出来のよさは確か。コナン歴代映画で、クオリティの高低でどちらといわれれば間違いなく高い。
…なんだけどそれでも言いたい。大嫌い。いっそ憎い。
「鈍感になってはいけないところで鈍感」なのと「父なる存在に裏切られた」から嫌い。
何が嫌いって…放映当時、映画館に見に行ったらそばで見ていた明らか小学生な子供たちが
「あれって(親指を下に向けながら)…ってことだよなw」って言い合ってたんだけど、そこ。そういうとこだよ。あそこ。
犯人が辛い動機に泣き崩れた直後に能天気なラブコメが始まったりする「鈍感力」を武器に大衆向けエンタメとして上り詰めたんだけど、
その鈍感力ってのは「死の匂い」と日常を完全に切り離せる柔軟さ、及びそれによるしんどさからの開放。スーパー主人公の神格を貶めない。
…って利点があるわけなんですよ。まあ狂ってるけど。
でも、良く言えば【(鈍感なまでに)超前向き】だからこそ、
殺人なんてしんどい要素を脇においたままキャラクターも魅力的に映るわけよ。
で、ベイカーなんだけど。
野沢尚先生、っていう推理小説家/脚本家さんを起用しての作品がベイカー。
仮想ゲーム体験できる「コクーン」が「ノアズ・アーク」と名乗る人工知能に占拠され、ゲームの中で子供たちは一人、また一人と倒れ…。
っていうのがまあ、あらすじ。
//推理小説家の方に関わってもらえるのが初めてで、濃厚なミステリを期待したら犯人の動機部分に派手なツッコミ所があって悲しかった…のはさておき。
//「コナンは泣かない」という青山先生の決めていた不文律にあえて「諦めさせたい」と捻じ込まれたことも大分アレ。なのもさておき。
前述の、あそこ。
なんで諦めちゃうの?いやクライマックスじゃなくて!ラストのあのへん。そしてあそこがあるが故に、どうしても全体に死の匂いがしみつく。
もちろん、「鈍感力」が採用されなかったシーンは、原作にもある。あるんだけど、もう物語があったんだ。あの映画時点ですでに。
「成美さんを助けられなかった」スーパー主人公唯一の敗北のシーン。
…からの、それがあるが故に「犯人を死なせてはいけない」っていうきつい主義/諦めない理由だって既にあった。
そういうコナンが。そういう主義と理由を既に抱えているスーパー主人公が、あっさりバイバイってお前。
ほんと、解釈違い。ないわ~。そこ、鈍感になっちゃいけないところだから。
クライマックスに関しては異論はない。そういう解釈もあるね、だ。だけどあれはない。何であれ通したの監督…!誰か止めてよあそこ!
あともういっこ。
「父なる存在に裏切られた」は野沢先生があの映画の父だったからです。
「コナンは息子も見ている。だから父として書いた」って先生自身も語っていたから。
だからコナンには、諦めてほしくなかった。だから、訃報に「助けられなかった」って思ってしまった。
鈍感なコナンの世界に死の匂いを持ち込み、物語を持っているコナンに自分の物語を押し付け、
あげくスーパー主人公コナンが、その死の匂いを鑑賞当時から嫌った私が、助けられなかった。それってぜんぜん、息子さんのためなんかじゃなかった。
だから大嫌いです。
クオリティがどんなに高かろうが。子供向けとは思えない面白さだろうが。
その名前をみるたびに毎回、その痛みと腹立たしさを抱えながら黙祷を捧げています。大好きな名探偵コナンという作品なのに。本当に嫌い。
※そんな「名探偵コナン ベイカー街の亡霊」は2/9金曜ロードショーで放送らしいです。
みんな見るがいいよ!クオリティは間違いなく高いから見ている間は絶対面白いと思うよ!
少し見たくなった 見ないとこの文が理解できないのは確かだ