としての幸福を考えた場合はまったくもってバカげたことです。
しかも日本人は忘れっぽいというか、埋立地に建てた高層建築が地震でどうなるかは、東日本大震災の際によく学んだはずです。停電になれば水が飲めなくなり、エレベーターが止まれば避難するのも大変です。
日本のタワーマンションの階数格差は、現代日本人の思考の浅さの象徴あり、バカ格差の代表の一つなのです。