オーバーロード 活火山の流れ星《完結》   作:日々あとむ
<< 前の話 次の話 >>

2 / 5
 
 待っていて下さった皆様、遅くなりまして申し訳ありませぬ。
 


Ⅰ 火竜の狩猟場

 

 その日は、いつも通りの快晴であった。
 山の天気は移ろいやすいと言われるが、しかし空を見上げても雲一つ無い青空が広がっている。周囲を見回せば自分と同じような者達が、せっせと洞窟の奥から台車で届いた土と鉱石を広げて分けていた。
 これが彼らの日課。当たり前のルーチンワーク。
 危険は大きいが、普通の村仕事よりもよほど金になる。
 その日も、いつも通りだと思っていた。
 こんな生活がずっと続くのだと、誰もが何の疑いも無く信じていた。
 空に、影を見つけるまでは。

「おい? あれはなんだ?」

「……鳥、か?」

 空に小さな影が浮かんでいた。その影は仲良く二つ。鳥のような小さな影は仲睦まじく、二匹揃って大空を何の不自由もなく飛んでいる。
 影は山の頂上へと向かっていく。その姿を見送って、彼らは再び仕事に没頭した。

 ……少しして、遠くから雷鳴の唸り声が聞こえてきた。どうやら、天気が悪くなってきたらしいと彼らはその音で作業を中断し、それぞれ空を見上げてみる。
 空は快晴であった。雲一つ無い青空であった。
 再び、轟音が鳴り響く。遠くで、一斉に鳥達が木々を飛び立つ羽音が鳴り響いた。
 その音に驚き、彼らは互いの顔を見回して、ふたたび空を見上げる。
 響くのは、雷鳴のような轟音。しかし空は、やはり雲一つない青空で、快晴であったのだ。

「…………?」

 作業をしていた者達は首を捻り、互いの顔を見回して空を見上げた。……その雲一つない恐ろしいほどに澄み切った青空が、彼らが見た最後の光景であった。







 ――大空を舞いながら、苛立たしげに鼻から一つ息を吐き出す。炎交じりの鼻息はすぐに後方へ流れ、溶けていった。
 風に乗っているために翼を動かす必要はほとんどないので、空気を斬る翼と身体の感触が心地よい。
 だが……彼は腹を立てていた。

 目を覚ました時、彼は見知らぬ地にいた。周囲を見渡しても見覚えのないものばかりであり、それは彼を気分よくさせた。山頂近くの草原に横たえていた巨体を起こし、両翼を伸ばして動かす。発生する風は地面に生えている草を揺らし、その草の踊りが心地よい。
 機嫌良さげに身体を揺らして空を見渡していたが、その時黒い鱗のつがいが視界を横切っていった。それに再び彼は機嫌を良くして、大空を舞う。黒い鱗のつがいは彼に気づき、威嚇音を鳴らしたが彼は二匹を容易く両腕で捕まえる。
 些細で無駄な抵抗をする二匹に更に機嫌を良くして、まずは片方の見ている前で片方の頭に齧りつき、そのまま食い千切る。もう片方の見ている前でくちゃくちゃと音を鳴らして食べていると、手の中で震えあがっている気配が察せられた。
 その様子がとても楽しい。まだ生きているそれに対してぎゅっと力を込めれば、悲鳴が上がる。その様子をじっと見つめて、彼はにやりと笑った。彼はこうやって死を前にした獲物の悲鳴と恐怖と絶望の顔を見るのが、何よりも楽しい娯楽なのだ。別に肉が美味いとも、腹が減っているからという理由もないが、知恵あるモノの断末魔は面白い。かつては、最低一年に一度はそうやって原住民から生贄を強制していたものだ。
 彼の巨大な咢に呑みこまれた黒い鱗の者を、高らかに嗤う。そして近くまで様子を見ていたらしい何者かに、追い立てるように再び笑い声を届けてやった。狩りの始まりである。
 ……空を飛び逃げる緑の鱗の者をゆっくりと追いかける。追いつくのはわけはないが、着かず離れず追い立て、決して逃げられないと悟らせるまでが狩りの楽しいところなのだ。彼は大空を舞ってゆっくりと追いかけたが、しかし途中で悲鳴を上げた。

 魔法の力(・・・・)が働いている。

 彼は怒りの声を上げた。なんだこれは、ふざけるな、と。ここは彼の知識に無い知らぬ地である。だというのに、何故忌々しい魔法の呪縛が我が身を縛っているのであろうか、と。
 彼は怒り狂った。この山からは出られない。それを強く理解してしまったからだ。
 去っていく緑の鱗の者を名残惜しく思いながらも、仕方なく翼を旋回して踵を返す。そして、苛立たしい気分で空を舞っていると、更に忌々しいものを発見してしまった。
 山の中をちょろちょろと動く複数の小粒の影。間違いない、彼を奴隷の立場へと叩き落した者達と同じ種族の者どもである。
 怒りの咆哮を上げ、深く息を吸い込む。そして、一気にそこへ向かって吐き出した。
 彼の巨大な咢から、巨大な炎が吐き出された。それは見る者が見れば、噴火して溶岩を吐き出す巨山のように見えたであろう。
 そうして忌々しい小粒ども――人間達を焼き殺した彼は、鼻息を荒くして大空をそのまま舞う。おそらく、この山のどこかにあるはずだ。
 彼を縛るモノ。かつて、数多の人間達がそれを望み、しかしそのことごとくを彼は返り討ちにしてきた。
 数多の英雄達が夢見た竜退治(ドラゴンスレイ)――その果てに手に入れられるとされる、究極のマジックアイテム。
 
 担い手をこの世の支配者に錬成すると謳われる伝説の世界級(ワールド)アイテム――“支配の王錫”。
 その誰もが求める秘宝の姿を、彼は忌々しげに求めた。







 外界は肌寒く、雪の降るような季節となったが、ナザリック地下大墳墓にとっては地上の天気も気温も関係の無い事だ。
 しかし現在、ナザリックはかつてないほどの騒がしさに包まれている。これは異世界に転移して、数ヶ月ぶりの事であった。
 人間達の国で毎年行われる、バハルス帝国とリ・エスティーゼ王国の戦争。本来ならば秋頃に開戦されるそれは、今年に限って言えば時期をずらされる事となった。その原因はナザリックにあるのだが……その真相を知る者は少ない。
 本来ならばこのまま戦争も起きないのではないか、となっていた空気の頃にナザリックの働きかけによって帝国は王国と開戦する事になった。ナザリックが国として独立する晴れ舞台にして、この異世界で存在を主張するための切っ掛け。ナザリックとしてもこの戦争では気合いが入っていた。
 ……もっとも、人間という脆弱な種族にとっては、ナザリックという存在は悪夢にしかならないであろうが。

「アインズ様。こちらが戦場に参戦する、魅せ用の我が軍のリストです」

 執務室で書類に目を通していたアインズは、そう新たにアルベドから示された書類にも目を通す。その書類にはアインズが今までちまちまと作成していた死の騎士(デス・ナイト)などの中位アンデッドが載っていた。

「確かこちらの世界では中位アンデッド級が伝説のアンデッド級だったか……。そう考えると、やはりこの数と種類が妥当だな」

 アインズがそう呟くと、アルベドが静かに頷く。アインズ達からしてみればレベルが五〇もない雑魚の群れであり、幾ら徒党を組もうが塵山以外の何物でもないのだがこの異世界では話は別だ。この異世界では下位モンスターが主な生息モンスターであり、ユグドラシルでは当たり前に存在した上位モンスターの類はまったくと言っていいほど存在しない。
 アーグランド評議国の竜王(ドラゴンロード)達のように、どこかにはいるのであろうがまだこの異世界に転移して一年も経過していないアインズ達には分からなかった。

「……さて、私はそろそろエ・ランテルへ向かう。ナーベラルとハムスケ、それからパンドラズ・アクターを呼んでこい」

 全ての書類に目を通し終わり、ナザリックでの仕事を終わらせたアインズはそう執務室にいたメイド――フォアイルが頷く。
 アインズが王国で作った仮の身分――冒険者モモンとして行動する際にナーベラルとハムスケは必要なメンバーだ。ナーベラルは本来は戦闘メイドなのだが、人間の国で人間の真似事をする以上、見た目だけでも人間にしか見えない存在は必要なのである。アインズは本来後衛の魔法詠唱者(マジック・キャスター)なのだが、モモンの時は前衛の戦士の姿をしているので、魔法詠唱者(マジック・キャスター)のナーベラルが適任であったというのもある。ハムスケは現地で仲間にした魔獣であり、ナザリック出身ではないが現地では伝説の魔獣と恐れられていた存在なため、モモンに箔がつくという事もありアインズのペットという地位に納まっていた。……ちなみに、時折アルベドのハムスケを見つめる視線が怖いが、アインズは気にしない事にしている。
 そして今回、その一人と一匹の他にパンドラズ・アクターが追加される。

「アインズ様、パンドラズ・アクターは宝物殿では?」

 アルベドが首を傾げて訊ねるが、アインズはすぐに答えた。

「既に〈伝言(メッセージ)〉で話は通している。今後のモモンはほぼパンドラズ・アクターが化けることになるからな。その練習だ」

 ナザリックが国として確固たる地位を確立すれば、当然その支配者であるアインズは早々動けなくなるだろう。そのため、アインズに変身する能力があるパンドラズ・アクターにモモンの役をやらせる必要があった。
 ……アインズは内心、パンドラズ・アクターに支配者役をやらせたいのだが、さすがにそれはどうかと思ったので泣く泣くモモン役を諦めた。
 モモンはそもそも、アインズが支配者ロールプレイに疲れて癒されるために生み出された役柄であったのだが、もはやそれさえ今となっては懐かしい。パンドラズ・アクターはモモン役というのではりきっているが、それがアインズに余計胃を痛くさせた。
 なにせ、パンドラズ・アクターは自分の生ける黒歴史であるが故に。
 歌って踊る黒歴史。もはや視界に入れるのさえ拷問に等しい。誰とは言わないが、おそらくアインズのかつての仲間……ギルドメンバー達の中にもアインズと同様自らが生み出したキャラクターが動き出したら血反吐を撒き散らす者がいるだろう。

 ――そう、かつての世界ユグドラシルとは単なるゲームであり、このナザリックに存在する者達はただのNPCなどといったデータに過ぎなかったのだから。それが現実になるとは、一体誰が想像するだろうか。

「しっかり私自身で見張っていないと、上手くやれるかどうか分からないからな。ナーベラルとハムスケも対応を間違えてもらっては困る」

 パンドラズ・アクターはナーベラルやハムスケと共に別室で自己紹介でもしている頃だろう。今までは暇な時にコキュートスにアインズ同様稽古をつけてもらい、前衛戦士としての動きを学ばせていたのだ。これからは演技に気をつけてもらう事になる。

(うっ……無いはずの胃が痛む、気がする……)

 アインズはパンドラズ・アクターを思うと、どうしてもじくじくと感じる恥ずかしさに悶え苦しむ。パンドラズ・アクターだってちゃんと生きていて、「かくあれかし」と設定したのはアインズ自身なのだからそういう思考はよくないとは思うのだが、こればかりはどうしようもない。

 パンドラズ・アクター……このナザリックの中で唯一創造主が未だ存在する、ナザリックでもっとも幸福なNPCであったが、同時にもっとも不憫なNPCであった。



「……やれやれ。しかしエ・ランテルへ行けばすぐさま移動とは……」

 アインズはそう溜息をつく。現在はエ・ランテルのいつもの宿屋の一室で、中にはナーベラルとモモンの格好をしたパンドラズ・アクターが跪いていた。アインズはいつもの格好で、ソファに座っている。ハムスケはいつも通り外の馬小屋で暇を持て余していた。

 アインズは先程まで不可視化の魔法で姿を隠しており、モモンの格好をしたパンドラズ・アクターとナーベラルを間近で観察していた。パンドラズ・アクターはやはり演技の方が得意ならしく、本領発揮とばかりに生き生きとモモンとして振る舞っていた。少しばかり仕草が過剰であるが、問題は無いだろう。むしろ、ナーベラルの方が緊張していつも以上に無口になっていたほどだ。もっとも、回数を重ねれば次第に慣れるだろうとアインズは思っている。

「すぐさまリ・ブルムラシュールへ向かいますか?」

「そうだな……。厄介事はなるべく早く済ませておきたい」

 パンドラズ・アクターの言葉にアインズは頷く。
 エ・ランテルへ向かったアインズ達は、どうやらアインズ達の帰りを待っていたらしいアインザック組合長にすぐさま呼ばれ、会議室の一室で話を聞く事になった。
 曰く、リ・ブルムラシュールにあるアゼルリシア山脈の一つ……そこでちょっとした問題が起きたために、アインズ達に指名依頼をしたいのだとブルムラシュー侯から連絡があったのだとか。
 ……これと似た依頼をアインズは受けた事がある。かつて王都に巣食っていた裏組織、八本指の制圧に手を貸して欲しい時に受けた指名依頼とそっくりなのだ。
 勿論、アインズは今回も同時に裏向きの依頼を聞いている。

 ――――ブルムラシュー侯の領地である鉱山に、火竜が出没した。アインズに出された依頼とは、この火竜退治である。

 現在、王国は帝国との戦争に向けてとてもそのような些事(・・)に付き合っていられない、との事で軍の派遣は無い。他のアダマンタイト級冒険者に依頼しようと思ったようだが、ヤルダバオト襲撃の例の悪魔事件により、アインズがアダマンタイト級冒険者の中でもっとも強い、という認識を王国ではもたれているために、念には念を入れてアインズに指名依頼が来たのだ。断られたら、ちゃんと近くの王都のアダマンタイト級冒険者……蒼の薔薇などに依頼する気でいるらしい。

 勿論、アインズは引き受けた。この異世界の(ドラゴン)をアインズ達はまだ目撃しておらず、噂だけしか聞いていないのだ。
 それに何より、ドラゴンハイドは貴重なのである。魔法を羊皮紙に込めて作成される巻物(スクロール)……第十位階魔法を込めるにはその中でも最高級の竜の皮……ドラゴンハイドでなければ作成出来ない。現在、この異世界が未だ不明な点が多い事からアインズは彼らの乱獲を禁止しているが、向こうから来たのならば話は別だ。まさに、カモがネギを背負ってやって来た、である。

 今まで影も形も見えなかった火竜であるが、当然、(ドラゴン)ならば幾らかの知恵を持つ可能性もある。ナザリックにとって存在価値は計り知れない。王国にとって火竜は厄介事であるのだろうが、ナザリックにとっては幸福の赤い鳥と言ったところか。

「念のためアウラと合流したら、すぐに出発するぞ」

 野伏(レンジャー)技能を持つアウラに〈伝言(メッセージ)〉を入れて、アインズ達は出発した。アウラとは途中で合流する事になるだろう。

 ――そして、アウラと合流した後、一応数日ほど空けてリ・ブルムラシュールへと辿り着いたアインズ達は、ブルムラシュー侯の使いと顔を合わせた後すぐに件の山へと向かった。現在、その山は閉鎖状態となっている。火竜が出没したのが原因なのだが、民衆には噴火の可能性が出始めたために立ち入り禁止としたのだ。

(まあ、実際に火竜が活を入れると死火山が活火山になっちゃうかもしれないけどさ)

 そうなる前に、出来れば済ませてしまいたいものである。

「それで、アインズ様。これからどうなさいますか?」

 途中で合流したアウラが、元気よく声を上げながらアインズの采配を待っている。今はナーベラルはそのままであるが、パンドラズ・アクターはモモンの姿を解いて本来の姿に戻っていた。
 現在、アインズ達は山にはまだ入らずその手前で立ち止まっている状況だ。これからどう行動するかアインズの言葉を全員待っているのである。

「アインズ様、やはり交渉から入られるので?」

 パンドラズ・アクターがアインズに訊ねる。パンドラズ・アクターはナザリックでも頭がいい部類であり、アルベドやデミウルゴスと同等の知力を持つと設定しているので、アインズが何を悩んでいるか既に察しているのだろう。

「ああ。(ドラゴン)ともなると慎重に交渉した方がいい相手だからな。勿論、あまり図に乗るようならお灸を添えてやらなければならないが……逆に頭が悪いようなのはマジックアイテムの材料にでもすればいいだろう」

「……、かしこまりました」

 パンドラズ・アクターが頭を下げる。アインズは一瞬パンドラズ・アクターが別の単語を発しようとしたのを見逃さなかった。ドイツ語ダメゼッタイ。

「さて、ではアウラ。火竜がいる場所まで案内してくれるか?」

「わかりました!」

「ナーベラル、ハムスケ。お前達はここで待っているように」

「かしこまりました」

「わかったでござる!」

 レベル的にナーベラルとハムスケは、念を入れて連れて行かない方がいいだろう。アインズが残るように告げると、ナーベラルが頭を下げて了承した。ハムスケも慣れたもので、文句の一つも言わない。

「よし――では行くぞ、お前達」

 アインズはアウラを先頭に、パンドラズ・アクターと共に山を登っていく。
 その山は、冬だというのに異様な熱気に包まれていた。







 アインズ達が山を登っている頃、アルベドはアインズの私室にいた。

「あふぅ……」

 アルベドは誰が聞いても艶めかしいと答えるような溜息をつく。アインズの寝室のベッドの中に潜り込み、いつものように一生懸命体臭を擦りつけていたためだ。傍らにはやはりいつも通り、アインズの姿が編みこまれた抱き枕が転がっている。

「くふー!」

 興奮し、再びぐりぐりごろごろと全裸で悶える。
 これがアルベドの、アインズがいない時の日課だ。愛するアインズがいないのだから、せめてアインズの気配が色濃く残る場所で過ごしたい。
 デミウルゴスなどは「アインズ様の部屋で何しているのかね?」という冷たい視線が送られてくるが、しかしアインズ自身から許可を取っているのだから、誰にも文句は言わせない。アルベドは心置きなく、毎日アインズのプライベートルームで妄想に耽っていた。
 ……まさかアインズも、アルベドが自分の寝室でこのような狂態を晒しているとは夢にも思うまい。これからも、心の平穏のためにアインズは知らない方がいいだろう。

「あー、アインズ様の匂いがするわ。幸せぇ……」

 えへえへとヤバい笑いがこぼれ始めているが、アルベドを止める者は誰もいない。そもそも主人の私室に無断で入るような従者がいるはずがなく、そしてアルベドの奇行はナザリックの者達にとって周知の事であるので掃除に来た一般メイドさえもはやアルベドに一礼するだけで無視している。

「くふふふふ」

 ごろごろ。ごろごろ。アルベドはアインズのベッドの中で悶える。枕に顔を埋め、すーはーすーはーと呼吸をする。そして、ガバリと体を起こした。

「忘れるところだったわ」

 ポツリと呟き、アルベドはベッドから名残惜しげに出る。そして一目散に私室のゴミ箱に直行した。小さな黒いゴミ箱の中身は空だ。だがアルベドはゴミ箱を手に取ると、ゴミ箱の中に手を突っ込み底を引っ掻く。爪が底に引っかかり、底が外れた。二重底である。本当の底には、アインズが必要としなくなった万年筆が入っていた。

「くふー! よしよし、ちゃんとバレなかったわね!」

 アルベドは大喜びでペンをゴミ箱から拾い上げる。恭しく手に取り、目の前に両手で掲げた。

「ああ……あの御方が直接手に取った万年筆……素晴らしいわ……素晴らしい……」

 うっとりと眺め、愛撫するように手を滑らす。そして、きょろきょろと周囲を見回すと、ゆっくりと顔に近づけた。

「……アインズ様の味がするわ」

 つつぅっとそれを這わせて、味わって一言。そして再びゴミ箱を元の二重底に戻すと、万年筆を手に取ってベッドへと戻った。

「くふふふふ……幸せぇ……幸せぇ……」

 ごろごろと寝転がり、悶える。そうしていると――

『――アルベド』

「――あら、コキュートス?」

 頭の中で響いた呼び声に、アルベドは反応し身を起こす。〈伝言(メッセージ)〉の魔法による通信だ。現在コキュートスは蜥蜴人(リザードマン)達のもとへいるため、当然アルベドの狂態など見えていない。もし目撃していれば顎を外して絶句していただろう。なにせ、あのデミウルゴスでさえ沈黙させるほどなのだから。

「どうしたの?」

『――先日報告シテイタ緑竜(グリーンドラゴン)ニツイテナノダガ……目ヲ覚マシタ」

「ふぅん……」

 数日前に蜥蜴人(リザードマン)達の村に緑竜(グリーンドラゴン)が出没した事については、既に報告を受けている。何故かコキュートスの姿を確認した後気絶し、それからコキュートスは話を聞くべく目を覚ますのを待っていたのだ。おそらく、目を覚ましたため話を聞き出して、その報告にアルベドに繋げたのだろう。
 しかし、アルベドに直接連絡を入れるとは、何かあったのだろうか。アルベドは首を傾げる。

「それで、その(ドラゴン)は何だったの? 一応、アインズ様から用が済んだ後は色々な材料にするよう言われているのだけれど」

 (ドラゴン)は現在、ナザリックにとって希少価値の存在だ。何せ様々な材料に使え、無駄なところが無い。そのため、アインズからは「絶対に逃がすな」とアルベドは仰せつかっている。

『ウム……実ハダナ……』

 ――それから、コキュートスは語った。曰く、この緑竜(グリーンドラゴン)はアゼルリシア山脈にある山の一つに棲息していたらしい。
 だが、ある日大きな火竜が出現しあまりに恐ろしくて山から逃げ出したのだとか。その逃げた先がトブの大森林であり、そこで運悪くコキュートスと遭遇したという事だ。
 コキュートスは新たな火竜の出現、という事ですぐに報告を入れた方がいいだろう、と〈伝言(メッセージ)〉を入れたらしい。

「…………」

 アルベドはそのコキュートスの話を聞いて、考え込む。火竜という情報に、聞き覚えがあったからだ。
 確か現在アインズがモモンとして受けている依頼が、リ・ブルムラシュール領の鉱山に出現した火竜退治だったはずである。アウラがその手伝いとして招集されたため、アルベドも連絡を受けていた。

「ありがとう、コキュートス。確かアインズ様がモモンとして今受けている依頼が、鉱山の火竜退治だわ。たぶん、その火竜ね。大きさとかは訊いたの?」

『ウム。貴族ノ館ホドモアル大キナ巨体ダッタラシイ。自分ト同ジクライ強イ、ツガイノ黒竜(ブラックドラゴン)ヲ容易ク喰イ殺シタソウダ』

「そう……確か、そいつのレベルは四〇程度だったかしら」

『ソノ通リダ』

「ありがとう、コキュートス。早速、アインズ様に〈伝言(メッセージ)〉でその情報を伝えておくわ。貴方はその緑竜(グリーンドラゴン)から他にも色々な情報を入手してちょうだい。逆らうようなら、ニューロニストに回しなさい」

『了解シタ』

 コキュートスと会話を終えると、アルベドはベッドから降りてすぐに服を着る。そして、抱き枕の中にこっそりと万年筆を隠すとアインズの私室の掃除をしていた一般メイドに抱き枕を押し付けた。

「これを私の部屋に置いてきてちょうだい。分かってると思うけれど」

「かしこまりました、アルベド様。勿論、例の部屋は開けません」

「よろしい」

 アルベドはメイドに抱き枕の片づけを頼むと、急いでエントマを探す。エントマは第九階層でユリと廊下で何か話をしていた最中であった。

「エントマ」

「アルベド様、どうされましたぁ?」

「どうかされましたか、アルベド様」

「アインズ様に報告があるから、〈伝言(メッセージ)〉を頼めるかしら」

「……何か緊急のご予定ですか?」

 ユリの言葉に、アルベドは頷く。

「ええ。現在アインズ様が引き受けている火竜退治の依頼なのだけれど、件の火竜は推定レベル六〇以上が予測される事が別の情報源から分かったの。その程度ならどうでもいいでしょうけれど、ザイトルクワエ以来の高レベル生命体よ。報告しないわけにはいかないでしょう?」

「なるほど」

 話を聞いて、エントマが急いで〈伝言(メッセージ)〉を使おうと符を取り出す。そして――エントマの持つ符がぼろぼろになり、地面に紙吹雪が舞い降りた。エントマは仮面の虫で表情を作っているだけなので表情が変わる事はないのだが、雰囲気から驚愕したのがアルベドやユリは見て取れた。

「どうしたの、エントマ」

 ユリが優しく訊ねると、エントマは焦燥感煽る焦った声を発した。

「アインズ様に、〈伝言(メッセージ)〉が届きませぇん……」

「――――」

 そのエントマの言葉を聞いたアルベドとユリは固まり……アルベドが悲鳴染みた声で命令を下す。

「エントマ! アウラとパンドラズ・アクター、ナーベラル、ハムスケ他にも試しなさい!」

「は、はいぃ!」

「ユリ! セバスを呼んで来なさい!」

「かしこまりました!」

 ユリが急いでその場を離れる。アルベドの目の前でエントマが符を幾つも出しそれぞれ試し始める。

 ――アウラ、反応無し。
 ――パンドラズ・アクター、反応無し。
 ――ナーベラル。

「――よかった! 繋がりましたぁ!」

 エントマがそうアルベドにも分かるように叫び、そのままナーベラルと話し込む。アルベドはほぅっと息を吐いた。全員と繋がらなかったらどうしようかと思っていたのだ。

「――アルベド様、セバス様をお連れしました」

「――アルベド様、どうしましたか?」

 エントマがナーベラルと話している内に、ユリとセバスがやって来た。血相を変えたユリに呼ばれたため、セバスも驚いている。

「ええ、実はねセバス――」

 そしてアルベドがセバスへ説明しようとした時……エントマがナーベラルとの会話を終えてアルベドに話しかけた。

「あの、アルベド様ぁ。アインズ様はアウラ様とパンドラズ・アクター様と三人で山を登っていったそうですぅ……それでぇ、そのぉ……ナーベラルも、〈伝言(メッセージ)〉が繋がらないってぇ……」

 そのエントマの報告で、セバスもこれが緊急事態であると察した。
 アルベドはエントマの報告を聞くと、即座にその場の者達に指示を出す。

「私は玉座の間に行ってアウラ、パンドラズ・アクター、ナーベラルの状態を確かめるわ! エントマ、貴方はコキュートスにすぐにナザリックに帰還するよう伝えて! セバス、ユリ、貴方達はシャルティア、マーレ、デミウルゴスに即座に玉座の間に集まるように伝えてちょうだい!」

「かしこまりました!」

 全員急いでその場を離れる。アルベドは指輪の機能を使って玉座の間の前の大広間へ出た。

(アインズ様!)

 頭の中に浮かぶのは、ひたすら主人の安否だけだ。アルベドは玉座の間に入ると、急いで玉座へ向かいマスターソースを開いた。アウラ、パンドラズ・アクター、ナーベラルの状態を確かめていく。
 そして――異常なし。敵対もしていなければ、死亡している様子も無い。アインズより後にアウラやパンドラズ・アクターが死亡する事はナザリックのNPCとして絶対にあり得ないと断言出来る。そのため、アインズは未だ無事である事が窺えた。
 アルベドはほっと息を吐き、その場にへたり込む。そして、マーレの指輪で転移したのであろう。程なくして残りの守護者達とセバスもやって来た。

「アルベド! アインズ様は――」

 デミウルゴスが血相を変えて訊ねるのを制し、アルベドは口を開く。

「大丈夫よ、アウラもパンドラズ・アクターも無事だし、ナーベラルも洗脳を受けている様子は無いわ」

「そうですか……しかし、まだ安心は出来ません」

「すぐに編成を組み、アインズ様のもとへ向かいましょう」

「ソレガヨカロウ」

「……あ、あの……シャルティアさん? な、何見てるんですか?」

 静かなシャルティアが気になったらしく、マーレが不思議そうに訊ねる。見れば、シャルティアは本を開いていた。あの本はアルベドの記憶にある。確か、アインズ様がシャルティアに渡したシャルティアの創造主ペロロンチーノの百科事典(エンサイクロペディア)だ。

「シャルティア、どうしたの?」

「……ちょっと待っておくんなまし。その話、何か引っかかるものがあるんでありんす」

 シャルティアはパラパラとページを捲っている。おそらく、何度も何度も読み返したのだろう。既に目的の項目がどの辺りか見当がついているらしかった。
 そして――ついに発見したようだ。

「あった! ありんした! このページでありんす!」

「どうしたんだい、シャルティア」

「このページを見ておくんなまし! (ドラゴン)のことについて幾つかペロロンチーノ様が書いているんでありんす!」

 以前は決してアルベドやアウラに見せてくれなかったのだが、今は興奮しているのかそのページが全員に見えるように掲げている。一番近くにいたデミウルゴスがそのページを読んだ。

「えぇっと……何々……高レベルの(ドラゴン)は一定領域下の転移系魔法及び、情報伝達魔法を阻害す、る……」

「…………」

 ――今、全ての謎が解けた。

「なるほど。つまり、現在アインズ様が受けていらっしゃる依頼の火竜は、高レベルの(ドラゴン)、ということだね。これなら、〈伝言(メッセージ)〉が繋がらない理由が分かる」

「と、ということは……アインズ様は、ご無事ってことですよね……?」

 全員で安堵の息を漏らす。そこまで切羽詰まった内容ではないと分かったためだ。

「高レベルの(ドラゴン)相手だとよくあることのようだね。やれやれ、アインズ様もお人が悪い……。おそらく、私達の危機意識の向上を狙ったのだろうが……」

「……そうね。シャルティアが持っているペロロンチーノ様の百科事典(エンサイクロペディア)を調べれば、すぐに分かるということはそういうことでしょうね」

 アルベド達はこの事態をアインズが自分が場を離れていた場合のナザリックの危機意識の認識度、冷静な判断や対応は可能か、という事を調べようとしたものだと判断した。
 ちなみに、一部のガチャ産の(ドラゴン)などには無い機能であるため、マーレは知らなかったのであった。

 ……そして勿論、アインズは単純に伝え忘れただけである。至高の御方補正はさすがであった。

「不安にさせたナーベラルにこの情報を伝えましょう。それから、万が一のことを考えてすぐに行動出来るよう、編成準備を」

 それで、この話は終わりだ。アルベド達はそう判断する。



 ――――そして、〈伝言(メッセージ)〉が繋がらず不安になっていたナーベラルはアルベド達から聞いた話で安堵し、ハムスケと共に目の前の山を見上げる。

「……アインズ様」

「殿……」

 晴れた空に、雷鳴のごとき咆哮が響き渡っていた。







 山の木々の間を、アウラのペットであるフェンリルが音を立てずにするする進んでいく。その上にアインズが騎乗しており、アインズの横をぶくぶく茶釜に変化しているパンドラズ・アクターが、その少し先をアウラが進んでいた。

「アウラ、もう少しかかりそうか?」

「そうですね……相手は火竜なんで、熱気のもとを辿ればすぐに着くとは思うんですけど……どうも、山全体がナザリックの第七階層みたいに熱気に包まれていて、少し分かり難くなってます」

「なるほど。……どうやら、相手はとっくに鉱山に活を入れて活火山に変えているようだな」

 つまり、下手をすれば噴火の可能性がある。さすがにそれは避けたいところだ。まだブルムラシュー侯には使い道がある。この金鉱山を捨てるのも惜しい。

「アインズ様、向こうはこちらに気づいているのでしょうか?」

 パンドラズ・アクターが口を開くと、先を進んでいるアウラが振り返り、嫌そうな表情をした。

「おそらくな。高レベルの(ドラゴン)の索敵能力は下手な野伏(レンジャー)より高い。気づいている可能性の方が高いだろう。……ところでアウラ、いい加減に慣れろ」

「あ、はい。すいません、アインズ様。ただ、どうしてもぶくぶく茶釜様の格好をされると違和感が凄くて……」

 アルベドもそうであったが、さすがに創造主が相手だとパンドラズ・アクターの変身も見分けがつくらしい。セバスはアインズに化けたパンドラズ・アクターに気がつかなかったようだが。

「仕方あるまい。ぶくぶく茶釜さんは防御特化なのでな、ガードとして優秀なのだ。不快だろうが、少しだけ我慢してくれ」

「すみません、大丈夫です」

 アウラは謝りながら、再び前を向いて歩く。少しして、雷鳴のごとき咆哮が響き渡り、地面が揺れた。

「……ふむ。随分とご機嫌のようだな」

 あるいは、不機嫌が極まったか。

「うるさい奴ですね。ただ、先程の咆哮で場所は大体特定出来ました」

「よし。向かうか」

 そして再び歩き始め、しばらくしてアウラが歩を止めた。

「えっと、この辺りで肉眼で確認出来る距離です。向こうはこっちに気づいているみたいですけど、興味無いみたいですね。こちらに注意は払ってないみたいです」

「そうか。どんな火竜か分かるか?」

「えっと、結構大きな火竜です。マーレの(ドラゴン)より大きいです。鱗は真っ赤で、頭と尻尾に角がたくさん生えてますね。ちょっとあたしが知らない種類の(ドラゴン)みたいです」

 アウラはビーストテイマーなので、モンスターの種類に詳しい。そのアウラが見た事もない(ドラゴン)だという事は、この異世界特有の固有種なのかも知れなかった。

「…………」

 アインズのコレクター魂が疼く。それは、是非とも手に入れたい。しかし同時に警戒もした。この異世界の固有種だとすると、まったく自分の知らない魔法や特殊技能(スキル)を持っている可能性があるからだ。

(油断は禁物か……俺が自分で見て確認する必要がある、か?)

 アインズはアウラ達に待機を命じ、下位アンデッドの骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)を作成して魔法で視界を繋げる。そして、それを空に飛ばした。ある程度上空に飛ばした後、アウラの言っていた方向に視線を向ける。

「――――」

 そして、アインズはその火竜と目が合った(・・・・・)

「――――」

 思わず口から漏れ出そうになった悲鳴を手で押さえる。火竜は下位アンデッドを見つめながら身を起こし、両翼を広げた。その瞳はアインズの予想通り――憤怒に狂している。

「パンドラズ・アクター! 弐式炎雷さんに変化しろ! アウラ、乗れ!」

「え?」

「この場から離脱するぞ! ――走れ、息の続く限り……!」

 火竜の咆哮が周囲に鳴り響く。地面が揺れ、火竜が翼を動かした事により突風が巻き起こる。アウラはアインズの命令に従い、すぐにフェンリルに乗り山を下るよう指示した。パンドラズ・アクターは一番敏捷特化である弐式炎雷に変化し、その後を追う。
 アインズはアウラと共にフェンリルに騎乗しながら、更に幾つもアンデッドを作成し、囮にする。
 彼らの頭上を、巨大な火竜が通り過ぎた。

「ア、アインズ様、あの……!」

「いいから急げ。この戦力でアレはまずい……!」

 アインズはアウラにそう告げ、急かす。アウラはそれで疑問を呑みこみ、フェンリルに急ぐよう促した。

(――馬鹿な!)

 アインズは心の中で絶叫する。あの火竜をアインズは見覚えがあった。あの火竜は、ユグドラシルのモンスターだ。それもただのモンスターではない。期間限定のイベントモンスター。

 ユグドラシル運営が過疎り始めたゲームで、プレイヤーを呼び戻すために用意したとある一つの作品(せかい)を代表するワールドエネミー。

 ――その名を。



「――ユグドラシルから我々と同じように召喚でもされたか、魔竜シューティングスター……!」



 日本のファンタジー小説『ロードス島戦記』に登場する火竜。かつてユグドラシルで猛威を振るった、人間と魔法詠唱者(マジック・キャスター)嫌いの化け物が、この異世界の空を飛んでいた。




 



 
 流れ星さんは基本激おこぷんぷん丸。魔力系魔法詠唱者相手にはムカ着火ファイヤーとなり、人間相手にはカム着火インフェルノォォォオオオウに。
 ちなみに人間の魔法詠唱者にはげきオコスティックファイナリアリティぷんぷんドリームに変貌します。
 







※この小説はログインせずに感想を書き込むことが可能です。ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に
感想を投稿する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。