平安時代にお坊さんをやっていた記憶があるという話についてTwitterでの質問と回答
はじめに
私の上記ツイートに興味を持って質問してくれた皆様、ありがとうございます。
普段はTwitterという深海の底でオオグソクムシのように引き籠ってマイナーな創作物を作っています。夜中たまーに前世記憶について言う事があったのですが、気味悪がられるしあまり話したくないので一通りスルーされた後に消すのがいつもの流れでした。今回もと思ってましたが何だか物凄い伸び方になりまして、底引き網で海上に引き上げられたような気持ちです。
何でもかんでも全て覚えているという訳ではないです。全く分からない、もしくはうすらとしか分からない事も多いです。こうなったのも何かの縁だと思うので、慎重に、話せる限りお話してみたいと思います。
全然信じてくれなくで大丈夫です。信じなくても普通に人生楽しく生きていけるので、底引き網で水揚げされたオオグソクムシを蒸し焼きで食べていると思って見てもらえたら有難いです。
ご注意
・宗教には入ってません 変な思想にも染まっていません オカルトやスピリチュアル系団体との繋がりも全くありません 今後そうなる気もありません ただの変な人です
・趣味で主にアジアの宗教学、人文学を勉強しているので平安時代の知識は普通にあります。ただなるべく歴史資料に無い部分を話そうと思います。
・自殺をミスってからと書きましたが、それ以前から家系的に勘が強かったり自分自身にも第六感的な物はちょっとありました。なので安易に自殺を考えたら覚醒するとか思わないでください。
・頂いた質問全てには回答できません、もし回答が無いと立腹された場合はTLで私に煽り画像を送りつけても大丈夫です。
質問と回答
無作為に目にとまったものを選ばせて頂きました。少ないのでパート2を作る予定です。今回はあの世の事とか生まれ変わりについてというより、平安時代の事について回答します。
具体的な名前や生年月日や宗派を教えてほしいという質問が多かったんですが、言いたいです。言いたいんですけど…言ったらその人物がgoogle検索で出てきてしまいます。今現在ゆかりのある人たちに迷惑がかかったら怖いので想像するか各々で調べてみてください。つっても時間の問題かもしれないですけど…腹くくった方が良いのかな…うーん…
あと本当に脳の病気なだけかもしれませんので。ユルい気持ちで見て下さい。
それでは
山門のギリギリんとこまでみんなフザけてて入った瞬間から急にシャンとするやーつ!
ガキ使の笑ってはいけないシリーズで敷地入った瞬間から笑っちゃダメみたいな感じで…そこでひと悶着あったりするじゃないですか。あんな感じです。山法師の人達大好きだったんですけど面白い人多くて笑いのセンスは神がかってます、野性爆弾くっきーとか千鳥大悟とかバッドナイス常田さんみたいな人がいっぱい居ると思ってください。お坊さんの旅は粛々としてありがたみが深い物だと思われがちですが、道中暇だし子供や若い人が多いので結構ふざけてわいわいしてました。どこの出かも分からない人と、途中で出会って一行に加わったりもします。水曜どうでしょうをもっと大人数でやるような感じですかね、楽しいです。
はい、似てます。見た目は、肖像画が数枚残ってます。今の顔とほぼ変わりません。昔の名前明かすと怖いので各々で調べてほしいですが…私のTLにある自撮り写真と比べてみると、似てますよ。ただ今の体の方がまつ毛長くてスネ毛が濃いですねw人差し指をピーンと立てる癖があるんですが、肖像画の自分もガッツリ人差し指立ってて、あ、やっぱ俺やんってなりました。
性格もほぼ一緒です、が今のほうが幾分真面目です。昔は結構ふざけたり思い付きで行動する事が多くて周りに迷惑かけてました。そういう所で失敗して恥ずかしい思いしたり後悔が多かったので今は物凄く慎重で、目立ちたくないです。
能力も好き嫌いも一緒です。昔は色んな楽器弾いて 歌を詠んで 馬乗って 仏道極めて 旅してました…今はボカロで音楽作って ラップ作詞して バイク乗って 人文学研究して 旅してます、性的嗜好も同じです。想像ですけど遺伝子的に似てたり同じような性質の体にしか生まれてこれないんじゃないかって思います。
自分の詠んだ歌も残ってますが今も昔も、雰囲気がほぼ一緒です。個人的に、和歌や漢詩と日本語HIPHOPって妙に共通点を感じてしまいます。最小限のメロディーで押韻に合わせて日本語を綺麗に組み立てて歌う…同じ感覚で作ってますね。。
山芋と、そばです。今も昔も好きですが、山芋は薄く切って焚火で焼く、そばはこねた奴をちぎって汁物で食べるのが平安田舎流です。「そばがき」って奴です。そば粉こねてちぎって鍋の具にでも入れてみてください、もちもちして超うまいです、なんで消滅したんですかね…何で細ーく切っちゃったんですかね。あと伊藤園のそば茶の味が異様に懐かしく感じます。
言葉についての質問をとても頂いてるんですがごめんなさい、全然思い出せません。文献も忘れて?いて全然読めません。分かりにくいのが言葉や地名・人名。逆に分かりやすいのが人の顔や景色などです。
強いて言うなら、公家はめっちゃひそひそ話します。声がデカい奴は駄目みたいな暗黙ルールがあって鼻声でささやくようにしゃべります。この喋り方をする人が現代にいたら超じれったいですね。ハッキリ喋れよ!ってなりますね。
当時の女性についての質問も多かったですね、オカメ顔のぽっちゃり系がモテるのは本当です、今みたいに痩せている人が良いなんて感覚は1ミリもありません。真逆です。芸能人はみんな痩せているので中々難しいですね…浅田真央さん、剛力彩芽さん、を、太らせた感じです。皇族の秋篠宮姉妹のような丸顔も美人です。
平安女子はお菓子いっぱい食べても太るのを気にしなくて良いので食べるのが好きな人が多い。食欲あっても隠さなくてOKです。そんな事する意味が無いです。
今の女子は細い体になろうとして自分から飢餓状態を作ってるなじゃいですか、逆に現代の方が物凄い違和感があります。昔の人が飢餓を無くして健康に生きられる世の中目指して頑張って、ようやくその時代になったのに細くなろうとしてるなんて…とても複雑な心境です。
植物ですけど…瓜ですね。今は全くないですけどいろんなタイプの瓜です。草ボーボーのかやぶき屋根の上にも瓜が生えてたり。
朝が印象的です、私はいつも遅く起きます。働き手は子供が多いので子供がどたばた走り回る音で目が覚めます、みんな凄い働き者で起きる頃には支度が整ってます。服まで着せてくれます。お礼に服や京菓子を送ると見た事無い位目を輝かせて喜びます。
たまに京都から偉い人が様子を見に来ます、山の上に寺があるんですけど、下りてこいって言うんですよ。凄く嫌な感じです。山の下にいっぱい居る尼さんたちと相談して、登らせようぜって事になってメタボなおっさんを登山させていじめてました。すみません。
これはあまり言うと間接的に私が誰か分かってしまうので怖いんです…安倍晴明に会った事ありますかっていう質問も来たんですが…
はい…。彼はみんなの憧れです、彼は下手に出る人ですがじわじわ煽ってくるタイプのおじさんです。心の中ではコイツ面倒くさって思われてましたねきっと。でも優しいですよ、クライアントにはとても手厚い人ですので最後まで見放しません。母親が狐だと言われていますが彼の母は知りません。普通のおじさんです。顔は…思ってるようなイケメンではないです、くしゃっとしたおじさんです。くしゃおじです。
藤原道長もあります。政治家としてやり手だったのは間違いないですけど、ただ和歌とかオシャレのセンス全然無いです、多分人に選んでもらってますね。ださいなーと思ってましたごめんなさい。体裁の為に嗜んでいるので創作したり、オシャレをするという概念が無いっぽいですね、芸術家の感性ゼロです。仕事マンです。彼の歌がどれだけ残ってるかは分かりませんが、多分うーん…って感じだと思います。あの時代はもっと情緒にあふれた凄い歌人がいっぱいいます。
はじめまして. 質問させていただきます.
— koubekouitiro (@koubekouitiro) 2018年1月17日
当時, 蝦夷と呼ばれてた地域の範囲とそこへの所感等お聞かせください. また, 北海道と都の交流等ありましたらそちらもお願いします.
さらに, 生口についても詳しいお話しがございましたらそちらも回答いただけると幸いです.
おお!これはとっても深い思い出があります。僧になってから西日本の山岳部を旅していたんですが、多分今の岐阜県のあたりの小高い山から飛騨山脈か立山連峰らしき山を見た記憶有るんです。
とても遠くからでしたが大きな山が壁のように向こう側を塞いでいて…あの向こうは外国で、行ったら生きて帰れないと言われてました。山法師や修験者はいろんな所を旅するのでネットワークみたいなのがあって情報が結構入るんですが、自分の仲間でも山脈の向こうに行った人は居なくて向こう側は話す言葉も見た目も文化も違う外国だというイメージです。北海道や青森あたりは、今で言ったらモンゴル人くらい違う人達です。平安時代にはすでに日本国として管轄下におかれていたみたいな話もありますが、多分形だけです、外国です。ていうか東北全域が外国みたいな空気です、あの壁みたいな山の向こうに行ってみたいと思ってたんですが、行けずに死にました。そして今は東側に生まれて逆側から立山連峰を見ています。感慨深い…
生口というのは…すみません分かりません。
色はカラフルですね。今観光地は色あせた建物が多いですけど昔はガッツリ色入ってカラフルです。朱色が中心で、屋根の内側とかが極彩色です。色の感覚的には原色という概念がなくて、今よりいっぱい色がある感じです。呼び名すみません、全く分からないです。が、空を見て、これは青じゃないんだけどなぁ…なんか、青だけど違う、、別の青っ…てなる時があります
恋愛結婚です。当時、恋愛結婚は憧れですね。自分が声をかけなければ奥さんは他の人と政略結婚してたと思います。 見た目は悠木碧と多部未華子を足して二で割ってぽっちゃりさせた感じかな…良い家柄に生まれて、 家族や付き人に言われるがまま食事も服も行き先も自分では何も決められない人で、何聞いても「分からない」って答える人形みたいな人でした。こんな可哀想な人見た事無くて、精いっぱい愛しますから、世の中の色んな事を教えますから、どうか答えて下さいと、何度も手紙をやりとりして、嫁に来てもらいました。手紙は死ぬまでとっておいたものが有るはずなのでどこかに残ってるかもしれません。 結婚してすぐに亡くなりました。それで僧籍になりました。
これは凄く話したかった、陰陽師は居ました。今はオカルト扱いですが平安時代は全然違います。陰陽師のお家芸の占星術は星の動きを数学的、科学的に考察して法則を見つけて駆使しようとしたものです。科学的でもあり、オカルト的でもありますよね。概念としては同一でした。これが科学でこれがオカルトだとい線引きする概念が当時はほぼ在りません。みんな同様に研究し、駆使する機関です。それが陰陽師。
これも話したかった。まず昔は人と人との心の距離が近かったです。今みたいに心の距離が離れた寂しい付き合い方をするのは宮中くらいで、友達や家族はちょっと風邪ひいたくらいでも死んじゃいますし一つの季節が終わるごとに誰かしら亡くなってます。だから今より情の結びつきは強いですねほんとに。今の自分はコニュ症なので人とあまり関わらず一人旅とかしてますが、昔は大勢周りに人が居て、旅する時もみんなでわいわい楽しくやってました。自分の性格より、社会が変わったのが大きいですね。今はちょっと寂しい時代だと思います。
ただ創作分野では現代ととても似ています。というか本質的に一緒です。BLの薄い本的なやつなんか平安時代大量に出回っていたので今も残ってるんゃないですか?ジャンルもいっぱいありましたよ、お坊さんですら読んでますよ。今のエロ同人誌と一緒です。
衆道に関しての質問多かったですね、もちろんありました。戦国時代は武士の間で流行ったらしいですが、自分の時代は寺です。現代の感覚で考えてほしくないですけど、お坊さんが居るエリアは女人禁制が普通です。出家する人達は様々な境遇で貴族もいれば物心ついた時から坊主の人も居れば、どっかから逃げてきた人、捨て子もいます。雑多な人種が大勢います。
見た目はお坊さんでも皆結局人間ですので性欲を捨てて生きるなんて出来ないです…大きな寺には髪の毛の生えた妙齢の女の子っぽい男子がいっぱい居て、僧の手伝いをして過ごします。お坊さんとは主と従者のような、家族のような、恋人のような不思議な感覚で結ばれてます。
ステージ?演台があってそこで踊ってくれたりします。踊れる稚児は今でいうアイドルです。いろんなお偉い方からお声がかかります。
宝石の国やとうらぶのような世界観が近い…かな。
あと、現代でオネエと呼ばれる人たちなんですが、昔は神の使いだってくらい尊ばれてました。彼(彼女)達は多くのお坊さんの心を癒す存在です。差別なんてとんでもない、芸術的なセンスも抜群で年をとっても舞踊を教えたり、文化に大きく貢献したんです。
現代でネタキャラ扱いされているのがちょっと悲しいですね。
居ました。でも若い頃は金持ちばかりに囲まれてたので見た事ありませんでした、実際に見たのは僧籍になってからです。
暑かったので夏かな、下山して平地にさしかかったあたりで見ました。
家族かなって思うんですけど、汚れなのか病気なのか全身が茶色く変色していて服を着ていなかったです、妖怪みたいなものに取りつかれているから絶対に近寄ってはいけないと言われました。凄い心苦しくなってしまって、こんな人たちが居るのに今まで自分は何をやって来たんだろうってひたすら後悔しました…奥さんの次に強烈な記憶です。
その他、多かった質問へ回答します
・平安時代の衛生状態はどうだったのか
これは里と山岳部で全然違います、京都はハッキリいって汚いです。汚い恰好の人も汚い犬もめっちゃいます、大河ドラマの清盛で不潔な都が出てましたけどあれは近いです。綺麗な人と汚い人の差が激しい。湯船に浸かるような風呂は入ってないですね、ていうか水汚いし。調べたら蒸し風呂らしいですけ蒸し風呂に入ってる記憶はありません、入ってるけど忘れてるのかな…トイレ事情も覚えてません…
山岳部の人は逆にとても清潔です、まず水が綺麗なのでちゃんと水で体洗いますし温泉とかも入ります。変な臭いとかしません。猿ですら綺麗です。
・記憶に残っている実在の場所と、現代の景色との違い
まず熊野です。多分熊野…であってると思うんですが、昔の那智滝のあたりは山法師&修験者のベースキャンプ的な所です。現代は写真でしか見た事なくて分からないですけど各地から大勢集まってきていて、情報交換するんです、あっちには何が有って、こっちに行くとこうなってて、って感じで。OKgoogleみたいに、OK山伏、〇〇に行きたいんだけどどうすればいい?景色の良い修行場とか無い?って聞くんです、そこで気の合う人とパーティー組んでクエストに出発するのが山岳修行です。少年の踊りの子が来たり、アイドルのライブみたいな感じ?イベントもたまにあって楽しい場所です。
田舎の風景についてなんですが今と全然違います。とにかく子供ばっかりです。畑仕事するのも外でわいわいしてるのも半分以上子供です。とても賑やかで人口も多く朝になるといっぱい子供が沸いてきます。
今は閑散としていて、中高年のおじさん達しか畑仕事してませんよね、寂しくなります。現代の田舎をバイクでツーリングしてると寂しい気持ちでいっぱいになります。
まだまだいっぱい質問も話せることもありますが、大変なのでここまでで… また書きますね、お読みいただきありがとうございました。