あしたも晴れ!人生レシピ▽名曲“異邦人”を超えて〜音楽宣教師 久米小百合〜[解][字][再] 2018.01.19

191月 - による admin - 0 - 未分類

1979年に発売され大ヒットした「異邦人」。
この曲を歌いデビューを飾ったのはシンガーソングライターの久保田早紀さん。
一躍時の人となった彼女は華やかなスポットライトを浴びる一方でその胸の内は複雑でした。
芸能界を5年で引退。
自分の音楽の原点を探る中たどりついたのは幼い頃に教会で聞いた賛美歌でした。
そして現在久米小百合の本名で音楽宣教師としてピアノに向かっています。
・「OhHappyDay」「異邦人」から39年。
新たな道を見いだし活動を続ける久米小百合さんの姿に迫ります。
「あしたも晴れ!人生レシピ」。
今回は久保田早紀のお名前であの「異邦人」でデビューしそして現在は音楽宣教師として活動されている久米小百合さんです。
誰もが知る名曲「異邦人」。
名曲。
私は高校生だったんですけどもう大好きな曲。
今でも大好きでもうずっと残る名曲だと思います。
今日お迎えしております。
久米小百合さんです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
鮮烈なデビューだったですけども短大卒業直後だったんですねあれね。
そうです。
短大卒業して卒業する前か卒業した直後だったと思います。
大人っぽいお写真だったんでね。
そうですね。
どうですかね?でもすごく頑張ってメークとかして頂いた感じになってたと思います。
頑張ってた。
当時シンガーソングライター今は音楽宣教師。
はい。
あんま日本で聞かないと思うんですけども英語だとミュージックミッショナリーというふうに言ったりするんですけども神父さんとか牧師さんがお話でバイブルのお話を説かれたり福音を説かれるお仕事に対して音楽宣教師は音楽をもって聖書の福音をお伝えするというのが仕事です。
愛って何だろう?とかバイブルどんな事書いてあるんだろうというのをいきなりただお話だけでこうですああですとかなになにするべからずとかっていう事ではなくてじゃあちょっと歌ってみますとか音楽だとこうなりますという形で神様へのラブソングといったらいいのか。
心持ちとしてはではシンガーではなくて布教する人?そうですね。
伝える人って言ったらいいのか。
なるほど。
…だと思ってます。
今日はその「久保田早紀」時代の頃から今日の活動に至るまでたっぷり伺って参ります。
よろしくお願いします。
よろしくお願い致します。
ではまずですねあの大ヒットの「異邦人」誕生までのストーリーとそしてその裏にあった大変なご苦労があったという事なのでその辺り見ていきます。
1958年東京・国立市で生まれた久米さん。
4歳からピアノを習い始めました。
友達に誘われて行った教会の日曜学校で歌う賛美歌が大好きになります。
そして小学校の頃には当時はやっていたフォークソングや歌謡曲に夢中になりました。
中学時代はキーボードとしてアマチュアバンドに参加。
文化祭などで演奏を披露していました。
そのころ特に憧れたのはシンガーソングライターの荒井由実さん。
そのスタイルに影響され自分でも曲を作るようになりました。
短大生の時自分で作り歌った曲を一度プロの人たちに聞いてもらいたいとカセットテープをレコード会社に送ります。
それがディレクターの目に留まり一緒に曲作りをする事になったのです。
その2年後に出来上がったのが「異邦人」でした。
そして1979年10月レコードデビュー。
この曲がCMに採用された事もあり140万枚を超える大ヒットに。
しかしそのヒットとは裏腹に彼女の思いは複雑でした。
デビューするまではテレビやコンサートは見るものだと思っていた久米さん。
立場が変わった現実をすぐには理解する事ができませんでした。
そして連日のように歌番組に出演。
芸能界で引っ張りだこの状況が続く中自らの未熟さを実感するようになったといいます。
さらに周囲からは次のヒット曲を求められました。
久米さんはその後8枚のシングルレコードを発表しました。
しかし「異邦人」のようなヒットには結びつきませんでした。
デビューから5年。
引退を決意したのです。
いや〜。
苦悩が。
おありだったんですね。
つまり150万枚とか100万枚という数字がそれまで短期大学生でない数字ですよね。
変な話なんですけど1万円とか2万円とかお小遣いとかバイトで頂いたらものすごい大きな金額ですよね。
だから100万枚なんていう単位が分かんないんです。
やった!とかうれしい!というそういう時の感情はどんな感じだったんでしょう?もちろんデビューできたというよりもレコードが自分のレコードというものができてレコード屋さんに並んでるんだってそれすごい事ですよね。
半分は本当の現実なんだけどでもそれさえもあんまり受け止められないようなぼんやりした感じはしばらくありましたね。
私は何となく「異邦人」という曲がとても成熟した詞のような感じに聴いていたというかそういう感じがするんですけども。
いやいや…。
手応え的にはちょっと違ったものなんでしょうか。
そうですね。
「異邦人」という曲ももともと「白い朝」というタイトルで全然違うタイトルの元の歌があったんですけどもちょっと「白い朝」ってあまりにも平凡というか月並みですよね。
でもうちょっとエキゾチックなものにならないの?みたいな事で。
いくつか「エトランゼ」とか「旅人」とか「フォーリナー」とかいくつかある中の一つだったんです「異邦人」というのは。
でも「異邦人」ってあんまり使わない言葉ですよね。
そうですね。
あれで知りましたもん。
そうそう私もそれで知りました。
だからこのタイトルだったら売れないだろう。
自分で言うの変ですけど売れないだろうなって。
ピンと来ないもんって自分で思ってましたね。
何か「エトランゼ」とか「旅人」とかいう方が雰囲気はあるし覚えて頂きやすいとも思ってたので。
でもその時にご自分の意見はおっしゃらなかったんですか?いや「異邦人はよくないと思います」って100回ぐらい言ったと思います。
でもそのデビュー曲が140万150万売れた事によって「じゃあ次もっとヒット曲を」って求められてそれは作らなきゃいけないというプレッシャーが相当…。
そうですね。
同じようなものを作らなきゃいけないってすごくつらいですよね。
常に求められてるものはちょっと「異邦人」のようなエキゾチックだったりとかちょっと中近東だったりとかシルクロードっぽかったりとかするものなんだろうなってどっかにいつもその事が頭にあって。
でも別に中近東行った事もないしふだんそういう生活してる訳でもないので東京にいる私がどうやってそういうものを作っていったらいいのかなというのはすごくありましたねそれは。
その当時の本当の胸の内はどうやってご自分と向き合ったりどなたかにそういう本音を吐露された事はおありなんですか?なかなかなかったんですけどでも一つ気が付いたのは私本名久保田小百合なんですよね。
だんだんだんだん本人の久保田小百合というのが久保田早紀というのがあそこにいるよなってこの溝が大きくなってくる感じはすごくしたんですね。
久保田早紀さんがビッグになればなるほどでしょうか?そうですね久保田早紀というのを演じなきゃいけないのは嫌だなというふうに。
そういう感じなんですね。
歌を歌ったりというどんな気持ちで過ごしてらっしゃったんですか?周りがあまりにも華やかでもあるしいわゆる芸能界というところなので皆さん華やかだし皆さんうまいし皆さん堂々とされてるし話せばすごく魅力的があるし引きがある受け答えができるしそれもできない。
本当に間近で見るたびにあ〜何もできない。
私あれもできないこれもできないって思いましたね。
だから本当に周りは何だろう…豪華客船のようなものが自分の周りをすっと通り過ぎていくんだけど私はもうボロボロの何かいつひっくり返ってもいいような転覆しそうな小舟で一生懸命漕いでるんだなという感じはすごいしましたね。
結果5年で?その5年間で「久保田早紀」というものが求められる世界というのはもしかしたらこうなのかなああなのかなという形で作らさせてもらったものはもうこれでもう私の中では空っぽですというぐらい十分に作らさせてもらったかなと思ったので引退のコンサートの時に「ありがとうございました。
久保田早紀商店というのはこれでもうシャッター閉めますけれども」と言って引退をしたんですけど。
その後久米さんの音楽の道が大きく変わっていったという事なんですね。
ではその変わっていった中で何があったのか見ていきます。
「異邦人」の大ヒットで久米さんは自分を見失いかけていました。
本当に作りたかった音楽とは何か自分に問いかけます。
自らの音楽の原点に戻ればそれが分かるかもしれないと考えた久米さん。
たどりついたのは幼い頃教会で聞いたあの賛美歌でした。
そして教会を訪ねたある日。
牧師の話を聞いた久米さんに大きな転機が訪れます。
その後久米さんは洗礼を受けクリスチャンとなったのです。
さらに久米さんの音楽人生に大きな影響を与える人物とも出会います。
一緒にアルバム作りなどをしてきたミュージシャンの小坂忠さんです。
・「神の恵みの雨が」小坂さんは1966年にデビューし日本のロック界の草分け的な存在として活躍。
76年にクリスチャンとなりゴスペルシンガーとしても活動を始めました。
小坂さんが久米さんに言ったある言葉がその後の方向性を決める事になりました。
小坂さんの言葉をきっかけに音楽宣教師の道を志した久米さんは神学校に入学。
キリスト教について本格的に学びました。
神学校を卒業後音楽宣教師として活動を始めた久米さんは全国を訪れ演奏するようになりました。
この日向かったのは大阪。
教会からの要請でチャペルコンサートを行うのです。
おばちゃんの服装だけどいいですか?すごいよねこの格好。
ごめんなさい。
早速リハーサルが行われます。
教会でのコンサートは予算や場所の制約もあり1人での演奏が多いのです。
すいません順不同かもしれない。
声だけ出します。
・「Amazinggracehowsweetthesound」演奏する曲や順番などコンサートの内容は全て久米さんが決めていきます。
この日訪れたのはおよそ130人。
その多くはふだん教会に足を運んだ事のない人たちです。
久米小百合さんをこのところにお迎え致しましょう。
拍手で。
いよいよコンサートの時間。
・「遠き国や海の果ていずこにすむ民も見よ」・「なぐさめもてかわらざる主の十字架は輝けり」久保田早紀をやっていたのはもう今から30何年前でしょうかね。
7〜8年前になります。
という事でその時のイメージを持って今日来て下さってる方はすごい使用前使用後だと思うんですけど私今年…来年還暦です。
え〜。
そうなんですよ。
久保田早紀時代には苦手だったというトークを時折交えながらおよそ50分のコンサートを終えました。
そして最後にこんなリクエストがありました。
あるようなんですね。
よろしいですかすいません。
「異邦人」は皆さんがカラオケとかで歌って下さると私に印税が入るシステムになってます。
それじゃワンコーラスいきます。
・「子供たちが空に向かい両手をひろげ」・「鳥や雲や夢までもつかもうとしている」・「その姿はきのうまでの何も知らない私」・「ちょっとふり向いてみただけの異邦人」・「あとは哀しみをもて余す異邦人」ありがとうございます。
今の久米小百合さんが歌われる「異邦人」もすてきですね。
ありがとうございます。
懐メロですけど。
皆さんの心の中のアンコールに応えるという形で「異邦人」歌ってらっしゃいましたけども音楽伝道師になられた当初からそういうふうに「歌って」という事って言われませんでした?言われましたね。
やっぱり元久保田早紀さんなんでしょみたいな。
どうせ来たなら「異邦人」歌ってよというのはずっとありました。
この30年間は。
「異邦人」というところでいつも評価されてきていたのであ〜そうかやっぱ教会来ても「異邦人」歌わないとダメなんだよねという思いはなきにしもあらずだったんですけどでも「歌いましょう」って言われたら「はい分かりました」といって弾いて歌ってましたけど。
「私は音楽が好きだ」と最初に思った原点が賛美歌で?はい。
それにたどりついたその事がやはり大きかった?そうですね。
何か自分の中で最初にピアノで弾いたり歌ったりあとちょっと曲をいじってみて自分なりにアレンジのまね事をしてみたのが賛美歌が多かったんですね。
「きよしこの夜」とかクリスマスの時期に歌うような曲も含めて。
あっこれならちょっと弾いてみて面白いかもとか。
賛美歌のとおりじゃなくてちょっと伴奏変えてみたりとか。
それ「異邦人」のあとにちょっと悩んでらした久米さんというか久保田さんにとっては心にしみる感じだったんですか?そうですね。
たぶんこれが自分の音楽音楽がどうして好きなんだろうとか何で曲作りたくなっちゃったんだろうとかっていうその原点がもしかしたらこの賛美歌とか聖歌というものなのかなという思いになったんですけども。
ゴスペルシンガーの小坂忠さんのあのひと言も印象的でしたね。
そうなんです。
もう本当にそうですね。
小百合さんさ音楽っていろんな種類の音楽あるけどずっとね何百年も歌い継がれていくようなどっちかというと太い川の流れのような本当にそういうどっしりした流れの中で歌われて歌い継がれていく音楽もあればさっきおっしゃってたようにティッシュペーパーみたいにパッとつまんでパッと鼻かんでポンって捨てられるようなそういう消費される音楽もあるよねって。
「どっち作っていきたいの?これから」って言われたんですね。
消費されてしまう音楽というか消費されてしまう人生をずっと私歩んでいく…。
この先も歩んでいくのかな?それとも違う道があるのかな?という事をやっぱ考えていた時だったので。
クリスチャンになられて歌に向かわれるお気持ちというのは変わられましたか?そうですね。
それまではどっちかというと作ってやろうとかやっぱり歌ってやろうとかこういうものを題材にしてみようとかどちらかというと自己表現。
最終的には「私を見て」とか「私の曲を聴いて」って。
「見てくれなくても私の曲を理解してね」という事がきっと多かったと思うんですけどもクリスチャンになって今歌わせて頂いてるのはオリジナルで作ったものだとしても「たぶん光ってこっちにありますよ」とか「愛ってこういう事じゃないですか」とか指し示す仕事だと思ってるので指になれればいいかなという感じで思っています。
「何かこの前久米という人の曲聴いたんだけどじゃあちょっとバイブルとか読んでみようかな」とか「近くに教会あるから行ってみようかな」とか少しでも思って下さればそれでもう私の仕事は100%だと思っているので。
やりがいはどういう感じなんですか?実際自分が伺った教会でその後洗礼を受けられた方がいらっしゃったりとかって話を聞くとあ〜やっぱ行かせて頂いて良かったと思ったりします。
たくさんの人が来てすごい声援の中で高揚するようなそういうものとは違う静かな感動みたいなのはこの仕事をさせて頂いてあると思ってます。
音楽宣教師として活動されている久米さんなんですが加えてこのような活動もされているという事を今回取材させて頂きました。
こちらはカルチャーセンターの合唱講座。
久米さんは歌う楽しさを知ってもらおうと3年前から講師を務めています。
声がいい感じになっている。
もしかしたらカメラのせいかな?じゃあハモったりを関係なく何となく入ってこれちゃう人たちはやってくれてもいいんですけどとりあえず主旋律を歌ってみましょう。
・「歳老いたあなたへ」参加している人たちは譜面を読むのが苦手だったり合唱の経験がない人がほとんど。
久米さんは初心者にも楽しんでもらえるよう年代に合わせた歌いやすい曲を選んでいます。
特に詞の内容をイメージしながら歌う事が大切だと指導しています。
これ財津さんの名作詞作曲なので歌詞が読んで頂くとちょっとストーリーになってるんですよね。
最初「私からあなたへ」とか出会いみたいなのがあって次は「歳老いたあなたへ」というのでこの歳老いたあなたが自分のお父さんとかお母さんでもいいと思いますしご主人とか奥さんでもいいと思うし。
123。
・「私からあなたへ」・「あなたへ」・「この歌を届けよう」・「広い世界にたった一人の私の好きなあなたへ」すごい今ハモれてたです。
こんな感じに入ってきます。
宮城県多賀城市。
7年前の東日本大震災では5メートル近い津波が押し寄せ多くの方が亡くなる被害が出ました。
震災以降久米さんは東北で演奏する機会が多くなりました。
この日は仙台の教会が主催したコンサートに招かれました。
こちらも2011年の3・11の時は被災地でいらっしゃるのでものすごく大きな揺れをご経験されたんじゃないかと思います。
やっぱり私たちは2011年の大きな大きな痛みは忘れちゃいけないなって思っています。
知ってる方はよかったら一緒に歌って下さい。
・「上を向いて歩こう」東北でのコンサートは地元の皆さんに元気になってもらおうと一緒に歌える曲を選んでいます。
・「一人ぽっちの夜」実は久米さんは震災直後から独自に支援活動に取り組んでいます。
仲間たちに呼びかけて組織を立ち上げたのです。
がれきの撤去などのボランティアに始まり国内外でチャリティーコンサートも行いました。
現在は音楽を楽しんでほしいとウクレレの無料レッスンも始めています。
宮城県気仙沼市。
漁業で栄えたこの町も震災で甚大な被害を受けました。
久米さんはここを毎年訪れコンサートなどを行っています。
まず立ち寄ったのは被害の大きかった港。
来るたびに変化する風景を間近にしさまざまな思いがよぎります。
あっちまで逃げる感覚というのが。
水の力ってのは想像できないですね。
すごいよね。
気仙沼の教会に到着しました。
ただいま。
牧師の妻リイファンさん。
久米さんが通った神学校の先輩です。
奥の厨房には地域の女性たちが集まっていました。
この日はショーロンポー作りを行うという事で久米さんも飛び入り参加。
久米さんはこの教会で支援コンサートを3回行っています。
皆さんとはすっかり顔なじみ。
こうして再会できるのも楽しみの一つです。
最初に来させて頂いた時からのおつきあいというか最近フェイスブックお友達です。
ですね。
こちらの女性は3年前からの知り合い。
当時仮設住宅での苦労を聞いていました。
ちょうどその時は前お会いした時。
娘が。
受験の時だったんです。
そうです。
それで受験生なんだけど仮設でやっぱりちっちゃい弟さんとお姉ちゃんと同じお部屋で勉強してるの大変なんですよという話を伺ったんですね。
さてショーロンポーも蒸し上がりました。
みんなで一緒に食事です。
久米さんはこうした肩ひじ張らない交流をこれからも続けていきたいと考えています。
最後に久米さんから歌のプレゼントです。
・「子供たちが空に向かい両手をひろげ」・「鳥や雲や夢までもつかもうとしている」・「その姿はきのうまでの何も知らない私」・「あとは哀しみをもて余す異邦人」こうやって手が届くところにいて下さって体温の伝わる音楽だったり神様の教えだったりというのもすてきですね。
大スターの方とかものすごく大きなステージをされてる方はもっと大きなご支援ができると思うんですけども私のような者はその真逆で100人の方や200人の方には伝えられなくても本当に10人20人の方たちにお話ししたり一緒にさっきみたいショーロンポー作ったりとか顔と顔を合わせてという自分の目や耳で伺う事ができる知る事ができるというのがすごくやりがいだしありがたい事なのかなと思ってます。
39年前の「異邦人」の大ヒットがあってその事がご自身の苦悩にもね後になったという事でしたけどもまた時間がたってまたいろんな方の前で歌われてますけどもどういう曲ですか?あの曲は今改めてご自身にとって。
そうですね。
すごく不思議なでも不思議な出会いを本当に与えてくれた曲なんだなってそんなふうに思って作らなかったんですけどもそういう曲だなとは思っています。
一番不思議なのが「異邦人」という言葉あんまり日本の会話の中に日本語の中で使わないですよね。
不思議なんですけど聖書の中にバイブルの中に「異邦人」という言葉がたぶん100も200も出てくるんですね。
それはまだ神様を知らない人という意味なんですけども。
でも神様も聖書も何も知らないうちからその言葉のタイトルの曲を歌ってた自分がちょっと不思議だな面白いなと思っています。
なるべくしてなられたというかすごいですね。
何か不思議ですよね。
不思議ですね。
何か何だろう…だから「外国人」という言葉とも違うしただの旅人とかフォーリナーとかエトランゼとも違う「異邦人」って独特の空気感がある言葉だとは思うんですけども。
でも私ずっと異邦人だったのかなと思っていて。
芸能界にいる時も何か私すごい芸能人楽しめないし私芸能人になれないんだなって。
もしかしたら芸能界という中でちょっと異邦人になっちゃってるのかなって思っていたんだと思うんですね。
でもクリスチャンの世界来て今こういう音楽の伝道や宣教のお仕事をさせて頂いてるとでもクリスチャンの世界でももともと牧師とかもともとそういう宣教の仕事をしてた訳ではないので全然違う世界から来ちゃった人という事でもしかしたらキリスト教の中でもちょっとどこか異邦人なところがあって。
私はたぶんずっと一生異邦人というところを歩いていくようなそういう宣教師の仕事を許されてるのかなと思っています。
当時は分からなかったけどももしかしたらものすごく大きい何か目に見えない大きなプレゼントを21歳の時にもらっていてありがたいとも思わないでこれに背を向けていた長い期間があったんですけども今また「大切にしろよ」ってきっと言われているんだなと思っています。
すばらしい話ですね。
すばらしい本当に。
これからの目標をお聞かせ頂けますか?はい。
今やっている事が少しでも長く続けていけたらありがたいなと思っているので手が動く間はピアノは弾かせて頂き声が出る間は皆さんと一緒に歌っていければと思っています。
「異邦人」を経て今の久米さんの温かさをまた全国に届けて頂きたいと思います。
ありがとうございます。
今日はどうもありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。
「人生の思い出レシピ」のコーナーです。
今回の思い出レシピはこちらです。
お〜麺類かな。
あらまあきれいな景色。
小さなカップに入ってるから…。
おそばでもないし何だろう?ラーメンでもないし。
頂いたお便りをもとにイラストで再現したものですがこの絵はどんなストーリーがあるんでしょうか?ではご紹介をお願いします。
はい。
東京都にお住まいの大村粛さん68歳から頂きました。
「私の思い出レシピは冬山で味わった何とも不思議な飲み物切り干し大根コーヒーです」。
え〜?「大学1年生の時山岳部の冬山合宿に参加。
北アルプスの剣岳山頂を目指しました。
好天が続くと予想して食料と燃料を一気に一番上のキャンプ地に上げたのですがその夜から天候が急変。
猛吹雪に見舞われ飲まず食わずの状態で5日間過ごしました。
やっと晴れて上のキャンプ地にたどりついたあと早速作ったのはインスタントコーヒー。
空腹にたまりかね歯ごたえのあるものが欲しいと中に入れたのが切り干し大根。
それを食べて飲み干した時のこんなうまいものを食べた事がないという感動は今も忘れられません」。
え〜!なんと。
切り干し大根コーヒー。
いや〜これ普通はしない事です。
ですよね。
これは忘れられない。
本当に九死に一生を得たというご経験ですよ。
本当です。
命をつないだ食べ物。
これ味わった事がある方なかなかいないんじゃないでしょうか。
ちょっと試してみよっかな。
という気もしますね。
この「人生の思い出レシピ」のコーナーでは皆様からのご投稿をお待ちしています。
これまでの人生で忘れられない光り輝く食材や料理を紹介していきます。
皆様からのご投稿をお待ちしています。
今日は「異邦人」を歌われていた久米小百合さんの驚きのお話がいっぱいありました。
そうです。
何か導かれてる方のような印象を受けました。
なるべくして今の姿があった。
それが「エトランゼ」だったらこうなってなかったかもしれない。
なってなかった本当。
久米さんは結局久保田早紀時代からずっとご自身自分自身だったなという等身大だったのかなという。
そうそうそう。
そうなんです。
それがまたすてきだなと思いました。
(子どもたち)一休さ〜ん。
(一休)あん?2018/01/19(金) 11:00〜11:45
NHKEテレ1大阪
あしたも晴れ!人生レシピ▽名曲“異邦人”を超えて〜音楽宣教師 久米小百合〜[解][字][再]

久保田早紀の名でデビュー曲「異邦人」を大ヒットさせた久米小百合さん(59)。芸能界を引退後、音楽宣教師の道へ。苦悩の日々から自らの歩む道を見出した半生を伝える。

詳細情報
番組内容
久保田早紀の名で「異邦人」を大ヒットさせ、一躍スターとなった久米小百合さん(59)。短大卒業後、21歳で突然脚光を浴び、喜びよりも戸惑いの方が大きかったという。芸能界を5年で引退。自分の音楽の原点を探り、聖書の世界を歌で伝える音楽宣教師の道へ。現在、チャペルコンサートを中心に、東北支援やカルチャー教室での指導などを行っている。「異邦人」の重圧による苦悩から、自らの歩む道を見出した半生を伝える。
出演者
【ゲスト】ミュージックミッショナリー…久米小百合,【司会】賀来千香子,高市佳明,【語り】鈴木省吾

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

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日本語
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