真顔日記

上田啓太のブログ

スーパーのテーマソングは不思議とポジティブ

近所にイズミヤというスーパーがある。関西人なら説明するまでもないだろう。しかし他の地域の人には聞き慣れない名前だろうか。スーパーの名前というのは非常にローカルなもので、すこし場所が変わると途端に通じなくなるからだ。 

子供の頃、私は石川県に住んでいたんだが、「ニューサンキュー」というスーパーを全国的なものだと思っていた。しかしあれも地元限定だったようだ。いま思うとへんな名前である。ニューサンキュー。新たなる感謝。分かるようで、よく分からない。

当時、私の母親はあの店を「サンキューさん」と呼んでいた。小学生の私も真似をして、「ちょっとサンキューさん行ってくる!」と元気に家を飛び出していた。ものすごく牧歌的だ。サンキューをさん付けするだけで、ここまでほのぼのしてしまうのか。

東京の国分寺に住んでいた頃、近所に「いなげや」というスーパーがあった。国分寺では名の知れたスーパーのようだったが、私は最後まで慣れることができなかった。どうしても「いな毛や」と認識してしまい、身体のどこに生えているのかを探してしまう。できれば、いな毛は切っておきたい。なんだか恥ずかしいし。

現在にもどろう。いなげやではなくイズミヤの話である。イズミヤに行くと店のテーマソングがずっと流れているんだが、そのたびに「なんなんだこの歌は」と思う。こんな歌詞である。

君の声が しぐさが その笑顔が
気づけばほら どんなときも すぐそばにあったよ
いまありがとうに 大好きのおもいをのせて
大切なきみへおくるよ
サンキュー・フォー・ユア・ラブ

この、妙にポジティブな歌詞は何なのか。「妙に」というのは、前向きさの意味がいまいち分からないからである。どこにも辿りつかないポジティブさ。

歌い手はイズミヤであり、「君」というのは客のことなのか。なにかに感謝しているのは分かるが、その対象がわからない。ものすごく観念的なやりとりをしている。

実際に店舗でやり取りされているのは、商品と貨幣である。音楽は上のほうで流れている。上空で観念がやりとりされ、下層で商品がやりとりされる。マルクスが言っていたのはこういうことだったのか(ちがう)。

まあ、毎日使う場所だしポジティブな言葉がいいでしょ、というだけなんだろうが、なんとなく引っかかっている。なぜそんなに前向きなんだ。非常に不思議なポジティブさだ。虚空にむけてポジティブを放り投げるかのような。